──雨が降る。
大学の講義の帰り道。日が暮れる直前、茜色の空を覆いつくすかのように灰色の雲が湧き出してきたのを見て、直感でそう思った。バッグの中を漁って折り畳み傘を探すけれど、どれだけ探しても折り畳み傘が出てくる気配は無い。
──そういえば、机の上に置きっぱなしだったのを忘れていたわね。
朝の時点で天気予報は晴れだったから、傘はいらないと思ってバッグに入れずに家を出たんだったか。朝の自分に対して、思わず舌打ちをしてしまう。そんな私に追い打ちをかけるようにぽつり、ぽつりと雨が降り出し、瞬く間に大雨へと変わった。
天気予報はあくまで『予報』であって『予測』ではない──それを嫌というほど思い知らされ、少しだけ苛立つ。
無い物は仕方がないし、このまま帰るしかない。そう結論付けて歩き出す。ちなみにこの結論が出るまでにおよそ30秒ほど時間を要したが、私が全身ずぶ濡れになるのには充分な時間だった。髪や服は肌に張り付くし、膝の少し上くらいまであるスカートは水を吸って重くなったことで私の足を絡め取ろうとする。その上靴下とスニーカーも完全に水を吸ってしまった為、一歩踏み出すごとにぐちょり、と音を鳴らす。そんな不快感にまた苛立ちを覚えて、雨に打たれることですっと頭が冷える──これの繰り返しだ。
相反する心境と、雨に濡れた周りの景色が、思い出として残っている何かに重なって。
──そういえば、彼女達との関係が終わったのもこんな日だったわね。
私はふと、あの出来事を思い出す。
私達の
『こんなの…!こんなの、Roseliaじゃない!』
『いくら練習したって…音なんて…合いません…!だって…誰も、みんなの音を…聴いてなんて…いないからっ!』
『──こんな形でこれまでの経験を全部なかったことになんてしたくないんです!』
『友希那…アタシは、何があっても友希那の味方だよ…』
あの日…私はどうすればよかったのだろうか。
突然参加することになったSMS──私達が目指していた『Future World Fes』に勝るとも劣らない、音楽の祭典。その演奏の途中で、オーディエンスが次々と席を立っていなくなってしまったあの光景。
紗夜も、リサも、あこも、燐子も、もちろん私自身も──手なんて抜いていなかった。むしろ練習よりも遥かにいいパフォーマンスだったと思っている。
それでも──何かが足らなかった。その結果がSMSの光景。
『以前聴いた時と印象が違ったような……音が変わったように感じました』
スタッフに言われた言葉が今でも耳から離れない。言葉の意味は今でもわからないままで。
Roseliaの音を取り戻そうと、何もわからないままがむしゃらに走り続けて。
──その結果、Roseliaは崩壊した。
離れていくメンバーを、昔の私は止めることが出来なくて。最初はあこが、続いて燐子が練習に来なくなり、紗夜とは喧嘩別れのような状態のまま関係は薄れていってしまった。もう自分が何を目指していたのかもわからなくなって、もう限界だった私はやり場のない感情の矛先をリサへと向け、唯一の理解者すら失ってしまった。
残された私は後悔と罪悪感に苛まれ、歌うことを辞めた。FWFの前に勧誘してきたあの時の業界の人間が、Roseliaが解散したことを聞きつけて勧誘にやってきたが、全て断わった。
…私にはもう、歌う資格が無くなってしまったから。Roseliaを壊した私に、歌う資格なんてあるとは思えなかったのだ。
──でももし、過去をやり直すことが出来るなら…なんて、そんな事あるはずがないのに、私は心のどこかで縋っているのだろうか。
私達の
いつもの見慣れた景色。この大雨のせいで人影が一切ない歩道を、ゆっくりと歩く。すっかり日が暮れたようで、周囲の気温も少しだけだが下がったように感じるし、雨も少し冷たくなった気がする。
──少し、寒い。こんな時にリサが居てくれれば…
ふと、立ち止まってそう思った。リサはいつも周りに気を配っていたから、こういう事態も予測して傘を余分に持ってきてくれていたかもしれない。
…リサを拒絶したのは私なのに、何を都合のいい事を。もうリサは隣にいない。そうなったのは私のせいなのに、私は無意識にリサの優しさを求めてしまっている。
「…帰らないと」
静かに呟き、歩くのを再開する。夏場の風邪は引きずりやすいと聞くし、ずっと雨に打たれ続けたら冷えるのは当たり前。冬じゃないだけマシと割り切って、足を止めずに歩き続ける。
それから10分ほど経っただろうか。何を思う訳でもなく機械的に足を動かし続けたおかげか、ようやく自分の家が見えてきた。自分の家の門を開け敷地に入る直前に、ふと隣の家を見上げる。リサの部屋であるはずの2階の部屋の電気は付いておらず、寂しげな印象を与えてくる。
途端に心にのしかかってくる虚無感。それを無理やり振り払い、私は玄関の扉を開けて家へと入る。
「…ただいま」
帰宅した時のルーティンと化している、当たり前の一言。だけど、その一言に返事が帰ってくることは無かった。
「そういえば、二人とも出かけると言っていたわね…」
両親は前々から外出の予定があると言っていたし、返事が帰ってこないのは当たり前だ。1人でそう納得して、水を吸って随分と重くなったスニーカーと靴下を脱ぎ捨て裸足になり、洗面所へ向かう。
ひた、ひた、ひた…
フローリングの床を歩く足音が、誰もいない家に響く。その音に一抹の寂寥感を感じながら洗面所の扉を開け、棚に置いてあったタオルで濡れた髪の毛から水分を拭き取る。その後、サッとシャワーを浴びてたまたま置いてあった替えの洋服に着替えて自分の部屋へ。
普段なら机に向かって勉強をする所なのだが今日ばかりはそんな気になれず、荷物を部屋の隅に放り投げてベッドに倒れ込む。
(私は、弱くなったのね)
もう綺麗さっぱり断ち切ったはずなのに、未練なんて無いはずなのに。何故か私は
ふと窓の外を見ると先程と何も変わらない雨の風景が広がっていて、私の気分を更に沈めていくようで。目線を薄暗い天井に移し、私は静かに溜息を吐く。
(もし、あの時に戻れたら…)
ベッドに寝転がっていたせいか襲い掛かってきた睡魔に身を委ね、実現するはずのない思いを願いながら、私は静かに目を閉じた。
──雨は、止まない。