俺は郷の孤児院の育ちだった。だがそう特別な身の上だったわけではない。
かつて俺達が住んでいた龍血の郷は、大陸でも辺境に位置する荒れ地にあり、そこは土壌が痩せて農耕に向かないだけでなく、数多くの魔物が跋扈する危険な土地だった。魔物達は自らの縄張りに踏み込む者に対して異常なまでに攻撃的で、それは普通の人間や動物のみならず
つまり狩猟や採集、あるいは他の町村への所要で出かけた里人がそれきり戻ってこなくなるというのは、さほど珍しい話ではなかったのだ。薬草師だった俺の両親がそうだったように。
郷自体も決して裕福ではなかった。しかしだからこそ同じ境遇の子供達を「兄弟」と呼び、力を合わせて生きていこうと皆で誓い合った。だから余裕があるとは到底言えない自給自足の生活の中でも、俺はそれを辛いと思った事は無かった。
それなのに……。
カデナの森。船同士の往来が盛んな
俺はその日、森の中に研究小屋を構える学者のエテルノから地底湖の水質調査の依頼を受けていた。少し前まで地底湖に住み着き、一帯の弱肉強食の頂点に立っていた
確かに、冒険者でも騎士でもないエテルノには魔物を撃退しながら洞窟に潜るのは不可能だろう。あのツインドラゴンが健在だった頃は尚更だ。
「まあ食料も水も蓄えはあったし、むしろ研究結果をまとめる良い機会になったがね」
エテルノは何でもないことのようにそう言っていたが、それでもやはり魔物の襲撃と隣り合わせな生活から来る顔色の悪さは隠せるものではなかった。彼のためにも早くこの仕事を終わらせるとしよう。
水を汲むためのガラス瓶と地図を預かり、洞窟の入り口に足を踏み入れようとしたその時、暗闇の奥から足音と荒い呼吸音が近づいてくることに気付いた。やがて現れた足音の主はメイド服に身を包む黒髪の少女だった。装いと顔の作りからして恐らく
「あ、あの……冒険者の方、ですよね? 依頼したいことがあるんです」
俺の前まで走ってきた少女はフトゥラと名乗り、何とか呼吸を整えながら言葉を紡いだ。
ゆえにその間はカデナの沿岸に着岸している船で待つことになったのだが……。
「あの子、突然洞窟のほうに行くと言い出して……私、引き止めようとしたのに、間に合わなかった……」
しかし今は一緒ではない。1時間ほど前にフォルは止めようとする姉の手を振り切り、洞窟の中に走り去ってしまったのだ。深く入り組み、魔物の巣窟となっている洞窟へ。
「気の毒だがお嬢さん、恐らく君の弟は……」
横で聞いていたエテルノを片手で制する。恐らく言葉にする必要は無い。
幾らツインドラゴンが居なくなったと言ってもこの近辺、というより未浄化地域全般が危険に満ちていることには何ら変わりない。猛毒を有する上に群れを成すドクロバチ。光を透過する透明な外皮と冷気を帯びた触手を持つソラクラゲ。人間くらいの大きさの獲物なら一呑みにしてしまうイナズマガエル。そしてはっきりと人間に対する悪意を剥き出しにするゴブリンやオーガ。
幾ら
「……覚悟は、出来ています」
しかし予想に反してフトゥラは、少なくとも表面上は取り乱してはいなかった。顔は青ざめているが言葉はしっかりしていた。
「それでも、独りぼっちにはさせられません。だからせめて見つけてあげてください、お願いします……」
「……そうだな。俺もそう思う」
これは冒険者に対する「依頼」ということになるのだろうが、恐らく報酬は期待出来ないだろう。龍血の一族どうこうを抜きにしても、姉弟の主である
それでも俺は断らなかった、いや断れなかった。家族を喪う痛みならよく分かっているつもりだから。
せめて遺品だけでも見つけるとフトゥラに約束し、俺は洞窟へと潜った。
この洞窟にはツインドラゴン退治のために既に何度か出入りしたことはあるが、松明を持たなくても視界が確保出来る程度には明るい。エテルノ曰く岩に蛍光物質を含んでいるのだそうだ。だがそんなものは気休めにしかならない。
洞窟内は魔物の巣窟であるが、特に注意が必要なのはムラサキダケだ。
それを何度か繰り返し、あるいは営巣していたと思しきドクロバチやセントウガニを倒しながら進んでいると、地面の砂に真新しい人の足跡があるのを発見した。大きさは俺の足の半分ほどであり、子供のものと思われる。
生きているにせよ死んでいるにせよ、恐らくフォルは近い。俺は足を速めた。
幸いフォルは生きていた。ただし俺が見つけた時点でセントウガニに脚を挟まれていた為、無傷ではなかったが。
捕らえた獲物に夢中なセントウガニが俺に気付く様子は無い。小柄な少年を両の鋏でがっちりと掴み、人間の
絶命したセントウガニの鋏からフォルは抜け出し、地面に膝を付きながら俺を見上げる。
「お前がフォルだな?」
「そうだけど……何だよ、お前」
血の気の引いたその顔には警戒と疑いの色が濃く、その声も硬かった。無理も無い。直前まで食われかかっていた上に、今目の前に居るのは戦斧と鎧で武装した男、それも多くの人々が忌み嫌う龍血の一族なのだ。ある種当然の反応とも言える。
だが話をしなければ先に進まない。
「俺は冒険者だ。お前の姉、フトゥラからお前を連れ戻すよう頼まれた、な」
「お姉ちゃんが?」
「ああ。随分お前を心配していたぞ」
姉の名を聞いたフォルの顔から、少しではあるが警戒と疑いの色が薄れた。少なくとも俺が盗賊などのように危害を加えに来たわけではない、ということは信じてくれる気になったらしい。
しかし少しすると、先ほどとは違う意味でその顔が曇る。
「……駄目だよ、オイラ戻れないよ」
「何故だ」
「だって、お姉ちゃんの大事なペンダント失くしちゃったんだ。しかもそのペンダントは怪物に……」
その続きの言葉を遮るように、突如フォルの背後の地面から何本もの巨大な
視界を妨げていた茨が消えたことで、洞窟の奥に鎮座する存在の姿が露になる。
上半身は辛うじて人間の女に似た輪郭だが、その頭部に備わるのは髪の毛ではなく花であり、顔にもただ目や口に見える「穴」が空いているだけだ。その「上半身」よりさらに巨大な「下半身」は、さながら球根で出来た髑髏とでも言うべき様相だ。暗い眼窩の奥から青い光を鬼火のようにちらつかせ、こちらを睨みつけている。
「マンドレイクか……!」
根に薬効成分を持つという人食い植物。魔物としての強さは大したものではないが、一攫千金を狙って返り討ちにされる冒険者が少なくないと聞く。
以前この洞窟に潜った時は発見できなかったことから、恐らくは俺がツインドラゴンを倒した後になって生えてきたのだろう。ツインドラゴンが居なくなり、洞窟に戻ってきた魔物たちを「肥料」にしてここまで育ったか。事実、奴の足元の地面をよく見てみれば、干からびたドクロバチやセントウガニ、ゴブリンの死骸らしきものが無数に転がっていた。日光の差さない洞窟の奥でも花を咲かせることが出来る理由はこれだ。
そして、あと少し俺が来るのが遅ければフォルもあの中に加わっていただろう、ということも間違いない。
「そいつだよ! その怪物がお姉ちゃんのペンダントを呑み込んだんだ!」
背後で腰を抜かしたままのフォルが叫ぶ。だから1時間以上もこの場所を離れようとしなかったのか、と腑に落ちた。
ならばやる事は決まっている。
「隠れていろ!」
フォルに叫び返し、正面のマンドレイクに意識を集中する。単純に狩りを邪魔されて怒っているのか、あるいは龍血の一族のほうが餌として美味そうに見えるのか。それは定かではないが、都合が良いことに奴の
先ほどのものとは別の茨が地面から伸び、俺目掛けて振り下ろされる。既に一度目にした攻撃だ、避けるまでも無い。腰と腕の筋肉全てに力を込め、茨の動きに合わせる形で斧を振るう。切り離された茨がぼとぼとと地面に落ちるのを尻目に、俺は球根に飛び乗ってバトルアックスをマンドレイクの「上半身」に叩き付けた。樹液を撒き散らしながら「上半身」が真っ二つになるが、これで致命傷になったとは思えない。
それを裏付けるように「下半身」の目がぎょろりと俺を見上げる。直後に「下半身」の口ががばりと開いて甲高い音が響いた瞬間、鼓膜に針を刺したような激痛が耳から頭へと走った。溜まらずにマンドレイクの上から転がり落ちて膝を突く。
超音波。以前に本で読んだことがあるが、音とは空気の振動によって生じるものであり、物質に干渉する力があるという。耳元で大きな声を出されると耳が痛くなるのがまさにそれであり、その音量と周波を最大まで高めると岩ですら砕くことが出来るのだそうだ。
マンドレイクの最大の武器は茨ではなくその超音波であり、何も知らない冒険者はこうして返り討ちにあったのだろう。俺の脳が壊れたりしなかったのは、一重に
「くっ……思っていたより、賢いらしいな……」
恐らく茨による攻撃は、俺への決定打にならないと理解したに違いない。俺の呟きに応えたわけではないだろうが、マンドレイクの「下半身」が歯を鳴らすのに呼応してさらに4本の茨が地面から伸びる。俺が動けなくなったと見てトドメを刺すつもりか。
だが甘い。一時的に耳が聞こえなくなったとしても、身体が動かなくなったわけではないのだ。
両足を踏ん張り、さらに胴を覆う龍の頭に力を込める。すると胸や脇腹から伸びる角がめきめきと音を立てながら肥大化し始める。主である俺自身の背丈を上回るほどに肥大した角から発せられる青い光は、やがて俺の身体を覆う
少し前に再会した一族の皇女が、その牙と炎であらゆる敵を滅ぼす龍の顎を
俺の防御が予想外のものだったのか、マンドレイクの青い目が動揺したように丸く見開かれた。そして奴の周囲に大きな土ぼこりが立ち始める。茨と同じように地中へ逃げる気か。
「悪いが、俺はお前の腹の中の物に用がある。このまま逃がしはせん」
胴の角に集中させていた力を今度は解き放つよう意識する。それに呼応して胸部に開いた龍の口が吼え、その咆哮は
マンドレイクの「下半身」に浮かんでいた狼狽がはっきりとした恐怖に変わった。
俺は咆哮を上げながら再度疾駆する。周囲の冷気と水分をバトルアックスに凝結させることで形成した氷の刃を、渾身の力を込めてマンドレイクに振り下ろす。刃が直接触れたことで一瞬で氷の塊と化した「下半身」は俺の一撃に耐えることが出来ず、悲鳴一つ上げる事無くバラバラに砕けて砂地の中に散らばった。
砂の中に氷片とは違う煌きを見つけ、手を伸ばすと細い鎖が指の間に引っかかった。そっと持ち上げてみる。恐らくマンドレイクが飲み込んでいた物であろうそれは、小ぶりの宝石があしらわれたペンダントだった。フォルに手渡すと、フトゥラのペンダントで間違いないという。
「良かった、見つけてくれたんだね!」
「ああ。これで姉のもとに戻れるだろう?」
「あ、う、うん……」
不安要素はこれで無くなったと思われたが、フォルの返事は歯切れが悪い。
「オイラ、お姉ちゃんに怒られるかな」
「だろうな」
「……あ、あのさ、先に行って、お姉ちゃんにあんまり怒らないよう言ってくれないかな?」
ペンダントを両手で握り締めながら暫し俯き、何処か言い辛そうに口を開く。
確かに、小さな子供にとって保護者に怒られることは何より怖いことなのかも知れない。親の居ない俺でもその気持ちは理解出来る。
しかし、だからこそ。
「駄目だ」
「え……どうして?」
「フトゥラはお前をとても心配していたからだ。もし死んでしまっていたらどうしよう……というほどにな。だから彼女は俺にお前を探すよう頭を下げて頼み込んだ。もしお前をどうでも良いと思っていたなら、そんなことはせん。……それは分かるな?」
「……うん」
「恐らくフトゥラはお前を強く叱るだろうが、それはお前を心配し、身を案じる気持ちの裏返しだ。……俺も一緒に付いて行ってやるから、早く戻って安心させてやれ」
出来る限りフォルと目線を合わせ、一言一言噛み締めさせるように言う。数秒ほど迷っていた様子のフォルだったが、やがて頷いた。
「分かった、オイラお姉ちゃんに謝るよ、心配かけてごめんって。……あとその、ありがとう」
「フトゥラにも礼を忘れるな。お前を探すよう俺に依頼したのは彼女だからな」
互いを心配し合い、互いを想い合う。それはとても幸運な事なのだと改めて思った。
原作ゲームでも弟は本当にボスエリアの直前に居るのですが、毒沼とかがあったりする洞窟の最奥まで行ける辺り、もしかして結構戦闘力高い…?