病弱な末妹 作:貧弱弱者
朝の時間は、余裕を持つことが肝要だ。
「お姉ちゃん。髪跳ねてるよ?」
「む?」
「ほらここ。ちょっと待ってて」
揃いの白い制服に身を包んだ目鼻立ちの似た二人の少女は、とある一室にて朝の準備に勤しんでいた。
ポニーテールにしても腰ほどまである黒髪の姉、篠ノ之箒は今気づいたとでも言うように己の髪をなでる。
確かに、比較的真っ直ぐな髪にはうねりがあり跳ねが目立った。
そんな姉に対して、手弱女然とした笑みを浮かべた肩口に黒髪を切り揃えた妹、篠ノ之繋は櫛を片手に洗面所から戻ってくる。
「お姉ちゃんの髪は綺麗なんだから、勿体ないよ?」
「そうは言うが……別段、誰かに見せつけるわけではないのだから問題ないだろう?」
「今日は入学式だよ?それに、多分一夏君も居るし…………」
「一夏が気になるのか?」
「小学校ぶりだもん。大きくなってると思うし、新鮮、かな」
「……そうか」
「お姉ちゃんは楽しみじゃないの?」
「楽しみ、か…………そう、だな。確かに楽しみかもしれない…………約束も守ったようだしな」
「お姉ちゃん?」
「いや、気にするな。私とて、幼馴染との再会に何も思わないわけではない」
首を傾げる繋に、箒は鏡越しに笑みを返した。
彼女の一番は、この病弱すぎる妹だ。彼女を守るためならば、修羅にもなる覚悟はとうの昔に決めている事。
過保護と揶揄されようとも、幼少の折より、それこそ母の胎内から生まれ落ちたその時より側にいる半身の様な存在なのだ。
しかもその半身は、箒の知る中でも一等体が弱い。
誰よりも才溢れ、姉にも迫れるかもしれないがその全てを病弱さが邪魔をする。
何より、彼女は優しかった。
「はい、出来たよお姉ちゃん」
「ああ、ありがとう繋」
*
IS学園一年一組。
今日この日、入学式を終えた新入生が教室内に集まっているのだが、その中でもこのクラスの注目度は世界トップクラスであろう。
原因は、世界初の男性操縦者にして、ブリュンヒルデの弟、織斑一夏にある。
彼はイケメンだ。それこそ、幼少の頃より引く手数多であったと言えるだろう。
しかし、彼は一度として彼女らの誘いに乗った事は無かった。それどころか、丁重に断りを入れていたほど。
文武両道で、人当たりよく器量よし。家事も万能で、この女尊男卑の世界でも引く手数多な彼の心を射止めているのはたった一人の少女。
(繋、だよな…………?)
最後に見た瞬間のまま美しく成長したであろう、幼馴染の少女へとチラチラ視線を送りながら、一夏は内心で自問自答による回答を模索していた。
心のどこかで期待していたのだ。彼女との再会を。
そして、それは同じクラスという形で果たされた。
話しかけたい気持ちはある。それこそ、この五年間の事をたくさん、たくさん話したい気持ちが彼には有った。
だが同時に、不安もある。
一つは、というかこれが主だが自分の事を覚えていない場合。若しくは覚えていても距離のある話し方をされた場合。
恐らく一夏は、しばらくの間立ち直れない。
そして一つ目の不安を隠れ蓑にした本心の理由は、幼馴染に彼氏が出来ていた場合。
立ち直るとかそれ以前に首を括りかねない。
というのも、彼女のセコムである姉は、自分より強ければ邪魔しないのだ。要するに、姉に勝てれば誰にでもチャンスはあるという事。
姉の強さは知っている。それこそ、今ですらも勝てるかどうか怪しいと一夏は考えていた。
それでも万が一がある。そして、好意を向けられた思い人が答えるか否かは、彼にはどうしようもない次元の話であった。
「―――――…………はぁ」
「ほう、ため息とは随分と余裕だな?」
「ッ!いってぇ!?」
どうやらボーっとし過ぎたらしい。小気味良い音を立てて一夏の頭に、堅いものが降ってきた。
「ち、千冬姉―――――」
「織斑先生だ。惚けるのは構わないが、やるべきことをやってから惚けろ」
「お、おう」
スーツを着こなした大人の女性へと成長した姉、織斑千冬に出席簿で頭に折檻を受けた一夏は、頭頂部を撫でながら頷くしかない。
理不尽な暴力にも見えるが、一夏は一つの事に集中してしまうと視野が狭くなり頭が凝り固まってしまうのだ。こうなると言葉では聞こえないし、仮に聞こえても曲げる事は無い。
その場合、一発衝撃を与えて正気に戻す必要があった。
千冬は世界最強と言われるブリュンヒルデだ。クラス中から歓声が上がった。
とはいえ、自己紹介の時間となっていたのだからそれ以外の話題で騒ぎ続けるわけにもいかない。
千冬が場を収めて、一夏の自己紹介と相成り、そして周りは騒めく。
この状況で彼に向けられるのは、八割の興味と一分の嫌悪。そして一割九分の親愛の感情か。
自己紹介の時間だけで、一時間は過ぎ去り休み時間へ。
そして、一夏は行動を開始した。
「よ、よお、久しぶり、だよな?」
なれない愛想笑いを浮かべて、声が裏返らないように抑えながら、一夏は声を掛ける。
懐かしいという感情が胸の内から湧き上がるが、それ以上に目の前の彼女の魅力とも言うべきものが彼を捉えて離さない。
「―――――うん、久しぶりだね、一夏君」
記憶と同じように彼女、繋は一夏へと柔らかな笑顔を向けてくれた。
「あ、ああ、繋、だよな?」
「ふふっ、分かって声を掛けてくれたんじゃないの?」
「いや、その…………」
クスクスと微笑む繋に、一夏は頬を染めるとあたふた視線を彷徨わせた。
そんな彼の肩に、ポンッと手が置かれる。
「久しぶりだな、一夏。早速で悪いが、人の妹に何をしているんだ?」
「ほ、箒…………!」
「試練は終わっていないからな?まだ私にお前は勝ち越していないぞ?」
「分かってるよ」
耳元で囁いてくる箒に、一夏もまた頷く。
中学の剣道大会において、彼は見事優勝を果たした。だが、肝心の箒との勝負は五年前の時点で止まったままだ。
ただ、そんな二人の事情など知る由もない繋はと言うと、
「二人とも仲良しだね。少し、羨ましいな」
どこか寂しそうな気配を滲ませて微笑むばかり。
これに焦ったのは二人の方だ。
「ま、待て、繋!私と一夏には何もないぞ!」
「あ、ああ、そうだ!箒の言う通り!」
「でも、昔からお姉ちゃんと一夏君、よく一緒に居るし…………」
「それは!一夏ぐらいしか私の相手にならなかったからだ!」
「一夏君も、お姉ちゃんとよく一緒にいたよね?」
「あ、あれは、已むに已まれぬ事情があったというか…………」
どうにか誤解を解こうとする二人。しかし、肝心の理由、即ち繋への一夏の好意を伝えるか否かの話を彼女にするわけにもいかないのもまた事実。
いつも一緒に居たのは、繋への牽制。剣道の試合をよくやっていたのも、同じ理由。
四苦八苦する二人に、繋は「仲が良いな~」程度の感想しか抱いてはいない。
男女の中、と想像するには彼女には経験が足りていなかった。寂しそうな気配も仲のいい二人に省かれた気分になっていただけの事。
そんな事は、露ほども思い至らない二人(原因は姉の過保護)は休み時間ぎりぎりまで誤解を解こうと必死に言葉を連ねるのだった。
*
放課後。教室に残るのは二つの影。
「えっと、ここは…………」
「ここは、こう」
「あ、そっか。ありがとな、繋」
「ううん、高校に入る前に急に勉強してここまで分かってるんだから、一夏君も凄いよ」
「そ、そうか?」
「うん」
教科書とノートを広げた一夏と、彼の机の近くに椅子を寄せた繋。
因みに、手を出せば首と体がサヨナラグッバイ☆することだろう。
「…………」
「ん?どうかした?」
「あ、ああ、いや……」
「ふふっ、今日の一夏君はちょっと変だね。前はもっと率直にポンポン言ってきたのに」
「そう、だったか…………?」
「私は、どっちの一夏君も好きだよ。かっこいい君も、真っ直ぐな君も」
「ッ!」
ガンっ、と一夏は机に額を打ち付けた。
目の前で繋が焦った声を上げているが、彼にしてみればそんな事に今構ってはいられない。
(くぅ…………!可愛すぎるだろ!)
内心でそんな叫びを上げながらも、表に出すわけにはいかない。彼とて、命は惜しいのだから。
とはいえ、このままという訳にもいかない。
「だ、大丈夫?急に、倒れちゃったけど…………」
「も、問題無いさ。それより、そろそろ部屋に送るぞ?ほら、あんまり遅いと箒も心配するだろうし」
「……そう、だね…………うん、お姉ちゃんに心配は駆けられないし。けど、一夏君は?家まで帰るの」
「ああ、俺は――――――」
一夏が説明しようと口を開いていると、唐突に教室の扉が開く。
「あ、織斑君。ここに居たんですね。篠ノ之さんも、こんにちは」
「こんにちは、山田先生。一夏君を探してたんですか?」
「そうなんですよ。こちらをどうぞ、織斑君」
入って来たのは一年一組の副担任を務めている山田真耶。
彼女が差し出すのは、一つのカギだ。
「?これは…………」
「寮のカギだ。お前には、寮の部屋が割り振られているからな」
疑問符を浮かべた一夏の問いに答えたのは、同じく扉から入ってきた千冬。その手にはボストンバッグが一つ。
「携帯の充電器と着替えはこの中だ」
「え?…………え?俺って、家から通うんじゃないのか、千冬姉っでぇ!?」
「織斑先生だ。それから、織斑。本当に家から通えると思うのか?」
「一夏君。流石に世界初の男性操縦者を一人で出歩かせるのは、しないし。護衛のコストも考えるとこうしてIS学園に閉じ込める方が、都合が良いんだよ?それに、千冬さんも居るから」
「と、閉じ込める?」
「おおむね、篠ノ之妹が言うとおりだ。お前はもう少し、有名人であるという認識を持て」
「これも織斑君の為ですから。あと、織斑君はしばらくの間大浴場は使えませんので、部屋のシャワーで我慢してくださいね」
「…………?何でですか?」
「馬鹿者。少しは頭を働かせろ」
「流石に、一夏君。幼稚園生じゃないんだから、男の人と女の人が一緒のお風呂はいけないと思うよ?」
「……あ」
苦笑いする繋の指摘を受けて、一夏は漸く思い至ったらしい。
ついでに、彼女に視線を向けた際に頭の中で想像力が働き、少し妄想してしまう。
「…………ッ!」
慌てて顔を反らした一夏。余談だが、繋のプロポーションは箒にも劣らない。更に、彼女の様に鍛えていないからか、ふわりと柔らかいのだ。
顔を赤くした一夏に、彼の昔からの思いと気持ちを知っている千冬はため息をつき、軽く出席簿をその頭へと落した。
「落ち着け不埒者。とにかく理解したのなら納得しろ。お前の時間も後々工面して作られる予定だ。それまでの我慢だからな」
「わ、分かった…………」
コクリと一夏が頷いたところで二人は教室を出るように促される。
荷物を一まとめにして、教室を出た繋と一夏。その後に担任達も続いて出てくる。
「それじゃあ、二人とも。寄り道はしないでくださいね?」
「「はい」」
真耶に促され、二人は頷き歩き出す。
*
寮への道のりは、すぐそこだ。それほど長いわけではない。その道中、
「ふふっ…………」
唐突に繋は笑みをこぼした。
「どうした?」
「ん?ちょっと、ね。ほら、一夏君と帰るのって久しぶりだなって思って、懐かしくなったの」
あの頃は、お姉ちゃんも居たけど、と続け繋は笑った。
「こうして、一夏君とこんな所で会うなんて思わなかったよ?」
「そりゃ、俺もだよ…………本当に、どうしてこうなったんだか」
「嫌だった?」
「まあ、初めは。だってよ、IS起動させたと思ったら今度はホテルに軟禁されてたんだぜ?受験もパーだし。やる事と言えば、ISに関する勉強とかぐらいだし」
「そっか…………」
「けど、こうしてここに来なければ繋と再会できなかっただろうし、不幸中の幸いって言うのか、これ」
言わないが一夏自身、期待していなかった訳ではない。むしろ可能性は高いと踏んでも居た。
分が悪い賭けではあったが、それには勝った。後は、
「そ、そう言えば、繋」
「ん?なあに?」
「いや、その…………付き合った奴とか、居るのか?」
一番気になる事を聞く。
このタイミングしかなかった。箒も居ないし、周りに人もいない。会話の中身としては、比較的自然だろう。
果たして、
「いないよ?」
一夏の求めた答えが返ってきた。
それは即ち、この五年で箒の試練を突破できた者がいないという事。
そんな彼の内心など知らない繋は続ける。
「私、告白とかされたこともないし。男の子の友達も一夏君しか居なかったから。それにほら、私って体が弱いでしょ?だから、相手にも悪いし…………」
それは、彼女の内心で築かれてきた価値観。己の体の弱さを知るからこその発想。
弱弱しく微笑むそんな繋を見て、一夏の胸の内にはどうしようもない愛しさが湧き上がっていた。
強くも弱い彼女だからこそ、護りたくなる。その足が止まり、数歩前を行った彼女は不思議そうな顔をして立ち止まって振り返る。
「一夏君?」
「ッ、あ、あのな!繋!」
暗くなった通り。外灯に照らされる二人。
「お、俺……!お前のこ―――――」
極まった一夏が遂に、
「―――――一夏?」
言い切る前に、修羅の声。ゾクリと背筋に氷柱でも突っ込まれたような寒気を覚え、一夏の動きは止められた。
声の出どころは彼の後方から。
「あ、お姉ちゃん。お疲れ様」
「ああ、繋。それと、一夏。お前は今、何をしようとしていた?」
「え、あ、いや、その……あの……」
「お前はまだ資格には達していない。その上でのその行動、許すと思うか?」
「折檻だ!大馬鹿者め!」
「ちょ、待―――――へぶぅ!?」
夜の空に一夏の呻き声と竹刀の音が響くのであった。