西暦2095年8月15日。
8月15日という日は、この国において2度目の世界大戦に敗れ、国の在り方が大きく変わった日。この数日前は3年前の沖縄と佐渡の侵攻があった日……奇しくもこの一ヶ月はこの国にとって鎮魂の節目である。
そして、もう一つの節目を迎えようとしていた。
「ふむ……」
石川県金沢市の一条家本屋敷にて、現当主である一条剛毅は届けられた手紙の便箋に目を通して考え込んでいた。魔法協会を通して通達された内容は、剛毅としても無視できるようなものではなかった。
「入れ」
「失礼します」
すると、声が聞こえたので入室を促すと、座敷の中に将輝が入ってきた。魔法科高校は既に夏休みに入っており、将輝自身も過ごしやすい私服姿だったが、それを一々咎めるつもりもない。剛毅が声を発する前に将輝が尋ねた。
「親父、一体何があったんだ?」
「先程、魔法協会を通して上泉家と神楽坂家からメッセージが届けられた」
「神楽坂家?」
上泉家のことは3月の臨時師族会議で詳しく聞き及んでいるが、神楽坂家という名前を初めて聞いた将輝はどういった家なのかを分かりかねていた。こればかりは仕方ない、と思いつつも剛毅は話し始めた。
「神楽坂家は『護人』という立場の陰陽道系古式魔法の大家。上泉家もその護人の一つであり、立場としては、この国の全ての魔法師において頂点に立つ存在だ」
「それって、十師族よりも上ということか?」
「無論だ。上泉家が警察省や内情、国防軍に強い影響力を持つように、神楽坂家は政財界に強い影響力を及ぼす。それこそ、国家元首である内閣総理大臣よりも上の立場だ」
公の権力を持たない十師族に対して、護人の二家は公の権力を捨てていない。兵器として生み出された先の延長上にある師族のコミュニティと、人間としての有り様を捨てていない魔法師では、根底となる考え方も異なる。
「その護人に関わる話だが、上泉家は上泉元継に当主が継承された。彼は三矢家の次男にあたるが、上泉家に婿入りしている。そして……神楽坂家の次期当主に、九校戦でお前が戦った三矢悠元が指名された」
「……あいつが、神楽坂家の次期当主? ちょっと待ってくれ! 上泉家ならまだ分かるが、古式魔法の家である神楽坂家の次期当主にアイツが、十師族が選ばれるなんて聞いたこともない」
将輝は混乱していた。
同じ十師族だった立場はこの数日で一変してしまったのだ。将輝は現状長男として一条家の御曹司だが次期当主ではない。その一方で悠元は三矢家を離れ、神楽坂家の次期当主として指名を受けた。これには剛毅も同意を垣間見せるような表情を浮かべていた。
「書状にはこう書いてあった。上泉剛三殿の妻が、神楽坂家現当主である神楽坂千姫殿の実姉とな。示し合せの可能性は否定できないが、両家は血縁を強く重んじている。なので、その可能性はないに等しいだろう」
「つまり、三矢家の兄弟姉妹は神楽坂の血縁者になるってことか……三矢殿は何か言っていたのか?」
「何も言っていないが、2日後に臨時の師族会議が開かれることとなった。その提案者は九島閣下となっている……そこで真意を問い質すつもりだ」
問い質す、という強めの口調を使ったが、剛毅は三矢家現当主である元がそれによって強権を揮う可能性は限りなく低いとみている。
むしろ、揮うことなどしなくてもいい。三矢家は、強力な魔法師を輩出した実績を古式魔法の家に養子として出すことで証明した。同日、三矢家は長女の婚姻について古式魔法の家である矢車家長男と結んだことを魔法協会経由でメッセージとして出した。
三矢家と矢車家の関係は他の師族にも周知の事実。古式魔法との繋がりを考える以上、その配慮を婚姻として結ぶのは無理のない選択である。こうした意味は、長男である元治への家督継承を完全に決めるという思惑がある。
「そうなると、三矢家を十師族から外すのか?」
「いや、逆だ。上泉と神楽坂の外戚である以上、外すという選択肢は取れない」
師族会議では、会議を通さずに師族同士での共闘などを禁じている。だが、上泉家や神楽坂家は師族の枠組みにいないため、師族会議を通さずに話したり協力体制を構築したりしても、それに対して咎められる謂れ等無い。
こればかりは、会議の呼び掛け人である烈と言えども咎めることはできない。ならば、どういった対応が取られるのかということとなれば……恐らく、三矢悠元という存在を十師族から切り離したことについての追及の場となるだろう。
「じゃあ……まさか、アイツを十師族に戻せなんて追及するつもりなのか?」
「俺にそんな権限はないし、そうするつもりもない。だが、烈殿や九島殿、それに七草殿は追及するかもしれない。四葉殿については、正直読めないな」
どだい無理がある話だと剛毅は睨んでいた。彼の力は九校戦で目の当たりにしたが、将輝を完全に抑え込んだ上で勝利を収めている。しかも、アイス・ピラーズ・ブレイクでは、一条家の秘術である『爆裂』を完全に封じ込める芸当を披露した。
謂わば抑止力としての存在感を見せつけるだけでなく、古式魔法も難なく使いこなしていた。こんな芸当ができる魔法師はそう多くないが、その中でも悠元は別格の領域にいると率直に感じていた。何せ、現代魔法と古式魔法の複合術式は、世界広しといえども彼以外にできる人間が確認されていないのだ。
その彼を十師族に留め置くのは、ハッキリ言ってしまえば大きなリスクを伴いかねない。下手をすれば、戦略級クラスの魔法制御能力を持ちうる存在を師族同士で奪い合うことにも繋がりかねないからだ。
それこそ、文字通り「血で血を洗う」かのような大事になるかもしれない。
「……確かに、三矢は強かった。あれだけの魔法制御を恙無くこなすのは、俺にも無理だ。間違いなく世界最高峰の魔法制御能力だ、とジョージも評価していた」
「俺もそう感じている。だから、一条家としては彼に対しての追及はしない」
「まさか……いくらなんでも、茜は早すぎるだろう!?」
「落ち着け、将輝。そこは俺自身も道理を弁えているつもりだ」
神楽坂家は次期当主に悠元を指名したが、婚約者の発表はしていない。現時点では白紙なのかもしれないが、そうである可能性は極めて低いと感じている。なので、剛毅は彼に好意を持っている自分の娘との婚約を推すことに決めていた。
「現時点では婚約となるであろうが、他が既に動いている可能性もある。なので、この書状に目を通した段階で、上泉家に悠元君と茜の婚約の打診をした。言っておくが、本人には決して話さないでほしい」
「それは構わないけど」
剛毅としては、目の前にいる将輝にもそういった類の話でもあれば、とは思っている。だが、目の前にいる息子も父親に似てしまったのか、容姿はいいのに異性に対して積極的になれない性格だということに、剛毅は内心で溜息を吐きたかった。
◇ ◇ ◇
所変わって四葉家の本屋敷。その当主の私室にはその部屋の持ち主だけでなく、彼女の双子の姉も同席していた。テーブルの上に置かれた書状に目線を少し向けた後、彼女―――四葉家現当主である真夜は、その向かい側に座っている人物に目線を向けた。
「姉さんの目論見が半分外された形だけれど、どう思うかしら?」
「それを言うなら真夜もでしょう。というか、上泉家と神楽坂家から既に話を聞いているのでしょう? そういう風に言いたげな表情をしているわ」
真夜の表情を見て少し不機嫌な様子を見せる深夜。だが、そこに加えて秘密裏に悠元と深雪の婚約を結んだことは、深夜にとって喜ぶべき案件であった。
2日後の臨時師族会議では、恐らく悠元の案件についての追及があるとみられるが、それについても真夜は説明した。これを聞いた深夜はというと、呆れるような表情を見せていた。
「臨時師族会議では、間違いなく悠元君のことについて触れることになりそうよ。
「それは重畳。にしても、先生は何を考えているのかしら……彼という特大の火種を無理矢理抑え込んだら、それこそ火傷じゃ済まないというのに。三矢殿が穏便に出ている時点でそれを察するべきよ」
悠元の力を間近に接した経験のある深夜の言葉に、真夜も軽く頷きつつ紅茶を口にする。四葉家としては、悠元を神楽坂家に送ったこと自体、相互の承認あってこそだということは既に知っているので事実確認程度の質疑に止める。
だが、九島家や七草家あたりは十師族としての発言力を高めようとして、師族会議の知らないところで話を進めたという形で追及するかもしれない。
「にしても……次期当主の件、本気であの子を据える予定なのね。まあ、異存はないけれど」
「あら、何か新しい案件でも?」
「楽しそうに言わないでよ。いやまあ、私も楽しんでいるのは否定しないけど」
深夜のガーディアン(正式には見習い)という形で護衛をしている桜井水波だが、どうやら九校戦の観戦をしているときに、悠元に惚れたと深夜は話した。報告程度に聞いてはいたが、目の前の姉と言い、女性を惹きつける力は正しく「世界に認められている」レベルだと真夜は感じていた。
四葉の次期当主最有力といえる深雪をすんなり外せた理由は、真夜と深夜で決めた5人目の次期当主候補が深雪に匹敵する実力者であり、深雪の賛同を最も得やすい人物の存在あってのことだ。だが、これはこれで一悶着あると確信に近い心境だった。
「彼の力は十師族で御しきれるものじゃない。かえって足枷になりかねないと思うわ。その彼が神楽坂家の次期当主というのは、寧ろ理に適っていると言うべきでしょう」
「ところで姉さん。千姫さんから内密に連絡をもらったんだけれど、深雪さんったら、張り切っちゃったらしいわ」
「司波家での居候生活でよく暴発しなかったわね」
そういう情操教育を施してきたことは深夜と真夜の責任だが、それでも辛うじて踏みとどまっていた深雪がそういうことになったということは、彼女自身の想いの強さなのだろうと思わなくもない。それを耐えきった側である悠元も大概と言うべきだが。
深夜からすれば実の母親なので、娘がここまで特定の異性に対して入れ込むのは、流石に想定の範疇を超えていた。思わず口から出た言葉に対して、こればかりは真夜も同意見であると言わんばかりに苦笑を滲ませていた。
「あの時、彼の初めてをこっそり奪っておけばよかったかしら」
「……それは、流石に悠元君が可哀想よ」
割と自重しない性格である真夜でも、この時の深夜の妖しい笑みと発言に対して窘める羽目となった。もはや娘のことを同じ男性相手の“恋のライバル”として見ているのではないだろうかと疑いたくもなってくる。それでも娘には甘い対応となったことからして、深夜も母親なのだろうと真夜は羨ましそうな視線を送っていたのだった。
◇ ◇ ◇
さらに場所は変わって、神奈川県厚木市。
三矢家の本屋敷において、三矢家の人間……厳密には、上泉家に婿養子となった元継や神楽坂家に行くこととなった悠元、未だ三矢を名乗っていない詩奈以外の兄妹に加えて、現当主の元と夫人である詩歩、そして上泉家の前当主となった剛三が広間に会していた。
相次いでのお祝いムードをぶち壊すかのような臨時師族会議の呼び出しのことを話すと、口火を切ったのは次期当主である元治だった。
「父上、今回の一件は余りに横暴が過ぎると思います。元々三家で話していたことに加え、『三矢の家督争いを避けたい』という元継と悠元の思いを踏み躙る様なものとしか思えません」
「分かっている。私もその辺をしっかり説明した上で、上泉家と神楽坂家を笠に着るような真似をするつもりはないとな」
「あやつめ、あれだけ釘を刺したのに他の師族のことばかり気にしておる……一度ぶん殴ってでも止めるべきかもしれんなあだっ!?」
流石に剛三の台詞は行き過ぎだと、娘である詩歩が剛三に拳骨を落とし、剛三はその痛みで蹲っている。これには周囲の人間が苦笑を漏らしていた。
「お父様は少し慎みを持ってくださいな。にしても、試しとはいえ息子に殺気を向けておきながら、此度はこれですか……呆けが過ぎるにも程があると思います」
「詩歩、お主のほうが余程過激じゃぞ……折角古式魔法と繋がりがあるのだから、孫の治療のために力を尽くす気はないのかと問うたがな」
剛三が話すのは、烈の孫のこと。類稀な才覚の持ち主で、悠元とは別の意味での“天才”といえる。だが、悠元は神楽坂家に入ることで、九島家で編み出された魔法の大本に触れることとなる。それを完全に修得すれば、誰の目から見ても悠元がその人物よりも上の実力を有する。
現時点でも十師族の枠に収まらない彼が更に強くなる……それを止めたいという狙いがあるのでは、と剛三は睨んでいる。
そんな烈たちの思惑に対して、美嘉がハッキリと言い放った。
「あれだけ強くなることを煽っておいて、強くなりすぎたら釘差しってバカじゃないの? そんなことしてたら、国外の連中に飲み込まれるだけじゃない。いいようにされるのは一番納得がいかないし、腹が立つわ」
「美嘉……私も同じ意見よ」
誰かのご機嫌取りのために強くなったわけではない。
ここにはいない元継や悠元も、上泉家や神楽坂家に取り入るために新陰流剣武術や天神魔法を会得したわけではない。
これには詩鶴も静かに頷きつつ、力強い口調で話し始める。
「矢車家に嫁いだ身ですが、私とて誰かに気に入られようとしたわけではありません。何が起こるかわからないからこそ、最低でも自分の身を守るために魔法の力を磨いたのです」
「詩鶴……やれやれ、私は甘やかしたつもりなのだが、どうやら悠元の存在は強烈な劇薬だったようだ」
「今更ですよ、あなた」
この後、悠元の婚約者のことを聞かされた元は椅子から転げ落ち、詩歩はそんな夫をフォローし、美嘉は「なんで弟に先越されるのよぉ!」と叫び、詩鶴と佳奈はその婚約者のことを話し合い、剛三に至っては大笑いしていた。
「……何かあったの?」
そんな喧騒は、騒ぎを聞いて部屋の扉からこっそり覗き込んだ詩奈の言葉で我に返るまで続く羽目となった。
九島家と七草家の絡みはあえて省きました。
十中八九胡散臭さが増しかねないと思ったので。
将輝が深雪に好意を持っているということは、この時点で剛毅は知りません。原作だと慶春会の直後なので、下手に息子の恋愛事に首を突っ込みたくないという親心あってなのかもしれませんが。
四葉としては、スポンサーの一つである神楽坂家を悠元が継ぐこと自体賛成の立場です。深夜の性格は真夜の性格を割り増ししたような感じで書いています。
娘や孫娘に頭が上がらない祖父ェ……