―――西暦2096年1月2日。
箱根にある神楽坂本家の大広間には、袴や着物姿となった達也たちが集まっていた。その辺の衣装は用意しなくてもよいと言われていたが、ここまでの手際の良さには流石の達也も感心するほどだった。
「お似合いですよ、達也さん」
「ありがとう、ほのか。とはいえ、ここまで準備が良いと反動が怖くなるな」
「それは分からなくもないわね。ていうか、あれだけの着物を持っているだなんて、神楽坂家はうちよりも金持ちだと思うわ」
神楽坂の衣裳部屋を見せてもらった際、一番驚いていたのはエリカであった。この中だと上泉家との関わりが一番あるだけに、所狭しと整えられた着物の数々に驚かざるを得なかったらしい。それには美月も苦笑を漏らしたほどだった。
「私からしたらエリカちゃんの家も金持ちだと思いますけど」
「いや、私よりも悠元や雫の家には勝てないわよ……って、そういえば深雪に雫、それに姫梨は?」
「まあ、あいつらは色々準備があるからな……しかし、正直複雑だ」
「複雑? そりゃどうしてだ?」
美月とエリカの会話に反応しつつ述べた修司の言葉に、疑問を投げかけたのはレオだった。その疑問に答えるように修司が説明を始める。
「悠元が神楽坂家次期当主、そして『神将会』に関わる人間となったことはお前らも知ってるだろうが、それを快く思わない連中が身内にいてな……俺の二人の兄や、伊勢家と高槻家の次期当主たちだよ」
「それはどうしてだい? 悠元は九校戦で結果を示した以上、当然の帰結だと思うけれど」
幹比古の言い分も尤もである、と達也は少なからず理解した。名字が変わる前とはいえ、彼は公式の試合で一条家の御曹司である「クリムゾン・プリンス」を正面から破った。その意味で実力は十二分に証明されたはずなのだ。
その疑問に対して、答えを提示したのは修司の後ろからひょっこり姿を見せた着物姿の由夢だった。
「答えは至極単純なものだよ。実力も伴わない連中の嫉妬ってやつだから」
「嫉妬ですか?」
「俺らが現当主の愛弟子となったこともひと悶着あったが、それはいいとして……いくら神楽坂家と上泉家の血を継ぐものとはいえ、次期当主を現当主の直系である主家・分家からではなく、姉君の孫を引っ張ってきたことに憤慨しているらしい」
彼らの言い分としては、現当主である千姫の直系から選ぶべきだという主張を無視された形での次期当主の選抜。その彼が元十師族だということも古式魔法の魔法使いとしてのプライドが許さなかったのだろう。
「修司と由夢は納得しているのかい?」
「納得せざるを得ない。というか……悠元の強さは最早世界の魔法師社会でもトップクラスに位置している存在だ。その恩恵を受けている以上、敵に回すほうが身を滅ぼしかねない」
「同感かな。ホント味方で助かったと思っちゃうぐらいだよ」
ただでさえ天神魔法の『天照』と『月読』という究極魔法を会得しているだけでなく、世界最強格の“夜の女王”の魔法を戦略級魔法にクラスアップさせた実力は折り紙付き。加えて想子制御能力は世界の頂にいてもおかしくはない。
彼の温情によって生かされているような感じだ、とは口にしないものの、それと同義の言葉を述べた二人に対して、周囲は苦笑を滲ませるしかなかった。
「というわけで、達也。深雪の制御は任せた」
「俺は深雪の保護者ではないんだがな……せめて母上ぐらい来てくれれば違うのだろうが」
慶賀会では主家・分家の代表や次期当主だけでなく、現職の総理大臣をはじめとして政財界の大物まで参加する催し。その意味で達也の願いが叶うことはないのだが、そう言ってしまったことに周囲から苦笑が続く形となった。
すると、そこに神楽坂家の使用人が姿を見せた。
「失礼します。司波様に吉田様、お会いしたいという方がいらっしゃるのですが……」
「僕と達也に…こちらは構いませんが、達也はどうする?」
「……断るという理由がないだろうな」
達也としては面倒事に関わりたくなかったが、深雪が将来神楽坂家に嫁ぐ意味で無視できる問題ではない。表立って言われていなかったが、恐らくは深雪が四葉家の代理として出向いているだろうと思い、その申し出を受けることにした。
達也と幹比古は他の面々に断わってその場を後にすると、少し離れた客間に通された。そこには既に偉丈夫な容姿の男性が座っており、男性は立ち上がることなく二人に視線を向けた。
達也はその出で立ちに驚きを見せたものの、黙ったままでは向こうのペースに呑まれる……そう判断しつつ、下座に座り頭を下げた。幹比古も達也に倣う形で頭を下げる形となった。だが、言葉を発したのは彼と知り合っている幹比古のほうだった。
「お久しぶりでございます、
「ほう……直答を許す」
「司波達也と申します。お目にかかれて光栄に存じます」
「東道青波である。
青波が発した言葉に、一番驚きを見せたのは幹比古だった。達也があの四葉家の人間だとするなら、自ずと深雪も四葉家の人間という意味であることを察したからだ。その驚きを青波は目線で感じ取りつつ、警戒を見せている達也に目線を向けた。
「心配はするな。私とて立場ある身故に、其方の素性を言い触らすことはせぬ。神楽坂家と同じく四葉家に関わりあるものとしてな」
「……分かりました、今はその言葉を信じたく思います。幹比古も、それでいいか?」
「あ、うん……それで、今回御呼びしたのは如何なる理由なのでしょうか?」
後でその辺の事情を聞いておこうと思いつつ、幹比古は今回の要件を青波に尋ねた。すると、青波は一息吐いた後で真剣な表情を向けた。
「吉田幹比古、其方の決意は聞き及んだ。現状の不安定な情勢が落ち着き次第、話を進めようと考えておる。さしあたっては、娘が年明けから第一高校に通う故、仲良くしてやってほしい」
「……えっと、それはどういうことなのでしょうか?」
「娘が其方に惚れ込んだのだ。容姿は妻似なので問題はないのだがな……」
話を終えた(当人にその話の内容が殆ど入ってこないような心情だったが)達也と幹比古が揃って大広間に戻る中、達也は幹比古に問いかけた。
「幹比古、大丈夫か?」
「正直、色々と驚くことが多すぎて頭に入ってこなかったよ……でも、逆に納得できたかな」
「何がだ?」
「あの悠元が達也を“親友”と接していることにかな」
「俺はそこまでの規格外ではないんだがな……」
幹比古は悠元が三矢家の人間であることを知る前から関わってきた。その規格外さからして、対等に関わっている達也が四葉家の人間だという事実は、逆に納得できる材料になっていたと幹比古は述べた。
「いや、十分に凄いと思うけれどね……」
達也と深雪が十師族に引けを取らない実力者なのは少々疑問だったが、二人が十師族であり元十師族となった悠元と親交が深いという理由もしっくり来る、というのが幹比古の感想だった。
「正直、あの四葉家ということは驚きもしたけど……僕は将来達也に指示を出す立場になると思うと、今から胃が痛くなりそうだよ」
「その言い方だと、俺が問題児のような言い方になるんだが?」
「いや、達也から色々恩恵を受けている立場だからね、僕は」
魔法師としての恩人を顎で使うという感覚など持ちたくない、という幹比古の言葉に対して、達也が返した言葉はこうなった。
「そんなことを言ったら、俺も悠元から恩恵を受けている側の人間なんだがな……深雪も変に暴走しないことを祈りたい気分だ」
「新年早々氷のホテルとかにならないよね?」
「……」
実は、大みそかにエリカが調子に乗って深雪をからかった結果、深雪の魔法が暴走して客間全体が氷のホテル状態となった。結局は悠元が諌めて事なきを得たが、それ以降はずっと深雪が悠元に甘えっぱなしだったことは言うまでもない。
慶賀会は挨拶の会というよりも食事会という趣。
羽織袴姿の悠元が広間に出向こうとしたところ、廊下の途中で同じような姿の複数の男性が立ち塞がっていた。その人物らは明らかに敵視や侮蔑といった表情を向けていることに内心で溜息を吐きたくなった。
「……どちら様でしょうか?」
「お前、宮本家の次期当主である兄上に向かって……!」
「抑えろ、
修司と似た容姿のために関係者であることは想定していたが、分家の次期当主が何用なのかと聞きたくなった。だが、向こうが出した名字の時点で認めていないとすぐに察することができた。
「用件は一つだ。今すぐ神楽坂家の次期当主から降りるがいい。お前のような似非の魔法使いに神楽坂の名を継ぐ資格などない」
正直な話、説得力が皆無である。古式魔法の大家ならではのプライドは理解できるが、それなら現当主の愛弟子である修司が次期当主候補に選ばれる―――その方がまだ納得できる。
神楽坂家の次期当主を決めたのは現当主の意向だし、三矢家は上泉家と神楽坂家の係累に位置する。それを無視して納得できないと攻め立てるのはおかしい話だ。
「それをお決めになったのはこの家の現当主殿ですから、直接異議を申し上げるべきです」
「だが、受け入れたのは事実だろう! そうやって我々の魔法も盗んでいくつもりだろう!?」
話にならない。そう判断した悠元は気配を偽って彼らの後ろへ移動し、そのまま大広間に抜けていこうとした。その際わざと気配を出したところ、修一郎は隠し持っていた小太刀を抜き放ち、振り向きざまに悠元へ振るう。
だが、悠元はそれに対して右手の小指だけでその刃を受け止めた。
「……なっ!?」
「言葉でだめなら実力でか……下らない」
そう冷ややかに呟いた後、修一郎の持っていた小太刀を奪って悠元が振るうと、数人の男性が瞬く間に一切何も着ていない姿へと変貌した。あんまり見つめていても面白くないため、移動魔法で廊下と外を区切る扉を開き、『エアライド・バースト』で庭に吹き飛ばした。
絵面的に言えば最悪の様相で、語ることはおろか誰にも見せたくないと思った悠元は小太刀を外に放り投げ、扉を静かに閉じてその場を後にした。
「遅くなりました、母上」
「いえ、時間通りですが……大丈夫ですか?」
「お気遣いなく。こうなることは目に見えていましたから」
血筋で証明できるとはいえ、こうなる可能性がなくもないと思っていた。千姫自身も分家に対して説明をし、分家の現当主らは悠元の実力を色眼鏡なしに評価しているとのこと。だが、次期当主たちはそうでなかった……妙なプライドに拘れば、待っているのは破滅だけだとなぜ理解できないのかと愚痴りたくなった。
すると、その場に羽織や着物姿の達也たちも姿を見せた。その中には深雪、雫、姫梨も含まれていた。深雪の心配そうな表情からして、おそらく事情を聴き及んだものと推測できる。
「悠元さん、大丈夫でしたか?」
「大丈夫だよ、深雪。しかし、あそこまで露骨に来るとは思わなかったがな」
万が一殺傷事になれば、良くて廃嫡レベルの一件だ。そんなことはさておき、面々の表情がやや曇っていたことに気づいて問いかけた。
「で、そっちはそっちで何かあったのか?」
「ああ、俺絡みの一件でな」
「……あー、成程。大方青波入道絡みか」
本来、年齢を考えるのならば敬語を使わねばならない相手だが、今の自分自身は神楽坂家の次期当主である。それに加えて千姫からの忠告もあったため、それに見合った対応をしなければならなかった。
幹比古の表情を見るからに、そこから達也と深雪の素性もバレたものだと推察した。
「悠元、会ったことがあるのかい?」
「直接対面したのは一度だけだがな……間違っても言いふらすなよ? その時は最悪俺が手を下さなきゃいけなくなるんだから」
「こんなこと、身内相手でも言えるわけないって理解してるわよ」
エリカにしてみれば、幹比古をからかうつもりで問い質したのかもしれない。ところが、いざ蓋を開けてみれば恐怖の存在とも言われる四葉家の係累が身近にいた。エリカの様子を見たレオが苦笑を滲ませるほどのインパクトだ。そのこと自体も驚きなのだが、それを達也が認めてしまったことにも驚いた。
「ていうか、達也は良かったのか?」
「幹比古は信頼しているが、エリカは妙なところで勘が鋭い。変に突っぱねてもどうにもならないと判断した。その辺の考え方は悠元から学んだことだ」
「お前の見本になるような生き方はしていないんだがな」
妙に達観した生き方をしているのは否定しないが、その影響が達也にも伝播するとは想定外だった。加えて自分が神楽坂家の人間となったことも秘密の共有をするべきという判断に至ったらしい。
夏休みが明けてからは雫や姫梨もそうだが、深雪と一緒にいる時間が自ずと多くなったため、変に隠すよりは信頼できる人間だけに明かして身動きを取りやすくする方向にシフトしたようだ。しかも、横浜事変後に四葉本家で現当主からその辺の判断を任せると伝えられたらしい。
「本当にびっくりしましたけど……でも、だからといって諦めはしないつもりですから」
「……雫。ほのかってここまで図太い性格だったか?」
「達也さんのことも含めて、多分悠元のせいだと思う」
「流石私たちの主ですなあ」
なお、深雪からは「お兄様から珍しく相談されましたので、お母様からも許可は取ってあります」とのこと。当分は四葉家のことを隠すことは今まで通り変わらなくとも、変に壁を作って諍いとなるよりはマシだ、と判断したのだった。
余談だが、吹き飛ばした連中のなかには伊勢家と高槻家の次期当主もいたらしく、その連中は千姫の厳命により宗司のしごきプラス滝行となっていた。古式魔法の派閥だけでも面倒なのに、余計な火種は増やさないでほしい。
師走って忙しいですよね……リアル事情で2週間少々空いてしまいました。
①とした理由は多く語りません(いつになったら来訪者本編に入れるのかというツッコミが入りそうですが)。東道青波との関わりをああいう風にしたのは、俗に言うネタの尺稼ぎ。
達也の柔軟な対応力の片鱗は入学編で見せていましたが、この辺は主人公との関わり合いで変化した部分になります。主人公と深雪の関わりにより、達也自身のメンタル面が大分楽できているというのも大きいです。
次期当主たちがなぜこんな形になったのかというところは今回触りだけにしました。理由は投稿の感覚を少し忘れていたためd(ミスト・ディスパージョンで消失)