―――西暦2095年3月。
箱根のホテルの一角にて臨時師族会議が開かれた。今回は臨時の形だが、十師族の当主が全員揃う形での開催となった。本来ならオンラインで済むはずの会議で十師族当主全員が直に揃うという異例の事態。その目的は師補十八家のひとつである十山家の処遇にある。
経緯を説明すると、先々月―――今年の正月早々に国防軍情報部が長野佑都、すなわち悠元の身柄を確保しようと動いた。目的は彼を脅威と見て『再教育』するというものだった。
だが、その襲撃場所が拙かった。
その時、悠元がいたのは上泉家の本屋敷―――新陰流剣武術総本山だった。加えて、今年は
要するにロールプレイングゲームで言うところの「お宝をゲットするためにボスラッシュした挙句、裏ボスと隠しボスがいて、それを越えると強制敗北イベント」という挑む奴はマゾ認定してもおかしくない状態の有様だった。
実際のゲームに実装されていたら、誰しもがやりたがらないであろう状況がリアルで起きた……こうなれば、結果がどうなるかなど言葉にしなくても分かるだろう。
襲撃部隊は全員捕縛され、主犯格のつかさは剛三自らが相手をするという無理ゲーとなり、彼の気まぐれで生かされる形となった。
剛三は東京の別邸に十山家当主を呼びつけ、当主は娘の助命を懇願。
結果として十山家当主の要求は通ったが、その条件として『わしの係累や知己を誘拐、それに類するようなことは何の事情があろうとも認めない』とその場で誓約書を書かせた。
その条件は仮に国防軍の命令であったとしても有効であり、剛三はそんな邪な考えを持った奴など一人残らずあの世行きにすると高らかに宣言し、十山家当主を震え上がらせた。下手をすれば国家に対する反逆にも聞こえるが、それを成せるだけの力を剛三は持っているという証でもある。
更には、彼自身四葉の復讐劇に参加していたこともあり、身内を害されることについては人一倍敏感であった。その気持ちを軽んじていた十山家と国防軍の情報部は龍の尾を踏むようなことをしてしまった形だ。
事件発生から臨時師族会議を開くまでに何故約2ヶ月以上のタイムラグが生じたのかと言えば、七草家と十文字家が担っている役割を他の師族二十六家に背負わせるには重すぎる部分が多いため、最終的な処分をどうするのかで剛三が悩みぬいた結果である。
臨時師族会議を終えた七草家の当主―――七草弘一は、自身の書斎に娘である真由美を呼びつけた。真由美としてはバレンタインでの一件で更なる罰を受けることになるのかと冷や汗をかいたが、それに対する弘一の言葉は……ある意味拍子抜けだったことに真由美は首を傾げた。
「では、七草家は現状通りと?」
「ああ。四葉家が正式に中部・東海地方の監視・守護を担うこととなるのは痛かったが……十山家もとい国防軍の一件は七草にも責はある」
「……まさか、お父様は十山家の主張を呑まれて見過ごしたと!?」
弘一の言ったことは十山家が国防軍の一部を動員して上泉家襲撃を起こすことを掴んでいながら、それを隠していた……いや、彼らを黙認していたということだ。声を荒げる真由美に対し、弘一は口調を変えることなく説明する。
「三矢は四葉と緩いながら関係を持っていた。しかし、2年半前の大亜連合による沖縄侵攻を契機に両者は近付いた。その繋がりを緩められればと思い、私は十山家の動きに見て見ぬふりをした……だが、それは結果的に『尊師』の逆鱗に触れた」
弘一は沖縄に悠元が行っていたところまでは掴んでいた。詳細は不明となっているが、恐らくその際に四葉家との誼を結んだ可能性が高いと推測していた。ならば、悠元は格好の材料になると踏んだ十山家の動きを掴んでおきながら見過ごした。だが、弘一は四葉への対抗心のあまり、長い事動いていなかった剛三の存在を思わず失念していたことに後悔した。
「……上泉剛三殿、でしたか」
「そうだ。第三研の現オーナーにして、新陰流剣武術総師範。彼は今回の件を踏まえて七草と十文字に対し、こう告げた―――『わしの孫を見殺しにしようとしたのは言語道断。覚悟を決めろ、次はないぞ』とな」
「っ……」
聞けば100人を超える規模の襲撃部隊だったと七草家の調査で判明している。
その国防軍の動きを、関東の監視をする二家は見過ごした。その責を取るために役割を果たせ、出来なくば消えてもらう……その意味を含んだ剛三の言葉を弘一が口にすると、真由美は表情が青褪めていた。
「剛三殿は大漢での四葉による復讐戦に参加し、文字通りの一騎当千を成した人物。全盛期より衰えた可能性があるとはいえ、数百人など軽く消し飛ぶであろう」
「では、どうされるおつもりですか? まさか、メディアを使っての扇動でもされるおつもりですか?」
「……いや、何も出来ない。三矢の係累として剛三殿がいる以上、元第三研の
そして、師族会議の中で三矢家から現当主の三男と弘一の娘である三女との婚約破棄を申し出された。間違いなく剛三と元の怒りを買ったからこその結果。剛三の本気というものを知っているからこそ、弘一は手を若干震わせながら真由美に言い放った。
「調べた限りでは、三矢の三男と誼を結びたいと考えているのは一条、一色、五輪、九島……恐らく四葉もここに含まれる」
「十師族の半分近くがですか……それと、四葉もなのですか?」
「正確には、ある程度釣り合う娘のいる十師族。一色は一人娘だが、年齢は彼と同い年。問題はないと見ているのだろう。四葉については不明だが、その年齢相当の娘がいても不思議ではないな」
前者の二つは然程年齢が開いていない。五輪家は年齢差こそ開いているものの、彼女の外見がもう少し成長すれば適齢の女性に見られる。九島家については調査の結果、親族に歳の近い女子がいるだろうという情報を掴むことができたと弘一は話す。
「そして、お前に黙っていたことだが……彼と
「泉美ちゃんと……五輪家とは、どうされるおつもりですか?」
「その時はその時だろう。―――話は以上だ」
「……失礼しました」
真由美が出て行ったあと、弘一は深く腰掛けた。あの時から既に30年は越えた……世俗と関わってこなかった剛三が動き、三矢は四葉との繋がりを模索し始めた。真由美を呼び出す前に弘一は自身の師でもある九島烈に助言を求めた。だが、烈は事情を聞いた上でこう言い放った。
『……弘一、お前は何時まで過去を清算しないつもりだ?』
この言葉は衝撃的ともいえた。まるで、自分以外の生きている者たちはその時に負った傷や痛みに向き合いながら、各々の答えを出していたのだと……弘一はそれが一体何を意味するのか、理解しかねていたのだった。
なお、真由美から婚約破棄のことを知った彼女の妹が弘一に対して敵意とも思える様な雰囲気を纏いつつ問い詰められることになるとは、この時の弘一にはそこまで考えが追い付いていなかったのであった。
◇ ◇ ◇
一条家当主である一条剛毅は会議終了後、文字通り『飛んで帰る』ような動きで金沢の本家に戻ってきた。会議の内容を早めに伝達するということではなく、特に東京に残る用事もなかったので真っ直ぐ帰宅した、というだけである。
十師族の中で一条家は使用人を雇わないので、家事は基本オートメーション化している。余裕があるときには妻がその役目を担っている。その分防衛のために人手を割けるという広大な監視地域を持つ一条家だからこその事情もあった。剛毅の早い帰りに妻である一条
「お帰りなさい、あなた。会議は如何でした?」
「特段変わったところはないが、強いて言うなら正式に四葉家が十師族による監視体制の中に加わるぐらいだ」
「四葉家がですか。それは、波乱があったのでは?」
「いつも通り……いや、四葉殿は以前よりも心に余裕が出てきたように思えたな」
2年前の師族会議ではそれとなくという感じだったが、今回の会議で真夜の心の変化が会議の中での態度に垣間見えたと剛毅は語った。彼女自身辛い経験をしているのは知識として知っている。少なくとも、それと向き合った可能性があると考えつつも美登里に視線を向けた。
「将輝達は自室にいるのか?」
「はい。今日は久し振りに揃いますし、真紅郎君も来ていますので」
「俺としては意外だったのだがな……茜と思いきや、まさか瑠璃がな」
年齢からというか、一条家によく来る真紅郎に瑠璃が惚れた。なお、真紅郎は三高への進学を決めているが現状中学3年。瑠璃は小学2年……年齢差8歳という事実。それならまだ茜のほうが理解できると呟く剛毅に美登里は仕方ないです、とでも言いたげだった。
「恋愛に年齢は関係ありませんよ? それに、茜は『白馬の王子様』にお熱ですから」
「その王子様が十師族―――三矢の人間だと知ったら、間違いなく騒ぐな……無駄に変な言葉を覚えるのは年頃なのだろうが」
2年前、一条家でパーティーを開いた際、『長野佑都』として参加していた悠元に茜が一目惚れして告白した。この時、茜は小学4年生。『あと6年、気持ちが変わらなければね』という言葉は彼なりの断り方だったのだろう。
すると、その現場を見た将輝は「お前、そういう趣味が……」という失言に反応して、悠元が将輝を関節技で締め上げた。そのついでに将輝と笑っていた真紅郎も巻き添えとなった。
悠元は我に返った後で剛毅と真紅郎の両親に謝罪したが、剛毅は首を横に振って悠元の非礼を許し、息子の失態に関して頭を下げた。真紅郎の両親もそれに続いて謝罪した。
魔法師の家系は早婚が望まれているが、大半は政略結婚になってしまう。剛毅も出来るなら三矢家のように恋愛結婚させてやりたいと思っているので、茜がある程度成熟すれば……とは考えている。
将輝が失言を向けた相手はかの大戦を生き延びた英雄の親族。剛三から内密に彼の正体を知ることとなり、こればかりは自分の息子とその友人が締め上げられても異論は唱えられない……と内心で溜息を吐いたほどだ。
「真紅郎君のご両親も嘆かれていたが、あの息子の迂闊さは一体誰に似たのやら……なんだ、美登里?」
「それは貴方だと思いますよ?」
「……先に食事にする。将輝達にもそう伝えてくれ」
「はい」
不意打ちのような美登里の言葉に、剛毅は誤魔化す様にしながら用件を伝えると、美登里は頷いてその場を後にした。それを見届けたうえで剛毅は自らの書斎に向かったのだった。
夕食後、剛毅は座敷に将輝を呼び出した。現状一条家の次期当主である将輝にも臨時師族会議の結果は伝えておくべきだ、と判断したからだ。
「―――以上が今回の会議の結果だ」
「十山家は取り潰さない……三矢家はそれでいいと?」
「あの家が国防の闇の部分を担っているのは事実。だから警告でいい」
「……今後は最後の砦である七草と十文字が十山を庇えなくなった。そのことが重要だと今回の会議で結論付けたってことか」
今回の出来事は最後通告に近い。そして、剛三の言葉からするに三矢だけでなく四葉への配慮も含んでいると剛毅は睨んでいる。彼は先々代の四葉家当主と懇意にしていたことは十師族でも周知の事実。そうなれば、四葉と対立する七草は今まで以上に役割への重点を置く必要に迫られるというわけだ。
監視体制の確立についても真っ当であると剛毅は考えていた。本州の日本海沿岸を担う一条家は監視体制の構築の難しさをよく理解している。その点において、暫定的な監視という浮付いたものから根を張らせるという形で四葉を十師族のシステムに組み入れることはプラスになると考えている。
「けれど、それは四葉の発言力を高めることに繋がらないか? ただでさえ十師族の中で突出している。最近では三矢も発言力を増していると聞いている…今回のことは三矢と四葉の立場を際立たせたんじゃないかって」
「……続けろ」
「上泉殿のことは自分も面識があるから解るが、彼はとても野心家という風には見えなかった。けど、彼が動いたことでその二家はより親密な関係を模索し始めた。それを十文字殿はともかく七草殿が看過するとは…とても思えない」
将輝の言い分は、大漢への復讐戦でその力を際立たせた四葉が、地方の監視という地盤を得たことでその力がさらに強大化するという危惧。それに剛三が手を貸したのではないかという推測からくるものだった。幸いにして三矢の現当主は監視地域の保有を固辞したからこそ穏便に済んだというのも含んでいるのだろう。
「……ここだけの話、私は一条家の監視地域のうち、山陰地方を三矢家に担ってもらおうと考え、水面下で打診した。無論丁重に断られたがな」
「なっ!?」
「大亜連合の沖縄侵攻と時を同じくしての佐渡侵攻、それを忘れたわけではあるまい?」
北陸・山陰地方に加え、六塚家が担う東北地方の日本海沿岸まで一条家が防衛を担っている。だが、それを一つの家で維持し続けるのにもかなりの負担を強いられている。
3年前、大亜連合による沖縄侵攻と同調する形で新ソ連による佐渡侵攻が発生した(同国は否定しているが、装備と部隊の練度から間違いないと剛毅は断定している)。
だが、事前にその兆候ありと上泉家経由で三矢家から連絡を受けた一条家は密かに佐渡の防衛体制を構築。敵は小規模であったが、奇襲部隊にも難なく対応して見せた。このお蔭で佐渡の研究施設にいる民間人を誰一人失うことなく守ることができた。
その時に出会った
話を戻すが、その意味で一条家は三矢家に救われた形となった。真紅郎の両親をはじめとして、小さな島ではあるが貴重な研究者を失わずに済んだことは何よりも大きい。だからこそ、七草家の三矢家に対する横槍に対して毅然と発言したのだ。
家としての面子も確かにあるだろう。だが、この国は小国。周囲に大亜連合・新ソ連・USNAという大勢力を抱えつつもその存在を保っている。外からの脅威という明確な敵を前に家の面子や体裁にこだわっていては滅ぶ……それは歴史が証明してしまっている。
「仮に三矢家が隠岐も含めた山陰の監視・防衛を担ってくれれば、
「三矢家は他の『三』の家とも連携して第三研の成果を国防軍に提供している。そして東アジアの情報収集を担っている……これでも足りない、と親父は考えているのか?」
「……8年前、私は三矢殿の招きで三矢の本家に行ったことがある。私一人だけだったから、お前は知らないだろう」
剛毅は三矢家の兄弟たちとも密かに面会している。三矢の仕来りは理解しているので、三矢の人間として紹介されたのは長男だけだった。それ以外の人間は親戚筋という扱いになっていたが、弟や妹たちであろうと剛毅は見ていた。
その中で三男と思しき少年の中に底知れぬものを感じた。歳は将輝と同じぐらいであったにも関わらず、彼の立ち振る舞いに年相応の少年らしからぬものを見たような気がしたのだ。
それから8年―――次男の元継を皮切りに、長女の詩鶴、次女の佳奈、三女の美嘉……三矢家直系の子は十師族の名に恥じない成果を挙げていた。剛毅はもしかしたら、その影響の先にあのとき出会った少年が関わっているのではと推測した。
「仮に私が求めずとも四葉は間違いなく動く。そうなれば七草も動く。わが一条家も、それに後れを取るわけにはいくまい」
「まさかとは思うがアイツの、長野のことか? 確かに上泉殿の親戚となれば解らなくもないが」
「……確かに彼は上泉殿の親族だ。上泉殿の息女にして三矢家夫人、詩歩殿の息子になる」
剛毅の言葉に将輝は驚愕の表情を露わにした。彼が理由があって別の名を名乗っていて、同じ十師族である三矢家の人間だという事実にだ。
「つまり、彼は三矢家の人間……親父は何時から知っていた?」
「あのパーティーの時、お前が無礼を働いた後で上泉殿から直接な。彼がその時三矢を名乗らなかったのは、三矢家の役割があるからこそだ」
「人質などによる圧力を避けるためか…」
将輝に対して口に出さなかったが、彼は一高に入学することを元から既に聞いている。正式な書状による挨拶を以て長野佑都という偽りの仮面を捨て、三矢悠元の名を名乗る。あの時出会った彼が何を巻き起こすのか、剛毅はどこか興味津々な心持ちだった。
「先程の将輝の問いかけだが、私は四葉が他の十師族を貶めない限り、自らの力を高めてくれるならそれでもいい。悪く言えば四葉を利用させてもらうこともあるだろう。特に一条家と監視地域が隣り合わせになる以上は相互協力もありうるだろうからな」
「それは、新ソ連への抑止力に四葉を使うということか!?」
「不可能とは思っていない。その仲立ちに三矢を入れれば現実味は増す…本国は否定しているが、その当該国が戦略級魔法師をいつ投入してもおかしくはないのだぞ」
剛毅は日本海沿岸防衛の体制にバックアップとして四葉家の力を借りるという考えを明かすと将輝は驚愕した。そして、そこに三矢家の情報収集能力を組み合わせる形で対ソ連の防衛戦略構想を立てている。
現状国家公認の戦略級魔法師が一人しかいない以上、先日のような同時侵攻を想定した対応が求められていることを剛毅は強く感じていた。そのためには、一条家から娘を送り出すことも選択肢に入れねばならないと考えている。
そんな剛毅の構想を聞いた将輝はどこか現実味がないような面持ちを浮かべていたのであった。
千刃流の読み方は原作(劣等生)4巻参照です。