リーナからすれば、大使館に呼ばれたこと自体不服に近いものがあった。そこに姿を見せたバランス大佐の案内で通された応接室のソファーに大佐が先に座った。軍人としての上下関係からか、リーナはソファーに座らず直立していた。
「少佐、座るといい」
「は、はい。失礼します」
少し落ち着かないリーナの様子に、バランスは彼女の気持ちも理解できなくはない、と内心で呟いた。
この国の戦略級魔法である『グレート・ボム』と『シャイニング・バスター』なる魔法についてはUSNAの覇権を揺るがす最大限の脅威として認定していた。そのことだけでも重要な任務だが、逃走者を逃すどころか派遣メンバーの中にパラサイト“感染者”が紛れ込んでいただけでも大事だ。
現に大使館の連中はリーナの責任を問おうとしていたが、バランスはそのことを一切の不問に付すつもりでいた。ただでさえ現代魔法の権威であるUSNAで対処できる範疇を超えてしまっただけでなく、下手をすれば世界中から非難の目を向けられる可能性が浮上したためだ。
「さて、少佐は先日のことについての呼び出しだと覚悟しているようだが……その件については私の一存で不問に付す。このことは大統領閣下もご了承なされている」
「だ、大統領閣下がですか!? す、すみません……」
「謝る必要はない、少佐。今回の私の来日は大統領閣下の意向を受けてのものだ」
リーナの驚きに対して窘めつつ、そう切り出した上でバランスは今回の来日の目的を説明する。USNA政府の全面的な意向を受けての特使の派遣―――その矢面に立ったのがバランスという説明をすると、リーナは驚きを隠せずにいた。
「少佐。何か聞きたいのであれば、遠慮せずに質問してくれ」
「では、失礼ながら……そういうのは本来官僚が派遣されるべきだと思われますが」
「本来の筋であるならば、少佐の意見が真っ当だろう。だが、向こうの情勢が芳しくないことぐらい少佐も理解しているはずだ」
USNAにおいて大規模な「
「その事情を鑑みれば、少佐やポラリス中佐をこの国に長居させることはマイナスになりかねない。よって、閣下はこの事態を早急に収束させる選択を取る形とした。『ブリオネイク』と『レーヴァテイン』も持ってきている」
「まさか、それを以て戦略級魔法師の候補を無力化せよと?」
「……大統領閣下は禁じていたが、それは表向きの話だろう(いくら軍人魔法師とはいえ、孫娘が可愛いのだろうな)」
そんなことを白昼堂々やってしまえば、スターズだけでなくUSNA全体の非難へとつながる。ただ正体の掴めないパラサイトを葬るにしても、その二機を用いたとして対処できるか疑わしい。ただ、バランスは大統領がその二機の許可を出した理由を自然と理解していた。
何せ、『ブリオネイク』と『レーヴァテイン』はあくまでも現代魔法の範疇の中での武装でしかないのだから。
「大佐の口ぶりからするに、それが目的ではないと仰るのですか?」
「あくまでも大統領閣下の意向はな。だが、
現に、戦略級魔法師捜索任務は最高レベルにまで引き上げられている。大統領の特使として来日したバランスにも「戦略級魔法師の捜索及び現地駐在武官に対する不法行為監査」の任務が与えられていた。国防の論理を理解できなくはないのだが、大統領の話を聞く限りにおいてUSNAが置かれている状況は極めて厳しいものだと彼女は理解していた。
大統領から直々に使用を禁じられてはいるが、軍部の連中を納得させうるだけの判断材料は必要―――その意味で大佐が一番胃を痛める中間管理職ポジションに収まってしまったことを内心で呪った。
そのことを察したのか、リーナは苦笑を禁じえなかった。
「も、申し訳ありません大佐。私やセリアの為に……」
「いや、構わない。しかし、報告で聞いたが……ユート・カグラザカなる人物は末恐ろしいな」
「人工衛星にすらほとんど映らない、という報告を聞いたときは幽霊の類を疑いました」
「それが普通の反応だよ、少佐」
USNAが誇る最新鋭の軍事衛星を用いても発見することすら困難のレベル。彼が意図的に気配を見せている時ぐらいしか捉えられない……もはやニンジャのレベルに等しいという考えを含んだリーナの言葉にバランスも頷かざるを得なかった。
加えて、ポラリス中佐―――セリアを戦闘続行不可能の状態にした技量は“世界最強”の名を冠するに相応しいレベルだと判断していた。
「その彼にセリアの『レーヴァテイン』で対抗したとして……妹には申し訳ありませんが、勝てる見込みがありません」
「負けず嫌いの彼女ならば一矢報いるだろうが、それはタツヤ・シバに負けた少佐も同じ気持ちなのではないか?」
「それは当然ですけれど……」
リーナがハッキリと答えなかったのには理由がある。
先日の達也との戦闘において、彼の
ただでさえ彼の魔法には不明瞭な点が多すぎるというのに、物理攻撃すら無力化する彼の防御能力に『ブリオネイク』を用いて勝てるのかどうかと言われると、リーナにも明確な答えは出せなかった。
リーナの言葉に思春期特有の感情が多少なりとも含まれていることにバランスは気付くものの、任務を遂行する上で従順過ぎるリーナには逆上させかねないだろうと判断して追及を避けた。
「……準備が整い次第、『質量・エネルギー変換魔法』および『シャイニング・バスター』の術式もしくは使用者の確保を最優先任務として実施する。ポラリス中佐には貴官から伝えてくれ」
「
「本来の筋ならば本国に帰還させるのが正論だが、感染の有無について向こうで判断できない以上はこの国に止まらせることがまだ妥当だと上層部は判断したようだ」
言い換えるならば、この国の国力や派遣した面々が多少犠牲になろうとも構いはしないという判断。これにはバランス大佐が内心で軍上層部の考えを酷く呪った。この国がいくら潜在的な敵対国と言えども、USNAと同盟国なのは事実。ただでさえ先日の魔法科高校における一件でもUSNA政府と大使館が抗議を受けてしまった。その苛立ちをリーナにぶつけようとしていたのは言うまでもないが。
下手すれば感染している可能性は捨てきれないものの、もしもの時を考えればリーナとセリアが抑止力になると見越しての判断だろう、とバランスは推察した。
◇ ◇ ◇
―――西暦2096年2月上旬。
その凶報ともいうべき情報は海の向こうから届けられた。まるで日本が朝になることを見込んだ上での情報の流し方には違和感しかないだろう。
「これは……悠元さんが教えてくれた情報ですよね?」
「大分脚色しているのは言うまでもないがな」
マイクロブラックホール生成実験を行ったことと、それに付随してパラサイトをこの世界に招いてしまったこと、それに憑りつかれた魔法師が被害を及ぼしていることは紛れもない事実。ただ、軍内部からの告発とされるニュースでは大分脚色が混じっており、最終的に魔法自体が国力に直結する今の情勢は決して宜しくないという反魔法主義への意識誘導で締めくくられていた。
これだけの機密を手に入れられる人物となればかなり限定されるのは間違いない。何せ、悠元ですら『
「リーナやセリアには聞いてみる必要があるかもしれないが……USNAの連中ももう少し踏ん張ってほしいと思うわ。ま、非魔法師が人口の大半を占める以上は避け得れないが」
「辛辣だな、悠元」
「現代魔法の最先進国を謳っているということは相応の責任が伴う、というだけの話だよ」
政治家が人口の大半を占める非魔法師の世論に配慮しなければならない理屈は分かる。だが、それで魔法師を追い出すような風潮を作れば核兵器の拡張競争に逆戻りしかねない。非魔法師でも使える対魔法師兵器が出てくれば違うのかもしれないが、それはそれで新たな火種となりかねない。
結局のところ、力というものは相応の責任と義務が生じてしまう。とりわけ魔法と軍事が関わっている以上は尚更だろう……魔法の体系化以前から民事と軍事が表裏一体の性質を持っている以上は切っても切り離せない問題だが。
「……達也。深雪には『神将会』絡みで話していることだが、春先からの一連の事件は四葉絡みだ。正確には二人の祖父である四葉家先々代当主とうちの爺さん絡みだが」
「叔母上絡みの? そうなると、連中の黒幕はあの事件の残党ということか?」
「まあ、広義上はそうなる。黒幕の弟子で実行犯である人物の名は
達也と深雪はその事件の詳細を知らないに等しい。四葉の現当主が人としての幸せを奪われただけでなく、七草家の現当主の心にも深い傷跡を残した事件が原因で起きたことなのだから無理もない話だろう。
自分の場合はと言えば、剛三が当時の状況をいつか懺悔するときのために事細かく書き記していた手記を見つけてしまった。それを読んだからこそ、額縁の裏に隠されていた手紙の存在に気付いたわけだが。
「名前だけでも厄介そうな人物のようだが、排除はしないのか?」
「現状はな。USNA絡みでごたごたしてるのにそんなことをしたら事態が更に逼迫する。とりわけそいつの上にあたる黒幕は『七賢人』の一角だからな」
USNAに留学している修司と由夢、そして雫には反魔法主義―――「人間主義」の資金源を断つように指示を出している。あまりにも過激な組織の場合は上層部を“抹殺”することも指示の中に含めている。
その文言を入れている理由は簡単で、対魔法師部隊である以上対人戦闘が避け得れないものだからだ。場合によっては国防軍の施設に踏み込んで軍人魔法師と戦闘することも視野に入れている。これは周公瑾が国防軍ともパイプを持っていることが一番の理由だ。
「『七賢人』……もしかして、以前話されたエドワード・クラークやレイモンド・クラークなる人物が関係しているのですか?」
「正解。USNAの連中は一切掴んでいない情報だが、全世界傍受システム『エシェロン』のバックドアシステムを使うことの出来る七人のオペレーター。その一角に母上も入っていたが、俺が端末を消し飛ばした」
「お前のことだから逆に利用しそうな気もするが」
「あのな、達也……あの端末の接続先―――『フリズスキャルヴ』はオペレーターの検索履歴が全て残る曰く付きなんだ。相手にこちらの動向を掴ませる義理はないからそうした」
こちらの情報を相手に流す義理はない。だからこそ『フリズスキャルヴ』の端末を躊躇いもなく消し飛ばした。真夜の持つ端末については言及しなかったが、達也のことだから薄々勘付いている可能性は高いだろう。
「なぜそこまで知っているのかと言えば、独自の情報網から得た結果だよ。流石にその詳細は達也でも明かせないが」
「そうか」
「追及はしないのな」
「俺も下手に火の粉は被りたくないからな。深雪に危険が及ぶのならば話は別だが……お前ならその辺の線引きは心得ているだろうから、特に気にしてはいないが」
達也の性分とガーディアンの役目としては妥当な言い分だが、彼の主人公気質からしてトラブルが舞い込んでくるのは“予測可能回避不可能”の状態に近い。
平和や平穏を望むのは誰だって同じだが、欲の強さからそれを壊そうとしている輩が出てくるのも人間の摂理。それをどこまで妥協できるのか……度を越えれば争いになるのは無理からぬことだ。
「本音を言えば深雪に無理してほしくはないが、誰かに似て頑固だからな」
「達也、思いっきりブーメランになってるから」
「もう、お兄様ってば。私はそこまで頑固ではありませんよ」
達也も達也なら、深雪も深雪……という言葉を投げかければ間違いなく自分にも帰ってくることが目に見えているため、当たり障りのない言葉で濁す他なかった。