セリアと別れた後は何事もなく三矢家の屋敷に帰宅した。
そこまではよかったのだが、悠元の部屋の前には笑顔を浮かべた深雪の姿があった。その表情からするに何か察していたのだろう。
「おかえりなさいませ、悠元さん」
「ああ、ただいま……着替えるから、少し待っていてくれるか?」
いくら婚約の関係に加えてその先まで踏んでいるとはいえ、その辺りの節度は流石に弁えてほしいというのは既に伝えている。深雪もその節度は理解しているので、静かに頷いて了承の意を示した。
手早く着替えて戦闘服を魔法で整え、クローゼットの中に押し込んだ上で声を発すると、深雪は静かに部屋の中に入ってきた。そして、開口一番にこう尋ねてきた。
「それで、悠元さんはセリアさんと逢引きでもされていたのですか?」
「そういう関係は持った覚えなど微塵もないんだが?」
例え前世の関係者でも、今のセリアはUSNA軍の軍人魔法師。おいそれと他国の人間に手など出せるはずもないことは深雪とて理解しているはずだ。それでも深雪がそう言い放ったということは、恐らくバレンタイン前日の件が大きく関与しているのだろう。
悠元の言葉を聞いた上で、深雪はクスッと笑みを零してから呟いた。
「冗談ですよ。今のセリアは大変な立場というのも理解しておりますので。それで悠元さん、先程実家から連絡があったのですが……」
セリアも悠元の妻となるのを受け入れるような発言はともかくとして、深雪は四葉家専用の暗号メールで実家―――恐らくは現当主である真夜からの連絡を悠元に伝える。
「公海上にいたUSNA軍の小型艦船を捕捉し行動不能にした、とのことです。その中にはヴァージニア・バランス大佐なる人物も乗船していたらしく、その後の対応は三矢家経由で国防海軍に連絡したとのことらしいのですが」
時間のタイミングを考えるに、恐らく神楽坂家か上泉家経由で四葉家に裏工作を依頼したのだろう。深雪にメールを送ったのは、達也に連絡すると関係のない深雪を巻き込みたくないという情が働くと判断し、内密に送ったものだと思われる。
元々セリアの一件を片付けるために上泉家の協力は貰っていたので不満はないが、四葉家の裏工作部隊―――いや、“黒羽”は非常に優秀であると言わざるを得ない。
「達也にそのことは?」
「いえ、お兄様は調べ物があると言って早々に部屋へと行かれましたので……悠元さんは何かご存じですか?」
「エレメンタル・サイト」で非常に効率的な護衛が出来るとはいえ、その辺の対応をこちらに投げてくるあたりは信用されている……のかどうかは判断しかねるが。その達也の調べ物というのは恐らく「ブリオネイク」に使われたFAE理論の可能性が一番高い。魔法技術となればトーラス・シルバーの一角を担う達也でも興味のそそる話だと思う。
「凡その推測は出来るが、多分リーナとの対決がいい刺激になったんじゃないかな。深雪はどう思う?」
「そうですね……リーナの存在がお兄様を優しくしているのかもしれませんね。勿論、ほのかの存在もあるかもしれませんが」
こうやって呑気に話しているが、USNAの一件は後片付けの段階に達しているとして残るはパラサイトの問題だ。彼らはあと数日で新たな肉体を得て活動を始める以上、その対応次第で今後の動き方も変わってしまうのは間違いない。
「さて……USNA絡みの後片付けは残っているが、緊急の危険を取り除く必要があるな」
「パラサイト、ですね?」
「ピクシーについては問題ないとみていい。学内に留め置くことは達也も了承してくれた。残るパラサイトの対策だが……」
正直なところ、噂が元にまで届いている以上は他の十師族の耳に入っていてもおかしくはない。四葉家側は何とか抑えてくれる方向で話は纏まったが、七草家と九島家が厄介という他ない。特に前者はこちら側の要望である国防軍の情報セクションの貸与を蹴り飛ばしたのだ。
そのこと自体元々依頼に近いので強制力はないし、書面での契約ではないためペナルティも存在しない。だが、パラサイトを兵器として利用することは決して許すつもりなどない。これは「護人」としての定め―――人に悪しき欲を齎すものを討ち払う宿命があるためだ。
そうして話していると、悠元の情報端末に暗号メールが届く。解析用の専用端末を接続してそのメールを開封すると、差出人は千姫からであった。深雪は見ていいのかと思っていたが、深雪も神楽坂家の係累である以上は問題ないと判断して許可した。
「……悠元さん、これって」
「ついに動いたという訳か」
内容は『七賢人』―――「フリズスキャルヴ」を使うことのできるオペレーターの一人、レイモンド・クラークからのビデオメッセージが司波家の情報端末に送られていたらしい(長いこと不在にするため、システムの監視自体を『九頭龍』が担っている)。それも2つらしく、そのうちの一つが悠元を名指ししたものらしい。もう一つは言うまでもなく達也宛てであった。
添付ファイルも特に細工などされていない動画ファイルのようで、悠元はそのままファイルを開くと画面に表示されたのは金髪碧眼、アングロサクソン的な少年の胸像であった。
『ハロー。突然だけれど、君がこれを見ている前提で話をさせてもらうよ、ユート・カグラザカ』
話している言語は日本語だが、どうにも母国語が抜け切れていない印象が拭えない。まあ、そんな細かい話は置いておくことにするが。
『僕はレイモンド・セイジ・クラーク。「七賢人」の一人だ……とはいっても“
雫も神将会の一人である以上、必要以上の情報が洩れているとは考えにくい。だが、レイモンドはこちらが彼の素性を知っている前提で話しかけてきた。恐らくだが、国防軍関連絡みの動きを「フリズスキャルヴ」で調べ上げたのだろうと思われる。後でデータログを見てみる必要はあるかもしれないが。
『本当なら君に直接届けたかったんだけど、君の所在は「フリズスキャルヴ」でもつかめなくてね。居候しているという家に届ければ見てくれると思ったまでの事……とまあ、そんなことはともかくとして、本題に入ろう』
世界屈指の情報検索システムを以てしても掴めない、と言われたときは思わず仏頂面になってしまったようで、それを見た深雪が苦笑を滲ませていた。
説明は省くが、「エシェロン」と「フリズスキャルヴ」についての説明がレイモンドから齎されたが、原作知識でそれを知っている側からすれば“おさらい”のようなものだということは表情に出さなかった。
『ジード・セイジ・ヘイグ―――顧傑と呼ばれる人物のことは、君もよく知っているはずだ。その彼がパラサイトを日本に送り込んだ……理由は僕が言わずとも理解してくれるだろうけれど、「ブランシュ」や「無頭龍」で失った日本の拠点作りだね』
上泉家と四葉家にとって因縁の敵となりつつある顧傑。今となってはそこに三矢家と神楽坂家も加わる形となっている。正確には顧傑の指示で周公瑾がパラサイトを匿っているようなものだ。
そもそも、ブランシュは学校の襲撃で逆鱗に触れた形だし、無頭龍も間接的に第一高校の生徒を襲おうとした。それを指示した黒幕である顧傑に百害あって一利なし。
『彼の行いは流石に僕でも見逃せなくてね。そこで、数日中に新たな宿主を得て活動するパラサイトに情報を与えることとした。「君らの探し物は第一高校にある」とね』
どうやら、レイモンドはピクシーを餌に他のパラサイトを誘導するように情報を流す、ということを提案していた。いや、この場合は既に実行されていると考えた方がいいだろう。恐らくだが、他のパラサイトを狙っている面々にも何らかの形で情報提供されている。
『怒られても文句は言えないと思う。けれども、この事態が長期化すること自体、僕も君も望んではいないはずだ。できることなら短期間で決着を付けたいだろうからね』
レイモンドのやっていることはある意味愉快犯のそれに近い。一種の
彼の思う通りに動かされるのは一番癪に障るが、この借りはいずれ返すと心に誓った。
『日付はそちらの日時で2月19日の夜。第一高校裏手の野外演習場に活動中の全パラサイトを集結させる。君とそのお仲間にはパラサイトを殲滅してもらいたい。期待しているよ、ユート・カグラザカ―――<
軽々しく言ってくれる、と悠元は内心で吐き捨てた。だが、幸いにしてパラサイトの対策を練る方策も思いついたし、その時間も貰えるというありがたさ。だが、これをきっかけに恩着せがましく言うようならばお門違いだと断ずるまで。
しかも、メッセージの最後に言い放った言葉が一番気に食わなかった。
「……覚えとけよ、レイモンド・クラーク。次に会った時は容赦しないからな」
小声でそう呟いた悠元の言葉は……幸か不幸か、深雪の耳に届くことはなかった。
◇ ◇ ◇
USNA首都―――ワシントンD.C.の首相官邸ことホワイトハウスの大統領執務室に一人の来訪者が舞い込んだ。
本来、国家元首たる大統領をアポなしで尋ねるなどそうそう出来ることではない。それこそ、国家に多大なる功績を齎した“英雄”たる存在であっても社会のマナーやルールには一応従う必要がある。
だが、この国においてそれすらも飛び越えた存在―――元々は日本出身の魔法師。現在は永住権を取得した上でこの国で暮らしている人物の来訪に大統領は目を丸くしていた。
「これは驚いたな……連絡をくれれば、私自ら出向くというのに」
「お前がそう軽々しく首都を空けるなどと言うものじゃない。ただでさえ反魔法主義の運動が収まっていないのだから尚更だ」
その人物の名は
身内以外で滅多に家を離れることのない彼がここに来た意味―――大統領は言わずとも理解しつつ、傍にいた秘書官に茶を出すよう指示を飛ばした。それを見つつ健はソファーに腰掛けると、大統領は執務用のデスクを離れて健と向き合うようにソファーへと移動した。
「さて、俺がここに来た理由だが……言うまでもなく今騒ぎとなっている吸血鬼―――『パラサイト』についてだ。聞けば、リーナとセリアもその騒ぎを解決すべく動いているようだが……結論から言おう。対抗策を得ない限り、そんなのは『無駄』でしかない」
健は元々九島家にいた故、パラサイトの性質について凡その見当は付けていた。ここまで騒動が長期化した以上、現代魔法での対処はごく一部の魔法を除けば無理という結論を出していた。
「……『ブリオネイク』や『レーヴァテイン』を用いたとしてもか?」
「あれは現代魔法における戦略級魔法を制御するためのもので、パラサイトのような霊的存在に対して有効な攻撃手段ではない。スターズもそうだが、
敵に付け入る隙を与える意味では沈黙も正解なのだろうが、潜在的敵対国であるという理由だけで情報提供をしなかった政府機関に対して健は辛辣な言葉を吐き捨てた。加えて、健が独自に持っている情報ネットワークによれば、USNAにいたパラサイト全てが日本に渡航した事実を知っていた。
孫娘の二人も心配なのはそうだが、健にとっては生まれ故郷でもある国の事など無視できない。例え、国を出た原因が自身にとって良くない出来事であったとしても。
「そう分かっているのならば、何故今まで手紙の一つも寄越さなかったのだ?」
「先日、あの国にいる幼馴染から手紙が届いてな。そこには今回の一件の流れが全て記されていた……神楽坂千姫の名も姿も、お前はよく知っているであろう?」
―――神楽坂千姫。神楽坂家第107代当主にして「護人」の一角を担う人物。その実力は世界群発戦争の時点でも上泉剛三と肩を並べるほどの魔法師であり、約30年前を最後に表の舞台から一度身を引いた。
彼女のことは大統領も数度ほど面識があり、彼女の手紙によって健がここに来たということは……大方彼女の関係者である神楽坂悠元が大きく関係しているのだろう。
「無関係を貫こうかとも思ったのだが、千姫が養子にした人物と孫娘が殺し合いをしたとなれば無視するわけにもいくまい……同じ祖父として、お前はどう落とし前を付けるつもりだ?」
「……ケンは、どうするつもりなのだ?」
そもそも、現代魔法の先進国としてのプライドと世界の覇権を握りたい大国として、新たな戦略級魔法を生み出した同盟国の出る杭を叩こうとしたのが事の発端。
ここで大統領を辞任する方針を口にすれば、それは間違いなく“逃げ”であると健から咎められるのは目に見えている。仮にそうしても、反魔法主義が野党に食い込んでUSNA全体に自然主義を蔓延させかねないことは目に見えている。
そうなれば魔法研究はおろか、世界の覇権を握ることなど夢のまた夢。新ソ連や旧EUだけでなく、大亜連合にも後塵を拝する形となってしまう。その未来だけは絶対に避けなければならない。
質問を質問で返すなど失礼なことだが、大統領としては国家元首である前に一人の身内として同じ孫娘を持つ祖父としての意見を聞くこととした。
「あの国は、大亜連合や新ソ連という大国を近隣に持ちつつ国家主権を保っている。そんなことは当たり前の事実だな。戦略級魔法で必要以上に騒ぎ立てた連中の処分は任せるが、俺はあの国に残してきた“宿題”を片付けなければならん」
それは俺自身の宿題故に今は関係ないか、と付け加えた上で健は言葉をつづけた。
「今回の一件でリーナとセリア―――“シリウス”と“ポラリス”が敗れた事実はショックだったが、彼女すら上回る実力者があの国に出てきてくれたのだ。流石にリーナを今すぐ軍から離すのはリスクが高すぎるが、スターズはおろかこの国ですら制御しきれないセリアを手放すなら、向こうも納得してくれるだろう」
健の考えはというと、幼いころから非常識な実力を持っていたセリアに正しい心と魔法力の制御を身に着けるよう教えていたのだが、それがかえって彼女の実力に拍車を掛け、結果としてUSNAでも核兵器以上に扱いが難しい存在へと化してしまった。
元々、自身の身内が九島の魔法を必要以上に広めないようにするため……リーナやセリアが魔法を暴走させた際の抑止力として鍛え続けていたわけなのだが、ほぼ全盛期に近い健ですらリーナは抑えられてもセリアは抑えられなくなっていた。
千姫の養子が彼女と殺し合ったことには複雑な感情を抱いたが、セリアを倒せるだけの実力を持つという幼馴染の言葉は信用に足ると考え、信じてみることにした。
「まさか……セリアを彼女のもとに送るというのか?」
「ただでさえリーナが総隊長であることに不満を持つ魔法師も少なくない。そこに加えてセリアが軍でも特殊な扱いを受けていることも大きく影響している……ここがお前の腹の括り時だ。少しでも対応を間違えれば、剛三と千姫が直接USNAに飛んでくるぞ?」
スターズ内部の事情に関しては、健自身「九島将軍」と呼ばれているために国防総省やUSNA軍にもシンパがいることから、情報源には事欠かない。そこからも孫娘に対する僻みや妬みは少なからず聞き及んでいる。
代替わりして数年の“シリウス”を今すぐ放出することは、この国の戦略級魔法師の数を減らすだけでなく最大級の戦力を喪うことにもなりかねない。だが、元々採用の段階で扱いに困っていてスターズの内部でもその序列に加わっていない“ポラリス”ならば、まだ損失に伴うデメリットは安く済むと健は考えた。
セリアの魔法師としての実力を喪うのも大きなデメリットだが、USNA自体ですら制御するのに四苦八苦するような存在で自国に多大な損害を出すことになるよりは遥かにマシだろう、と。
「ケンはいいのか? お前もセリアのことは可愛がっていただろうに」
「……そのセリアから手紙が届いた。今の任務が終わり次第、スターズを除隊したいという旨が記されていてな」
その手紙には「神楽坂悠元に嫁ぎたいのでUSNAには帰らない」ということも記されていた。本来ならば健が飛んで行って首根っこを掴んででもUSNAに帰らせるのが筋。だが、奇しくも自身が考えていた対応に沿うようなセリア本人の意向ならば、呑む以外の選択肢など健には存在しなかった。
これも親離れが少し早かっただけの事か……と健は手紙を読んだときに涙したのは、健自身しか知らないことであった。
「普通ならば認められない可能性が高いだろうが、状況が状況だ……セリアの除隊と国籍変更の手続きを進めるよう話は通しておくし、息子らには俺から説得する」
そもそもの話、リーナとセリアのスターズ入隊に最も反対したのは健であった。だが、新たな“シリウス”を早急に見つけたいという軍上層部の懇願により条件付きで認めた経緯がある。
その条件とは、彼女たちがスターズの除隊をしたいという意思があれば健や二人の両親の同意でそれが可能とすること。これは、彼女たちの青春を奪ってしまう以上は相応のリスクを軍上層部やペンタゴンに負わせるという意味合いが強い。
「ただ、セリアが担っていたフォロー役がいなくなるのはまずい。確か、今の任務でフォローしているのはシルヴィア・マーキュリー准尉だったか。彼女を昇進させてリーナのフォロー役を頼もう」
「それが妥当な案だな」
そして、この話し合いでシルヴィアの気苦労がさらに増えることになったということは、当のシルヴィア本人は辞令が出るまで与り知らぬことだった。
レイモンドが主人公に当たりを付けたのは、戦略級魔法師の一人であるセリアを倒したという情報から推測した結果です。
後半の話は、本来の筋なら反対すべき部分もあるでしょうが、身内ですら制御しきれないものを自国に置いといて、将来的にスターズが暴走した際に部隊はおろかシステムそのものが崩壊する前に取り除く形としただけです。