―――西暦2096年3月19日。
小笠原諸島、父島。
七草真由美は端末の着信音を聞いて手を伸ばし、手に取りつつ寝起きの状態で端末を操作した。
流石の父親でも卒業旅行に野暮を突っ込むような真似はしないだろうし、大方妹辺りからお土産のメールでも送ってきたのかと思っていたが、それが暗号メールだと分かった瞬間に意識が一気に覚醒した。
「何かしら……って、これは暗号メール!?」
真由美はベッドから起き上がり、サーバーでブラックコーヒーを淹れて折りたたみ型端末を起動した。自分の持つ端末と接続して解凍プログラムで届いた暗号メールを解析したところ、衝撃的な内容に驚きつつ同じ部屋で寝ていた摩利を起こした。
「真由美、流石に早くないか……?」
「とっくに朝よ。これを見て」
摩利は渡されたブラックコーヒーを口にすると、苦さで一気に意識がハッキリさせられたが、真由美の端末に表示されたメールの内容を見て真剣な表情を見せた。
「これは……亜実と燈也君にも事情を話した方がいいな」
「そうね」
差出人は真由美の身内の恩師。その内容は―――南盾島にある国防海軍の魔法研究所で酷い扱いを受けている調整体の少女を脱走させるので、東京に連れ帰ってほしいというお願いであった。
単なる卒業旅行が大変なことになった、というのは心の中で思っていても口には出さなかった。
◇ ◇ ◇
達也が“ジーク”の対応に追われることとなった翌日。達也以外の面々は
男子三人の女子七人という形だが、空港とモールを移動するコミューターは五人まで。なので、セリアと佐那が率先して男子と同乗する形となった。その意図に気付いて深雪と雫はジト目を浮かべていたが。
「話には聞いていたけれど、立派ね」
「ま、今日は女子のショッピングに付き合う形となりそうだが……レオと幹比古はのんびりしてていいぞ」
「僕はのんびりできるかもしれないけど、レオはエリカが逃がさないんじゃないかな」
「勘弁してくれよ……てか、幹比古の場合は佐那がいるじゃねえか」
「そこまで振り回すつもりはありませんから大丈夫ですよ」
場合によっては、という文言が付きそうな佐那の言葉はさておき、エリカのことだから有無を言わさずに付き合わせる可能性が高いだろう。
本人たちは隠しているようだが、この前のホワイトデーの時、放課後の教室でレオがエリカにお返しを渡して去ろうとしたところ、エリカがレオの眼を瞑らせてキスをしていたのだ。何故知っているのかと言えば、生徒会の仕事で偶々教室の横を通ったときに目撃しただけだ。
なお、それを見た後に隠形を全力で展開して去ったので、二人には何も追及されていないし、それをネタにしてからかうつもりなど今のところはない。
「それにしても、さくばんはおたのしみだったね」
「お前がそれを言うか……」
昨夜は深雪と雫、セリアに捕まって一緒に寝る羽目となった。流石に今日のこともあったので穏便となるように済ませたが……最後の一線を越えてないだけまだ大丈夫と思っていいのかは疑問だが。
よもや当事者側から出てくるとは思わず、冷静にツッコミを入れる羽目となった。
一番最初に起きたところで黒沢女史と出くわしたが、彼女は笑顔を浮かべたまま事情を察しつつ着替えを用意してくれた。理解してくれることをありがたいと思うべきかは少し迷ってしまったが、心の中で納得させつつ着替えたのは記憶に新しい。
「とりあえず、昨日のうちにお勧めスポットは粗方抑えてるから、端末の送信が必要なら言ってくれ……どうした?」
「そういう気遣いが自然と出来るからモテるんだよ、お兄ちゃん」
「人付き合いのせいで無駄に染み付いただけだよ」
長野佑都として過ごした約8年の月日は決して無駄ではないと言える。それに付随した面倒事に関わったことも多くあったが、大体は魔法界の裏側―――剛三という存在によって見えてしまった部分と向き合うことが多かった。
国内で言えば国防軍や十師族を始めとした魔法使いとの関わり。海外で言えば魔法協会絡みや戦略級魔法師との出会いもある。明るみには出していないが、『十三使徒』のうち半数以上と直接面識がある。大亜連合にいた劉雲徳もその一人で、彼には孫娘がいた。直接面会した際に「ここまで理知的ならば孫娘の婿に欲しい」と言われたときは本気で断りたいと思ったほどだ。
尤も、その話は当人が死亡したので完全に立ち消えた形となった。
余談かもしれないが、セリアの悠元に対する呼び方は泉美や茜という前例があるため、そういった感じで呼ぶからと達也たちに説明して納得させた。仮に結婚したところで呼び方が変わるかどうかは不明瞭のままだが。
女性陣だけでショッピングに向かった(荒事になればエリカとセリアあたりが率先して動くだろう)ので、悠元とレオ、幹比古は護衛みたいなことをしつつ、適当にぶらついていた。ドリンクバーで一息入れているところを女性陣に見つかって、結局奢る羽目になった。
最初は悠元が全員分払おうとしたが、エリカはレオに払わせ、佐那と美月については幹比古が空気を読んで支払っていた。
「軍関係施設とはいえ、観光向けとしては立派だね」
「離島となると、内地のように娯楽が多い訳でもないからな」
通信網の発達があっても、物流の点で陸路が使えない制約は大きい。それに、端末があってもアプリケーションのゲームとなると魔法関連のシミュレーションがかなり多い。その意味で娯楽にも乏しい穴埋めとしてショッピングモールが未だに根強く残っているのだろう。買い物が一段落したところでモールの外縁部で一息ついた。金網のフェンスと海を隔てた先はこの島の国防海軍の魔法研究施設―――
「海軍の施設……お兄ちゃんは何か知らないの?」
「この辺りは基本的に『
自分は基本的に脅威と断定しなければ深入りするつもりなどない。南方諸島工廠についても、兵器開発部にいた時はそこまでの大規模な魔法実験は行われていなかった。とはいえ、陸軍の功績に焦りを感じることを見越して「ずいかく」の投入を打診し、剛三の許可を得て就役させた。
だが、大規模魔法―――戦略級魔法クラスの発動痕跡がこの先から感じられる以上、見過ごせるレベルではなくなりつつあるのだろう。それは悠元のみならずセリアも感じていた。
「……人間の欲ってホント醜く思っちゃうよね。前世はさして思ってなかったけど……生まれ変わって初めて気付くなんて、ちょっとした皮肉かもしれないね」
「そうか……っと、どうやら昼食のようだから、行こうか」
「そうだね」
運命の歯車は回り始めていた。一人の少女との出会いがすぐそこまで迫っていることは……悠元は無論のこと、セリアも強く感じていたのだった。
◇ ◇ ◇
事前に調べていたモールのレストランで昼食を済ませ、食後のドリンクやコーヒーを飲みながら来年度の話に花を咲かせていたが、悠元とレオは揃って妙な雰囲気を感じ取っていた。
悠元は軽く気配を探ったが、この近辺だけでも十人足らずとはとても穏やかな雰囲気とは思えない。確実に厄介事なのは間違いないだろう。
「悠元……妙じゃねえか?」
「変に殺気立ってるというか、あちこちに憲兵がいるな。っと、一応気付かない振りをしとけ。変に目を付けられたくないからな」
「そうね……ヤバそうなことみたいだし、早めに切り上げた方がいいと思う」
本来はもう少し滞在する予定だったが、この状況が悪化する前に別荘へ帰る方がいいと判断し、他の面々も同意した。あくまでも、捜索隊らしき憲兵の存在には気付かないフリをしつつ。
空港に到着すると、乗ってきた北山家のVTOL機のタラップが開いた状態だった。だが、機内に敵意は感じられない。操縦席側に一人、そして機体の尾翼下部に一人いるのは間違いない。
話し声からするに、北山家の自家用機パイロットである伊達がハッチを開けたままにしていたのが原因のようだ。
(……乗り込んでしまってるな。まあ、いいか)
気付いていないフリをしつつ、一番最後に乗り込んでハッチを閉じようとしたところで近付いてくるジープタイプの走行音。そこから降り立ったのは二人の海兵だが、悠元からすれば一応顔見知りにあたる人間であった。
「機内を検める! その自家用機……ご、剛三殿の!?」
「何ですか? 出発しようとしたところで随分と高圧的ですね。一体何があったのですか?」
「いえ、その……実は、病院から脱走したと思しき患者を……」
千葉道場―――エリカの実家の門下生だということは間違いなかった。二人も悠元の姿を見て緊張しているが、半分は剛三の影響が色濃く残っているのだろう。残り半分が自分のせいだということは否応にも自覚しているが。
「ハッキリしない物言いですね。とはいえ、その患者と思しき姿は“目に見える範囲”で確認できていません。速やかにお引き取りください」
「し、しかし、一応見せていただくだけでも」
「自分の言うことが―――“神楽坂”の言葉を信用ならないと? であるのならば、今すぐ首相に抗議させていただくことになりますが……」
「し、失礼しました!」
確認できていない、という事実に関して別に嘘は言っていない。こちらの威圧も込めた視線に海兵の一人が頭を下げて謝罪しつつ、ジープに乗ってその場を離れていった。ハッチを閉じて席に座ると、VTOL機は一路聟島に向けて飛び立ったのであった。安定状態になったところで、エリカが立ち上がって悠元に話しかけてきた。
「いやー、うちの道場の連中が迷惑かけたわね。それにしても、滅多に権力を振り回さない悠元が珍しいわね」
「あの子が憲兵たちの探し物なのは間違いなかった。別に嘘は言っていないからな」
「それは確かに……出てきなさい。別に貴女に危害は加えないから、大丈夫よ」
エリカはそれを聞きつつ、機内後方にある扉の前に立った。彼女の言葉に応じて扉が開くと、見た目的には小学生中学年程度と思しき少女がいた。髪は無造作に伸ばされ、前髪で目が隠れ気味になっていた。
ひとまず、その少女を座席に座らせると、悠元はペンダントを少女に渡した。
「これは……何ですか?」
「それを身に着けてほしい。君に危害を加えるものじゃないことは保証するよ。えっと……そういえば、名前を聞いてなかったね」
「『わたつみシリーズ』製造ナンバー22、個体名:
少女―――九亜の言葉に、悠元らは驚愕に包まれた。彼女は調整体だということは間違いなく、レオも表情を険しくしていた。
真っ先に悠元が冷静さを取り戻し、九亜がペンダントを身に着けたところで持ち込んでいた折りたたみ型端末を起動させると、端末のコンソールに想子を流し込む。すると、ペンダントも悠元の白銀の想子光に光り輝き、九亜はゆっくり目を閉じてリラックスしたような表情を浮かべていた。彼が何をしているのか勘付いたセリアは悠元に問いかけた。
「……お兄ちゃん、彼女の様子は?」
「魔法実験の影響か、かなりギリギリの状態だな。自我消失状態に近い波長が見られる」
端末に積まれた魔法師の波長測定システムは、三矢家と四葉家で得られた膨大な魔法師の想子計測データをベースとしたもの。第四研の無茶な人体実験によって、波長パターンから魔法師の状態を事細かく割り出せるまでになった。これを応用すれば非魔法師の病気の早期発見や治療にも繋がる。悠元が『
九亜の精神状態は見るからに消耗しきっていた。その原因は大規模魔法に伴う強制的な精神リンクによるもの―――以前、剛三からそんな実験があったということは少しだけ聞いたことがあった。
「そんな……」
「どうにかできそう?」
「一番いいのは魔法の行使を暫く控えることだな。にしても、この消費度合い……かなり大規模の魔法行使でないとこうはならないはずだ」
言葉を濁したが、間違いなくあの研究所で実験しているのは“戦略級魔法”。彼女の起動式読込履歴から全体の起動式を読み取ったところで“転生特典”による魔法式が構築された。
海軍が実験しているのは、戦略級魔法『ミーティアライト・フォール』……大型質量体を特定の地点へ引き寄せる狂気の戦略級魔法。
「とてもじゃないが、想定される演算規模を考えると彼女一人で行使できたとは思えない。恐らく複数人による精神リンクを用いてのものだろうな」
「そんなことってあるの?」
「ある。CADの中には術者が受動的に魔法を組み立てるケースもあるからな」
複数人の魔法師による強制的な精神リンクは魔法師に多大なる負担が掛かり、最悪心神喪失状態に陥るという結果が出たため、第三次大戦中に護人が主体となって研究が封印された。魔法師を単なる“道具”としてしまう研究は彼らとしても看過できなかったのだ。
その封を解いた……恐らくは二発の戦略級魔法によるもの。『スターライトブレイカー』はともかく『マテリアル・バースト』は国防陸軍が主体となった作戦で用いられたため、書面上は『マテリアル・バースト』が陸軍の戦略級魔法となっている。
とても正気の沙汰とは言えない事実……その原因を作ってしまった側となった悠元は、自分の力の影響がこんな形で返ってくることに対して少し悲しげな表情を見せたのだった。