「……これは。成程……」
西暦2096年4月15日。
九島烈の消極的な賛同を得られた七草弘一に1本の暗号メールが送られてきた。最初は自分のボディーガードを務める名倉から送られたものだと推察したが、自前の暗号解読システムで内容を確認したところ、弘一は戦慄が走るような感覚に囚われていた。
その相手は弘一……いや、七草家にとっても浅からぬ因縁を持つ相手であり、四葉家の在り方を少なからず変えた人物。メールに七草家しか知らない独自の暗号通信システムを用いたことからして、七草の持ちうる技術すら超えるものを
彼の存在自体が十師族にいたころから突出しており、十師族の秩序を重んじるという理由で十師族の直系という立場を離れた人物。その彼が訪れる内容は弘一であっても無視できる領域を超えていた。それに、彼は神楽坂家ならびに三矢家の当主代理として赴くとある。
護人と十師族の両方の血を引く人間にして油断のならない相手。しかも、彼は国家において非公式の戦略級魔法師。だが、ここで断るほど七草家当主は狭量ということではない。弘一はメールを読み終えて暫し考えた後、一つの答えを出したのであった。
◇ ◇ ◇
その日の夜。七草邸の車寄せに黒塗りの乗用車が止まった。後部座席から自らドアを開けて降りてきたのは、神楽坂・三矢の当主代理―――スーツにネクタイ姿の悠元であった。流石に克人ほどの容姿は持ち合わせていないが、剛三との旅行や社交界で鍛えられた存在感は歳不相応の老獪さを兼ね備えつつあった。これには出迎えた真由美も思わず背筋が張り詰めたような感覚に囚われたほどだった。
「1週間ぶりですね、七草先輩」
「ええ……悠君って本当に16歳なの?」
「それは間違いないと思いますよ。あと、公的な場ではないので目を瞑りますが、下手すると誹謗中傷になりますよ」
断言ではなく推察のようなニュアンスの言葉になったのは、自身が転生者ということも含めてのものだが、そんな事情など知らない真由美からは特に追及が飛ぶようなこともなかった。彼女は悠元が述べた後半部分の忠告で軽く謝罪していた。そして、真由美の先導という形で悠元は七草家の敷居を跨いだ。
「それにしても、悠君が三矢家の当主代理も兼ねて来るなんてちょっと予想外よ……うちの父がまた粗相でもやらかしたの?」
「単純に都合が良かったというだけもありますし、現当主の息子なので別に問題はないかと……ちなみにですが、泉美ちゃんには?」
「伝えたら話し合いどころじゃなくなるでしょうから、父に私と数人の使用人だけが知っている形になるわね」
その言い分はご尤も、と納得したところで当主のいる応接室に通された。
部屋の中には既にこの家の当主である七草弘一がいた。これから始まる応酬を踏まえ、悠元は改めて気を引き締めつつ挨拶をした。
「こんばんは、七草殿。此度は急な会談の申し出を受けていただき、感謝に堪えません」
「お久しぶりです、神楽坂殿。先んじて送られた申し出の内容は我が七草家としても無視できる内容ではありませんので」
「そうですか……これから話す内容は魔法師社会にとっても重要なこと故、真由美嬢にも聞いてほしいと考えておりますが、如何でしょう?」
えっ、と思わず声に出そうになったところで真由美は口を押える様な素振りで慌てて堪えた。彼女の想定では悠元と弘一が直接会談するものと思っていた。それは、表情を僅かに厳しくした弘一も同様なのだろう。だが、悠元はその前提を最初から壊すつもりだった。
「理由は至って単純です。昨今の反魔法師主義―――人間主義を語る連中がメディアを使って煽っている運動。その一端を七草家が担っている以上、身内に衝動的な行動を起こされて足並みを崩される方が七草殿としても困るでしょう?」
「っ!?」
「……そうですね。真由美、座りなさい」
悠元が投下した衝撃的な発言で真由美は驚いた後で厳しい視線を父親の弘一に向けていた。だが、それも意に介せずといった感じで弘一は口元に笑みを浮かべつつ、真由美に着席を促した。彼女も渋々言われるままに着席した。この辺は実の娘に“狸”と言わしめるだけの図太さを持ち合わせている、と内心で感想を述べたところで弘一が悠元に賞賛の言葉を投げかけた。
「しかし、良く調べられましたね。流石は三矢の―――いや、神楽坂の情報網と言ったところでしょうか」
「その辺の推測はご自由にどうぞ、とお答えしておきます。尤も、その関連も含めて
「……そこまで調べがついているとは、お見逸れいたしました」
メディア関連のみならず、小和村真紀のことまでほぼ掴んでいる……と弘一は悠元の情報収集力が七草の持つ情報網を遥かに凌駕していることも含めてそう推察した。何せ、昨晩彼女と会談したことは掴まれてもおかしくないだろうが、その内容は弘一と真紀にしか知りえないことのはずだからだ。
「悠君? それってどういうことなの?」
「―――『
その動きについて予め護人の二家で話し合った結果、国力を分断するような動きは看過できない、という結論に至った。だが、早急に潰すのではなく「
「そちらについては神楽坂家で受け持ちますので、話を戻しましょうか。七草殿、今回の会談を申し込んだ理由は先んじてお送りした書状の内容の通りですが……世論を分割させるように仕向けたのは、合従されて大火になるのを防ぐためですね?」
「ええ、その通りです。世論という存在は無視できないにせよ、それを仕返すにも相手がいない。だが、手をこまねいていては我々魔法師にとって無視できない傷を負うことになりますので……その表情を見るに、神楽坂殿はどうやら世論の仕組みをよく御存知のようだ」
確かにこの部分は弘一の説明した通りだ。
世論を作り、騙り、盛り上げることをメディアが煽っても、世論の責任の所在はメディアにないという矛盾。結局はこの国に住む国民が情報を得てどう判断するかでしかない。この辺が俗に言う情報リテラシーということだが、反魔法師主義の記事ばかり目立つような状況は一種の“情報統制”に近い有様。しかも、魔法科高校を運営する立場の政府も積極的に関与できていない稚拙さ。
とはいえ、十師族に政治家への圧力などは御法度……だが、この場においては悠元にその縛りなどもはや存在しない。
「誉め言葉と受け取っておきます。七草殿、確か反魔法主義の論調には魔法科高校と軍の癒着を仄めかす様なものがありましたよね?」
「ええ、現在、その主張が勢い付いていますが……それを利用なされるおつもりですか?」
「実は、FLTの次席株主である父―――三矢殿から聞いた話ですが、FLTが魔法科高校に実験装置の提供を行いたいという申し出があったそうで、どうやら常駐型重力制御魔法式熱核融合炉らしいと聞きました。そのデモンストレーション実験を実施する方向で話が進んでいるようです」
この辺は半分ぐらい建前が紛れ込んでいる。表向きは将来の魔法技術発展に貢献できる魔法工学技術者の育成を見据え、魔法工学科に実験装置の提供を行うというものだが、核融合反応装置以外にも魔法工学関連の実験装置が運び込まれるため、決して嘘は言っていない。七草家を訪れる前に校長の百山や教頭の八百坂にも話はつけているため、原作よりも準備期間に多少の余裕は出来る形となる。
「七草殿であれば、
「ちょ、ちょっと悠君!? 魔法科高校にメディア関係者を入れるの!?」
「大丈夫ですよ、先輩。生徒の魔法技能を失わせないよう、その日のカリキュラムは学校側にも協力してもらいますから……尤も、矢面には自分が立ちますので」
彼らが人権を謳うのであれば、こちらも人権を謳うだけ。だが、それだけでは反撃に足りないということなど悠元も熟知している。ならば、メディアにとって世論よりも一番気にしなければならない相手からの突き上げが来た場合、その論調をいつまでも続けられるのか……答えは否だ。
「三矢殿に対して近日中に臨時師族会議の開催をお願いしました。既に七草、九島、十文字以外の師族には話を通した案件です……それと、魔法科高校のデモンストレーション後に『おことば』を賜ることも既にお願いいたしました」
「……それって、まさか
確かに、この国の皇族に実質的な権力は持ち合わせていない。あくまでも象徴たる存在だが、長きに渡って続く世界で唯一無二の皇家の存在は誰しも無視できるような存在ではない。畏れ多くはあるが、今上天皇におことばを賜ることで昨今の反魔法師主義に特大の楔を打ち込むこととした。魔法の有無はあれども、この国に生まれた者は等しくこの国の民であると。
「権力はなくとも、この国の象徴である陛下は国民の支柱たる存在でもあらせられます。陛下をはじめとした皇族の守護として
原作では十師族としての範疇で対処していたが、それだけでは足りないと判断した。魔法師社会だけで完結させず、政治・経済の両面に加えて皇族にもこの問題に一石を投じさせる。これでも人権の保護を謳うのならば、まずは自分たちがそれを遵守しているのかと問いかけなおすところから始めてもらう。
七草弘一が世論というテーブルの色を丁寧に染め直しているとするなら、自分の場合はテーブルごと染料の入った水槽に沈める様なものだ。弘一もそのことに気付いたのか、口元に少し笑みを浮かべていた。
「……成程。神楽坂殿は大胆かつ奇策の一手を打つ御積もりですね」
「理解していただいて何よりです。それと、デモンストレーション後はメディアに対して大規模の資金工作―――最低でも十数兆円規模の買収工作を仕掛ける算段になっております。もし、七草殿がこの事実を黙認していただけるのならば、『以前結んだ契約』を条件付きで復活させることもこの場でお約束いたします」
いくら周公瑾でも国家予算規模の資金を捻り出すことなど出来ない。一方、神楽坂家にはUSNAから得た賠償金に加えて、裏取引や人間主義の組織を潰すことで得た活動資金も投入する。味方する論調を書いていた相手からの金で敵に回るというのは皮肉が利きすぎていると思うだろうが、この国を護るために出来る手段全てを辞さない覚悟など、とうに出来ている。
そして、悠元が述べた“契約”という文言でその内容を察した弘一はサングラスを弄った上で問いかけた。
「それは、こちらにとっても悪くはない話となります。その話は上泉家も了承されていると受け取っても?」
「ええ。契約に関する条件は上泉家と神楽坂家が厳格に定めたことを遵守していただきますが、“とある人物”ともし関わりがある場合は直ちに縁を切ること。そうでなければ繋がりを持たないこと。更に、その者の対処に七草家が関わらないこと。これだけは最低限守っていただかなければならない条件だと思ってください」
具体的な人物の名を述べるのは避けたが、今の発言で弘一も誰を指し示しているのかは理解したはずだ。今のところは周辺を少しずつ削り取るように外堀を埋めているが、その打開策として七草家に深く接触してくる可能性がある。そして、それこそが彼の仕掛ける十師族同士の「離間の策」に他ならない。
七草弘一と周公瑾ひいては顧傑を引き離す―――そのために、神楽坂家と縁を結べる利を与える程度ならば安いものと結論付けた。尤も、縁を結ぶための代償は有無を言わせず支払ってもらうつもりだが。
◇ ◇ ◇
「ふう……」
「お疲れ様です、若様。感触は如何でしたか?」
「悪くはなかったが、流石十師族の一角を担うだけはあると思ったよ」
弘一との会談を終え、座席に深く座った悠元を運転席に座る葉山忠成が労った。その言葉を受け取りつつ、悠元は窓の外を見やるようにしながら答えた。
剛三との関わりで面識を持つことはあっても、そこまで緊張した状況で話すのは今回が初めてだろう。尤も、自分の隣に座っていた真由美は七草の令嬢という猫被りが時折剥がれていたわけだが。
「自分の気苦労と引き換えに七草は何とか引き込めそうだが……十文字家は独自に調べているようだし、先輩の性格からしても動かないという選択はないだろうな」
「……干渉なさいますか?」
昨今の反魔法主義に関しての実情を知ってもらう意味でも真由美に同席させることで感傷的な行動を避けさせる狙いがあった。ただ、今頃は真由美が弘一に抗議めいた問いかけをしている頃だろう。それぐらいは簡単にあしらうだろうと思われるので、干渉する気などなかった。忠成の問いかけに対して、悠元は首を横に振った。
「いや、問題ない。十文字先輩が動こうが動くまいが臨時師族会議の開催は決まっていることだ。残るは……師族の在り方を教えてやらないといけない奴らがいることか」
自分自身とて高言出来るほどに十師族として活動していない。だが、魔法師社会の頂点に立つということは、即ち魔法師の在り方の模範とならねば意味がない。別に競争心を煽って互いに切磋琢磨させる手法も決して悪くはないが、かつて服部が言っていた高名の魔法師の言葉を思い出す。
―――魔法師は事象をあるがままに、冷静に、論理的に認識できなければならない。そして、自らを厳しく律することが求められていること―――
非常に為になる言葉だが、この世界では何と今は亡き剛三の妻が遺した言葉である。しかも、新陰流剣武術ではこれに近い言葉が存在したが、彼女によって分かりやすく述べられたこの教えを第一とするようになった……それでいてスパルタ訓練をやってしまって乗り越えた人間相手に通用するかは不明だが。
そして、悠元が司波家へ帰った後に判明したことだが、香澄からのメッセージで『悠元兄、ボクは泉美にどう接したらいいんだろう……』という文言の後、何があったのかが詳細に綴られていた。泉美が悠元の匂いに反応したらしく、弘一に凄みのある笑顔で問い詰めたらしい……嗅覚で恋慕する人間の来訪を判断できるって、もう人間辞めてないか? と思ってしまった悠元であった。
“兵器”として造られた人間の末裔が“人間を辞める”というのは些か捻くれているとは思うけど。
おいしい話には必ず裏があるということです。表面上は何もペナルティを課せられていない様な感じになっていますが……この辺は今後語っていきます。
ここだけの話、神田議員の所属党名を間違えてリアルのほうであった奴と勘違いしてました(汗)