十文字邸の自室にて、理璃は勉学が一度落ち着いたところでタブレット型情報端末を手に取っていた。目につくのは反魔法主義に関わるもの―――論調自体は魔法師を利用する国防軍を非難するものと魔法師が依怙贔屓されていることを非難するもの―――と両極端なものとなっているが、実際には魔法師と軍の繋がりを非難するばかりであった。
だが、理璃の着目点はそこに存在しなかった。
(……確かに国防軍が魔法師を重用するという非難は少なくなかったはず。でも、ここにきて増えてきている……噂になっている人間主義者の仕業だとするなら辻褄は合うけれど、恐らく私も無関係ではない筈)
理璃自身、十師族の一角を担う十文字家の娘となったことは勿論だが、血縁関係に国防陸軍の関係者がおり、亡くなった両親も国防海軍の軍人であった。人間主義者が人権を謳っているのは一応理解するとしても、理璃はその考えに到底納得できなかった。
(十文字家に引き取られる際、今のお父様はどちらの姓を選んでも構わないと言ってくれた。だからこそ、私は十文字の娘であることを選んだ。これ以上ご迷惑をお掛けしないためにも)
理璃の持つ『ファランクス』は十文字家の秘術である対抗多重障壁魔法。本来魔法演算領域のオーバークロックという十文字家のみが持つ技術を伴って初めて十全の力を発揮するが、理璃は克人以上に魔法演算領域の演算許容範囲が広いため、オーバークロックなしで全力の『ファランクス』を展開できる。
更に言えば、理璃の魔法演算領域の一部は自己強化・対抗魔法に特化した演算領域を有しており、『ファランクス』に必要な断続的展開に最も適した力を有している。そのことを実の母親から指摘され、理璃は出来る限り『ファランクス』を使わない様にして来たのだ。
話を戻すが、魔法師と国防軍の関係を「癒着」や「人権を無視している」などという論調は昨今の国際情勢を完全に無視したものだ。理璃がニュースを見つつ考え込んでいるところで、ノックの音がしたので振り向くと、扉の向こうから使用人の声が聞こえてきた。
『理璃お嬢様、旦那様が書斎でお待ちです』
現在の父親である和樹からの呼び出しに、理璃は一瞬考えこむも結論が出ないと判断して返事を扉に投げかけるように言い放った。
「わかりました。支度は自分で致しますので」
素早く寝間着から来客が来てもいいようなフォーマルな服装に着替える(この辺の礼儀作法は、元々軍人家系で育ったために自分で出来ることはしていたため)と、理璃は書斎に赴いた。書斎には和樹以外に克人もいた。
尤も、克人はトレーニング用の恰好ではなく一応袖の付いたシャツを着ているのだが、筋骨隆々な克人が着ると体に張り付いてしまうような状態になっていた(本人曰くお気に入りのもので偶に着ている)。
「失礼いたします、お父様。お兄様もいらっしゃったのですか」
「ああ」
理璃は二人に挨拶をして克人に声を掛けると、彼は短く答えを返して軽く頷いた。それを聞き終えたところで和樹が理璃に言葉を掛けた。
「すまないな、勉強中だっただろうに呼びだしてしまって」
「いえ、丁度息抜き中でしたので。それで、如何様の要件でしょうか?」
「―――昨今の反魔法師主義の論調は二人も知っていると思われるが、その片方にどうやら七草家もとい七草弘一殿が関わっていると思われる」
その内容は理璃だけでなく克人も少なからず驚きを隠せずにいた。それでも克人のほうがまだ驚かなかったのは一時期十文字家の代表代行をしていた影響もあるのだろう。理璃は、机にバンっと両手を叩きつけつつ和樹に詰め寄った。
「本当なのですか!? あの家は私の同級生である香澄ちゃんと泉美ちゃんが在籍しているのですよ!! とても正気の沙汰ではありません!!」
「……本当のことだ。理璃、少し落ち着いてくれ」
「でも……すみませんでした」
和樹の言い放った事実に疑問を投げかけるも、十文字家の人間として相応しくない振る舞いだと自分の中で反省した上で謝罪の言葉を口にした。これには和樹が苦笑を浮かべてしまった。
「カッとなるところとすぐに自分の態度を省みて謝る癖は母親譲りだな……話を戻すが、七草家の現当主はそれが利益となると睨んでのもののようだ。この場合、七草殿の娘たちも被害者の立場となる」
「だからといって、そう易々と巻き込んでいいものではない筈……父上。俺を呼んだのは七草を通して七草殿に真意を確認してほしいということか?」
克人は今までの経験を踏まえてそう問いかけた。克人と真由美は同学年であり、同じ第一高校の出身でもある上にかなりの面識がある。それを踏まえての問いかけに、和樹は首を縦に振った。
だが、話し始めた直後位に届いたメールを読んだところで和樹は述べようとした内容を変更した。
「ああ。だが、いくら七草殿とはいえ手の内の全てを明かすとは限らない―――待て。どうやら、臨時師族会議を2日後に開くとのことだ。恐らく、先程述べた七草家のことに関してだろう。発起人は……三矢殿と四葉殿とのことらしい」
「三矢と四葉が……?」
「三矢夫人の父はかの英雄こと上泉殿だ。彼は四葉の先々代当主と親友関係であり、現当主の四葉殿も娘のように可愛がっていたと聞いている。その縁で両家が知り合っていてもおかしくはない」
四葉の怖さは理璃も聞き及んでいたが、滅多に他の師族と歩調を合わせなかった筈の四葉が三矢と歩調を合わせる形で今回の臨時師族会議の発起人となったことに疑問を呈していた。それを察した和樹が三矢と四葉の繋がりをなるべく簡潔に説明した。そこまで説明したところで和樹は克人に視線を向けた。
「克人、先程の件は臨時師族会議で私のほうから聞き出してみよう。もし、真由美嬢から相談されたときはお前の判断に任せることとする」
「分かりました。七草殿の真意を探るのは父上にお任せします」
「理璃のほうは、そうだな……最近、学校で何か気になったことでもあるか?」
「実は、七宝家の長男が―――」
理璃は和樹に琢磨が交戦的な態度を取っていることに加え、新入部員勧誘週間中に香澄とトラブルを起こして私闘になりかけた一件を口にした。これを聞いた和樹は手で顎を支える様な仕草をしつつ考え込んだのち、その姿勢を解いた上で理璃に尋ねた。
「七宝殿は堅実なお方だ。その長男が七宝殿と正反対の動きをしているか……(本来ならば七宝殿が咎めなければならないが、思春期故の反抗期なのかもしれないな。もしくは自己顕示の為か……)理璃、彼が今のところ目の敵にしているのは七草家の人間だけか?」
「それなのですが、達也先輩に話を聞いたところ、深雪先輩や神楽坂先輩も睨まれたようで……私も何故か睨まれてしまいました」
「そうか。それにしても、司波と神楽坂か……」
理璃がそのことを知っているのは単純で、生徒会役員の仕事を覚える一環で深雪と行動することが多いのだが、時折琢磨から睨まれるような視線を感じたのだ。だが、理璃が視線を向けると琢磨はそそくさと去っていくのが確認できた。思春期特有のものかと思ったのだが、達也に何か心当たりはないかと尋ねた結果、理璃が述べた内容が返ってきたという形だ。
彼女の言葉を聞き、考え込んだのは克人であった。その二人―――特に神楽坂は元十師族の人間である前に昨年度の新入生総代なので睨まれる理由も察しはつく。だが、深雪には関しては克人も量りかねていた。以前達也に「お前は十師族なのか?」と尋ねて直ぐに否定されたので、克人は深雪も含めて必要以上の詮索をしなかった。
「……確か、司波深雪くんと言ったか。彼女は確か昨年度の新入生次席だった筈。九校戦の輝かしい成績も含めれば、七宝くんが同じ立場であった彼女を羨んでも不思議ではないが……克人はどう思う?」
「司波妹に関しては、司波共々並の魔法師の実力ではないと認識しています。七草に加えて司波と神楽坂が本選ミラージ・バットの出場に推薦したほどと言えば、察するに余りあるかと」
尤も、実力以上に飛行魔法の披露で会場全体の話題を掻っ攫っていた訳だが。そのことは一先ず置いておくとして、深雪の魔法師としての実力を考えるならば、十師族の直系クラスに相当するのは間違いないと克人はみている。
口に出さなかったが、昨年春の「ブランシュ」制圧作戦において最前線に立っていたことを考慮するならば、彼女は間違いなく対人戦闘経験がある人間だと察しはついていた。そのことを七宝家が把握しているとは考えづらいが、一応頭の片隅に置いておく必要はあると克人は感じた。
「ともあれ、理璃は暫く七宝くんと距離を置くようにした方がいいだろう。いくら彼でも無闇に喧嘩を売る真似はしないと思われるが……態々危険に身を晒す必要はない」
「分かりました、お父様。香澄ちゃんと泉美ちゃんにもお伝えすべきでしょうか?」
「一応はそれとなく伝えてほしい」
理璃と泉美が同じ生徒会役員であることは和樹も理璃から聞いていたため、その接点で伝えれば特にトラブルは起きないと踏んだ(なお、1学年のクラスは理璃と水波がA組、琢磨がB組、泉美がC組、香澄がD組)。
和樹としても「七」の数字を持つ家同士の諍いに介入するのは避けたいと考えていた。その最大の理由は十文字家からすれば同じ数字を冠する十山家(国防軍では遠山家と名乗っている)との関係もあったからだ。
「それは、七草と七宝の諍いに介入しないようにするためでしょうか?」
「ああ、その通りだ。七草殿も七宝殿もお互いに刃を向けるつもりはないだろう。少なくとも子どもの喧嘩レベルだと現段階では捉えているかもしれない」
あの家が国防軍としての力を使って三矢家に我が物顔をしていたことは知っていた。だが、8年前あたりを境として急速に力を伸ばし始めていた三矢家は独自に国防軍との繋がりを得た。その原因が現当主の三男にあると見た十山家は国防軍を動かして誘拐(十山家の言い分では「教育」であった)を目論んだ。
「父上。彼らの実力は少なからず聞き及んでいますが、魔法を使えば喧嘩というレベルを超えてしまいます」
「無論分かっている。だが、あの学校には神楽坂殿がいる。十山家の件で多大な迷惑を掛けている以上、彼を通じて上泉殿や三矢殿を刺激するような真似は避けたい……わかるな、克人」
その動きを事前に掴んでいたが、七草家から三矢家への連絡を差し止めるように圧力を掛けられた。だが、その時代表代行をしていた克人はせめてもの抵抗ということで影響力のある警察省を通じて千葉家の長男に“心ある者の情報提供”という形でリークしていた。
十山家の襲撃は三矢家の三男こと悠元の母方の実家である上泉家も掴んでおり、千刃流のみならず第101旅団・独立魔装大隊の大半のメンバーを呼んで武術教練という形で呼び寄せ……結果として、150名にも及ぶ襲撃部隊は難なく撃退されたのだ。
その代償は十山家のみならず、見過ごした七草家と十文字家にも及んだ。ただ、結果的に四葉の力が強まったことは七草家からすれば面白くないように見られたが、十文字家からすれば四葉家が正式に監視体制を担ってくれれば、十文字家は関東・伊豆半島方面に集中できるというメリットがあったのですんなり受け入れた経緯がある。
つまるところ、克人のリークのお陰で十文字家としては大した損害を受けていない形だ。ただ……昨年の防衛大学校のデモンストレーション戦闘で十山家が介入して悠元を引っ張り出したことで十文字家も少なくないペナルティを支払っている。
「お父様、そのことは亡くなった父から少しばかり聞いていましたが、本当の事なのですね?」
「……ああ。十山家の言い分では『三矢家三男の教育』と言っていたが……彼らの予測では動かないとみていた上泉殿が積極的に動いた時点で負けが確定したようなものだ」
状況だけ見れば、師補十八家の十山家が十師族の三矢家に対して干渉し、彼らの力を削ごうとした形だ。悠元が三矢家から離れたことでその目的は達せられる形となったが、悠元が神楽坂家の次期当主となったことで十師族における三矢家の立場は高まり、十山家の地位と評判は師補十八家の中でも最底辺にまで落ちていた。
このことに関して、同じ「十」の文字を冠する十文字家は『十山家に関する事項に今後は関わらない』という上泉家との約定を受けて、一切手を差し伸べるつもりなどなかった。
「理璃にも話しておくが、神楽坂家は我ら十師族の更に上の立場―――上泉家と並んで『
「護人……皇族の守護を担う一族だと伯父に伺いましたが」
「実際はその通りだ。我ら十文字家も首都防衛を睨んでの魔法技能を有しているが、彼らは更に上の実力を有している。くれぐれも彼を怒らせるようなことは慎んでくれ」
「心得ました、お父様」
和樹は克人から悠元が『ファランクス』を破ったことを知っている。ならばこそ、彼と対峙すること自体意味を成さなくなると考え、理璃に警告を含んだ忠告を述べたのだった。
今回は十文字家側の視点です。原作だと和樹の描写がかなり限定されるため、想像もふくめてのものとなります(続編で出てくるようならばオリジナル設定ということになりますのでご了承ください)。
理璃は名字を変える前でも十文字家の傍系なので、ある程度の情報は聞き及んでいる形です。勿論軍事機密に関わる部分は知りえていません。
高校生にもなって子どもの喧嘩に親が出しゃばるのはどうかとも思いましたが、魔法とか家柄が絡むとややこしい問題なんですよね、これが。