旧奈良県・生駒にある九島家の本屋敷。その一室で情報端末を見ている一人の少年がいた。
彼の名前は
(最近、お祖父様の様子がおかしい……いや、その前からも兆候はあった)
自身の事で烈が憐れんだり思い悩む様子をしていたのは、烈自身が言葉に出さなくとも薄々は感じ取っていた。この部屋へ頻繁に見舞いに来るのは彼以外に従姉である響子ぐらいだ。それと、見舞いにはこれなくとも端末で会話することの多い人物がいた。
(でも、彼に迷惑は掛けられない……ただでさえ、お祖父様の件で心証を悪くしているだけに)
その人物の名は神楽坂悠元。小学生中学年頃まで光宣以上に病弱の状態だったが、そこを境として健常者と変わらぬ身体を手に入れ、魔法においても現代魔法と古式魔法の複合術式という世界で類を見ない技術を持つ少年。
彼が『長野佑都』と名乗っていた時の出会いは、光宣もハッキリと覚えていた。同年代でありながらも自分以上の魔法力を備えていて、まともに学校にも通えていなかった光宣にとっては数少ない友人となった。
その後はお互いにプライベートナンバーとアドレスを交換し、度々連絡を取り合う仲になっていた。そのお陰からか、光宣自身寂しいという気持ちは抱かなかった。
だが、彼が十師族という鎖を引き千切りかねない実力―――実戦経験のある一条家の『クリムゾン・プリンス』を難なく破った実績は、光宣ですら驚愕させた。その後、彼が三矢家ではなく護人・神楽坂家の人間になったことを烈から聞かされた。
烈は「あの実力を野放しに出来ないのは理解できているつもりだ。だが、それなら一言ぐらい言ってくれれば違うだろうに」と、光宣の前で漏らした。光宣の推察では、烈は悠元を何らかの形で師族二十八家に留め置こうとしたのだろう。
それに対して光宣はハッキリと告げた。
―――お祖父様、彼は最強たる力を示したのです。九島家のために彼を留め置こうなどとは考えてはいけません。
悠元の魔法技術の根幹には上泉家に伝わる魔法技術も含まれている。その彼を留め置こうとするならば、三矢家の反発や懸念は尤もであると考えた。そして、かつて病弱だった悠元が健常者と変わらない状態へと変化した秘密。それが光宣自身の改善に繋がる可能性があったとしても、彼を下手に十師族の枠組みに圧し止める様な事をすれば……それで被害を受けるのは他の師族である。
それはさておくとしても、2月に東京から帰ってきた烈の見舞いに来る回数は減っていた。その時期に東京方面で起きたことは『吸血鬼事件』と騒がれたことぐらいしか知らない。とはいえ、光宣が相談できる相手も限られている……悩んだ末に、光宣は彼に相談することを決めた。
◇ ◇ ◇
西暦2096年6月25日、月曜日。
普通の学生ならば学校に通っていてもおかしくはない日の夜、ライディングスーツに身を包んで木の上から双眼鏡を覗き込むのは……神楽坂悠元その人であった。そして、彼だけでなく、同じような装備に身を包んだ若い男性―――神楽坂家の筆頭主家である
「若様。どうですか?」
「―――いますね。あれが“P兵器”……いえ、名付けるなら『パラサイドール』といったところでしょうか」
悠元が双眼鏡を覗き込んでいる先にあるのは旧魔法師開発第九研究所―――現在は『第九種魔法開発研究所』と名を変えた
特殊な魔法加工を施した双眼鏡で『
双眼鏡を覗き終えたところで、悠元は一息吐いた。安全を考慮して研究所から数キロメートル離れているとはいえ、『
「しかし、佑作さんが態々手伝ってくれるとは思いもしませんでした」
「正月のことは私も良く言い聞かせるべきでしたから。次期当主様の手伝いは奥様のご指示にもありますので」
正月のお披露目の際、佑作の長男もあの中に含まれていた。尤も、宮本家や高槻家の男子のように(修司は無論除くが)高圧的な態度というよりはやむなくといった感じで加わっていて、それを気付かずにまとめて吹き飛ばしてしまった。
ただ、佑作としては『星見』を司る一族として、謙虚に務めるべきという良い経験になったと述べた上で悠元に謝罪した経緯がある。
「それで、いかがいたしますか?」
「……当分は生駒の周辺に人を置くぐらいでいいでしょう。九島家の屋敷や研究所からは距離を置くべきかと。あと、大陸系の術式を見破れる人間が望ましいかと」
「畏まりました」
悠元がこの場所を訪れたのは『パラサイドール』の進捗を見るための偵察であった。その気になれば東京から俯瞰することも可能だが、古式魔法を取り入れている『九』の人間相手にどこまで通用するか分からなかった以上、こちらの手の内を明かす気にもならなかった。佑作がその場から姿を消したのを確認すると、悠元は『
◇ ◇ ◇
6月最後の週。定期試験を間近に控えた放課後、悠元は燈也と一緒に学校裏の演習林を走っていた。ここの演習林は魔法の訓練のみならず、軍人や警察官、レスキュー隊員といった肉体的労働が伴う職業への進路を希望する生徒のニーズに応えるための施設だ。計算された起伏や木々の密度、池や砂地、水路や走路だけでなく様々な器具や機械まで設置されており、前世で言うところの肉体の限界に挑戦するような番組企画レベルとまではいかないものの、それなりに充実している。
悠元は新陰流剣武術での鍛錬、燈也は富士山をランニング感覚で走ってしまう規格外の体力で汗一つ掻くことなく、まるでジョギングでもしているかのように走っていた。
「スティープルチェース・クロスカントリーの話は聞きましたが、運営委員会の正気を疑いますよ。とても九校戦の競技じゃありませんから」
「そうだよな。魅せるための競技というよりも軍人魔法師ですらやるかどうかを躊躇うレベルのものだからな」
スティープルチェース・クロスカントリーは各国の陸軍で山岳・森林訓練に用いられる軍事訓練の一つ。物理的な自然物や人工物による障碍物だけでなく、自動銃座や魔法による妨害も含まれている。流石に競技として採用した以上、高校生レベルで実弾を使うような真似はしないと信じたいが、『パラサイドール』のことを考えると気が重くなるというものだ。
「今年の運営委員会は国防軍が横槍を入れたらしい」
「……いくら横浜のことがあるとはいえ、今年の春のことを忘れたのでしょうか?」
「どうしても戦いたい連中というのは一定数いるんだよ」
国防軍の対大亜連合強硬派の言い分は、完全なる平和を求めるために大亜連合との戦争を終結させる、というもの。だが、そうして下手に力を見せたところで、それが自国に向けられることを恐れる輩が出てこないとも限らない。達也の力を恐れたイーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフやエドワード・クラーク、日本が力を伸ばすことを危惧したウィリアム・マクロードがその一例だ。
強硬派としては『灼熱と極光のハロウィン』で用いられた戦略級魔法を頼みとするに違いないだろうが、軍上層部はおろか政府だけでなく護人も首を縦には振らないだろう。
「仮に大亜連合と終戦に持ち込んだとして、その彼らがこの国の魔法技術を狙って再侵攻するという可能性だってある以上、下手に終戦へ持ち込めない。それに新ソ連のこともある」
「成程……それは無視できませんね」
燈也は過去に佐渡侵攻を目論んだ新ソ連の兵士を殺したことがある。本人はあくまでも観光のために訪れていたわけだが、まさか戦闘に巻き込まれるとは想定外だったのだろう。自分も沖縄防衛戦に参加していた側の人間だが、もし原作知識が無ければ燈也と同じ気持ちを抱いていたかもしれない。
会話をしながら入り組んだ森林を駆け抜けていく二人。これはスティープルチェース・クロスカントリー対策の一環で超高速での移動状態を維持したまま森林の道無き道を走破する訓練。やっていることが軍人というよりも忍びに近い感覚を抱いたのは言うまでもない。
二人がスタート地点に設定された場所に戻ってくると、そこには山岳部の大半の生徒が死屍累々……というのは言い過ぎだろうが、大半の男子生徒が地面に横たわっていた。すると、一人の女子部員もとい水波がタオルを持って駆け寄ってきた。
「悠元兄様に燈也さん、お疲れ様です」
「ああ、ありがとう水波」
「すみません」
そこまで汗は掻いていないが、二人はタオルを受け取って僅かに出ていた汗をぬぐった。すると、数少ない平気な人間の一人であるレオが話しかけてきた。
「よっ、二人とも。もう10キロも走ってきたのか?」
「魔法を使いつつの高速移動を維持した状態で森林走破だからな……気付いたら200キロを走破してた」
「それに気付いて慌てて戻ってきた次第ですけど……彼らの体力が尽きてません?」
レオと地面に横たわっている1・2年生の男子部員、木陰で休んでいる女子部員に加えて水波は通常のトレーニングメニューをこなしていた。そもそもの話、四葉のガーディアンである水波や肉体的なスペックに加えて一科生となったレオとそれ以外の面々の実力差が開いているのは言うまでもない。一科生になっても変わらない態度のレオに山岳部の部員も「まあ、レオだからな」という理由で納得していたようだ。
燈也が憐れむような視線で見たところに、野外演習服姿の達也が姿を見せた。
「おや、達也か。また例の早退でここに来たのか?」
「ああ。悠元がここにいるのは珍しい気もするが」
「まあ、何と言うか……うちの姉貴絡みだよ」
達也の事務処理能力は生徒会でも持て余し気味の有様である。ただ、達也に任せっきりではいざという時の対応や後進の生徒会役員が仕事を覚えないだろう、という危惧があずさや五十里の中にあった。現に風紀委員会では事務仕事の半分以上を幹比古が担っていることから察してほしい……この辺は花音の気質にも問題はあるだろうが。
そこで、達也が担う仕事をある程度限定させ、“早退推奨”を薦めたことで達也はかなりの空き時間が出来ることになった。泉美は最初不満げだったが、自分がその辺の事情を説明すると納得してくれた。理璃に関しては克人から聞いていた話で納得しており、セリアに関しては言わずもがなであった。
悠元の場合、軽運動部の活動もしてはいるが、あくまでも深雪に新陰流剣武術を教える関係でのこと。それ以外の時間は他のクラブに足を運ぶことがある。この辺は部活連の執行委員として活動しているかの確認も兼ねたものだが。
特に山岳部の場合は美嘉が頻繁に出入りしていたこともあり、勝手に“名誉部員”扱いとなっていた。達也の場合は、彼らのCAD調整も行っているのもあってか同じく名誉部員扱いとなっている。
すると、林の奥から山岳部の部長である
「神楽坂に六塚は戻ってきたか。それと、司波も来ていたのか」
「お世話になります、
「おう、ゆっくりしていけ。ついでに連中をしごいてやってくれや」
県の言葉にピクリと反応する者は多数だが、立ち上がって逃げ出すことのできる者はいなかった。何せ、達也が来る前に悠元と燈也によるしごきでかなり体力を持ってかれたためだ。
「……見たところ、悠元と燈也がしごいたようですが」
「なに、見た感じ準備運動程度だと判断した。林間走10キロ程度でへばるなんてだらしがないぞ! 西城を見てみろ、お前らと同じだけ走り込んでピンピンしてるんだぞ!」
「……部長、レオと一緒にせんでください」
県の言葉に対して反論したのは2年生の部員だが、確かにそのとおりである、と軽く頷いた。それでも、へばり続けるわけにはいかずと2年生の男子は起き上がったが、1年生はへばったままであった。そこで県は水波を呼ぶと、水波は近くにあった
「わーお……そこそこ派手にやるな」
「そこそこって……悠元も経験があるのですか?」
「新陰流剣武術でも似たようなことがあってな。あっちの場合は過冷却した水を容赦なく掛けられる……まあ、俺は何とか逃れられたけど」
しかも、薬缶ではなくバケツレベルの放水を受けるのだ。冷たいを通り越して痛いレベルの水だということは想像に難くなく、一歩間違えれば凍傷すら負いかねない。上泉家はそのケアも簡単に出来るため、特に問題になることはなかった。自分の場合は何とかその被害を避けることに成功したわけだが。
別に真似をしろなんて言うつもりはないし、掛けている熱湯は精々45度前後ぐらいのものだ。水を掛けないのは、その心地よさで寝てしまう人間がいたかららしい。レオと達也がトレーニングに向かった後、再び走っていく部員を見届ける悠元に対し、燈也が尋ねた。
「にしても、桜井さんが山岳部に入るとは意外でしたね」
「それはそう思う」
悠元や達也とは異なり、水波は山岳部の正式な部員だ。料理部も掛け持ちしており、その理由の半分は自分の主人である深雪と帰りの時間を合わせるためだ。残り半分の理由は、自分を鍛えたいというものと……その目標として悠元の存在があった。
「俺を目標にしてるっぽいが……水波にあのスパルタの地獄を味わわせるのは流石に躊躇うわ」
ガーディアンともなれば実際に人を殺す訓練もやっているだろうが、あれはもう人の生死に対する耐性というよりもほぼゼロの殺気と不条理な暴力の嵐に対してどう立ち向かうかの代物だ。なので、自分と同じ訓練は流石に課せないと判断した。
余談だが、以前穂波に施した時と同じように、深雪に協力してもらう形で水波に『
その副作用と言うべきかどうかは疑問だが、水波のスタイルが深雪に若干劣るぐらいのレベルにまで成長していたのだ。恐らく、想子体や精神を強化したバランスを取るための肉体改変による調整が働いたわけだが、これには深雪からジト目を向けられる羽目となった。
深雪の機嫌を直すために色々せがまれてしまったのは言うまでもない。具体的な内容はと言うと、一緒に風呂に入ることとなったり、一緒に寝ることぐらい……最近司波家でやってることとあまり変わりない気はするが、そこに何も身に着けていない状態が加わればどうなるかは察してほしい。それでも、最後の一線だけは抑えてもらうように何とか説得した。
原作でも気付いていた可能性はあるかもしれませんが、主人公という存在の影響を少なからず受けています。上には上がいるということを知っているのと、主人公の常識外れた実力をかなり理解しています。
常識外れの移動手段を持っているからこその偵察。ただ、露見するリスクもあるためにあまり多用はしません。
主人公も大概だが、燈也の驚異的なバイタリティーの一端。