「騒ぎにはなりませんでしたが、一体何事かと思いましたよ」
「返す言葉もないです……」
真由美が試着室で声にならない叫びを上げているとき、丁度着替えを終えた深雪(試着を終えて、悠元が出ようとしているときには着替え始めていたため)が悠元に加えて香澄と泉美と遭遇し、試着室にいる人物の存在とそのフロアが水着売り場だったことから察した形だ。
ともあれ、何かしらの迷惑を掛けた形ではあるので、お互い喫茶店に入ろうと話の流れで決まったのだった。
「もとはといえば、私がハッキリとお断りしなかったのが悪かったのですから、先輩は悪くありませんよ」
「ううん、それを言ったら私も同じよ。別に、裸を見られたわけでもないのに動揺したのは、私のほうだし。その、悠君、ごめんなさいね」
真由美は必死に取り繕う姿勢を見せていたが、先程悠元に水着姿を見られたことの動揺がまだ残っているのであろう。この話を続けても鼬ごっこになると判断してなのか、泉美が機転を利かせて二人に尋ねた。
「そういえば、お二人はこの後どうされるんですか?」
「もう少しお洋服を見たら帰るつもりよ。……よければ、泉美ちゃんもご一緒しますか?」
「えっと……お気持ちは嬉しいのですが、この場はお断りいたします」
まさか深雪から意外な提案が飛んできたことに驚く泉美だが、二人の事情を知っているからこそ、恋人でもない自分が割って入るのは淑女として空気が読めていないと判断し、丁重に断った。これには香澄が驚くような表情を浮かべていた。
「泉美、何か悪いものでも食べた? それとも、熱でもあるの?」
「どういう意味ですか、香澄ちゃん」
「いや、あれだけ悠元兄にベッタリしたがる泉美らしからぬ台詞だと思ったから」
「香澄ちゃん。どう見てもお二人はデート中なんですから、お邪魔するのは礼を失することになりますよ」
今まで悠元を見かけると抱き着いてきた泉美ではあったが、流石に人目の付きやすい場所では積極的なスキンシップを極力避けている。それに、泉美の目の前にいる二人の邪魔はしたくないと思っている。双方共に泉美からすれば尊敬の念を抱いている人物なだけに。
泉美の言葉に香澄は納得したような表情を向けていたが、一方で顔を赤らめている真由美の姿があった。これだけ見ていると、七草家の教育方針(弘一の溺愛具合)がハッキリと見て取れるであろう。
「デ、デデ、デートって……」
「まあ、第三者から見ればそうなりますね」
「……悠君、いつ深雪さんに告白したの?」
「九校戦最終日の夜、祝賀会の時ですね。あの時は先輩から追及されましたが……その時点で家を出る算段が付いていたからこそ、躊躇うことなく告白しました」
あの時点ではまだ十師族の人間であった。だが、家督や家業は継がないと元に宣言していた。加えて、元からは恋愛に関して口煩く言わない、と諭してもらったお陰もある。それに、元治と穂波の結婚によって家督継承の路線が固まったこともあり、変に家格を求める必要がなくなった。
深雪の場合は四葉の名を秘匿しているため、魔法的な実績は無名に等しい家格である司波家の人間。三矢の気質からしても、優秀な人間との婚姻は問題ないと判断した形だ。
「お姉ちゃん……」
「お姉さま……」
「二人して何なの、その表情は? まるで私が“泥棒猫”みたいに見られているような気がするのだけれど?」
「いや、お姉ちゃん。実際にその通りだと思うけれど」
「うぐ……」
九校戦の時はいつも以上に真由美からスキンシップを受けており、深雪と一緒に寝ることになった回数は精々片手で収まるぐらいだったが、司波家でも一緒に寝ることになったのは九校戦が大きな要因の一つであろう、と思っている。
悠元の言葉を聞いた香澄と泉美は揃ってジト目を真由美に向け、真由美が思ったことを口にすると、そこから帰ってきた香澄の正論に真由美は言葉を詰まらせた。どうやら、ここにはいない誰かから同じような台詞を言われたのだろう。
「ゴメン、悠元兄。節操のない姉と妹が迷惑を掛けて」
「いや、香澄が謝る必要はないと思うんだが?」
「そうですよ。香澄ちゃん、私はこれでもお姉さまより節操は持ち合わせております」
「ちょっと、二人とも!?」
常識的な対応を取っている香澄と真由美よりは節操を持ち合わせていると自負する泉美、そして二人の言葉に顔を赤らめて狼狽えている真由美。これを見ていると、三人が三つ子の姉妹だと言われても納得できそうな気がした。
とはいえ、これ以上三人の邪魔をするのも良くないと判断し、近くに置いてあった伝票を手に取って立ち上がり、深雪も悠元に続く形で立ち上がった。
「さて、お支払いは済ませておくので、ここで失礼します」
「え? いや、支払いなら……」
「ご迷惑をお掛けしたお詫びだと思って受け取ってください」
ちなみに、この会話に混ざろうとせず微笑ましそうな表情を浮かべていた深雪はというと、二人きりになったところで悠元の腕にしがみつくような形で抱き着いていた。
「もう、悠元さんは罪作りなお人ですね。先輩にまで好意を持たれているとか」
「意図してやったつもりは微塵もないんだがな……とりわけ先輩に関しては」
泉美に声を掛けたのは泉美の好意に気付いてのものだということであり、泉美が断ることも想定した上での問いかけだったようで、分かってやっているあたりは悪女のような感じを覚えずにはいられなかった。
「人付き合いだって、魔法のことは基本的に抜きで話してるだけなんだがな……どうしたんだ、深雪?」
「ふふっ……そうやって色眼鏡で見ないからこそ、私も惚れたんですよ」
「……さいですか」
これ以上会話を広げると周囲に対して惚気を振りまくのが分かっているからこそ、悠元は短く答えるだけに止めた。そして、悠元の反応を悟っているからこそ、深雪は悠元の腕に抱き着く力を少し強めるのであった。
◇ ◇ ◇
新競技であるロアー・アンド・ガンナーとシールド・ダウンについては、選手が慣れてきたのもあってか、練習試合も大分こなせてきた印象が強い(印象というのは、悠元自身の練習もあって、全ての競技のコーチングが出来ていないからである)。
ただ、スティープルチェース・クロスカントリーについては事前情報だけだとどんなトラップが用意されているか分からないが、少なくとも『パラサイドール』関連だけが分かる有様。しかも、そのトラップを他の選手には到底言えないため、秘匿するほかないのが現状である。
7月21日、土曜日。今日も選手たちが練習に勤しむ中に達也と深雪、そして水波はいなかった。彼らは八雲と一緒に奈良へと向かっているのだが、その目的はおろか行き先も教えられない始末。
なので、今日は珍しく司波家に一人留守番となる形だが……この状況は悠元にとってありがたかったのは言うまでもない。
「悠元、今日は珍しくシールド・ダウンの練習相手なのね」
「エリカか。何、練習のローテーションはほぼ固まっているからな。それに、深雪は休みだから」
悠元が司波家に居候している事実は未だに明かされておらず、表向きは達也や深雪と同じ方面から通っているとだけしか説明していない。この事実を知っている人間はかなり限定されており、四葉家や三矢家の関係者を除くと雫ぐらいしかいない。
七草家の現当主は把握していると推測されるが、今の悠元は既に十師族の人間でないため、このことから三矢と四葉の共闘を追及することはほぼ出来なくなっている。加えて、昨年正月の一件の事からして上泉家と神楽坂家の逆鱗に触れるような行動は慎むだろう。
「達也君たちは裏で何かやってそうな気がするけどね。悠元は知ってるの?」
「さあ? いくら俺でも達也らの行動を全て把握しているわけじゃないからな」
今頃はリニア列車で奈良に向かっている最中だろう(この辺りのことは八雲から連絡を受けている)が、その目的を明るみにすることも出来ない。とりわけパラサイト絡みとなればエリカらも関わったことからしてすぐに気付くだろうが、その時はその時と考えることしかできないだろう。
千姫からは達也らへの情報提供も含めて“黒羽”を動かしたと連絡を受けており、どう転んでも一定の成果を上げられるのは間違いないだろうと踏んだ。
「レオは大分慣れてきたな」
「悠元のお陰というのが大きいけどな。俺一人だと苦戦していただろうし」
「そのレオの防御を軽々抜いていく悠元が規格外すぎるんだが……」
「こればかりは自分の魔法だからこそという他ないけどな」
男子アイス・ピラーズ・ブレイクのペア練習も順調に進んでおり、防御面ではレオの魔法精度もかなり向上していた。今はペア同士の練習ということで男女ペアで模擬戦を繰り返している形だ。
偶に悠元と深雪がペアを組んで模擬戦の相手をしたりするが、雫から「二人が組んだら反則どころか論外」とまで言われてしまった。解せぬ。
「悠元君、もう一戦頼めるかい?」
「いいですよ、沢木先輩」
「……悠元に触発されたのか分からないけど、沢木先輩の動きがバグりだしてるのは私の気のせい?」
「由夢ちゃん……それは言わない方がいいかと」
実は、悠元がちょっとした実験も兼ねて改良型の自己加速術式を沢木に提供したところ、その術式が思いのほか馴染んだらしく、今では呼吸をするのと同じぐらいのレベルで使いこなしている。
その証拠に、ソロ練習ということで始まった沢木と悠元が戦っているリングは……まるで無人のようにも見えてしまうほどであった。それを見た由夢の台詞に対し、美月は苦笑を滲ませつつも由夢を窘めた。
「悠元の非常識さは今に始まった事じゃないけれど、本当に驚きしか出てこないね。ローゼン・マギクラフトの日本支社長にスカウトされたのも分かる気がするよ」
「……そうね。いち民間企業に悠元が制御できるか疑わしいけれど」
幹比古の台詞を認めつつも、エリカはそう零したが……本心で言えば、悠元をローゼン・マギクラフトが制御できるはずなどないだろう、と考えている。何せ、世界最強の魔法師を自称するスターズの総隊長ことアンジー・シリウスに勝ったことのある魔法師なのだ。
寧ろ、返す刃の如く大きな損害を出してしまうのでは……と思ってしまうあたり、エリカも大分幼馴染に毒されていると思ってしまったのは言うに及ばず。
「多分……いや、絶対に無理だね」
「雫……言い切ってしまうんですね」
「ほのか共々、散々経験してるから」
中学時代の2年間を同じクラスで過ごしてきた雫からすれば、誰かの下で働くというイメージが湧いてこない……そんな意味を込めた台詞を聞いた一同からは冷や汗が流れていた。
◇ ◇ ◇
居候とはいえ、司波家の鍵を渡されている(深雪から押し付けられる形であり、達也に確認したら「諦めてくれ」と返ってきた)悠元がリビングに入ると、テーブルにはメモ書きが置かれていた。筆跡からしてそのメモを書いたのが深雪だとすぐに理解した。
「気にしなくてもいい、とは言い含めたんだが……深雪からしたら、そうもいかないか」
調査とはいえ久々の遠出になるので、気合の入った弁当を作っていたのは横目で見ていた。すると、深雪から「悠元さんには帰ってきてから美味しいものを作りますから」と言われたが……彼女の機嫌を損ねる必要もないため、頷く以外の選択肢などなかった。
加えて、冷蔵庫には夕食分が入っているので、それを温めて食べてほしいと書かれていた。ともあれ、学校でシャワーを浴びてきたとはいえ、ただ汗を流すだけのものなので改めてシャワーを浴びてからリビングに戻ってきたところで丁度ヴィジホンの着信が鳴ったので、悠元がパネルを操作するとモニターに表示されたのは八雲であった。
『やあ、悠元君。いや、この場合は“若殿”と呼ぶべきかな?』
「普段通りで構いませんよ、九重先生。にしても、達也らとは別行動ですか?」
『そうなるね。特に僕の顔は「九」の家に覚えられてしまっているからね』
先代の九重であった人物の有名税もあるだろうが、八雲自身の魔法師界における知名度も大きいだろう。何せかの『
「となると、九重先生は『本山』を尋ねられたのですね」
『いやはや、悠元君には筒抜けだね。この辺の情報は秘術にも触れるから、戻ってきたら教えてあげるよ』
「……そのついでに達也への試しのテストは止めてください」
言ったところでそれが叶うかどうかは不明だが、ため息交じりに呟いた悠元の言葉に対して、八雲は意味ありげな笑みを浮かべていた。次はどうせ全方向からの幻術でもやってくる……というのは口に出さなかったが。すると、八雲が悠元に問いかけてきた。
『悠元君としては、パラサイドールをどう見ているのかな?』
「……『ピクシー』とは異なり、パラサイドール自体に明確な忠誠が存在しない以上、仕込まれた術式自体が“絶対”に解けない保障がありませんので。幸い、スティープルチェースのコースはモノリス・コード以上の機密性を持ってしまっているので、それに託けて片を付けるつもりです」
『……君の持つ「アリス」のことも考えれば、できなくはないかもね』
『アリス』―――
「これ以上は無秩序に増やすつもりなんてありませんよ。『アリス』のことも偶然の産物でしかありませんし……一応は封印を前提に動きますが、回収はお任せしても宜しいですか?」
『構わないよ。僕も九校戦へ行くことになるからね』
パラサイドールの再封印を施すのは既定路線だが、それを引っ張ってゴールしたら面倒事が増えかねない。なので回収自体は八雲に任せたいという旨を伝えると、八雲も九校戦に出向くということからして、今回の一件はある程度聞き及んでいるのだろうと推測した。
『にしても、残念だったね悠元君。惜しむらくは二人とも悠元君に惚れていて、深雪君は君の直弟子にして婚約者という点かな』
「……今ここで『
『おおっと、藪蛇だったね。それじゃ、この続きは後日ということで』
八雲の挑発に対して悠元が呟いた天神魔法―――火属性の最上級魔法である『
「分かっちゃいたが、深雪に惚れた弱みなんだろうな……少し早いけど、夕食にするか」
奈良にいる面々の手助けをしてやってもいいとは思うし、千姫からも特に止められてはいない。一応“保険”は掛けてあるし、もしもの時は彼らの
主人公が関わると周りにまで感染する論外の一例。
泉美は主人公と一緒にいたいという気持ちは持っていますが、入学式のこともあって慎み深さを一応覚えた形です。その一方、他人の恋愛事には首を突っ込みたがるのに結構初心な真由美。こんな二人のこともあって、ツッコミ気質を会得してしまった香澄の構図。