立場故の難しさ
周公瑾が横浜・中華街から去った。正確に言えば“逃げた”というのが一番妥当な表現である。彼がこの国に対して与えた影響は最早魔法師社会としても無視できるものではなかった。
―――西暦2096年9月23日、日曜日。
彼が根城にしていた中華飯店の最奥に悠元は足を踏み入れていた。流石に周公瑾も痕跡を残すのは拙いと考えたのか、顧傑と連絡を取っていたと思しきツールとしての死体は綺麗に無くなっていた。
「流石の周公瑾でも必要以上の痕跡は残していないか。ただ、黒羽以外にも出入りしていた痕跡が残っているな。これは……防諜第三課の人間か」
先日の黒羽による襲撃で粗方のデータ収集や家宅捜索は済んでいて特に残っているものはないわけだが、それ以外の勢力がここに立ち入った形跡を見つけた。『
七草家の影響力が強い部署が動いているとなれば、七草家現当主の指示があったのは間違いないだろう。尤も、彼に直接問いただしたところで防諜第三課が勝手に動いただけだとシラを切るのが目に見えているわけだが。
「あれほど『関わるな』と母上に言われても尚動くか……いや、これが“修正力”の一端なのだろうな」
本来の歴史ならば、ダブルセブン編の終盤で弘一が名倉を経由して周公瑾にメディア工作の協力を取り付けることで四葉家を除く反魔法主義のプロパガンダを抑えていた。それを金という経済の暴力で主要メディアを買収し、大陸系の政治献金問題も合わせることで反魔法主義の言論を一気に封じ込めた。これによって七草家だけでなく周公瑾のお株を悉く奪った形となった。
七草家と十文字家に春の恒星炉実験協力の名誉は与えているわけだが、実績は三矢家と四葉家が持っていく形となった。それで納得できないところは人間らしいとも言える。
「問題は……俺がどこまで動けるかによるな」
周公瑾を捕縛するだけならば然程問題ではない。問題なのは、周公瑾を匿っている連中が『
陰陽道系古式魔法の大家である神楽坂家は皇族の護りを第一の命題としており、この国の皇居が東京に移った際に神楽坂家もかつての本拠地を捨てて箱根に移った経緯がある。なので、他の古式魔法使いが神楽坂家の行動をどう見るかは様々であり、その行動を異端と見る家もあったりする。
かつての十師族・三矢家の名字を名乗っていた時ならばいざ知らず、今の自分は神楽坂家の次期当主兼当主代行。現代魔法を主体とする師族会議とは異なる独自のネットワークを有している古式魔法使いの間では、当然悠元だけでなく上泉家現当主となった元継の存在も把握しているだろう。
それこそ、八雲が関わるよりも遥かにヤバい事態―――『護人』と『伝統派』の全面戦争になる可能性も捨てきれない。
「別に好き好んで対立したいとは思わんが……正統派の古式魔法使いからしたら有難迷惑とも言える連中だからな」
だが、これはこれで却って四葉家と達也や深雪の関係性を隠すことにも繋がるメリットも存在する。九校戦で自分が黒羽の人間と親しげに話している場面は多くの人間が目の当たりにしており、昨年の九校戦で自分が十師族の人間だということも知られている。
文弥と亜夜子が四葉家所縁の人間ということで目立つデメリットはあるが、自分が古式魔法の家の人間となったことで、魔法使いとしては新参者扱いとなる司波家の二人が自分の知り合いか部下という認識を与えることが可能だろう。
◇ ◇ ◇
中華街での痕跡調査を終えて悠元が司波家に帰宅すると、見慣れない靴が二足あることに気付く。日曜日は出掛けることの多い達也が珍しく家にいるのは知っていたが、それを見計らうように来訪するとなれば、大方四葉絡みなのは間違いない。
すると、帰宅した悠元を出迎えるように早歩きで深雪が姿を見せた。
「おかえりなさいませ、悠元さん」
「ただいま、深雪。それで客人がいるようだが……」
「ええ。文弥君と亜夜子ちゃんのお二人です」
深雪の後に続く形でリビングに入ると、文弥と亜夜子が挨拶をしてきたのでこちらも挨拶を返した。二人と対面するのは今年に入ってから三度目である。
「久しぶりという感じでもないけれど……元気そうだね」
「はい、悠元さんもお元気そうで」
「そういえば、深雪お姉様が拗ねられたと聞いておりましたが」
「まあ、それは何とかなったよ」
亜夜子と悠元のやり取りを聞いて、思わず恥ずかしがるような仕草を見せる深雪。何だかんだ積極的な行動を取ることの多い深雪でも恥じらいを持っていることはさておき、悠元と深雪がソファーに座ったところで、亜夜子が悠元に一通の封筒を差し出した。
「……これは?」
「御当主様から悠元さんに、とのことで」
達也の手に持っているものとは別のもの。原作にはない流れなのはさておくとして、四葉家現当主が神楽坂家当主代行への手紙というのは達也や深雪も興味深そうに見ていた。封を綺麗に切って中身の便箋に素早く目を通すと、文弥と亜夜子のほうを見やった。
「周公瑾捕縛の依頼に達也が関わる場合、その手伝いのお願いか……」
「悠元さん、難しいのですか?」
「昨年の九校戦までの俺ならいざ知らず、今の俺はれっきとした古式魔法使いの人間だからな。それも陰陽道系の大家だ」
封筒の中にはもう一枚便箋が入っており、それは神楽坂家現当主もとい悠元の今の母親である千姫からの“言伝”にも近いようなものだった。四葉家のスポンサーとして協力するのは問題ないようで、京都や奈良にいる古式魔法使いにも話を通しておくと書かれていた。
原作とは異なり、『
「……九重先生には俺からも話をしておいた方がいいかな。それで達也、どうするんだ?」
「話を受けたいんだが、それで構わないか?」
達也としては、真夜からの依頼を受けることで文弥や亜夜子の手伝いをしたいと考えているようだ。だが、文弥から齎された情報を鑑みるに、達也や深雪だけでなく同居人の水波や居候の悠元にも迷惑をかける形となる。達也としてはその辺を危惧しているような様子を見せていた。
「ああ、いいよ。というか、ここの家の主は実質的に達也となるわけだから、居候の俺に決める権利はないよ……って、どうして懐疑的な目を向けるんだ、お前らは」
「すみません、悠元さん。春のことを考えると、どうしても悠元さんが主導権を持っているように見えてしまって」
「亜夜子ちゃん……ともかく、話は分かった」
メディア工作の一件は七草家に任せきりにすると四葉に対する風当たりが強くなることを懸念してのものであり、政治家への介入もその一端を担っていた形だ。だからと言って、司波家での主導権を握った覚えなどないし、達也へ積極的に介入する気もない。特に彼の恋愛事に関わることについては一番近い身内である深雪に投げているぐらいだ。
ほのかの後押しをしている雫や深雪もほどほどになるよう仕向けているし、リーナの身内であるセリアも「こればかりは本人たちの問題だし、突っ込み過ぎて地獄に落とされたくないからね」と言ってしまうほどだった。
「二人とも、帰りは気を付けてな?」
「っ……」
「は、はい……」
帰り際に悠元からの“忠告”にも近い一言を浴びせられ、黒羽姉弟は思わず緊張した面持ちを見せたが、何とかにこやかな表情を見せながら司波家を後にした。リビングに戻ったところで達也が悠元に問いかけた。
「悠元、今の言葉で二人が動揺していたということは……」
「何かしらの尾行を受けて、それを撒かないように指示されていた可能性が高いな。ちなみにだけど、司波家に予め式神の結界を張っているから、古式の魔法使いが偵察しようとしたら勝手に反撃してくれるよ」
「いつの間にそんなものを用意していたのですか?」
「俺が司波家に居候し始めてから。達也には内密に話してたけど」
天神喚起で四霊が一角を担う『
周公瑾がいなくなったことで『
「ただ、達也に付きっ切りということが大分出来るようになるだろうな……まずは部活連会頭の選出選挙に当選することが前提になるだろうが」
風紀委員のオーバーワークじみた状態を解消する一環として、生徒会役員にCAD携行許可を与えることができる生徒会長だけでなく部活連会頭にも一部の幹部クラスに携行許可を認める案が昨年の生徒総会で通過した。
その代わりとして、生徒会長と同じように部活連会頭も選出選挙によって決められる仕組みへと変更した。元々生徒会長ほどではないにせよ、かなりの権限を与えられていた役職にCADの携行許可の関係で生徒からの信任を得るという後ろ盾が必要となった。
選出選挙の立候補者についてだが、生徒会長には深雪が、部活連会頭には悠元が各々単独立候補で締め切られているため、信任投票となることが決まっている。
実は、悠元の姉である詩鶴から生徒会長には女子が、部活連会頭には男子の流れが続いている。別にそれ自体の慣習など存在していないわけで、純粋に生徒会長と部活連会頭の性質の違いからくるものもあるわけだが。
「風紀委員長は……幹比古か雫のどちらかってことになりそうだな」
「雫は周りの噂を聞いて面倒そうにしていましたけど」
「それは俺も散々聞いてるな」
話を達也の周公瑾捕縛に関することに戻す。
今回の相手は今まで達也が戦ってきた相手よりも苦戦は免れないかもしれない。原作よりも想子制御や魔法の発動速度、魔法技術が洗練されている達也であっても、実際に古式魔法の使い手と対峙するのはこれが初めてとなるだろう。
「今回の任務は恐らく長期に渡るかもしれない。時々家を空けるとなると、水波は無論だが……悠元にも迷惑を掛けることになる」
「それは百も承知だから。今年の論文コンペは京都である以上、トラブルは避けられないだろうし、“神楽坂”の名を聞いて喧嘩を売ってくる連中がいないとも限らないからな」
古式の魔法師といえども一枚岩とは言えない。それは正統派や伝統派という派閥を形成している点からして明白なことだが。
東道家のように
ましてや、護人である神楽坂家と上泉家に対して好意的な印象を持つ者もいれば、逆に敵意を向ける人間もいたりする可能性は高い。いくら魔法師と言っても人間であり、画一的な感情で生きているわけではないのだから、そうなってしまうのは仕方がない部分も存在する。
「かつての都であった京都を捨てて関東に移り、長きに渡って皇族の護りを担ってきた一族。目的の為ならばあっさりと発祥の地である故郷を捨てるという行為を他の古式魔法師がどう見るかは各々によりけりだからな……まあ、俺の場合はただ血を引いてるだけであって、その辺の事情などは書物でしか知らんが」
「つまるところ、伝統を重んじる古式魔法師では異端と仰るのですか?」
「母上自身もそう言いのけていたからな」
伝統を重んじるのならば、京都に一定数の影響力を残せるように分家を置くことも考えられた。だが、京都には
これは、当時の情勢(皇族が東京に移ったのは)が伝統派の成立よりも一世紀半以上前の事であり、今の伝統派と呼ばれる人間たちも神楽坂家が京都を離れることを了承した。その護りの一角となるバランスを九島家をはじめとした旧第九研の連中がかき乱し、古式魔法師の対立構図を生み出した。
その過程で「神楽坂家が京都を離れなければ、『九』の連中に隙を与えることは無かった」と神楽坂家を恨む人間がいたとしても何ら不思議ではないのだ。現に、九島家の先代当主である烈と神楽坂家現当主の千姫の間には何らかの確執が存在しており、その理由は流石に聞いていない。
尤も、伝統派の言い分自体が実際にあるとしても身勝手な理由という他ないが。
「しかも、母上のみならず俺自身も因縁を抱える羽目になるとか……九島家はトラブルメーカーの気質でも持っているのかと問いかけたくなってくるわ」
「……世界広しと言えども、俺らと同年代で九島烈をそこまで言えるのはお前ぐらいだと思うぞ、悠元」
「達也はもっと怒っていいと思うんだがな」
「そうですよ、お兄様」
「深雪姉さま……」
先代当主とその弟による家督継承の御家騒動、その血縁であるリーナとセリアによる戦略級魔法師拘束未遂、そしてパラサイト関連の事件。原作だとそこに光宣が烈を殺し、九島家そのものまで巻き込んでの事態となった可能性がある。
悠元の言葉に感心するような視線を向けた達也に対し、若干呆れ気味に放たれた悠元の言葉を深雪が力強い口調で同意し、水波はそれを見て若干引き気味な口調で呟いたのだった。
今回は短めですが、古都内乱編の導入部分です。主人公が古式魔法師サイドの人間に加え、原作で介入していた幹比古以上の立場に置かれていますので、慎重に行動する形となります。ただ、だまってやられるつもりもなく、しっかり対策は立てています。
論文コンペ絡みの話題は次回に持ち越し。