達也が周公瑾捕縛の依頼を受けた翌日の月曜日。
今年の論文コンペ―――『全国高校生魔法学論文コンペティション』まであと1ヶ月。昨年は大亜連合という名のテロリスト連中が出て大騒ぎとなったわけだが、そんなことがあったとはいえ……いや、この場合はその事件があったからこそ、昨年のリベンジに燃えている学生も少なくない。
ただ、一高生の話題と言えばその論文コンペよりも一つの話題で持ちきりだった。
「今年は去年みたいな騒動なんて起こらないだろうな」
「起こりようがないだろう。大体投票自体も要らんし、対立候補が出てきたとしても司波さんと神楽坂の圧勝で決まってる」
「司波さん、良いよなあ……くそう、神楽坂さえいなければ……」
「やめとけ。三高の『クリムゾン・プリンス』すら完封しちまうんだぞ? 俺たちが敵う相手じゃないって」
という2年生男子の会話や、
「誰を役員にするのかしら。司波さんを抑え込んだ神楽坂君は部活連会頭だし」
「昨年みたいなことがあったらね……」
「司波さんのお兄さんも少しカッコいいけど、神楽坂君はイケメンよね。あんな弟が欲しくなっちゃうわ。寧ろお兄様って呼びたいかも」
「貴方、上級生でしょうに」
といった3年生女子の会話がちらほらと耳に聞こえてくる。
その理由は週末に控えた生徒会長選挙と部活連会頭選挙が主な理由だ。無論、食堂でもそういった会話が繰り広げられるため、普通に昼食を取っている達也らの耳にも自然と入ってきてしまう。
「……深雪がいなくて正解でしたね」
「不謹慎ながら、燈也の意見に賛成だな」
悠元と深雪、ほのかと雫、それと姫梨やセリアは生徒会室で昼食を取るということで人目を避けて分散しているわけなのだが、深雪の兄というネームバリューに加えてエンジニアとしての評価から達也への注目も増えるようになった。
燈也の言葉に対して否定する材料もない、と言わんばかりに達也は呟いた。
「にしても、昨年の生徒会長選挙の得票数上位がそのまま生徒会長と部活連会頭に立候補だもの。これでトラブルが起きるようなら、悠元が無言で黙らせるでしょうし」
「オイオイ……いや、出来ねえという理屈もねえか」
「そうですね」
エリカの冗談めいた発言にレオは窘めようとしたものの、事実になりそうだという判断から必要以上の干渉を避け、エリカの発言に短く同意したのは佐那であった。今年入学したばかりの1年生はともかく、2・3年生は昨年の生徒会長選挙の詳細を知っているために、これで暴動なんか起こそうものならば悠元が無表情で鎮圧するのが目に見えている。
「多分ですけど、達也さんが役員になるのは避けられないかと思います」
「達也には悪いけど、僕もそう思ってしまうんだよね」
「美月に幹比古……いや、分かってはいることだが」
悠元は今年度の前半までは部活連副会頭のかたわら、生徒会の協力員として深雪のストッパー役を買って出ていた。生徒会長であるあずさに加え、部活連会頭の服部と風紀委員長の花音まで同意見となり、このまま部活連会頭となっても深雪のストッパー役の側面は消えないこととなった。
そのため、基本的には副会頭以下でも回るように組織を固めなければならず、懲罰会議などの部活連会頭本人でないと判断できない事項以外の仕事はしないという方向性で固められ、悠元は内心で盛大な溜息を吐いた。
ただ、悠元が四六時中深雪のフォローは出来ないため、自ずと達也が生徒会役員に引き込まれるのも無理はない話である。
「おや、達也君にしては諦めが早いわね。やっぱり深雪には勝てないってこと?」
「そういうことじゃないが、悠元に負担の大半を負わせるのは“癪に障る”だけだ」
以前の自分ならばそういう言い方をしなかっただろうが、先日の九校戦ではパラサイドールを含めた対応の殆どを任せてしまっていた。あまり他人との関わりを積極的に持ってこなかった達也の変化を深雪が聞けば喜びそうだと思い、達也は内心で苦笑した。
その似たような会話は生徒会室でも繰り広げられていた。ほのかの問いかけに対し、ややうんざりとした感じで深雪が答えるほどだった。
「だから、まだ決めていないって言ったでしょう? そもそも、まだ選挙も経ていないのに決める権利はないのよ?」
「深雪の言う通りね。ま、ほのかからしたら、達也の進退が気になって仕方がないでしょうし」
深雪の言葉に同調したのはセリアで、彼女はそう言いつつもお茶の給仕をしているピクシーに視線を向けた。ピクシーの一件は悠元経由で聞き及んでおり、こればかりは身内(リーナ)であっても言える案件ではないために秘匿されている。
それは確かに、と悠元もピクシーに視線を向けるほどだった。これにはほのかも顔を赤らめて俯いていた。
「ほのか、焦る気持ちは分かるが……まあ、達也が何かしらの形で生徒会に関わるのは変わらないと思うぞ?」
「ほ、本当ですか!?」
「良い意味でも悪い意味でも目立ってしまっている以上、今更引っ込むということにはならんだろう。前例はいくらでもいるわけだからな」
悠元が思い浮かべたのは自身の兄や姉らのことだ。ただでさえ十師族というネームバリューに加えて学内外の実績は著しい。加えて、主だった役職に就いていたことからして、達也が深雪の生徒会長就任で引っ込むという形にはならない。ただでさえ、魔工科設立の大きな理由になっているだけに今更とも言えるだろう。
尤も、達也のCAD携行許可だけを考えるのならば部活連の幹部メンバーに引き込むことも考慮に入れるが、それは選挙の結果を踏まえての話になる。
「そういう悠元君は、もう部活連のメンバーを決めているの?」
「深雪と同じく自分もまだ選挙で確定したわけじゃないですよ、千代田先輩。一応声掛けはしていますけど……」
部活連のメンバーは3年生が抜けた穴を1年生が埋める形となるわけだが、悠元は実戦力を加味して魔工科や二科生からもメンバーを幅広く入れる予定だ。一科生からすれば不満を抱く人間もいるだろうが、最終手段として自分が動くという“抑止力”を目の当たりにしている生徒が少なくない以上、反論は全く出ていなかった。
大体、まだ会頭である服部も二科生の一人である紗耶香を実戦力で入れている経緯がある以上、その前例に則ってやっているだけで問題などないはずだ。それに文句を言いたいのならば、自分自身の実戦力が無いと言っているようなものだ。
なお、ピクシーの想念形成に関わっているほのかはまだ立ち直っておらず、隣に座っている雫と姫梨が諫め、事情を知る五十里と花音は生暖かい目でほのかを見ており、昨年度のことを知らない香澄と泉美は揃って首を傾げた。
「ねえ、悠元兄。光井先輩は何であんなことになってるの?」
「そうだな……自分の秘めていた想いを好いている人の前で赤裸々にバラされた、と言うのが正しいな」
「あー、それは……確かに恥ずかしいですね」
流石にパラサイト絡みの案件なので、事情を知らない二人相手では恋愛事情の問題だと誤魔化しつつ説明したところ、二人も納得したような表情を浮かべていた。誤魔化したとは言ったものの、ピクシーの部分を引っこ抜けばほのかの恋心を赤裸々にされてしまったのは事実なので、決して嘘は言っていない。
なお、悠元の言葉が追い撃ちとなってほのかが盛大にテーブルに突っ伏したのは言うまでもなく、顔は隠せても真っ赤に染まった耳は隠し切れていなかったのだった。
そんなほのかの様子などいざ知らず、食堂にいる達也らの話題は論文コンペに移っていた。達也は代役といえども昨年の発表メンバーの一人であり、春の『恒星炉』実験からすると今年も発表メンバーに選ばれるのだとエリカは少なからず思っていた。
「そういえば、達也君は論文コンペに出ないの?」
「深い意味はないんだが、単に取り組んでいるテーマがまだ発表できる段階に至っていないだけだ」
達也が今取り組んでいるもの―――FAE理論を用いた戦闘用魔法の開発―――に関しては流石に自身の固有魔法にも関わってしまうため、流石に言えるはずもない。その魔法がまだ完成していないので、発表できないというニュアンスも間違ってはいないわけだが。
「達也君もそうだけど……いや、悠元の場合は寧ろダメね」
「だな。その恩恵を受けちまってる俺らですら、コンペの参加は強要できねえし」
達也以上に悠元が論文コンペに出ようとしないことを話題にしようとしたエリカだったが、現代魔法を“欠陥魔法”だと言い放ってしまう彼がどんな論文を出しても確実に評価どころの騒ぎでなくなると判断し、レオも悠元の影響を受けている一人としてエリカの意見に賛同した。
「啓先輩からサポートは頼まれていないんですか?」
「今のところはな。それに、今回俺の出る幕は無いだろう」
何せ、昨年夏の段階で現代魔法の
それに、彼が選挙を経て部活連会頭に正式就任すれば、論文コンペの警備隊に回されることとなる。その彼を発表メンバーとして参加させるのは酷すぎる話だ。
「論文コンペは横浜と京都で交互に開催されているが、それぞれ評価する傾向が異なるんだ。横浜の時は技術的なテーマが好まれるが、京都の時は純理論的なテーマが好まれる。後者の分かりやすい例は『カーディナル・ジョージ』や佳奈先輩の基本コード理論だな」
「成程、達也の得意分野を生かせないってことか」
「達也は純理論の部分でも高校生離れしてると思うんですけど」
そんなこんなで会話が進んでいき、午後の予鈴が鳴るまで続くのだった。
◇ ◇ ◇
原作だと、達也が響子のプライベートナンバーを使って連絡を取っていたため、深雪の不機嫌を直すのに2日ほど要した。達也も今回の仕事に直接関わってもらうわけではないにせよ、深雪と水波にも達也の動向を把握してもらうための説明は後でするとして、悠元の部屋から超高圧縮通信を用いたヴィジホンを響子につなげた。
「神楽坂です。夜分遅くにすみません」
『悠元君。それに達也君も……事前に連絡した時点で面倒事の臭いしかしないのだけれど』
「それを言わないでください……」
今回のことは重要度の高い案件の為、達也が使っている音声のみの暗号通信よりも遥かにセキュリティーの高い『
メールについても検閲の可能性を考えて『夜にまた連絡をするので都合を空けておいてください』としか記述しなかったぐらいだ。
『それにしても、悠元君のその暗号通信技術は垂涎ものね。世界中の諜報機関が知ったら、こぞって欲しがるのは間違いないわ。『
「それはまたの機会ということで。今回は達也の案件で連絡をしました」
『達也君の?』
「はい。九島閣下に協力をお願いしたい件があります」
響子と悠元の会話に割り込む形で達也が言葉を発した。今回の案件は国防軍第101旅団・独立魔装大隊副官である“藤林響子少尉”ではなく、九島家先代当主である九島烈の孫娘にあたる“藤林響子”に依頼するというもの。
達也からの話を聞いた時点で響子にもその心当たりがあったらしく、少し考え込んでから尋ねてきた。
「閣下と私的な会談の場を設けてほしいのですが」
『それは構わないけど、どうして悠元君が直接交渉しないの? 悠元君だったら、お祖父様のプライベートナンバーぐらい知っていそうなものなのに』
「……率直に言います。今回、達也が関わっている案件に表立って神楽坂家の人間が関与すれば、師族会議ですら止められない“内戦”の可能性も秘めているためです。それは、古式魔法の家柄である藤林家の令嬢たる響子さんが一番ご存知かと」
『っ!? ……成程ね。今の悠元君はもう十師族じゃなかったのを忘れていたわ』
別に達也の手伝いをする分には四葉と神楽坂の関係性から言っても合理的に済むが、表立って九島家の人間と交渉したことが公となれば、「神楽坂家が九島家に肩入れをした」と見做す古式魔法使いも出てきかねない。
神楽坂家と上泉家、それに賛同する正統派の古式魔法使いと『伝統派』の争いとなれば、これはもう立派な“内戦”となるだろう。
それに、これは達也と響子に話していないことだが、九校戦でテストされたパラサイドールの性能を知った佐伯少将が裏ルートで九島家現当主と交渉し、既に旧第九研で製造が再開されているのが伊勢家からの報告で判明している。
こんな大事を今の時点で公表すれば、間違いなく周公瑾の逃亡を手助けしかねない。なので、この情報は千姫と八雲、それと上泉家の現当主である元継にだけ話している。佐伯少将が増長して悠元や達也を制御しようと目論んだ場合、蘇我大将を通して抑え込んでもらう。彼女の軍人としての実力は確かなため、対新ソ連を見据えて北海道の最前線防衛に回されることとなるだろうが。
『それで、達也君のお仕事はやっぱり実家絡みかしら?』
「―――ええ。横浜から逃亡した大陸の方術士を見つけ出して捕らえることです」
『成程ね。国防軍としても、あの男の対処に苦労しているのよ。達也君が任せてくれるというのなら、
「達也にそれを求めるのは酷すぎますよ……そのついでなんですが、俺から独立魔装大隊副官である藤林少尉にお願いを一つ」
『あら、悠元君もなのね。悠元君のように敵情報の俯瞰地図は出せないけど』
敵軍の戦術・戦略予想能力は国防軍の観点から見ても悠元がずば抜けている。その一端を達也も把握しているからこそ、響子の台詞は悠元に向けての皮肉だとすぐに読み取れた。
「そこまでは言いませんが……その方術士が万が一国防軍の施設内に立て籠もった場合、俺は『神将会』として達也に敵勢力排除の目的で施設侵入許可を出します。響子さんには、そのことを一応頭の片隅に入れておいて欲しいと思いまして」
『達也君が追いかけている人物が国防軍を頼ると言うの?』
「その方術士は国防軍との繋がりも有していて、昨年秋の大亜連合特殊部隊と達也が戦うことになった原因の一つにレリックの存在もありましたから」
響子のことだから、達也が大亜連合特殊部隊との戦闘行為からレリックの複製依頼絡みを掴んでいたとしてもおかしくはない。このこと自体は特段隠す必要もないため、悠元はそう言い切った。
「国防軍と一口に言っても、全て一枚岩とは言えません。中には現代魔法―――十師族を嫌う人間もいますからね。大陸系の魔法師に融和的な軍人だって存在することも鑑みれば、その人物が頼らない道理などありませんから」
『……分かりました。祖父に都合を聞いてみます。連絡はメールでいいかしら?』
「それで構いません。暗号は独立魔装大隊のものでお願いします」
少し考え込んでから出てきた響子の言葉に達也がそう返したところ、響子はぶっきらぼうな態度で通信を切った。その一連の流れを間近で見ていた悠元はジト目を達也に向けた。
「達也。お前は響子さんも落とすつもりなのか?」
「いや、そういうつもりで言ったわけではないのだが……寧ろ、余計に邪推されたような気はしたが」
「そりゃ、こないだの九校戦前に送ってきた差出人が空白のメールに当て擦りされたと思うような言い方をされたら、向こうもそうなるとは思うんだが」
「……」
ライトノベルの主人公は呼吸でもするかのように人を堕としていく、というのは強ち間違ってもいないことなのだろう。現に、悠元の目の前にいる人物も無自覚に異性を惹き付けている。
それを悠元が言えた義理ではない、というのは本人が一番分かっているためか、こめかみに指先を当てつつ深い溜息を吐いたのだった。