悠元が発した言葉に対し、セリアは気難しそうな表情を浮かべていた。
無理もない。セリアからすれば祖父の代で袂を分かったとはいえ九島家の血縁者なのは事実で、そのことを九島家の現当主が利用しないとも限らないのだ。
『それは難しいね。普通に働いている人たちを路頭に迷わすわけにもいかないし』
「避けようと思えば救済することは可能なんだが……今しがた入った情報だと、国防軍情報部から七草家に今日の一件が伝わったみたいだ」
娘の婚約のことを鑑みるのならば、七草家現当主が企みに走る必要など逆に首を絞めかねない行為だ。だが、先程述べたことが大きく影響していることに加え、いざとなれば「国防軍の一セクションが独断で行動した」と切り捨てることも厭わないだろう。
『……ねえ、お兄ちゃん。泉美ちゃんの婚約のことを考えたら、また破棄することも視野に入れるの?』
「どうせ『自分の部下もしくは国防軍情報部が七草家を慮って勝手にやった事』などとしらばっくれるのは目に見えている。場合によっては母上に伝えて婚約序列を変更するのが関の山だろう」
千姫からの話だと、内密に一色家と一条家からの婚約打診があったと報告を受けている。一色家の場合は愛梨で、一条家は将輝の妹である茜がその対象に含まれる。更に、剛三経由でゴールディ家からも英美の婚約打診の相談をされたことも付け加えられた。
現状第七位の婚約序列の泉美だが、七草家の対応次第ではその序列を下げるのが関の山だろう。正直な話、婚約者だけでなく専属使用人兼愛人の時点でも腹一杯の心境なだけに、同じ心境にありながらもまだマシな達也を少し羨ましく思ってしまった。
「周公瑾は奈良方面での気配を感じなかった。消息を絶った地点から計算して、京都近辺なのは間違いないだろう」
周公瑾は恐らくいくつかの拠点を転々としている可能性が高い。四葉でも諜報に長けた黒羽の追跡を掻い潜っている以上、その可能性の先に国防軍の基地を最期の潜伏場所とした経緯があるとみている。
亡霊となってしまってからを鑑みるならば、人間としての最期と言うべきなのかもしれない。元々人間なのか怪しい彼をどうカウントすべきなのかは疑問に残るが。
『宇治近辺を虱潰しに探すのはどうなの?』
「最初にそれをやると確実に周公瑾に勘付かれるからな。それに、次来るときは論文コンペの会場警備の事前視察が主目的となる以上、北部を重点的に探させれば周公瑾の眼も多少は欺ける」
その辺はこれから幹比古や達也に相談せねばならない案件だが、論文コンペの会場となる京都新国際会議場は京都市の北部―――そこから更に北には
『……なら、私も事前調査には同行するよ。九島家のことはどこかで向き合わないといけないし、人手は多い方がいいでしょ?』
「そうだな。美月とほのかは流石に連れていけないが、佐那には協力が得られた。燈也も中条先輩の護衛があるから動けないが」
元々セリアには事前調査の協力を頼むつもりでいた。佐那に関しては幹比古の補佐という形で動いてもらう予定だ。今までの『プラスワン』の要素がここで働かないという理由もないため、万全を期するつもりでいた。
『そういえばさ……名倉さんはどうするつもりなの? このまま放置の方向?』
「それなんだが、一つ手は打っておいた。これで周公瑾と接触するようになってくれれば御の字だが」
申し訳ないが、名倉はこちらの想定通りに“一度”亡くなってもらうつもりでいた。流石の周公瑾でも黒羽貢に使った影獣の類の魔法をそう簡単に用意できないことは先日の調査において『
だが、単に見殺しにするのではなく、『
◇ ◇ ◇
奈良駅で別れた光宣はそのまま生駒の九島本邸に帰宅した。いつもならば使用人が出迎えることが多かった―――厳密に言えば、光宣と血の繋がった兄や姉が出迎えること自体少ない―――わけだが、今日は光宣にとっても少々意外な出迎えだった。
「帰ったか、光宣」
「お祖父様。態々待って頂いたのですか?」
「この程度が出来なければ剛三に笑われるものだ。……光宣、話がある」
会談の場所は光宣の部屋で行うことになった。今日は珍しく調子がいい光宣がまた体調を崩すことを考慮してのもので、光宣自身もこれには異を唱えずにベッドへ腰かけた。それを見た烈は備え付けの椅子に腰かけた。
「光宣、まずはすまない。お前の気持ちをしっかりと受け止めてやれなかった」
「お祖父様、いきなり何を」
「悠元君に言われたからな。『光宣が一番何を望んでいるのか、それをしっかり聞いてやれ』とな」
「悠元さんが……」
光宣自身、優れた魔法師として活躍したいという欲求がない訳ではない。だが、自身の体調面がそれを許さないからこそ強く主張するということはなく、烈からは魔工技師や研究者としての道を諭されたことにも納得がいっていた。それに対して光宣が素直に頷かなかったのも、なまじ魔法師としての実力があったからこそだ。
「……光宣。もしその体質を治すことが出来るのならば、受けたいか?」
「えっ……この体質が治るのですか?」
「治療が可能の範疇と答えてくれたことは確かだ」
烈から述べられた言葉は光宣を驚かせるに十分過ぎた。現状、九島家の魔法に光宣が抱えている問題を解決するための魔法がない事は確かだ。その例外ではない烈から出た言葉から、光宣は烈が取引を持ち掛けた相手を自ずと察した。
「もしかして、悠元さんがその魔法を使えるのですか?」
「……ああ、そうだ。『十三使徒』の一人である五輪澪君や、光宣が会った司波達也君と司波深雪君の母親が元気になったのは彼が大きく関係している。彼もその事実を認めた」
三矢家―――いや、彼にしか持ち得ない固有の魔法なのではないかと光宣は思った。正直なところ、これまで九島家が悠元に対しての行いを鑑みれば、自身の治療に協力的になってくれるとは到底考えづらい。それを察したのか、烈は言葉を付け加えつつ話した。
「私が神楽坂悠元君に光宣の治療を依頼した。その引き換えとしていくつかの条件を提示されたわけだが……その治療を受けるとなれば、光宣を九島の家から出さねばならない。お前には申し訳ないと思うが……」
「そうですか……」
条件が複数となれば、悠元の魔法の秘匿も当然条件に含まれるだろう。それに加えて九島の家を離れるということは、悠元自身も三矢の家を出たことを見れば理解できる話だと光宣は結論付けた。
彼は元々の病弱体質が治った後、正式に三矢の家督と家業の継承を拒否したと本人から聞いている。その理由は能力の優れた自分が残れば、長男の行き場所を無くすことにも繋がりかねないと理解していたからだ。
「お祖父様。僕が九島の家を出る理由は、次代の家督争いを避けるためですね?」
「その認識で合っている。どうする? 彼からは光宣の同意を得ることが必須と言っていたが」
自身の魔法師として活躍したい思いと自分の実家の事。光宣が今置かれた環境を考えた時、九島の家を離れるという選択肢は自身の命を守る意味でも理に適う。いくら優れた魔法師といえども、魔法が使えなければ只の人間と同じだ。そこまで考えた上で光宣は烈を見やって告げた。
「僕は……受けようと思います。ですが、九島の姓を名乗らなくなっても、お祖父様―――九島烈の孫だということに胸を張れるよう己を律します」
「そうか。彼には私から話をしておこう」
半ば諦めていたもの。それに手が届くのならば、そのチャンスを無駄にしない。光宣が話を受けたことに対し、烈はどこか寂しげな表情を浮かべていたのであった。出来れば九島の家に残ってほしくはあるが、彼のような存在を生み出してしまった人間として、せめて孫が不利益を被らないように動こうと密かに決めたのだった。
◇ ◇ ◇
セリアとの通話を終えた後、喉が渇いてリビングに足を運ぶと達也がソファーに座って寛いでいた。深雪と水波は自室に戻っているようで、キッチンに入ってミネラルウォーターの入ったコップを持った上で、達也が座っている場所の近くに腰かけた。
「悠元、誰かと連絡していたのか?」
「セリアとな。今度の事前調査にも同行すると言っていた」
本来の筋を考えれば、「九」の数字を冠する魔法使いの家への復讐を考えている『伝統派』が起こしたトラブルを国防軍が担うのはおかしい話だ。いくら魔法師絡みと言えども、それこそ国内の犯罪に関係する類は専ら警察の仕事なのに、その仕事に横槍を入れた挙句横取りしたようなものだ。
「そう言うってことは、達也も誰かと電話していたのか?」
「藤林少尉とな。お前なら既に知っていそうだが、夕方の襲撃の件が国防軍情報部の管轄になったそうだ」
しかも、達也をターゲッティングするためだけにそういった行動を取るのは、単に七草家や十山家だけでなく、周公瑾が国防軍に働きかけた可能性があることも意味する。直接的な関与はともかくとして、結果的に七草家と周公瑾が間接的に関わりを持ってしまっている形なのは疑うべくもない。
「いくら警察でも手が出しにくい『伝統派』絡みとはいえ、警察の面子を潰すって正気じゃないわ……」
「ただ、藤林少尉曰く悠元は対象に含まれていないらしい。心当たりはあるか?」
「……そうなると、周公瑾は俺を警戒しているとみるべきか。直接会った事はないけど」
その上で、昨春のブランシュ関連で周公瑾が悠元を監視していた事実を達也に話した。こればかりは達也も驚くような表情を見せていた。流石に
「そんなことがあったのか。周公瑾とはそれ以降何も?」
「関わりはないが、中華街の監視を式神にやらせていたぐらいだよ。そもそも、彼の考えと護人の考えが相反している以上、手を組むのは論外だな」
それに、七草家のことを考えれば足を引っ張られるような動きをするのは間違いないだろう……妙な安心感には納得いかない気もするが、今は置いておく。
「悠元、今度の論文コンペの事前調査に関してだが、主導は任せていいか?」
「服部前会頭との調整も含めれば妥当だし、俺が音頭を取らなきゃいけないのは道理だから問題はない。ただ、京都入りはスケジュールを早めることになる」
何せ、神楽坂家にとって京都はかつて居を構えた父祖伝来の地。千姫から聞いた話では、『正統派』に属する古式魔法師と面会するのが今後のためにもなる、と伺った。
奈良の高鴨神社、京都の北野天満宮(天神魔法の名称は
これは神楽坂家次期当主としてせねばならないことの一つであり、千姫が今担っている高僧の教導を引き継ぐためでもある。
真っ当な宗教家は神楽坂の分家である伊勢家・高槻家で神職を目指す人間が修行を積み、仏寺の住職は神楽坂家や上泉家で修行を積むことが多く、人格的・倫理的に適うと認めた人間しか推薦されない。
話を戻すが、今回の事態は既に正当な宗教家にも伝わっており、京都で達也らが問題なく活動できるように取り計らうのも目的の一つだ。それと、下手に介入して周公瑾の思う壺にさせないことも含まれている。
「流石に学業もあるから、動くとしても来週金曜あたりになるかな……母上が既に手を回して公欠扱いなのは溜息しか出なかったが」
達也に予め説明したのは、その関係で一足先に京都へ向かうため、深雪を抑え込んでほしいというものだった。流石に婚約者とはいえ、厳密にはまだ神楽坂家の人間でない以上は必要以上に関わらせるつもりもない。無論悠元からも説明はするが、そのフォローを頼むことも含めての物言いに対し、達也は静かに息を吐いた。
「成程、事情は分かった。深雪が迷惑を掛けてすまないな」
「何を今更、とも言えるけどな」
達也との会話を終えた後、自室に戻った悠元を待っていたのは……既にベッドに潜り込んでいた深雪であった。若い男女が同じベッドに寝るとなれば何かしらあるわけだが、深雪の機嫌がすこぶる良かったことから、何が起きたのかは察してほしい。