10月15日、月曜日。論文コンペの準備真っ只中である第一高校に来客があった。国策機関であるために関係者とはいえ外部の人間が訪れるということは珍しい訳だが、その人物―――昨年度の卒業生である七草真由美が来校した。
単なる卒業生の来訪ならまだしも、真由美は十師族・七草家の長女として面会を求めてきた。その相手は達也であり、気が気でない生徒が数名いる中、悠元はいつものように生徒会室のテーブルで黙々と端末のキーボードを叩いていた。
すると、周りに気遣いながらではあるが、セリアが小声で話しかけてきた。
「……お兄ちゃんを頼らないのは意外だね」
「そうか? まあ、先輩は約定のことを知っているからな。それに配慮して達也を選択したのかもしれない」
悠元は事前に美嘉へ真由美に関する情報を伝えており、今回の場合は七草家との約定があるために真由美が協力を申し出たとしても受け入れられない、と言い含めている。
昨日、美嘉からは『真由美を上手く説得できた』と返事が来た。ただ、当初の予定はこちらの交友関係をダシにして訪れるつもりだったらしく、思わず頭を抱えたくなった。すると、二人で話しているところに泉美も近付いてきた。
「悠元お兄様。その、お姉さまは司波先輩に何をお願いするつもりなのでしょうか?」
「流石に分からないが、七草家に繋がる何かを達也にお願いするつもりだとは思う」
でなければ、真由美が卒業生という体ではなく十師族・七草家の体を使ったことに筋が通らなくなる。
ただ、真由美は知らないが達也は四葉直系―――現当主の甥という血縁関係がある。深雪の安全を考えて秘匿している以上は仕方のない事だが、一歩間違うと師族会議の規則に抵触しかねない。
達也と深雪が四葉の関係者という事実はごく一部の人間(十師族関係だと九島烈や七草弘一が該当する)しか知らない。これは四葉の復讐劇による影響が30年以上経った現在でも根強く残っているし、現当主はその要因となった事件の被害者だ。
次代を担うことになる人間を秘匿するのは魔法という力を鑑みても理に適っている。この世界における三矢家も家業と役割の関係で別の姓を名乗ることがあるし、財界におけるビジネスネームも財力という一種の力が関わっているため、身の安全を守るために名を隠すのはよくあることだ。
「十師族が十師族でない人間を頼るってどうなの?」
「まあ、理屈は分かる。ただ、先輩は頼れる人間にも限界があるからな」
弘一も真由美がどういった性格をしているかぐらい把握しているだろうし、護衛迄とはいかなくとも監視の目ぐらいは配置しているとみていい。態々放置するということで「七草家は最終的に周公瑾に裏切られたため、達也に協力する形で真由美が動いた」という筋書きまで考えている可能性が高い。そう考えると、名倉の死もその筋書きを補強する上で都合の良いトラブルになるというわけだ。
詳しいことは達也が戻ってきてから―――と思っていると、応接室から戻ってきた達也の姿に不安そうな表情をしていた数名の視線が達也に向けられた。
「お疲れ、達也。七草先輩はどんな用件だったんだ?」
「ああ。今度コンペの事前調査に関してだが、先輩も京都に同行したいと言われてな」
達也が京都というワードを出したことで泉美の表情が曇った。真由美の用件が名倉絡みだと察している様子だが、悠元は気付きながらも知らぬふりをして達也の説明の続きを待った。
「先輩のご用というのが何なのか教えていただけなかったからお断りしたが、割と深刻そうな表情をされていたな」
これは明らかに嘘である。応接室で達也と真由美が会談していた時に遮音フィールドの発動を感知していたため、真由美からは詳しい事情を聞いていないはずなどない。だが、ここで正直に「七草家で雇っていたボディーガードが京都で亡くなり、その原因を探りたい」などとこの場で言えるはずもない。
達也がその辺を配慮して嘘をついているのを見抜きつつ、悠元が率先して声を発した。
「達也。調査自体は余裕を持たせておくし、必要ならば人手を分けて分担する。七草先輩の用件に関して俺も詳しいことは分からないが、十文字先輩や市原先輩らよりも達也を頼ったのは余程の事情があると思う。服部先輩、七草先輩が同行しても大丈夫ですか?」
「あ、ああ。事前調査の段取りは神楽坂に一任しているから、神楽坂が賛成すれば反対する理由もない。司波はそれで納得できるか?」
「ええ。お手数をお掛けします」
原作だと服部やほのかが同行に賛成する形で上手く帳尻を合わせたが、今回は悠元が現会頭兼会場警備の調整役をしているため、悠元を介する形で服部を説得した形となった。その上で悠元は泉美に話しかけた。
「泉美ちゃん、七草先輩に今週末の調査に関する連絡をしてもらえるか?」
「わ、私からですか? お兄様ならお姉さまの連絡先ぐらいご存知の筈ですが」
「それはそうなんだけれど、達也らよりも先に京都入りする関係で手が離せないからな。お願いできるか?」
「はい、喜んで!!」
頼りにされたと喜んでいる泉美だが、これには七草と神楽坂の約定に加えて悠元の近くでニコニコと笑顔を浮かべている
「お兄ちゃん、悪い男だね」
「グーで殴るぞ? 割と本気で」
この場の雰囲気にほのかだけでなく水波まで苦笑が漏れ、達也に至っては珍しく疲れたような表情を垣間見せていたのだった。
◇ ◇ ◇
ところ変わって箱根、神楽坂本邸の執務室(和風の様式なので“執務の間”という述べ方が妥当であるが)にて、千姫は老年ながらも振る舞いに衰えの見られない人物―――四葉の筆頭執事にして『元老院』のエージェントの一人である葉山忠教を迎えていた。
「本邸を訪れるのは久しぶりですね、葉山さん」
「そうでありますな。愚息は立派に務めあげておりますでしょうか?」
「あらあら、葉山さんからしたら忠成さんは何時まで経っても未熟のままですか」
「傲慢になられても困ります故。それに、仕える主人の気持ちを言葉に発せずとも察するのが執事のあるべき姿ですから」
元々、葉山を四葉の執事として送り出したのは千姫の父親こと神楽坂家先代当主。四葉家をコントロールするという意味合いで神楽坂家の影響下に置くのが狙いであったが、奇しくもその願いが次期当主で完成をみるという状態にさしもの千姫でも笑みを禁じえなかった。
「それで、恐らく東道殿からの手紙を預かってらっしゃるかと思うのだけれど、当たっているかしら?」
「流石でございます。こちらが東道閣下より千姫様への手紙にてございます」
葉山が差し出した手紙を千姫は受け取り、道具を使うことなく封を開けて便箋に目を通すと、千姫はその便箋を葉山に差し出した。葉山も知るべきという情報という千姫の意思を察した彼は千姫に一礼した上で受け取り、素早く目を通した。手紙を千姫に返した上で葉山から口を開いた。
「……よもや、四大老の一角たる樫和閣下が関わっていらしたとは。このことは?」
「無論調べは付いておりました……ですが、今彼を外すのは非常にタイミングが悪すぎます」
現状、周公瑾を捕縛あるいは“討伐”する流れで進めている以上、『元老院』の最高幹部の一角を外せば確実に国内がゴタゴタになりかねない。それこそ顧傑の狙い通りになってしまう。
ただ、千姫としても四大老として腐ってしまった樫和を早めに排除する方針に変わりはなかった。その理由は、周公瑾を含めた中華街の実質的な治外法権が今まで許されたのは樫和の影響が関与していたためだ。
「今までは、この国の利益に適うかもしれないという曖昧な理由で見逃してきました。ですが、彼が人にあるまじき妖となれば国の利に適わないと判断しました。今まで難色を示してきた樫和が已む無く賛成したのも、身の保全を狙ってのものでしょう」
「……悠元殿が狙われることになるやもしれませんが」
「仮に彼が私の息子を害するようなことがあれば、樫和の名を
暴力的な魔法と武力という点では剛三が一際目立っているが、彼の義妹でもある千姫もまた一線級の魔法師。日本各地を襲った空襲の被害に対し、千姫は襲撃した外国艦隊全てを海の藻屑へと帰した。一晩でまるで手品のようなことが起きたため、千姫が成したことは殆どの人間が知らない。剛三はその出来事が千姫の仕業だと即座に見抜いた数少ない一人だ。
珍しく真剣な表情を浮かべる千姫の言葉に対し、葉山は深々と頭を下げた。その様子を見たところで、千姫は閉じていた扇子を広げてにこやかな表情に変化させた。
「まあ、あの老人に神楽坂へ喧嘩を売る度胸があるのならの話ですが。ところで葉山さん、達也君は頑張っていらっしゃるかしら?」
「ええ。周公瑾に至る手掛かりは掴めていませんが、九島烈の協力は得られたというのは評価に値するかと」
「そうですか……こんな時ぐらい、師族会議の杓子定規に当て嵌めなくても良いでしょうに」
今春の七草家によるメディア工作絡みとはいえ、周公瑾の一件はその時の師族会議で既に存在を仄めかしていた。
烈ならば国防軍経由で七草家が動いていることを察しているだろうに、弘一に対して説教とまではいかなくとも説得ぐらいはできたはずだ。それをしなかったことで七草家お抱えの部下であった名倉を死なせるという事態に繋がった。だが、彼の死は決して無駄ではないと千姫は直感でそう考えていた。
「奈良での襲撃は国防軍情報部が介入したとのことです。どこの部署が介入したのかも調べは付いておりますが」
「それぐらいは許しておきましょう。葉山さんが訪ねられたのは、達也君がお願いした“増援”にも関わるかしら?」
「千姫様のご慧眼、恐れ入ります。必要であれば四葉から傭兵を出しますが」
「止めておきましょう。代わりといっては何ですが、私から一筆認めて吉田家に動いてもらいましょう。それと千葉家にもお願いしましょうか」
七草家が四葉を調べるような動きを見せている以上、傭兵とはいえ都心をうろつかれるのは七草家としても面白くないだろう。先に約束を破った側に対して配慮など考える必要などないが、逆襲という形で痛くもない腹を探られるよりはマシという千姫の判断だ。
千姫から出た名には葉山も少し驚くような素振りを見せた。相手が『伝統派』である以上、古式魔法の家である吉田家が担うのは理解できる。だが、現代魔法―――百家本流を担う千葉家が古式魔法師相手の護衛に就かせる意味を尋ねる前に千姫が先んじる形で口を開いた。
「意外、と思われるでしょう。ですが、我々とて無尽蔵に援軍を派遣できるわけではありません。百家最強の
「成程。周公瑾の先を見据えてのことですな?」
「正解です」
現代魔法師は古式魔法師と根本的に魔法の使い方が異なる。双方に通じている現代魔法師が少ない以上、古式魔法の経験を少しでも積んでもらうべく千姫は悠元の交友関係を利用する形で千葉家に手伝ってもらうつもりだった。
百家の中には古式魔法に通ずる人間もいるが、十六夜家は百家最強の名を冠しつつも古式魔法師に対して面倒見がよく、彼らの旗頭として担ぎ上げられることもある(古式魔法の旗頭は上泉家や神楽坂家の存在があるため、そこまで目立ってはいない)。
更に、十六夜家は作られた魔法師―――遺伝子操作や生化学的処置による魔法技術の向上に対して嫌悪感を隠そうとしないことで有名だ。十師族に対しては流石に遠慮しているが、現在におけるタブーと化した
実際のところ、悠元が神楽坂家次期当主を公表した際、上泉家当主継承も含めて十六夜家が抗議を入れてきたことがある。その背後に誰がいるのか察したため、千姫は「文句があるのならば、それに見合う実力を証明して見せよ。現に妾が指名した次期当主はルールの範疇とは言え佐渡侵攻を食い止めた『クリムゾン・プリンス』を破ったのじゃからな」と十六夜家に押しかけた上で現当主に言い放ち、押し黙らせた。
その件があったため、千姫は十六夜家がいくら古式魔法に造詣が深くとも素直に神楽坂や上泉の要請を受けるとは微塵も思っていなかった。
話を戻すが、幸いにして達也のクラスメイトに千葉家の人間―――エリカの存在がある以上、千葉家も身の安全を確保するという意味で神楽坂家の要請を断れない。万が一エリカに何があれば、
なお、その当人はレオと付き合っていて、彼らの祖父の繋がりが引き寄せたとも思える様な有様にはさしもの千姫も笑みを禁じえなかった。
「それに、先日のパラサイト事件で
「御助力いただき感謝いたします、と御当主様に代わってお礼を申し上げます」
「お気になさらずですよ、葉山さん。困った時はお互いさまというものです」
緊張した雰囲気はあったものの、葉山と千姫の会談は最終的に和やかな雰囲気で幕を閉じたのだった。
◇ ◇ ◇
葉山が部屋から退出すると、部屋の外で待機していた実の息子である忠成の姿があった。忠成は父親の表情を見るに、和やかな感じで会談が終わったのだと察しつつ声を掛けた。
「お疲れ様です、父さん」
「忠成か……てっきり、達也殿の行動面に関して尋ねられるものかと思っていたが、そこには触れずに終わったよ」
「父さんは、不安なのか?」
忠成は父親から達也に関する過去の出来事を全て聞き及んでいる。その中には達也の四葉における扱いや……かつて達也が四葉分家の当主達に殺されそうになったことも含めて。葉山も身内の前にいるためか、珍しく執事らしからぬ言葉遣いも混じりながら話した。
「不安、か。達也殿に至ってそのような言葉は深雪様が関わらなければ無いに等しい言葉だろう」
「それは知っている……ここに来る前、四葉本家で何かあったのか? 御当主様でないとすると、黒羽殿あたりから?」
いつになく執事としての顔を崩すことが極めて少ない父親の珍しい態度。そこから導き出した忠成の推測に対し、息子の成長を内心で喜びながらも葉山は言葉を吐き捨てるように述べ始めた。
「正解だよ、忠成。黒羽殿は達也殿が周公瑾捕縛の任を与えられていることに疑念を抱いていた。四葉に対する忠誠など達也殿にはないとな」
「黒羽殿が仕損じた相手を達也殿が任されていることに加え、駆け付けた達也殿に治してもらったと報告は聞いている。多分、そのことで最低の醜態を一番見られたくない相手に晒したと思っているかもしれない」
「醜態……そうかもしれないな」
黒羽から見れば、今回の一件は達也の四葉に対する忠誠心を見るためのものと推察しているだろう。
だが、忠成の推測は違った。それが仮に本当だとするならば、次期当主候補である深雪を危険に晒す様な黒羽姉弟の行動自体おかしいものとなってしまう。単に深雪のガーディアンとしての能力を示すとしても、四葉の次代を担うであろう貴重な魔法師を失うようなリスクは論外だ。
忠成は遮音の結界を張った上で葉山に尋ねた。
「父さん、答えられないのならば答えなくてもいいが……四葉家は達也殿を次期当主に据えたがっているんじゃないのか?」
「……流石だな、忠成。神楽坂家筆頭執事として立派な推察だ」
達也を四葉家の次期当主候補にさせたいという真夜の真意を知っているのは、本人以外だと葉山や達也を良く知るごく一部の使用人に加えて千姫や剛三、そして悠元しかいない。
現状はその真意を知らない忠成だったが、父親の言葉でそれが肯定された形となった。その上で葉山は言葉を続けた。
「達也殿の力は最早四葉の外に出せぬ力となってしまった。御当主様もそれを存じているからこそ、“実の息子”に次代を継がせたく思っている」
「……達也殿が、真夜殿の実子だって?」
「それは間違いない事実だ。恐らく、達也殿も気付いている筈だろう。彼の『眼』はそれほど強力なものだからな」
葉山から述べられた事実―――あまりにも衝撃的な事実に、忠成は絶句に近い表情を浮かべた。それを見た葉山は口元に笑みを見せつつこう告げた。
「この事実は、来年の慶春会が済み次第公表する。千姫殿は無論ご存じの事だろうが、改めてお前の口から述べるといい」
「……分かった。玄関まで見送ろうか?」
「息子にあまり年寄り扱いはしてほしくないのでな。これで失礼させてもらう」
葉山は言いたいことを言えたのか、まるで憑き物が落ちたかのような足取りでその場を離れていった。忠成は遮音の結界を解除した上で葉山の去っていく方向に向けて深々と頭を下げた。
父は四葉に仕え、自分は神楽坂に仕える身……お互いに守るべき一線を弁えるという意味も込めて。
主人公の存在で大分雰囲気が変わる一端。服部が熱弁をふるう必要もないし、泉美も喜ぶので場の雰囲気は大分明るくなります。その代償を主人公が背負っているわけですが。
後半部分の葉山と忠成の会話はオリジナル設定だと思ってください。原作中だとそういう言葉遣いをしない方が身内限定でそういう言い方をするものだと思ってくださって結構です。流石に家族相手で畏まった喋り方は違和感を覚えたので、結果的にああなりました。