清水寺の観光を終えた後、参道を下る形で悠元と沓子が歩いている。すると、沓子がふと疑問に思ったことを悠元に尋ねた。
「そういえば、悠元。清水寺に用があると言っておったが、住職に会わなかったのは何故じゃ?」
「ん? ああ、そのことか。清水寺自体に用事があった訳じゃないよ」
昨夜の話し合いで悠元は清水寺に出向くことを発言していた。だが、寺にはただ観光で訪れるだけの形となり、何もしなかったことに疑問を抱いていた。それを疑問に思っても仕方がない、と悠元は思いつつも説明を始めた。
「清水寺に行くと言ったのは、正確には『伝統派』の拠点の一つを訪れようと思ったからさ」
「『伝統派』の拠点? 流石に危なくないかのう?」
「まあ、嵐山のアレは荒い方と解釈してくれ」
沓子は嵐山の『伝統派』の拠点に同行していたため、倒れていた彼らから感じられた気質で危険を考慮しての疑問だった。ただ、これから訪れる拠点は京都方面の『伝統派』でも穏健な部類だと思う。事前に原作知識も含めて京都の『伝統派』を調べたが、ここが比較的マシだと判断した。
そうして二人が訪れたのは、参道の途中にある豆腐料理店だった。何故料理店が『伝統派』の拠点なのかと疑問に思うだろうが、その質問をする前に沓子の腹の虫が鳴ってしまい、沓子はお腹を押さえつつ恥ずかしそうにしていた。
「時間的にお昼時も近いし、混み合う前に腹ごしらえもするか。沓子もそれでいいか?」
「う、うむ……わしの腹の虫を時計代わりにするでないぞ」
「いや、俺もお腹がすいてきたころだったから。腹の虫は鳴らなかったけど」
「も、もう! 悠元の意地悪!」
これを意地悪などと言われるのはどうかと思ったわけだが、ともかく中へと入る。着物姿の店員の案内でそのまま座敷席に座った。『
すると、沓子の通信端末が鳴って沓子が端末を手に取った。流石に他の客もいるので声は控えめだが、沓子が端末を見ている間にさっさと注文するものを決めるため、メニュー表を眺める。
メニューを決め終えたところで沓子も通話を終えたのだが、その表情はこれから厄介事が舞い込んでくるかのような表情だった。
「沓子、どうした? 注文するものは決めたか?」
「う、うむ。そっちは決めたのじゃが……ちと問題が生じての」
「……とりあえず、先に注文するから話は後で」
「そうじゃな」
店員を呼んで悠元は湯豆腐を、沓子は湯葉鍋を注文した。同じ料理にしなかったのは単純な理由で、悠元は剛三の付き添いでこの店を何度か訪れたことがある。剛三曰く「ここの豆腐と湯葉は美味いからの」との理由で京都に滞在しているときは昼食をこの店で取るのが当たり前だった。
健康志向という上泉家の気質も相まって湯葉鍋をほぼ毎日のように食べていたため、流石の悠元でも“飽き”の感情が芽生えたほどだった。それを流石に沓子の前で言う訳にもいかないため、適当に誤魔化した。
「それで、会話を聞いている限りだと愛梨と栞の二人のようだったが、何かあったのか?」
「流石は音に敏感な悠元じゃの。実は二人が既に京都へ来ておるんじゃ」
「……三高の校長が良く許したな」
魔法科高校のカリキュラムを考慮すれば、平日の金曜も授業があるのに二人が許可を貰って京都へ出向ける方が奇跡的だろう。いくら師補十八家・
「そうじゃの。ましてや栞は生徒会会計じゃからの。コンペの手配で忙しい筈じゃというのに」
「愛梨や将輝、真紅郎はそういう役職に就いてないのか?」
「愛梨は生徒会長、一条は風紀委員じゃよ。吉祥寺はそういう話をすべて辞退しておる」
対新ソ連を睨んでの防衛を担う一条家の都合を考えれば止むを得ないことだが、一条家当主の一条
それでも将輝が風紀委員長に就かなかったのは、彼自身の気質も鑑みれば仕方のない事だが。
「度胸が無いな、将輝も。俺なんて深雪のストッパーを兼ねてる事情があって、構成メンバーはおろか幹部クラスにも畏怖の目で見られてるわ。下級生は仕方ないとしても、同級生にすらそう見られるのは未だに納得できんが」
「おう……何というか、悠元も苦労しとるようじゃの」
第一高校の側も生徒会長の深雪が打ち合わせも兼ねて出向く以上、別に愛梨が出向いてきても不思議ではないし、その補佐で栞が同行していても違和感はない。ただ、将輝のストッパーを兼ねる形で真紅郎が会場の下見をしに来るのは「ご苦労様」と思わず労いたくなる。
豆乳を温め、表面に出来た膜を竹串で掬って食べる湯葉鍋の関係で時間は掛かったが、この後は特にする予定もなくじっくりと会話を楽しみつつ食事をし終えたところで店員の方が近寄って声を掛けてきた。
「お客様。店主がお客様をお呼びするようにとのことですが、大丈夫でしょうか?」
これは正直意外だった。こちらとしては様子を見に来ただけで会話をする予定などなかったからだ。ただ、悠元の存在と神楽坂の名は九校戦で知られている以上、ここの店主としても無視できるものではないと判断したのだろう。沓子を見やると、彼女は静かに頷いたので悠元は店員に視線を向けた。
「はい、大丈夫です。お代はこちらに置いていきます。釣りは要りませんので」
昼食代と会談を取り持ってくれた“手間賃”という含みを持たせ、一万円札を伝票の上に添えた。鞍馬寺での心遣いから出しているために懐が痛むことはない。
通された部屋は和洋折衷の間であった。そして、
そして、二人を待っていたかのように立っていたのは一人の壮年の男性。引き戸が閉まったところで深々と頭を下げてきた。敵意などはなく、寧ろ畏れや怖さを抱いているに近いような雰囲気を見せていた。
気の流れを見るに
ともあれ勧められるままに悠元が真ん中の席に座り、沓子はその隣に座った。
「よもや、かつて京都に居を置いていた神楽坂の名を継ぐ方が来訪されたことに驚いております」
『伝統派』の魔法師は徐にそう切り出した。京都や奈良の魔法師を信じ、皇族の護りという大任を果たすべく京を離れた神楽坂の人間がこの地を訪れた―――この行動だけでも、『伝統派』のみならず古式魔法師からすれば神楽坂が京都と奈良の古式魔法師に“罰”を下しに来たのでは……と彼はそう述べた。
「今回は特に何かをするわけでもなく、何もしないのであれば客としてそのまま立ち去るつもりでいましたが」
「神楽坂殿からすればそうでありましょうな。ですが、多かれ少なかれ恩恵を受けている神楽坂家の方に礼をせねば、我々など忽ち泡沫の如く消え去るでしょう。それを分からぬ者が出てきてしまったことに、我々も大変苦慮しております」
「もしや、大陸の方術士を匿っておる一派かのう?」
「ええ、その通りです」
剛三がここの店を懇意にしていたのは、京都の『伝統派』がまだ穏便に和解することを理解していたからというのもある。もしかすると、その時から悠元を神楽坂家次期当主として据えるための準備をしていたとすれば、本当にただならぬ祖父である。
沓子の問いかけに対し、魔法師はそう述べた。
「最初は確かに報復を考えておりましたが、具体性などは一切ありませんでした。それと、報復と言っても私を利用した第九研に対するもので、祖国を裏切るつもりは一切ありませんでした」
第九研での実験は「九」の家で進められているが、その命令を下したのは当時の政府。この国の魔法をより良いものにしようとした結果、京都と奈良に『伝統派』を名乗る一派が生まれてしまった。
本来、責任の所在を問えば確実に当時の政府および内閣にまで波及する。だが、政府がこの問題が顕在化しているのにも拘らず放置し続けてきたのは、公権力という民衆の力が魔法よりも強力に存在しているためだ。だからこそ、魔法師ライセンスや魔法使用に関する厳しい法律が通用出来ていることにも繋がる。
そして、政府が公権力に甘えた結果、第九研に縁の強い「九」の数字を冠する家に対して『伝統派』が敵意を持つ構図が出来上がってしまった。政府からすれば、魔法という力を持つ魔法師同士が争ってくれれば政治にまで干渉する余裕も生まれないだろうという安易な考えだったわけだが、当の魔法師側―――現代魔法師のみならず、古式魔法師から見ても―――からすれば迷惑千万という他ない。
政府だけでなく、これを放置し続けた『元老院』に対しても「この国を真に憂うのであれば、今まで何もせずにしてきた責任を取れ」とまで言いたくなるほどに。
「奈良の連中のやり方には、もう付いていけません。獅子身中の虫になると分かっていて何故、大陸の術者を身中に引き込むのか……日本人の魔法師の忠誠心が日本以外にないように、彼らの忠誠心の在りどころも、祖国にしかないというのに」
忠誠心は思想に対するものではなく心情に悖るもの、と魔法師は語った。例え国を離れても、遠く離れてしまった祖国に対する想いが決して消え去ることはない。
「旧第九研とはこれ以上対立しない、というあなたの思いは理解しました。ですが、それは京都全体の『伝統派』の総意とも言えないでしょう。嵐山にいた魔法師、それと鞍馬の魔法師は大陸の方術士に取り込まれてしまっている―――違いますか?」
「……その通りですが、いつそれを?」
「嵐山の近くに宿を取っていまして、嵐山の『伝統派』の拠点に『聖域』再建のための敷設をしに赴いた際、彼らは周公瑾なる人物と接触していた情報を入手しております。それと、鞍馬寺に赴いた折、大陸系の方術士と思しき気配も感じましたので」
初老の魔法師は驚愕という表情を滲ませていた。悠元が元十師族ということは当然この男性も知っていることだが、古式魔法師の拠点をあっさりと攻略してしまう手際はこの地にいる古式魔法師の力を集約したとしても“不可能”という思いが強くなっていた。
そして、悠元が口にした『聖域』という文言は、かつて
「この地にかつて安倍晴明が敷いた『聖域』を復活成されると?」
「既に話が進んでいることですが、7年後には天神様こと菅原道真の千二百回忌の節目となります。そこで、嵐山に新たな天満宮を建立し、嵐山と比叡山に稲荷山、そして石清水八幡宮の4ヶ所を起点として『聖域』を構築します。そのため、嵐山にいる『伝統派』の拠点は“私有地の不法占拠”という形で取り壊すことが決定しております」
嵐山と愛宕山の一帯は土地所有者の台帳上神楽坂家の所有となっており、『伝統派』の拠点も本来ならば法律違反ということで追い出すことはいつでも出来た。だが、その勧告を悉く無視したので天満宮建立上の“行政執行”という形で彼らを拘束し、建物は即刻取り壊すことが決定している。
「それと、嵐山や鞍馬山にいる者も含め、貴方方京都の『伝統派』に“選択肢”を与えようと思います。大陸の術者は良くて強制国外追放の処分になりますが、元々この国にいる人間を外に出すわけにもいきません。幸い、叡山や鞍馬寺をはじめとした正統派の方々にも話を付け、望むのならば元の鞘に納めることも叶える所存です。無論、このまま残るというのであればそれなりの処遇を約束します」
『伝統派』の繋がりを利用した京都の監視体制の確立―――「九」の家の人間が聞けば悔しがるかもしれないが、政府に代わって和解の道すら探そうとしなかった人間に言われる筋合いはない。
それに、九島家は今年の九校戦で周公瑾からパラサイドール絡みで術者の亡命を受け入れている事実がある。しかも、その術者が脱走して『伝統派』内部の混乱を生み出しているのだから、真っ先に責を問われかねない有様。本来ならば九校戦の後で自主的に十師族の座を降りると言えばまだ恰好は付いたかもしれないが、更には佐伯少将との繋がりでパラサイドールの研究を続けている。
進むも地獄、戻るも地獄の有様だが、その周公瑾がらみで『九頭龍』に痕跡調査をお願いしていた過程でとんでもない事実が判明した。
本来ならメディア工作の件で周公瑾と七草家が繋がりを持っていたところを断ち切ったのだが、今年の6月初めに周公瑾と名倉三郎が会談し、その直後に周公瑾が九島家を訪れて大陸の方術士の亡命を頼み込んだのだ。後者の情報は九島家を訪問した際に『
単に周公瑾と名倉が会話しただけならば七草家と周公瑾の関係性を疑うことはまずないが、当時の名倉は七草弘一の腹心の部下。だからこそ、ここに関する因果関係の情報が既に手にしているが、後は本人に確認することが必要だろう……名倉に関しては“現状死亡している”のは事実だが。
「我々を、神楽坂家が引き取ってくださるということでしょうか?」
「選択肢自体は一つだけではありません。故郷が懐かしいというのであれば、神楽坂に縁のある家に渡りをつけて帰郷させることもいたしましょう。出来るだけ早い返事をしてくれれば構いません」
「……分かりました、同志や仲間には私からお伝えします。遅くとも年末までには京都の『伝統派』としてお答えを出します。その時間を頂く代わりに、何かできることはありませんか?」
嵐山にいる人間に対しての処遇の軽減を求めない辺り、そこまですれば神楽坂の恩赦に泥を塗りたくる行為だと深慮をしたのかもしれない。それと、嵐山と同じく大陸の方術士に“汚染”されてしまっている鞍馬に対しての処遇に関しては、比叡山と鞍馬寺が本格的に動き出す口実を与えかねないので彼も寛大な処遇を一切求めなかった。
「嵐山と鞍馬に関してですが、場合によっては苛烈な手段を用いて大陸の方術士の影響力を祓います。そこに関しては一切首を突っ込まないように願いたいのです」
「彼らが大陸の魔法師に取り込まれてしまっているのは存じておりましたが……分かりました。他にも何かありますか?」
「その大陸の方術士―――彼らの手引きをした横浜・中華街からの逃亡者である周公瑾が嵐山から南東方面に逃亡した痕跡は掴めましたが……確認したいのですが、宇治川を越えて奈良方面に逃れた可能性はあるでしょうか?」
原作知識も含めての話だが、彼が宇治川の“結界”(とはいっても神楽坂家本邸に用いられているものとは明らかに強度が異なるが)における管理者の一人ということは調べがついていた。それに、周公瑾が現時点で宇治川を越えていないことも確認済みだ。
なので、彼に対しては“結界”の存在も仄めかす様な尋ね方をしたところ、魔法師は驚くような素振りを見せていた。
「その言い方をされるということは、宇治川の結界にも気付いている御様子ですな」
「宇治川の結界……上流にダムがあったはずじゃから、ダムを基点として、そこから流れる水の一部を霊的に浄化しておるのか?」
「おおっ、お連れの方も流石でございます。概ねその通りです」
水に関する古式魔法はもとより、霊的な祭事に関わることが多い四十九院家の人間である沓子の推察に魔法師は感心したような言葉を述べた。結界とはいっても精々警報装置のような役割しか持たせられないが、彼は周公瑾個人を見張っていると述べた。
目の前にいる魔法師も周公瑾の存在を危険視しているというのに、パラサイドールの欲に負けて大陸の方術士を受け入れた九島家現当主に対して同情すら掛ける気にもならない。この辺は古式魔法師と現代魔法師のスタンスの違いもあるだろうが、十師族として力を求めたが故に歪んだ結果とも言える。
周公瑾が宇治方面にいるのは確実だが、宇治川を超えていないのも確実的。北や東に逃れるのは多大なリスクを負うことになるし、周公瑾が大阪あるいは奈良方面に逃れるとしても宇治川を通過せねばならない。
そうなると、彼が潜伏先に選んでいて尚且つ十師族の目も掻い潜りやすい場所―――国防陸軍宇治第二補給基地が最有力候補に挙げられることとなる。
十師族や師補十八家としての立場上(もしくは当人の多大な実績)、ネームバリューの関係で学校の役職に就くことはこの時代でも変わらないと思うため、しっくりきそうな所に当て嵌めました。
古式魔法師の方から接触してきたのは、悠元が九校戦に出た際に神楽坂の名を聞き及び、その当人が偶然かもしれないのに来た以上は挨拶もせずに帰らせること自体“無作法”と捉えたからです。
何せ、神楽坂家は長年京の都に拠点を置きながらも陰陽道の争いには一切加担せず、皇族を守るため、ひいてはこの国を護るという意思の元に動き続けてきた大家ですので。