魔法科高校の『触れ得ざる者』   作:那珂之川

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撃ち込まれた再会のツケ

 矢車本家の客間で一夜を過ごした翌朝、悠元は『仮装行列(パレード)』を使い、眼鏡を掛けた上で動きやすい運動着でランニングを始めた。ランニングとは言っても、普通のランニングと全力ダッシュを100メートル毎に交互に行うことで、緩急による負荷への抵抗と持続力を磨くためのもの。

 

 ランニングを終えて居間で朝食を食べるのだが、『パレード』自体が興味深いのか、純一郎の妹たちは興味深く見てくる。これには純一郎も苦笑し、慶一郎は娘たちを窘めた。朝食後、少し落ち着いてから再び鍛錬を始めようと歩いていると、演武場(矢車家が門戸を開いている武術の道場は門下生の練度によって部屋が分かれている)の中で下段に位置する道場から声が聞こえてくる。

 

 この時間は上段の人間しか来ない時間帯と聞いているので、恐らく誰かが自主的に練習しているのだろう。扉の隙間から覗くと、そこには一人の女性が砂の入った的に向かって打ち込みをしていた。

 白銀に近い金色の髪を結っている胴着姿の女性らしき人物。見るからに外国人と思われる。単に見ているのもどうかと思い中に入ると、扉が開く音でその女性も振り返ってこちらを見た。

 

 悠元は思わず驚いた。金色の髪に濃い緑の瞳。その人物には悠元も心当たりがある。記憶からすれば、間違いなく伊庭アリサであると。よく見ると、アリサの胴着の胸元からわずかにサラシが見えた。こういったスポーツ用の下着は持っていないのかと推察していると、アリサは首を傾げてこちらを見つめていた。

 それもそうだ。今の悠元は銀髪灰眼の青年に加えて念のために眼鏡をしている。なので、アリサからすれば初対面の人間になってしまう。なので、悠元は踵を正して挨拶をした。

 

「いや、済まない。邪魔をしてしまったみたいだね」

「日本語がお上手ですね」

「まあ、親が日本人だからね。僕は……ユーリと呼んでくれ」

 

 安直すぎると思うが、変に凝った名前にしたら後で弄られそうだと思ったからだ。それに、見た目からすればこの名でも問題ないと踏んだ。すると、アリサは丁寧にお辞儀をした上で自己紹介した。

 

「初めましてユーリさん。伊庭アリサと言います」

「よろしく伊庭さん。それで、伊庭さんは一人で自主練してたみたいだけど、悩みごと?」

「あ、はい。その、私には妹同然の子がいるんですけど、その子と比べると上達が滞ってしまって……」

 

 アリサが言うには、妹同然の子―――恐らく茉莉花のことだろう。茉莉花の上達スピードが速く、アリサはそれに置いて行かれないように自主練をしていたのだが、どうにも打ち込みが上手く行かないと話した。

 

「ふむ……伊庭さん、さっきやったように打ち込みをしてみて。見たら何かが分かるかもしれないから」

「あ、はい」

 

 悠元(ユーリ)の言葉にアリサは頷き、息を整えて打ち込みの練習を再開する。その上で悠元はアリサに対して『天神の眼(オシリス・サイト)』を使用して彼女の魔法資質を探る。無論、武術面の動きをきちんと見た上で。

 ダリヤがアリサに言っていた言葉の『偉大な魔法師』が真実だとするならば、アリサにもその一端が受け継がれていてもおかしくはない。幸い、悠元はこの世界のあらゆる魔法を知ったからこそ、その源泉も直に分かる自信があった。

 そして、悠元はアリサの中に秘められた魔法資質を把握した。

 

 その資質は二つ。

 一つは魔法演算領域過剰稼働技術『オーバークロック』。

 そして、十師族・十文字家の固有秘術『ファランクス』。

 

 この二つがアリサの中に秘められているということは、アリサの父親は間違いなく十文字家の人間の誰か。つまるところ、アリサは十師族直系の人間にして十文字家の“隠し子”という事実を知り、愕然とする悠元のもとにアリサが近寄った。

 

「ユーリさん? どうかしましたか? その、私は武術に向いていませんか?」

「あ、すまない。ちょっと考え事をしていてね。それで伊庭さん、君の動きは所々が“速過ぎる”んだ。もう一度構えて、そして打ち込んでみて」

「は、はい」

 

 アリサが構えたところで、悠元はアリサの背中に手を置く。そして、アリサが打ち込もうとした瞬間に想子を流し込み、アリサの動きで速過ぎる部分を矯正する。すると、先程迄鈍い音だった的への打ち込む音が甲高い音を放った。

 今まで感じたことのない手応えに、アリサは表情を綻ばせて悠元の左手を両手で握っていた。

 

「あ、ありがとうございます! やっと抜け出せたような気がします! って、あ、す、すみません!」

「いいよ、いいよ。何にせよ、お役に立ててよかった」

 

 人間、各々の稼働許容速度は個人差がある。無論、鍛えることで強化することは可能だが、それでもどこかで限界が生じる。それを補うために技巧があり、技巧を突き詰めることで技と成り、その果てに奥義が存在する。

 アリサは茉莉花に追いつこうとした結果、無意識的に茉莉花の速度を再現しようとして本来出せない許容速度を出そうとしていた。だから、精神の指令に対して肉体が再現できなかった。そこで、悠元はアリサの出せる許容速度ギリギリに抑えることで、肉体への連動をスムーズに行えるようになっただけだ。

 この強制は一時的なものなので、後は今の感覚を忘れずに反復練習すれば、アリサもしっかりと成長できるようになるだろう。

 

 そんな和やかな雰囲気を壊すかのように、悠元の背後から殺気を感じた。悠元が飛び退くと、明らかに速力の乗った蹴りが床に叩きつけられる。

 

「アーシャ、無事!?」

「ミーナ!? 待って、その人は……!」

「何者だか知らないけど、アーシャには先約がいるのよ! アーシャを奪うってんなら、勝負しなさい!」

 

 その人物の正体はミーナ―――遠上茉莉花なのには間違いなかった。こちらもサラシを巻いているのがちらりと見えたが……胸を見てしまうのは男としての悲しい性かもしれない。

 警戒心を露わにする茉莉花に対して宥めようとするアリサだったが、茉莉花の“先約”という言葉に反応して恥ずかしそうにしていた。

 

「………んん?」

「って、何で首を傾げるのよ! アーシャに色目を使っていたでしょうが! 私の目は誤魔化せないんだから!!」

「色目って……おっと!」

  

 アリサに対して武術のアドバイスをしただけなのに、それがどう湾曲して茉莉花の言う『色目』に繋がるのか分からずに首を傾げるが、茉莉花の拳が飛んできたので紙一重で躱す。

 

「って、逃げるな!」

「この状況で逃げない理由などないんだが?」

「このっ、佑兄みたくちょこまかと……!!」

 

 悠元に倣う形で茉莉花とアリサも武術を習っていたが、茉莉花は何かにつけて勝負を挑んできた。だが、その時の自分でも遼介を軽く捻じ伏せるだけの実力を有していた。そんな自分が大人げなく負かすわけにもいかず、適当にあしらった上でスタミナ切れを狙い、茉莉花に「負けました」と言わせるまで逃げ続けた。

 

 だが、それはあくまでも4年前の話。あれから成長した茉莉花の動きは見違えるほどに速くなっていた。まあ、比べるのは失礼だろうが、剛三の繰り出す攻撃に比べると止まっているレベルになってしまうのが悲しいが。

 

「こんの……舐めてるんじゃないわよ!」

 

 このままスタミナ切れを狙おうと思っている悠元に対し、茉莉花の身体からまばゆい想子光が迸った。それが魔法発動の兆候だという事実は、悠元も……魔法を本格的に学んでいないアリサにもすぐに分かった。

 

「どりゃああああ!!」

 

 そして、茉莉花は右の拳を悠元の顔面目掛けて繰り出した。

 普通なら、悠元の『相転移装甲(フェイズシフト)』で無力化できるだろう。万が一怪我を負ったとしても自己修復術式で瞬時に治ってしまうだろう。だが、それで茉莉花の攻撃が止まるかと言えば答えは“否”だ。

 ここまで昂った状態の茉莉花が戦いを止める方法は、彼女が勝つか……彼女の魔法演算領域がオーバーヒートを起こすかの二択。だからこそ、悠元は顔を振り払って身に着けていた眼鏡を誰もいない方向へ飛ばした。

 悠元が茉莉花の方へと顔を向けた時、魔法障壁を纏った茉莉花の拳が眼前に迫っていた。そして、悠元は魔法を纏った茉莉花の拳を……額で受けた。

 

「……あっ」

「……な、何で……」

 

 脳へのダメージを避けるべく、局所的に『相転移装甲(フェイズシフト)』で脳を防御し、筋肉の弛緩によって衝撃を地面に受け流した。だが、外傷まで避けることができず、茉莉花の攻撃によって悠元の額から血が流れていた。

 先程まで躱されていた攻撃が当たったことに、アリサはおろか茉莉花までも驚きを隠せず、茉莉花は十神の固有魔法『リアクティブ・アーマー』を解除した。

 

 茉莉花とアリサが自分を見倣って武術を習うようになったことは嬉しかった。転生して四葉との関わりを持つ前、漠然としていた生き方に彩りを与えてくれたのも事実。だからこそ、悠元は甘んじて茉莉花の攻撃を受けた。

 呆然とする二人をよそに、悠元は何事も無かったのように眼鏡を拾い上げたところで、茉莉花の想子の波動を感じて慶一郎が入ってきた。

 

「失礼する、先程の……ユーリさん、その怪我は!?」

「あ、これですか? 其方のお嬢さんの拳を咄嗟に額で受けてしまって。大したことないですよ」

「そうは行きません! 誰か、ユーリさんの治療を。遠上さんに伊庭さん、貴方達はここで正座していなさい」

「は、はい」

「……はい」

 

 慶一郎は大方の事情を察しつつ、ユーリもとい悠元のケガの治療と2人の監視を別の門下生に任せ、その場を急いで去った。慶一郎の有無を言わさぬ言葉に対し、アリサは慌てて返事をし、茉莉花は辛うじて返事をした上でその場に正座をした。

 その光景を横目にしつつ、怪我の治療ということで悠元はその場を離れたのだった。

 

  ◇ ◇ ◇

 

 矢車本家は自分の魔法全てを知っているわけではないため、甘んじて治療を受けることになっていた。傷の手当てなんて、それこそ前世で何度かあった位だ。今世では自己修復術式を早い段階で会得していたため、傷跡が残る様な怪我などしなかった。精々沖縄防衛戦で深雪を庇った時が一番の重傷だろう……達也の『再成』で治されたが。

 治療を終えて額に傷パッドを貼られた悠元は客間で大人しくしているように言い含められ、仕方が無いと畳の上に寝転がった。

 

「……流石に奥義を撃ち込むわけにもいかなかったからな」

 

 最初、悠元は新陰流剣武術武闘奥義が一つ、“白虎雷神掌(びゃっこらいじんしょう)”を撃ち込もうか考えた。だが、この奥義は彼我の距離にある情報量に応じて威力が増す―――情報体次元(イデア)に含まれる想子情報の分に応じてその想子を掌握し、その全てを威力に転化する―――特性があり、『リアクティブ・アーマー』などの防御系魔法を全て引き剥がして無防備となった相手に膨大な密度の想子の塊と圧縮された空気を撃ち込む。

 ようするに、かなり加減をしないと完全なオーバーキルどころか道場すら壊しかねなかったため、甘んじて茉莉花の拳を受けたのだ。かれこれ4年半以上会っていなかったツケだと。

 すると、物音がしたので起き上がると、襖を開けて矢車家の使用人がその場に座ってお辞儀をした。

 

「神楽坂様、旦那様がお連れするようにと」

「分かりました」

 

 流石に恥ずかしいので額のパッドを取りたいところだが、これも自分がしたことに対しての“報い”だと甘んじることにした。まあ、既に傷を自己修復術式で治しているが、この辺は昨年の九校戦において達也もモノリス・コードで耳を負傷していたので、同じような気持ちを抱いたのかもしれない。

 使用人に案内される形で悠元が招かれたのは応接の間で、そこには千姫と慶一郎、私服に着替えた茉莉花とアリサ、そして茉莉花の両親である良太郎と芹花が座っていた。彼らに対し、千姫が声を発した。

 

「彼は息子のユーリです。今は神坂グループで私の手伝い―――取締役を担っている身です」

 

 千姫が喋ったということは、この場で喋るのは宜しくないと判断して黙って頭を下げた。そして千姫の招きで隣に座ると、良太郎が深々と頭を下げた。

 

「ユーリ君、うちの娘が大変申し訳ない事を致しました。神坂グループの取締役を怪我させたことに対して謝って済む問題ではありませんが、本当に申し訳ありませんでした」

 

 良太郎に倣う形で芹花が頭を下げ、両親の態度で拙いことをしたと察した茉莉花も頭を下げ、アリサも深々と頭を下げた。すると、厳しい表情をしていた慶一郎が口を開いた。

 

「ふむ、元々チェルシー(千姫の偽名で、昔日本人離れしていたことから名付けられた綽名)殿とユーリ殿は詰めの交渉の為に出向いてもらっていましたが、此度のトラブルはとても見過ごせません。最悪、今までの交渉を白紙に戻さざるを得なくなるかと」

「そ、そんな……」

 

 慶一郎の言葉に良太郎と芹花は肩を落とし、茉莉花に至っては自分のしたことで親に迷惑を掛けていることに表情が青褪めていた。そんな茉莉花をアリサは心配するように見つめていた。すると、ここで助け舟を出したのは千姫だった。

 

「矢車様。そう目くじらを立てる必要はございません。元を正せば子どもの喧嘩ですし、息子も黙ってはおりますが、怒っているわけではありません。そうですよね?」

 

 千姫からそう言われ、悠元も黙って頷いた。元々自分から攻撃を受けたので怒るも何もないのだが。それを見やった上で、千姫はこう続けた。

 

「ですが、事情を聞くに娘さんが未熟ながらも魔法を使って怪我をさせたことは本来で言えば罪に問われますが、今回のことを黙る代わりの条件として、茉莉花さんと……アリサさんの2人を息子の婚約者に迎えたいと考えています」

「えっ……」

「ちょ、ちょっと! どうしてそうなるのよ!!」

「茉莉花!」

 

 千姫の言い放った発言に、呆然とするアリサと詰め寄ろうとする茉莉花、そしてその行動を窘めようとする良太郎。慶一郎はこれに対して口を挟まないところを見るに、千姫からある程度の段取りを聞かされていたのだろう。

 その発言をした上で、二人の様子を見た千姫が微笑みつつ問いかけた。

 

「あら、そのご様子ですと、好いている方がいらっしゃるのですか?」

「っ……あ、貴女には関係ありません! アリサも佑兄のことを言っちゃだめだからね!」

「あ、う、うん」

 

 千姫の悪戯めいた笑みと共に放たれた言葉に対し、茉莉花は顔を赤くしつつも反論した上でアリサに釘を刺し、アリサはその想い人を脳裏に思い浮かべたのが、頬を赤く染めて俯いていた。

 もはや千姫が描いた茶番と化している有様に、内心で深く溜息を吐いた。これではまるでドッキリを仕掛けているようなものだ。このままでは埒が明かないと慶一郎の方を見やると、慶一郎は首を横に振った。つまり、慶一郎にも手に負えないということのようだ。まあ、相手が神楽坂家現当主なだけに、矢車家当主として物申すこと自体大変なことだと察した。

 

 良太郎や芹花も困惑した様子を見せており、どうしたらいいのか分からないのだろう。なので、悠元は諦めたように傷パッドと眼鏡を外して『仮装行列(パレード)』を解除した上で声を発した。

 

「やれやれ、母上、お戯れも程々に。()()()()()()()が困っていますから」

「えっ……えっ!?」

「ユーリ……さん? 髪の色が……それに、その呼び名は……」

 

 声自体の魔法による変化はさせていなかったが、4年半以上も音声的なやり取りはしていなかったので気付かなかったのだろう。悠元の発した言葉で茉莉花は悠元の髪の色が変化した―――元に戻ったことに驚き、アリサはそれに加えて親しい人しか呼ぶことが無い愛称を口に出したことに驚いていた。

 良太郎と芹花も驚きはしたが、元々悠元のことに気付いていたからか驚きは二人に比べると少なかった。千姫はそれを見た上で自身も『パレード』を解除し、本来の黒い髪へと戻った。それを見た上で、悠元は改めて頭を下げた。

 

「長野佑都改め、元十師族・三矢家が三男、隣にいる神楽坂家当主こと神楽坂千姫が養子、神楽坂家次期当主神楽坂悠元と申します。何分著名の身になったため、姿を偽ってこの場に姿を見せたことに対してお詫びいたします……お久しぶりです、良太郎さんに芹花さん。それと、アーシャにミーナも久しぶりだな。4年半以上ぶりになるか」

「ゆ、佑兄? 九校戦で『クリムゾン・プリンス』を破ったのがあの佑兄なの?」

「……佑都、お兄ちゃん……」

 

 茉莉花とアリサも悠元の言葉を聞いて、漸く長野佑都が九校戦で『クリムゾン・プリンス』を破って優勝した三矢悠元、そして神楽坂悠元であると理解し、昔の呼び名を口にした。そして、アリサは徐に立ち上がると、悠元に駆け寄って抱き着いた。

 

「佑都お兄ちゃん、久しぶり!」

 

 滅多に見ることのないアリサの屈託のない笑顔に、悠元はやれやれといった感じでアリサを抱き留め、良太郎と芹花、そして千姫と慶一郎までも微笑ましそうに2人を見つめていた。そして茉莉花は、姉同然兼“恋のライバル”であるアリサの積極的な行動に対して、ただ呆然とするほかなかった。

 




 無傷よりもちょっと傷を負った方が動揺すると思い、こんな展開にしました。眼鏡自体は度数の入っていない眼鏡であり、あくまでも補助装備なので茉莉花の一撃を受けても主人公の『仮装行列(パレード)』は解除されていません。
 そして、姉(アリサ)に先を越される妹(茉莉花)の図。

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