茉莉花とアリサに魔法の基礎中の基礎を教えているのだが、気が付けば千姫や慶一郎だけでなく、総一郎や彼の妹たちまで聞き入っていた。なお、良太郎と芹花については話し合いも無事に終わったため、遠上家に帰ったとのことだ。
「何してるんですか、母上。古式魔法の大家の当主としてそれはいいんですか?」
「
(上泉? あれ、どこかで聞いたような……)
悠元と千姫のやり取りの中にあった単語にアリサが疑問を浮かべていたが、それを無視して話を続けることにした。なお、これはあくまでも現代魔法向けのものだが、発動プロセスが一部似通っている古式魔法にも他人事ではないのだろう。
「まあ、分かりました。前もって言っておきますが、これから話す内容は既存の魔法の常識すら壊します。万が一外に漏らしたら……」
「どうなるの?」
「土下座の上、泣きながら『ごめんなさい』と言わせるまで尻にタイキックを食らわす」
「……絶対に漏らせないですね。総一郎、貴方達もいいですね?」
慶一郎は悠元が新陰流剣武術の師範クラスの実力者だと知っており、剛三の教えを直に受けた人間ということも知っている。剛三仕込みの蹴りなど、本気を出せば全身複雑骨折で済む方が“まだマシ”だと察し、慶一郎の言葉に彼の子どもたちは勢いよく頷いた。
茉莉花は昔悠元のアイスを勝手に食べたことで食らった尻叩きを思い出してゾッとなり、その光景を目撃していたアリサも勢い良く頷いた。
「じゃあ、まずは魔法の基本発動プロセスから説明するか」
まず、ごく一般的な現代魔法の場合、以下のプロセスを経ることになる。
1、CADから起動式を受信する。
2、起動式に変数を追加して、意識領域から無意識領域へ送る。
(起動式に照準などの変数が含まれる場合、省略される)
3、無意識領域にある魔法演算領域で起動式と変数から魔法式を構築する。
(魔法式は無意識に自動構築される)
4、構築した魔法式は無意識領域の最上層にして意識領域の最下層(ルート)に送られ、意識領域と無意識領域の狭間(ゲート)から
5、
現在の現代魔法において、魔法演算領域を意識して使うことは出来ても、魔法演算領域で行われる内容を意識することはできない。何せ、精神の無意識領域とされる部分―――人間の情動を司る精神体の存在が明確化されていない上、
起動式に変数を追加するのは精神の意識領域―――理性的な思考を司る想子体の部分で行われる。そして、一般的な魔法学で“核”と呼ばれている部分もとい『リンカーコア』を経由して無意識領域に存在する魔法演算領域に送られることとなる。
そして、起動式が魔法式に構築される仕組みなのだが、この部分で重要な動きを果たしているのはプシオンの存在だ。
まず、起動式に組み込まれた魔法式構築のプログラムに基づき、プシオンで構成された魔法式が構築される。次に使用済みの起動式を分解して何の情報も持たなくなったサイオンをプシオンの魔法式に基づいてサイオンの魔法式として再構築する。云わば『鏡合わせの魔法式』が構築される。
では、同じ魔法を使っても魔法展開速度や事象干渉力に違いが出るのは何故なのか、という疑問が出るだろう。
答えは簡単だ。魔法展開速度に違いが出るのは魔法演算領域の出力許容範囲もあるが、それ以上に「術者本人の魔法理論」が大きい。これは単純に魔法の基礎理論―――現代魔法では数学や物理などといった実体的な理論が多い―――だけでなく、魔法の理論に対して術者が最も納得出来る「合理的な理論」が求められる。
合理的な理論の例を挙げると、例えばとある場所から目的地に行く場合、自分にとって“最も納得出来る”移動手段を用いるとしよう。仮にAさんが『車が一番早い』と述べても、その道中に渋滞となりそうなポイントが複数あるとすれば、それを聞いた別の人は車に拘らず有効な移動手段を模索するだろう。
だが、今の現代魔法は教科書的・算数的な教え方みたいなもので、答えが一つしか与えられない状態となっている。理屈では分かっていても、本人が納得できなければその分の誤差が生じる。その考え方の誤差は魔法演算の誤差となり、結果として展開速度に差が生じてくる。
魔法展開速度については、達也の人工魔法演算領域が分かりやすいかもしれない。彼の人工魔法演算領域は潤沢な想子保有量に対して出力が低いが、これは彼の持つ『分解』と『再成』の魔法演算領域のせいというよりも、人工魔法演算領域を植え付ける際に殆どの情動を消し去ってしまったからだ。
深夜は達也の『分解』や『再成』が感情で暴発しないように対策をした結果、激しい情動が生み出す元来の事象干渉力まで削いでしまったのだ。四葉の秘術である『フラッシュ・キャスト』を使うのならばまだしも、CADから読み込んで魔法を展開する技能が遅いのは、激しい情動の消去に伴う著しい出力低下が原因である。
『分解』と『再成』で占有された魔法演算領域は残った分の情動で補わなければならず、加えて達也に掛けられた“封印”によってさらに制限されたため、原作で使用した『ベータ・トライデント』は彼自身が得意とする『分解』系統の魔法、しかも『
無論、達也の事情に関しては説明から省いている。
事象干渉力の差異が発生するのは、プシオンの魔法式―――魔法学的に表現するなら“事象干渉力”と言われる存在―――が『ルート』を通じて『ゲート』から
『ゲート』を通過して
普通はその働きが起きる前に意識領域のセーフティーという形で強制的に気絶するわけだが、余剰サイオンを制御しきれていないことによって精神のセーフティーが誤作動を起こし、それが魔法式投射の抵抗となって魔法式が本来出せるはずの事象干渉力を削いでいる。
「とまあ、ここまでが現代魔法の魔法展開におけるプロセスだが、俺の場合はこうなる」
1、CADから起動式を受信する。
2、起動式に変数を追加して、リンカーコアを介する形で起動式の想子信号を特殊な信号に変換して意識領域から無意識領域へ送る。
3、無意識領域にある魔法演算領域で起動式と変数から
4、構築した
5、
1は同じだが、用いている起動式自体は悠元が合理的に納得した魔法理論に基づいて構築された記述が用いられている。2に関しては、魔法師のリンカーコアが本来持っている機能を使ってのプロセスで、変数追加の際に特殊な処理を用いることでサイオンの“疑似性質変化”を行うもの。
そして、悠元が説明した中に出てきた
「悠君、その
「これはですね……古代文明で用いられていた
従来の魔法演算領域による魔法構築では、一つの魔法を継続して使うと精神の負担が重くなり、最悪魔法演算領域のオーバーヒートを起こすリスクが存在する。
ベクトル操作ならば『面』になるだろうと思う人もいるだろうが、例えば『ベクトル反転』の魔法で飛んできた銃弾を同等の速度で跳ね返す場合、飛んでくる銃弾の速度の2倍のベクトルを銃弾に与える必要がある。しかも、余程動体視力が良くなければ身体全体を覆う形で展開しなければならない。
『トーラス・シルバー』によって重力制御魔法が発表される前、飛行魔法が実現不可能とされていたのはこの法則に近く、魔法を重ね掛けする際に本来必要としている移動ベクトルを実現させるためにそれ以前のベクトルを打ち消すだけの移動ベクトルが必要で、その結果として事象干渉力の累乗加算が発生して飛行魔法の継続限界が生じていたためだ。
話を戻すが、そもそも起動式から霊子の魔法式を組み立て、そこから想子の魔法式を組み上げるという“手間”がネックになっているし、『ゲート』通過による霊子の減衰もそうだが、『ゲート』を通すということは魔法継続中も魔法式を通して自身の精神と外界が接続した状態になっている。
現代魔法には魔法式を展開した時点で術者と切り離されるようになっているが、息継ぎを経ての同一魔法の行使は世界という名の“膨大な情報”と断続的接続を繰り返していることになり、魔法式を通す形で魔法演算領域に情報が逆流し、魔法の継続処理だけでなく魔法を通して流れ込んできた情報まで処理しようとして魔法演算領域が過熱する―――これが行き過ぎた結果として起こるのが魔法演算領域のオーバーヒート現象なのではないかと推察した。
原作において一条剛毅や桜井水波がこの現象に陥ったのは、広範囲に展開した障壁に対する戦略級魔法『トゥマーン・ボンバ』の威力もそうだが、防御系魔法の持続展開自体が“継続展開”であり、十文字家の秘術である『ファランクス』のように条件付けの断続的展開となっていない。
加えて、範囲攻撃の広さと「爆発」という化学変化の中でも情報変動が極めて激しいものであったため、広範囲の目まぐるしく変化する膨大な情報が障壁を経由する形で彼らの魔法演算領域に流れ込み、それらまで処理しようとしたことでオーバーヒート現象が起こったのだとすれば一応の説明は付く。
このオーバーヒート現象には、現代魔法の第一パラドックス―――魔法による事象改変に物理エネルギーの供給がされず、魔法はエネルギー保存の法則に縛られない―――と余剰次元理論の関連性も大きく関与しているとみられる。
何せ、色々な魔法の検証をした際、明らかに足りないエネルギー収支が生じることが起きていた。もしかすると、魔法を継続して使用したり精神干渉系魔法を使用した場合、不足分を補うべく魔法的なエネルギーを別次元から引っ張ってきて、その引き出した余波が魔法式と『ゲート』を通じて魔法演算領域に流れ込む可能性が浮上する。
現代魔法が体系化して約1世紀、現代魔法の魔法力評価が継続性よりも瞬間的かつ爆発的な威力を求めるようになったのは、これまでに積み上げてきた表沙汰に出来ない数々の人体実験で現代魔法の継続使用のリスクを知っていたからなのではないか、と推測した。
これらの推察から、『ゲート』を通す魔法が明らかに危険だと判断した。なので、リンカーコアを経由する魔法に全て切り替えると共に、世界で自分にしかできない芸当―――転生特典の『
魔法幾何学の勉強で大きさ1センチの移動系魔法の魔法陣を書いていたり、異なる系統魔法の連結陣を構築したり、課題として失敗した26工程の振動系魔法陣、更に『スキャニング・キャスト』と『リンゲージ・キャスト』の確立は全て
サイオンによる事象改変力を最大化するため、プシオンにサイオンの性質を“付与”することで従来の魔法と比較して数十倍から数万倍の威力を発揮する魔法構築式。更には想子制御によって制御下に置いたサイオンに自身のプシオンを“転写”することで、一番のネックであったサイオンとプシオンの消費比率を劇的に改善することに成功した。
元々『
「この構築式は、起動式の記述変更自体は難しくありませんが、一番ネックになるのはサイオンとプシオンの制御、そして“性質付与”になります」
「具体的には?」
「プシオンの感受性はサイオンのそれに比例するのですが、問題は自分たちがプシオンもとい精神を削って魔法を使用している自覚が希薄過ぎることです」
現代魔法でピックアップされているのは主にサイオンであり、プシオンは判明していない部分が多すぎるために重視されない傾向が強い。
大体、サイオン自体が物理法則に左右されない粒子という事実がある。いくらサイオンに情報という要素を加えたところで、サイオンそのものに物理法則への干渉力が無い以上、事象改変を行っているのはプシオンに他ならない。
一番分かりやすい例は、達也とリーナが一緒にいた時、リーナが挑発してサイオンの球を達也に放とうとしたことだ。サイオンの球を放っても“銃で撃たれたような感覚”で済むということは、肉体と精神を結び付ける想子体の存在を示すと同時に、“収束”という情報を与えられることで一定の構造を有するサイオンの球自体に物理的な干渉力は認められない、ということになる。
問題は、サイオンの性質を知っていれば自ずと出てくる疑問に対して現代魔法師の殆どが目を背けている―――いや、魔法教育学そのものが間違った魔法の教え方をしているということだ。
「実は、達也たちにこの辺のことを聞くと、みんな驚いていましてね……制御法を教える際、うちの姉さんたちや元継兄さんに聞いたときも同じ反応をしたほどです。爺さんはあのことがあったからか逆に自覚があり過ぎますが」
「まあ、それもそうでしょうね……皆さん、驚きを隠せない様子ですね」
「母上が大物過ぎるだけです」
何せ、現代魔法の魔法展開理論を真っ向から否定する新体系の魔法理論を構築したようなものだ。しかも、現代魔法のリスク面を克服した形となるため、これが外部に漏れれば、各国はこぞってこの構築式を知りたがるだろう。
補足だが、リンカーコアを経由して魔法を継続展開させる場合、『ゲート』を通す場合と比べてオーバーヒートのリスクが約99.9パーセント減るという計算結果が得られた。リンカーコアは『ゲート』と異なり、精神のセーフティーが備わっていることは確認できていたが、ここまでの結果を得られるとは思ってもみなかった。
大学で魔法演算領域のオーバーヒート関連の研究を専攻している夕歌に見てもらったところ、唖然とした表情を浮かべたほどだ。曰く「これを発表したら、間違いなく魔法学に名を残すわね」とのこと。
「ただ、プシオンの性質付与はどうやってやるのです? 私も個人的に知りたいのですが」
「母上なら難しくありませんよ。『
「成程、あの技法を用いるのですね」
正直なところ、千姫の場合はサイオンの制御だけでなくプシオンの制御まで無自覚かつ完全に制御しきっている。剛三の義妹にして神楽坂の名を継いだのは必然と思わざるを得なかった。
サイオンにプシオンの性質を付与する方法は至って単純で、サイオン粒子の復元力をほぼゼロに低減した状態で自身のプシオンの波長をサイオンに流すと、疑似的なプシオンとなって事象干渉力を得ることが可能となる。この技術自体は天神魔法でも用いられている基礎的な技術の一つで、
「密教系や陰陽道系、
「正に灯台下暗し、ですね。私も未熟であったと痛感します」
「いや、母上や爺さんは今の状態でも十分おかしいですからね」
何せ、
イギリス王室からは『我が国において多大なる功績を挙げた東洋の聖女』として王室もしくは皇族以外の人間で初となるロイヤル・ヴィクトリア
「悠君がいじめる……今夜は茉莉花さんとアリサさんに仕込んで……」
「……止めるのは諦めますが、程々にしてください」
この母親のことだから、どうせ今夜あたりに仕込むのは予想できる。とはいえ、ここで逃げるというのは男として最低としか言いようがなく、受け入れる他ないのかもしれないが、相手はまだ13歳……倫理観が戦国時代準拠ではないか、と錯覚してしまいそうになった悠元であった。
あと、せめて当人がいる前でその話はしないで欲しいと思う。現に、その話を聞いた茉莉花は顔を赤くして「あ、あたしが悠兄と、そ、その?」と困惑しており、アリサに至っては頬を紅く染めて「お兄ちゃんとはじめての……」と期待するような眼差しを向けていた。
「逃げるなら……いや、もう遅いか」としか言いようが無かった。
今回は魔法構築関連のお話。原作をあちらこちらから引っ張りまわし、構築の流れで齟齬が出ないように試行錯誤を重ねて煮詰めた結果、こうなりました。一応オリジナル設定ということでお願いします。
魔法演算領域内での構築方法は原作でも不明のままですが、こういう形でないと起動式に用いられたサイオンがそのまま残ってしまい、疑似的な魔法占有の状態が起きると考えたからです。魔法式に使い切れなかったサイオンが余剰想子として対外に放出されると考えれば辻褄も合うかと思った次第です。