実を言うと、慶一郎は元々矢車家の人間ではない。元は
上泉家の歴代当主は近年のものを挙げると、剛三の父である
四葉の復讐劇後、芳綱が病気で急死した。当時、芳綱の子であった慶一郎は幼かったため、復讐劇に参加した後遺症で魔法力が安定しなくなったとはいえ、武術は達人級の剛三が已む無く上泉家当主の座を継いだ。剛三が武術の指導に引き籠ったのは、元々当主の座にあまり関心が無かったことも大きく影響しており、実務部分は剛三の妻が請け負っていた。
そして、慶一郎は幼馴染であった矢車朔夜の娘と懇意になり、剛三が仲人というかたちで矢車家に婿養子として送られた。
上泉直系の血を引く慶一郎が剛三の引退後に上泉家当主へ選ばれる可能性はあった(慶一郎の上は全て姉という女系家族であり、既に嫁いでいる関係から慶一郎に白羽の矢が立った)が、慶一郎は上泉本家に赴いてその話を丁重に断った。
慶一郎は「今の私は神楽坂の門下に名を連ねるもの。血の為と簡単に離れる様な事があれば、戦火で乱れた世は更に乱れましょう」と述べ、剛三も彼の言葉を受け入れた。
その上で、慶一郎は新陰流剣武術で頭角を現しつつあった元継を推薦した。元継と千里の問題を片付けたいと述べた剛三に対し、神楽坂家に伝わる“婚約の儀式(儀式とは言っても格式張ったものではなく、秘中の香を用いて避妊をした上で懇ろな関係を築く)”を薦めたところ、見事に結ばれた。悠元が元継を起こしに行こうとして見た光景は、その儀式後だったという訳だ。
「……彼は、立派に成長しましたね。剛三殿の教えを全て受け継ぎ、千姫殿の眼鏡に適う実力者へと」
悠元に起こった変化は、慶一郎も薄々感じていた。だが、“生まれ変わった”彼は人の絆を無意識的に追い求め続けていた。その結果、あらゆる家の娘を婚約者として迎えることになった。そしてそれは、
彼の強靭な精神力を支えているのは、その絆によって結ばれた婚約者たちのお陰でもあると慶一郎はそう感じていた。
「私だったら、とっくに逃げ出しているかもしれませんね」
千姫から聞いた話では、「婚約者たちと熱い夜を繰り広げている」と面白おかしく述べられていたが、婚約者同士で諍いが起きていないのは彼の人徳所以だろう。
常人ならざるからこその苦労など慶一郎には分からないが、普通ならば少なくとも一人ぐらいはそういった諍いを起こしそうなものなのに、それが起きずに良好な関係を築けるというのは並大抵のことではない。“女たらし”とは言われそうだが、これも彼が知らず知らずのうちに築いてきたものなのだろう、と慶一郎は考えた。
◇ ◇ ◇
矢車家の大浴場は門下生も利用するために規模が大きく、近くの市民も利用する憩いの場となっている。営業時間が過ぎると矢車家の人だけが入れるプライベート用の風呂場となり、その奥にある露天風呂に悠元は浸かっていた。
「ふぅ……1年もようやく終わりに差し掛かるか。いや、まだ二つ仕事は残っているが」
まさかアリサと茉莉花のことに加えて引っ越しの手伝いはまだしも、明日には東京に戻って厚木の三矢本家を訪れなければならない。アリサ自身も三矢家の養女になることは前向きで、茉莉花もアリサと一緒に暮らせることに喜んでいた。
その上、明後日から暫くは別件で動くため、今回は寝正月をして過ごせないことに頭を抱えたくなった。別に“彼”の実力を疑うわけではないが、誰かが横槍を入れないとも限らない。いくら言葉で述べようとも、それが本当に実行されるか否かはまた別の問題なのだ。
ともあれ、まずは懸案の一つにめどが立ったと思うことにしよう……そう結論付けたところで悠元は露天風呂の扉の向こうから気配を感じた。数は2人で、感じられる気配から察するに女性だというのはすぐに分かった。
そして、今の時間に悠元が入っていることを知っているとなれば……悠元の予感はその2人―――アリサと茉莉花が姿を見せたことで確信に変わった。2人ともタオルを巻いていて、アリサは長い髪を結っている。
「あ、ここにいた!」
「ミーナ、落ち着いて」
「……やれやれ」
どうせ千姫の差し金なのは言うに及ばず、ここで慌てても得することは一つとしてない。それに、12月の北海道、それも夜はかなり冷える。今日は珍しく風が吹いていないが、それでも外気の中をタオル一枚でうろつかせるのは悠元にとってもあまり気分のいいものではなかったからだ。
露天風呂は広く、魔法科高校の一クラス分の生徒が入ってもまだ余裕があるぐらいの広さ。にもかかわらず、温泉に浸かったアリサと茉莉花は悠元に密着していた。
「アーシャにミーナ、何故引っ付く?」
「だって、悠兄とこうやって一緒に入るのも4年半以上ぶりだし、もう婚約者だし」
「お兄ちゃんと一緒に入りたくて……ダメ?」
「ダメとは言わんが、もう少し節操を持ってほしい」
4年半以上(正確には約4年9ヶ月)という時間は2人にとっても寂しかったようだ。尤も、自分の場合は雫やほのかと学校で会ったり、FLTに行ってはCAD開発に取り組んでいたり、爺さんの付き合いで海外旅行に突き合わされたりと事欠かなかった。
「正直に言って、アリサは遼介さんにも懐いていたし、遼介さんに恋焦がれると思ってた」
「お、悠兄もそう思うでしょ? アーシャったら、毎日悠兄と撮った写真を眺めていたぐらいぞっこんでね」
「ミーナ! ……だって、お兄ちゃんは私にとってお母さん以外の初めての家族だから。遼介さんのことは慕ってたけど、ずっと忘れられなかった」
どうやら、アリサには若干家族依存のようなものが見られる。まあ、父親を知らず、母親を亡くして天涯孤独の身となったアリサが兄代わりとなった自分に依存してしまうのは自然の流れなのかもしれない。茉莉花の指摘に対して、アリサは頬を紅く染めつつ悠元を見つめていた。
「でも、お兄ちゃんと兄妹の関係でい続けることが苦しくて……こうやってお兄ちゃんと再会して、やっと分かった。私は、お兄ちゃんのことを一人の男性として好きなんだって」
「アーシャ……」
「む、あたしだって悠兄のことは初めて会った時に好きになったのに、悠兄ってばのらりくらりと躱すし」
「あの時は俺がまだ8歳、2人は5歳だぞ? 5歳の女の子に恋したら色々問題があるわ」
今だって辛うじて認めているぐらいで、2人と同い年の茜にだって一応16歳を目安にした形で答えを返したのだ。当時の年齢を鑑みても道徳的にも倫理的にもアウトにしかならないのだ。どこの光源氏だよ、と思ったほどだ。
「それはそうだけれど。ねえ、悠兄。あたしらのこと、どう思う?」
「どう思う……って、何してるんだ」
「誘惑って奴? どうせ今夜悠兄としちゃうんだし」
「あのな……って、アリサもいつの間に……」
「お兄ちゃん。私の体、たくさん触れていいですよ」
何と言うか、思春期真っ盛りの茉莉花は身に着けていたタオルを外し、直接悠元の体に密着していた。アリサの方もタオルを取って悠元の胸元に顔を埋めるようにして抱き着いていた。というか、よく見ると2人の表情が蕩けるような感じ……これから起こることを“期待”するような眼差しを向けていた。
これはもう、千姫に何かしら仕込まれているとみて間違いないだろう。
「なあ、母上に何か渡されたか?」
「あ、うん。何か“ひやく”みたいなのを渡された。それを飲むと“避けられる”ことができるって言ってたけど、どういうこと?」
「私も渡されて、そんなことを言われたの」
「……あの人は」
いや、まあ、確かに倫理的な問題を考えれば、千姫のしたことは褒められるべきだろうが、その薬の副次的効果としてアリサと茉莉花の息が荒くなり始めている。このままだと風呂で致す羽目になり確実に逆上せかねない。なので、悠元は気を強く持った。
「アーシャにミーナ、部屋に行こうか。このままだと逆上せるからな」
「う、うん」
「お兄ちゃんがそう言うなら……」
その後、何とか着替えさせて客間に辿り着いた悠元がみたものは、徐に敷かれた3人分の布団であった。これから起こりうることを考える暇もなく、茉莉花とアリサがまるで悠元の体に自らの体を擦り付ける様な仕草を見せ始めている。
これ、避妊薬の副作用は激しい媚薬のような効果を起こしているのだと推察した悠元だが、そんな考察はアリサからの突然のキスで吹き飛ばされた。
「ん……お兄ちゃん、もう我慢できない。私を、お兄ちゃんのものにして?」
「あたしも! あたしも悠兄のお嫁さんにして欲しいの!」
「……やれやれだ」
結局、千姫の思惑に乗せられる形で茉莉花とアリサを抱く羽目となり、何だかんだストレスが溜まっていたのか、二人にとって初めての経験であることも忘れて激しく愛してしまった。翌朝、目が覚めると悠元の上に覆い被さる様な形でアリサが眠っていた。茉莉花に関しては、悠元の右側で眠っていた。
「……もう勘弁してほしい」
「んみゅ……あ、お兄ちゃん、おはよう」
「おはよう、アリサ。昨日は大丈夫だったか?」
流されるままとはいえ、拒否するための逃げ道を綺麗に潰されている状態で婚前交渉をする羽目となったことに悠元はもういいかな、と思い始めたように呟くと、アリサが目を覚ました。
「うん……ねえ、これからもお兄ちゃんって呼んでいい?」
「別に構わないよ。アーシャがそうしたいのなら、そうするといい」
「ありがとう。……お兄ちゃん」
「生理現象です」
アリサと会話を交わしている悠元だが、悠元の魔法で成長したアリサの体に反応する形で悠元の欲望の化身がアリサの身体に触れ、アリサは昨晩の事を思い出したのか、頬を紅く染めつつ恥ずかし気に尋ねたので、悠元は冷静に答えた。
だが、アリサの行動は早かった。
「ねえ、お兄ちゃん……ミーナが起きるまで、ダメ?」
「いやらしい妹だな、アーシャは」
「お兄ちゃん限定だよ。こんな口調もお兄ちゃんにしか使わないから、あっ」
結局、アリサと寝技(意味深)をする羽目となり、アリサの声を聞いて起きた茉莉花が悠元に襲い掛かって、結局矢車家の使用人が起こしに来るまで愛し合う羽目になっていたのだった。
そして、朝食はそれを見越したように赤飯となっていて、周囲からの生暖かい視線に悠元は素知らぬ顔で朝食を食べ、茉莉花とアリサは揃って顔を真っ赤にして俯きながら朝食を食べたのだった。
「……」
「深雪? 何かあったのか?」
「い、いえ、何でもありませんよ、お兄様」
その様子を見てもいないのに、悠元に婚約者が増えたのではないかと心の中で訝しむ深雪に対し、達也が尋ねると慌てて取り繕った。これは間違いなく悠元に何かあったのだと悟った達也であった。
◇ ◇ ◇
朝食後、出発まで時間があるということで遠上家とアリサに集まってもらった。一体何を話すのか疑問に思う茉莉花に対し、悠元が切り出した。
「遠上家の方々とアーシャに集まってもらったのは、今後俺が2人の魔法訓練の面倒を見ることに関わる話です」
「え? うちは箱根に引っ越すからそう遠くないでしょ?」
「そうも言ってられんから話すんだ」
いくら神楽坂本邸が近くとも、そこを魔法訓練の場所にするのは拙い。しかも、悠元はまだ高校生の身であり、現状東京(司波家)から通っている状態だ。十文字家の人間に見つかるリスクを鑑みた場合、悠元は一つの提案を持ち掛けることとした。
「良太郎さんに芹花さん、アーシャとミーナを上泉家本邸で預かりたいのです。そこならば安全も保障できますし、俺も時間が取れますので」
「上泉? もしかして、上泉剛三殿の?」
「ええ。俺の母方の祖父ですし、今の当主は俺の血縁上の兄にあたります。魔法を鍛えるには、精神のみならず肉体も合わせて鍛えないことには話になりませんので」
剛三の存在はこの国にいる人間ならば少なくとも一度は聞く名前だし、現当主の元継は第一高校の九校戦で圧倒的な実力を見せつけた元三矢家の一人にして『神将会』の副長。それに、エリカとレオに奥義まで叩き込んだ片割れなので、実績は十分ある。
そして、悠元も新陰流剣武術を学ぶことで魔法の研鑽に磨きが掛かった。女性の門下生で言えば悠元の姉である詩鶴、佳奈、美嘉も目に見える実績を挙げているので、二人を磨き上げるにはこれ以上ない環境とも言える。
「上泉剛三……え? 歴史の教科書で出てくるあの上泉剛三?」
「そうそう」
「……英雄とまで呼ばれた人に教われる……あたし、剛三さんに学びたい!」
「あー、うん、そっか……爺さんに話はしておくけど。アーシャはどうしたい?」
「私も剛三さんに学びたい。お兄ちゃんのように強くなりたいから」
茉莉花とアリサの意気込みは買ってあげたい。ただ、剛三の常軌を逸した“地獄を越えた地獄コース”の鍛錬にならないか正直不安なところもある。一応、元継と千里に話はしておくことでどうにかしようと思う。
その上で、悠元は良太郎と芹花の意思を確認すべく視線を向けた。
「良太郎さん、芹花さん。二人はこう仰っておりますが、ミーナの親として、アーシャの親代わりとしての意見を聞きたいです」
「……遅かれ早かれ、茉莉花もアリサさんも魔法を学ぶ時が来ます。悠元君のような偉大な魔法師に加え、かの英雄たる上泉殿が教えてくれるのならば、私は2人の意見を尊重したいです」
「私も同じ意見です。それに、好きな人から魔法を教わるなんて滅多に出来ないことです。茉莉花、アリサさん。やるからにはしっかり励んでください」
「う、うん! ありがとう、お父さんとお母さん」
「小父さん、小母さん。ありがとうございます」
これで、剛三のもとに茉莉花とアリサを送り出すことは決まった。推薦状は自分が書くこととし、元継と千里には事前に話を通すつもりだ……剛三が張り切り過ぎて自分の二の舞にならないようにするためにも。
そうして出発の時間を迎えた。矢車本家からはリムジン、新千歳空港から再び政府専用機で東京湾海上国際空港に移動し、そこから更に別のリムジンで旧神奈川県厚木市の三矢家本邸へと向かった。あまりの豪華な待遇に、茉莉花の表情は完全に目が点になるぐらい驚愕の連続だった。良太郎と芹花もこれには驚き、アリサはその凄さを完全に分かっていないためか驚きよりも感動を覚えていて、千姫は笑みを零した。
そんな一幕を経て、三矢家での会談に臨むこととなった。三矢家からは当主の元、次期当主の元治、そして当主夫人の詩歩に加え、次期当主夫人である
「お久しぶりです、穂波さん。中々挨拶が出来ず、すみません」
「いえ、悠元さんも変わりなく。深夜様から偶に連絡を頂きますが……深夜様が本当にご迷惑をお掛けしてすみません」
「お気遣いなく。元治兄さんとはうまくやっていますか?」
「はい……
深夜のことはそこそこに、夫婦仲のことについての悠元の問いかけに穂波はお腹のあたりを擦りながら答えてくれた。穂波の許可を貰う形で悠元が手を触れると、指先から感じる胎動の波動で命の鼓動を感じた。
「…男女の双子ですね」
「凄いです、悠元さん。その通りです」
「悠元の非凡さにはいつも驚かされるな」
一発で妊娠している赤子の構成を見抜いたことに、元治は若干呆れつつもそう述べた。ちゃっかりやることはやっているだけに、元としてもその赤子が無事に生まれて育ってくれることを期待しているのだろう……17歳で叔父になることに少しショックを受けたのはここだけの話。
事前に話をある程度詰めていたため、アリサが三矢家の養女となる手続きは遠上家がアリサの法定代理人として良太郎と芹花が、アリサの養親となる元と詩歩が署名を行い、家庭裁判所の許可書謄本は千姫が既に手配を済ませている。
提出に関しては千姫が一括して行うため、早くとも明日には正式にアリサは三矢家の養女―――五女となる。末っ子だった詩奈からすれば、妹が増えた形となる。
なお、会談の後に詩奈が姿を見せ、アリサと早速仲良くなっていた。侍郎はアリサに対して緊張するような素振りを見せたことに詩奈が頬を少し膨らませて侍郎の尻を抓った。既に尻に敷かれている有様に元は頭を抱え、詩歩は娘の逞しさに対して微笑んでいた。
「……悠兄。三矢家って賑やかだね」
「そんな風に言えるのはミーナぐらいだと思う」
そして、剛三との通信では若々しい剛三の姿に遠上家全員が唖然とし、アリサは歴史の教科書に載っている英雄と話していることに興奮していた。
アリサの大物ぶりと、遠上家から感じる忘れかけていた常識外れの感覚を思い出し、いつの間にか常識の範疇がマヒしていたことに改めて気づいた悠元であった。
前半部分は本編に関わる部分というよりは、上泉家絡みのちょっとした小ネタみたいなものです。歴史系の小説を暇つぶしに読んでいることが多く、上泉信綱絡みなのに綱の字を継いでいないことを合理的にどうにかしようとした結果です。
そして、綺麗に堀を埋められて手を出さざるを得なくなる主人公。なお、本当に問題ないかどうかはそれを視る手段があるので。