魔法科高校の『触れ得ざる者』   作:那珂之川

307 / 551
娘の涙と妻の冷厳な言葉

 旧石川県金沢市にある十師族・一条家の屋敷では、当主である一条(いちじょう)剛毅(ごうき)と将輝の妹で中学1年生の一条(いちじょう)(あかね)が座敷で対面するように座っていた。

 

 剛毅は本来なら表向きの仕事である海底資源発掘会社の現場を飛び回っているか、一条家の配下にある魔法師の訓練を監督しており、夕食の時間にならないと帰ってこないことが殆どだ。ただ、正月三が日は十師族・一条家の当主として挨拶を受ける側であり、茜は着慣れない振袖姿で来客の対応に追われる母にして一条家当主夫人の美登里の手伝いをしていた。

 なお、長男の将輝は第三高校の制服を着た上(学生の正装は制服なため)で年始の挨拶のために外出しており、遅くとも夕食の前に帰ってくるだろうと予想していた。

 

 今日の剛毅への来客が済んだところで茜は座敷を去ろうとしたが、剛毅は「話がある」と言って呼び止めた。茜からすれば、普段はあまり口煩く言わない印象が強く時折粗暴な口調が出ることもあるが、それは一条家の当主としてのものだと内心で納得しつつ姿勢を正した上で座り、足を崩して脇息に肘を突いている父親の言葉を待たずして問いかけた。

 

「それでお父さん、話って何? 兄さんの帰りを待たなくていいの?」

「それは問題ない。茜がいれば逆に話そうとしないかも知れないからな」

 

 自分がいると話さないことを兄から聞きたがっている、ということはさておき、剛毅は将輝だけでなく茜にも用件があると言いたげな雰囲気を感じていた。強引に聞き出すのもどうかと思っていたところに、剛毅から一つの問いが投げかけられた。

 

「唐突なことを聞くが、茜。長野佑都―――いや、今は神楽坂悠元と名乗っている彼のことだったか。お前は今でも好きなのか?」

「は? 何でお父さんにそのことを聞かれなきゃいけないのよ!」

 

 父親から聞かれたのは、まさかの恋愛話。しかも、よりによって茜が一番恋焦がれている相手への気持ちを聞かれ、茜は思わず声を荒げていた。だが、茜の頬が赤く染まっており、それだけでも茜が悠元のことをどう思っているかが一目瞭然であった。

 されど、剛毅は茜の抗議めいた言葉を平然と受け流しつつ、真剣な表情で茜に態度ではなく言葉での回答を促した。

 

「大事なことだからだ。それで、どうなんだ?」

「……この気持ちは変わってない。ううん、寧ろ強くなってる。でなきゃ、本命のチョコを態々用意して贈ったりしないわよ」

 

 出会い方としては悪くなかったものの、実の兄が悠元を「ロリコン」だと言いたげな発言をして、兄の親友が「ダメだよ、将輝。そういう趣味の人がいるのも認めてあげないと」と笑いながら弁解したため、悠元が双方纏めて関節技で気絶させた。その手際の良さと男性としての強さに茜は心奪われてしまった。

 悠元からは「16歳まで気持ちが変わらなければ受け入れる」と言ってくれていたため、茜はそれから女性として、魔法師として一層努力を重ねていた。

 

 その彼が十師族・三矢家の人間であり、茜としては婚約・結婚するにあたっての家格が問題なくなったことに内心で喜んでいた。九校戦後に彼が十師族の人間でなくなったことは驚きもしたが、茜自身も元々家を継ぐかどうかも分からない立場であり、最悪兄に一条家を継がせて彼に嫁ぐことも考えていた。

 そして、そんな茜の気持ちを見透かしたかのような言葉が剛毅から言い放たれることになる。

 

「先程、神楽坂家から協会を通して書状が届けられた。内容は、神楽坂悠元が元日を以て第108代神楽坂家当主を襲名し、婚約者を募集するとのことだ。そして、それに先立つ形で司波深雪との婚約が発表された」

「え? 婚約を発表しているのに婚約者を募集する? つまり、重婚ということ?」

 

 十師族の当主は、前妻が亡くなって後妻を迎えたりすることはあっても、妻を複数持つことはこの国の民法上認められていない。だが、神楽坂家の書状において当主を襲名した悠元の重婚を認める様な文言を剛毅から聞いた茜は、思わず首を傾げていた。

 神楽坂家が古式魔法の大家だということは剛毅から聞いていたが、古式魔法と現代魔法では民法で認められている裁量が違うのか、と訝しむ茜に対して剛毅が説明を入れる。

 

「その辺に関する説明だが、神楽坂悠元は現状において戦略級魔法師と同等クラスの実力者と政府が認め、その力を後世へ確実に残すべく複数の妻を持つことが許されたそうだ。これは神楽坂家の先代当主である神楽坂千姫殿に加え、上泉家先代当主である上泉剛三殿が神楽坂悠元の実力を認めている、と記されていた」

「世界に名を残す英雄が悠元さんを認めてる……凄い事じゃない」

「それは分かっている。九校戦のこともあるからな」

 

 現に、悠元は昨年と一昨年の九校戦で出場した種目すべてで優勝している。しかも、同じ競技に出ていた将輝を歯牙にも掛けないような勢いで圧倒した実力は剛毅も認めているほどだ。その上で、剛毅は茜に対して毅然とした態度を見せつつも言い放つように告げる。

 

「正直、もうじき中学2年になる茜との婚約を受け入れてくれるかは分からん。だが、事前に上泉殿を通して神楽坂悠元との婚約を打診していたが、感触は決して悪くなかった。その上で茜に問う。このまま彼との婚約を進めていいかどうか……それは茜が決めろ」

「……一つ聞きたいんだけど、そこまで急ぐ理由ってお父さんが言った悠元さんの相手―――司波深雪さんだっけ。その人が関係しているの?」

 

 茜の問いかけに、剛毅は腕を組んで少し考え込んだ。

 深雪の部分に関して茜から聞かれることは覚悟していたが、彼女のことに関しては将輝から聞かなければならないことも含まれている。だが、何も答えられないという回答など目の前にいる娘が納得するはずもないと判断し、剛毅は少し観念したように話し始めた。

 

「実はな、その彼女に将輝が本気で惚れているらしい。真紅郎君にも尋ねたが、その認識で間違いないと返されたのだ」

「……ねえ、お父さん。もしかして、悠元さんと司波さんの婚約に異議を申し立てて、それぞれあたしと将輝の婚約の申し込みを割り込ませるつもりなの?」

 

 茜から核心を突くような問いかけを述べられたことに、剛毅は完全に押し黙ってしまった。この辺は将輝が深雪に対してどれぐらい本気で思っているのかを尋ねてから判断するつもりでいた。だが、剛毅が言い淀む姿を見たことで、茜の中の疑念は確信へと変わっていった。

 そして、茜は叫ぶように剛毅へある種の“絶交宣言”にも近い言葉を発したのだった。

 

「……」

「お父さん、沈黙は肯定って受け取るよ? そんなことするぐらいなら、あたしは一条家の人間として嫁ぐ気なんてない! 今すぐこの家を出て行くから!」

「待て、茜。何もそうするとは決めていない。将輝に司波深雪の気持ちを聞いてから判断するつもりでいた」

「じゃあ、何!? 兄さんが司波さんのことを本気で好きでいたとしたら、一条家として異議を申し立てるっていうの!? 大体、司波さんに告白しない兄さんに問題があることじゃないの!」

 

 茜は怒っているように言い放っているが、内心は冷静そのものだった。

 そもそもの話、茜からすれば兄である将輝の女性へのアプローチが下手なことは重々分かり切ったことだった。名字からすれば、相手が“数字付き(ナンバーズ)”でないことも踏まえて、将輝が一条家の長男である以上は格の釣り合いという問題もあるのだろう。だが、その問題が払拭されたから剛毅がそんなことを考え付いたのだと茜は分析した。

 その人物は一昨年の九校戦で実際に出会っているし、九校戦の競技シーンは何度も見返している。そこから導き出した茜なりの答えは、将輝にその目があるとは到底思えないという乙女の勘めいたものだった。これ以上父親と話したところで確実に感情論のぶつけ合いにならないと判断し、茜は徐に立ち上がった。

 

「もういい! お母さんに今の話を全部伝える」

「待て、それは」

「悠元さんとの婚約はあたしとしても嬉しい。でも、兄さんの事情をあたしの未来を決める婚約に巻き込まないで。もしそんなことをしたら、あたしはこの家を出るから」

 

 それだけ告げると、茜は剛毅の制止も聞かずに座敷を出て行った。やや乱暴に閉められた障子を見つめながら、剛毅は脇息に凭れ掛かる形を保ちつつ、空いている左手で目元を押さえるように覆っていた。

 

「……儘ならんものだな。いや、この場合は俺自身も、か」

 

 茜には司波深雪が四葉家の人間という事実を隠して伝えたが、将輝が深雪に対してアプローチする上での問題が解決したと茜は読み切った上で、「将輝の事情に自分と悠元を巻き込むな」と突き付けてきた。最悪の場合、茜が一条家という後ろ盾を捨てるという選択肢を突き付けられた以上、一条家の当主としての行いが1人の父親として最低なことを実行しようとしていたことに今更ながら気付かされた形だ。

 剛毅としても、出来れば将輝自身が動けば自分が口を出すつもりもなかった。だが、子は親に似るという言葉の額面通りとなったことにどうしたものか悩んでしまった剛毅。すると、障子の向こうから声が聞こえてきた。それは、茜のものでもなく将輝でもない……剛毅が一番よく知る人物―――妻である美登里の声だった。

 

「入っても宜しいですか?」

「ああ、構わない」

 

 まだ着物姿であった美登里は膝立ちで中に入り、膝をついた状態で障子を閉める。夫婦の間では過剰とも言える丁寧さではあるが、この辺は一条家なりの礼儀作法に基づくものであった。そして、剛毅のすぐ真正面に腰を下ろした美登里の表情は、笑顔だが口元が一切笑っていなかった。

 それが「怒っている」と認識するまでにそう時間は掛からなかった。

 

「戻ってきた茜が盛大に泣き崩れたので、宥めてから事情を聞きました……確かに、貴方は一条家の当主として十師族の一角を―――北陸地方を守護する立場においても、長男である将輝の婚約相手を選ぶのは大事なことです。その意味で、貴方がやろうとしていることが一条家の力を強めるためと考えれば……当主としては、将輝の父親としては正解なのかもしれません」

「……」

「ですが、茜の父親として最低の道を選ぶことになります。しかも、相手が悠元君だから茜まで巻き込むのは、茜だけでなく悠元君だっていい顔をしません。今の悠元君は家の主という意味で貴方と同格、家の格で述べれば間違いなく格上の相手です。最悪、神楽坂の勘気を被って一条家が滅ぼされることだってあり得なくもないでしょう」

 

 悠元との初対面の際、彼は家の事情で三矢の姓を名乗っていなかったからこそ、剛三が近くにいたからこそ出来るだけ穏便な解決手段を用いた。もし、九校戦のアイス・ピラーズ・ブレイクのように魔法の制限なしで戦った場合、間違いなく将輝が敗れる未来しかない。しかも、それを2年連続で達成している以上は実力を疑うべくもなかった。

 七草家は国防軍情報部の襲撃(誘拐未遂)を見逃していても左程のペナルティを支払うまで至っていないことから、剛毅はどこか悠元の優しさに甘えてしまっていた。

 だが、美登里はその甘さを否定した。一条家に見えていない部分で何らかのペナルティを支払っているのだとすれば、同じようなことをすれば神楽坂家に“取り潰し”を食らう可能性だって無きにしも非ずであった。

 

「……そう、だな。茜には後で俺から謝る。茜の初恋を叶える意味で、神楽坂家に送りだそう」

「将輝はどうされるのですか?」

「異議を一切申し立てず、四葉家と神楽坂家に新年の挨拶と祝電を送り、四葉家に対して断りを入れつつ将輝と司波深雪の婚約が可能かどうかのお伺いをしてみるが……後は将輝の技量に委ねよう」

 

 親馬鹿な気質の剛毅は将輝にもう少し便宜を図りたかったが、このままでは将輝が一条家の人間としてきちんと成長できるかどうかも怪しい部分があったのは事実。なので、将輝を鍛えるという意味でも四葉家へ将輝と深雪の婚約に関する“質問状に近い打診”を行うのが精々自分に出来る範囲での対応だ、と剛毅自身の中で無理矢理納得させた。

 すると、美登里は茜から聞いた情報になかった四葉家の存在が剛毅から出たことに疑問を呈し、剛毅へその辺の情報を尋ねる。

 

「四葉家ですか? もしかして、悠元君の婚約者は四葉家の人間なのですか?」

「ああ。第一高校2年の司波深雪が四葉深夜殿の娘で、同じく2年の司波達也が四葉真夜殿の実子というメッセージが届けられた。そして、四葉家の次期当主に司波達也を指名したことに加え、四葉家も次期当主の婚約者を募集する旨が書かれていた」

 

 美登里は茜と同じく一昨年の九校戦で悠元に出会っていて、その近くに深雪がいたことも知っている。その彼女が悠元の婚約者というのは、何故か納得出来る気がすると美登里は心なしかそう感じていた。

 すると、そこに丁度障子の向こうから将輝の声が聞こえてきたので、剛毅は入室を促した。どうやら挨拶回りを終えて帰ってきたところのようで、将輝が障子を開けたところで目にしたのは両親が近い距離で話し合っている光景だったため、これには将輝がいろいろ想像して慌てふためいていた。

 

「あ、えと、その……親父、改めた方がいいか?」

「何を考えているかは知らんが、ただ話していただけだ。入れ」

「じゃ、じゃあ遠慮なく……」

 

 その後、美登里が立ち会う形で将輝は剛毅から深雪に対する気持ちの強さや出会いなどを散々聞き出された挙句、四葉家と神楽坂家のメッセージの件を伝えた上で深雪との婚約を前向きに考える気はあるか、という問いかけに対して、自分の想いを後ろめたく思う理由が無い将輝は力強く頷いた。

 深雪本人にその想いをぶつけるよりも先に、婚約打診(厳密には質問に近いが)という形で親の口から気持ちを伝えられることに将輝は難色を示したが、剛毅から「なら、大人しく諦めるか?」というある意味発破にも近い問いかけにムッと来たのか、将輝は改めて深雪への想いを口にした。これによって、将輝は事実上自ら退路を断った形となった。

 

 夕食後、剛毅は美登里から厳しく叱られたことに触れた上で頭を深く下げて茜に謝罪し、十師族・一条家の娘として茜を悠元の婚約者に推薦することを伝えた。将輝に関しては深雪の実家に質問状を送り、後は将輝の技量に委ねることも伝えると、茜は納得した様子を見せて静かに頭を下げた。

 

 この翌日―――2097年1月3日、十師族・一条家は返事の遅れに対しての謝罪も含めて新年の挨拶と司波達也の四葉家当主指名、神楽坂悠元の神楽坂家当主襲名に対して祝電を送った。

 そして、一条家は長男の一条将輝の想いに触れる形の文面とした上で、一条将輝と司波深雪の婚約の可能性に対しての質問状を四葉家に向けて送付した。更に、一条家の長女である一条茜を神楽坂悠元の婚約者として申し込む旨を神楽坂家に送付したのであった。

 




 当初、将輝絡みはあまり変える予定がありませんでした。
 ただ、原作の場合だと正月の時点で達也(深雪の婚約者かつ真夜の長男)と将輝(一条家の長男)がほぼ同じ立ち位置にいたからこそ横槍がある意味成立したわけで、主人公が護人・神楽坂家の当主となった以上、将輝からすれば確実に格上の相手となります。よって横槍を入れるにはリスクが高すぎることを鑑みて、こういう展開に持ち込みました。
 茜が両親のことをどう呼ぶかというのは見た感じなかったため、将輝への呼び方を踏襲する形としました。

 一条家としての矜持も分かるが、達也の存在もあってロクに告白できなかった人間の恋路は果たして叶うのか(どう足掻いても無理ゲーレベル)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。