―――西暦2097年1月2日。
その日、神楽坂本邸は荘厳な雰囲気が漂っていた。今日は神楽坂家慶賀会―――神楽坂に連なる筆頭主家・分家、そして『九頭龍』に連なる護廷十三家の当主格が一斉に会するこの日。特に今年は長年神楽坂家の主を担ってきた千姫が引退し、未だ16歳である神楽坂悠元が第108代神楽坂家当主を襲名したため、そのお披露目会―――神楽坂襲名の儀が慶賀会の前に行われる。
今日は、悠元が当主として神楽坂の係累に名を連ねるその一歩となる大事な日だ。
来賓も錚々たる面々が揃っており、今上天皇名代として皇太子・皇太子妃両殿下、内閣総理大臣、東道家当主の東道青波など、この国の未来を担う存在の重さを誰しもが実感せざるを得なかった。
魔法師社会からは、十師族・四葉家当主名代として次期当主である達也が、北山家の代理として雫が担い、吉田家の代理に幹比古、千葉家の代理(本人は固辞したかったが)としてエリカ、日本魔法協会現会長の
そして、大勢の人間が大広間に集った中、その当主の座に向かって歩く者が一人。誰もがその姿ではなく気配を悟り、自然と頭を下げていた。決して威圧しているわけではなく、その彼から感じられる気配がまるで神が目の前に降臨したかのような錯覚すら覚えるほどだった。
その少年は、最前列に座る皇太子・皇太子妃の両殿下に一度膝をついてから正座をして深く頭を下げた。
「新しき年を迎え、両殿下がこの吉日にお越し下さったことにつきまして、神楽坂の当主として感謝の言葉を申し上げます」
「神楽坂殿、貴方は十代半ばと未だ若い身。青春を謳歌することも神楽坂の人間としての務めと思い、果たされていくことを切に望みます」
この少年の行動に対し、皇太子は祝福の言葉を掛けた上で改めて頭を下げた。皇太子妃も「大変でしょうが、どうか無理はなさらずに」と気遣う様な言葉を掛けた上で頭を下げた。これは、神楽坂家当主が皇族に対する敬意と忠義を果たす意味合いも含まれている。
両殿下への挨拶が済み、その少年―――神楽坂悠元が纏っている漆黒の羽織には金糸の刺繍で誂えられた神楽坂家の家紋である
そして、悠元は一度上座の前で深く一礼をして、上座に座ったところで改めて深く頭を下げた。
「此度、神楽坂家の第108代目当主となった神楽坂悠元である。両殿下のみならず、内閣総理大臣閣下、東道青波入道閣下、そしてかの英雄と名高い上泉剛三閣下に見守られた中、此度の襲名を受けられたことは真に喜ばしい事であり、神楽坂家はこの国の護りの担い手として微力ながら一層の尽力を尽くす所存であることをここに宣言する。この決定は先代当主となられた千姫殿の御決断によるものであるが……異存は無かろうな、神楽坂筆頭主家こと伊勢家当主・伊勢佑作殿?」
「異存はございません。神楽坂に伝わる秘術を会得なされていることはこの目で見ております故、その実力を十全に発揮できるよう、『星見』の担い手として主たる神楽坂様に忠誠をお誓いいたします」
佑作の言葉を皮切りとして、神楽坂分家と『九頭龍』に連なる面々も「我らは神楽坂様に忠誠をお誓いいたします」と高らかに宣言した。これは代替わりの通過儀礼のものだと千姫から聞かされていたが、下座に座る十二単姿の千姫は笑みを零していた。
小声で「私が代替わりの時はどこか面従腹背の様子を見せていたのですが」と述べており、昨年のデモンストレーションがかなり効果的であったのだろうとみている。
「宜しいでしょう。未だ世界情勢は予断を許さぬ状況にあります。我々を下等な人種だと見下す輩もおりますが、彼らに対する報いは既に手筈を整えております。大物を釣るが如く、焦ることなく確実に手繰り寄せましょう。それが我々の得意とする武器なのですから」
そうして、神楽坂襲名の儀が無事に済んだところで、慶賀会は親しい人間同士での正月の団欒と化していた。当主となった悠元は尤も格式の高い上座に座り、その隣には千姫が仕立てていた振袖に身を包んでいる深雪が甲斐甲斐しくお世話をしていた。
その様子を振袖に着替えた千姫が楽しそうに眺めていた。
「ふふ、もう既に夫婦みたいな雰囲気ですね。これは孫の顔も期待できそうです」
「母上……俺はまだ高校生の身分ですよ」
「分かっております。深雪ちゃん、この息子をどうかよろしく頼むわね」
「心得ております、お
昨日は正直大変だった。真夜からの報酬に加えて深夜と怜美、更には深雪から後押しされる形でとうとう水波と関係を持つ形になってしまったのだ。その際、水波からどういう関係を望むか聞いたところ、水波は「悠元兄様のお世話をしたいのです」という言葉を聞き、自ら使用人兼愛人のポジションを望んだ。
水波としては、生まれのこともあって今まで四葉のガーディアンとして育てられた影響が色濃く残っていて、奉仕の精神は最早本能的にも近いレベルとなっていたことから、深夜もこれにはお手上げであった。
それに、水波が深雪のガーディアンを務めるというのは同じ女性としても理に適っており、男性禁制の場所に同行できる同年代の存在はとても貴重である、と結論付けた上で水波の要望を叶えることとした。
そして、婚約者序列に入った愛梨に関しても抱くこととなり、一通りの説明をした上で確認を取ると、愛梨も納得していた。彼女曰く「そうやって女性を気遣う姿勢がより好感を稼いでいるのですね」とため息交じりに言われた。何故だ。
なお、翌朝水波から「悠元様は本当にお優しいお方です」と熱っぽい視線を向けられた。これにやきもちを焼いた深雪と愛梨からせがまれたのは言うまでもない。2人は別の学校でライバル関係にあったはずが、自分の存在を介することで共闘関係も生まれていた。
まあ、修羅場展開で昼ドラのような厄介事になるよりはマシだと思いたい。達也経由で頼まれた深雪の件に関しては、二人きりの時だけ許容すると伝えた。
同じ学校に通っている深雪、雫、姫梨、セリアの4人はともかく、沓子と愛梨は三高の人間で、夕歌は大学生、アリサと茉莉花は中学生なので、フォローが正直大変だ。泉美の場合はというと、流石に七草家の人間である以上は手を出せない、と判断している。
申し訳ないが、七草家はそれだけ神楽坂家に対しての罪があるということだ。
「そういえば、修司と由夢の件はどうなりました? 母上は2人を婚姻させたがっておりましたが」
「そうそう、それを悠君に頼みたかったのです」
千姫が言うには、元々千姫の代で片を付けるつもりだったが、天刃霊装の件で宮本家と高槻がゴタゴタしたことがあり、これでは自分の代で婚姻の申し渡しが出来ない状況となってしまった。
具体的に言うと、修司と由夢の扱いを巡って「由夢を宮本家に嫁がせてほしい」やら「修司を婿養子に」と当主そっちのけで親族らが紛糾したため、宮本家当主こと
「……何をやってるんですか。いや、自分もその原因の一端ですから無関係とはいきませんが」
「年末にやっと片が付いたときには2人の婚姻を言い出せなくなってしまって。そうそう、深雪ちゃんも当主夫人となる以上、この仕事は深雪ちゃんも担ってもらうから、ちゃんと覚えてね」
「はい、分かりました」
本来、古式魔法の家の婚姻は民法に則った上で各々の伝統とする婚姻の儀を執り行う訳だが、神楽坂家の場合は皇族を密かに引き取るだけでなく、皇族や朝廷に伝わる儀式の全てを余すところなく継承している。
万が一伝承している奏者が途絶えた時のことを鑑みてのことであり、その事情もあって皇室関係の国家事務、天皇の国事行為である外国大使・公使の接受に関する事務、皇室の儀式に係る事務および御璽・国璽の保管等を所管する内閣府の機関である宮内庁から信頼を置かれている。
話を戻すが、神楽坂家の場合は婚姻する男子と女子それぞれに婚姻の意思を確かめ、それが合致すると神楽坂家当主が判断した場合、婚姻を認めるというもの。政略結婚ではなく恋愛結婚の形式に近いが、双方の強い恋愛感情が生まれる子の魔法資質にも強く影響している―――所謂呪術的要素が魔法の資質を決める重要なもの、と神楽坂家では信じられているためだ。
この場合、修司の意思を自分が確認し、由夢の意思を深雪が確かめ、二者の意見を集約して悠元が婚姻の判断を下すというものだ。尤も、修司と由夢は『神将会』のメンバーであり、2人の関係性は聞くまでもなく既に知り切っているようなもの。
それでも、一応儀式―――悠元が一昨年に経験した、男女の交わり―――を挟むことになるため、その覚悟を問う意味合いもあるのだろう。
「まあ、話は分かりました。今晩仕掛けますか?」
「そのつもりです」
ともあれ、修司にはいい加減覚悟を決めてもらわなければ困るのは確かであり、その背中を軽く押してやるだけだ。あまり他人の恋路に首など突っ込みたくなどないが。
「新年おめでとう、悠元君に深雪君。いや、悠元君の方は『神楽坂殿』とお呼びした方が良いのかな?」
「先生!?」
すると、にこやかな表情で近付いて来るのは袈裟を纏っている人物―――九重寺の住職である九重八雲であり、これには深雪も目を見開いていた。八雲は深雪が驚く表情を見て満足げな笑顔を浮かべており、これには悠元が釘を刺すように呟く。
ちなみに、達也は「用を足しに行く」と言ってその場を離れており、その合間を狙って挨拶に来る辺りは八雲らしいと思った。
「九重八雲和尚―――いえ、九重先生。いくら生粋の忍びとはいえ、戯れも程々に。達也に本気で殴られますよ」
「寧ろ、僕に土を付けてくれないと教え甲斐が無いからね。改めて、当主の襲名おめでとうだよ、悠元君。深雪君も悠元君と婚約出来て嬉しそうだね」
「ありがとうございます、先生。それにしても、何時お知りになったのですか?」
深雪は『神将会』に所属しているとはいえ、八雲が『九頭龍』の長であることは未だに知らない。元々当主関係者にしか知らされない事項であるため、八雲はあくまでも神楽坂家と仲が良い一介の忍術使いとして出向いていた。
「僕は寺の和尚であり忍びだからね。それぐらいなら調べられるけど、今回は先代の知己である千姫殿が教えてくれたんだ」
「大丈夫ですよ、深雪ちゃん。ここにいる生臭坊主は私の教え子の1人ですから」
「いやー、その節は大変お世話になりました」
八雲が剛三だけでなく千姫に師事していたのは事実であり、『九頭龍』を隠す意味でも十分すぎるカバーストーリーなため、深雪もそれ以上の追及を避けた形となった。八雲は達也にも挨拶をしてくると言い、一礼をしてからその場を去った。
賑やかな正月の団欒も過ぎ、その夜は次々と襲い来る(夜這いともいう)婚約者を返り討ち(意味深)にして、三が日の二日目が過ぎた翌日、目の前に映る「表現するにもどう言えば穏便な表現になるのか分からない有様」に目を瞑り、悠元は汗を流すために浴場へと足を運んだ。
先程の光景を忘れたいわけではないが、昨晩は修司と由夢のこともあるので、出来るだけ考えたくないと思っていたところ、タオルを身に付けた修司がやってきた。見るからにかなり疲れているようで、由夢に相当せがまれたのが見て取れた。
すると、修司は悠元の姿が目に入ったので声を掛けてきた。
「おはよう、悠元」
「おはよう、修司。見るからに疲れてそうだが、大方由夢辺りに絞られたか?」
「まあ、意味合いとしてはそうなる」
お互いの事情を察しつつ、あまり込み入ったことは聞かずに体を洗い流し、お互いに向き合う形で広い浴槽に肩まで浸かる。今までの疲れがお湯に溶け込んでいくような感じで、修司も落ち着くような表情をしていた。
「悠元、今年が始まってまだ三日だが、どうなると思う?」
「……少なくとも、1ヶ月後に十師族選定会議がある以上、油断はできないだろうな」
その原因となるのは周公瑾の師である
その彼が同じ大漢の亡命者によるネットワークを作り上げ、闇社会の黒幕として
「前に言っていた『七賢人』のことも関係するのか?」
「大いに有り得る。大体、疑問が多すぎたからな」
そもそも、顧傑と弟子たちは何故崑崙方院で得た情報を以て大亜連合に亡命しなかったのかが疑問であった。元々向こうの大陸出身者は儒教を重んじるため、裏切り者に対しては非常に厳しいのだ。それでも、魔法的な面で劣勢だった大亜連合からすれば、大漢への復讐を条件に魔法技術の提供を含めた協力を持ち掛けることだって考えられたはずだ。
その答えは、彼らの逃亡に手を貸していた東洋系の人間の存在であった。それも、彼は姿を偽っていたが日本人であり、しかも古式魔法師であったことが判明した。彼は顧傑に落ち目である大亜連合よりも復讐の基盤を整えやすい北米への逃亡を手助けした際、彼は自らの“眼”で顧傑に緩やかな暗示をかけたと思われる。これは、周公瑾の亡霊から吸収した記憶の中から読み取った情報からの推察に過ぎないが。
それは、顧傑が力を付ければ付けるほど、大漢への復讐心が強まるという暗示。同じ古式魔法師の中では遠隔操作系や人間を魔法的な道具に作り変える精神干渉系を得意とする顧傑でも、彼の情動に干渉する暗示の刻印からは逃れられなかったのかもしれない。それが作用する形で、彼は大漢への復讐が果たされなかった恨みを四葉家に向けたとするなら筋は通る。
これは現状における仮説だが、もしこの仮説が正しい場合、顧傑の身体に何かしらの魔法的な刻印が埋め込まれているのは間違いない。半永久的な持続魔法は『
「顧傑の感情を利用した暗示、か……可能性はなくもないな」
「大亜連合に情報を持ちこんで、大漢と伍することは十分可能だった。だが、それを止めたのは『元老院』の人間が送り込んだ古式魔法師と思われる。瞳術を得意とするのは主に古式の術者、それも密教系や修験道系の術者によくみられる、と聞いたからな」
実を言うと、東道青波の白く濁った左目も東道家に伝わる先天的資質を施術によって引き出した結果だそうだ。これは佐那から聞き及んだことであり、極めて優れた古式の術者ならば、施術を受けると瞳に色が宿るとも言われるらしい。
尤も、自分の場合は『
後半部分に関する部分は顧傑自身自覚がないという部分を鑑みての予測から追加した設定です。自分から明確に復讐心を抱いたのであれば、いくら歳を重ねていても覚えている筈ですので。
いくら精神干渉系魔法に長けていたとしても、相手の精神攻撃に耐えられるかは別の話ですので。