その首謀者である顧傑は、現場から約9キロ離れた小田原のとある一軒家でソファーに座っていたが、その表情はどこか満足げであった。
旧式とはいえUSNA軍で採用された爆薬は現役の爆発物探知機に引っ掛かることなくすり抜け、『僵尸術』で操った肉人形もセンサーに捉えられなかったし、ホテルの中で呼び止められることもなかった。
顧傑が立てた自爆テロ攻撃は、最もロスが少ない形で成功した。
警備が甘かったと言うつもりもなければ、市街地のセキュリティレベルが低かったわけではない。『フリズスキャルヴ』でもこの近辺に本拠を構えている可能性が高いとされる神楽坂家を出し抜けたことは、同じ古式の術者として自身の技量が勝った証拠に他ならない、と顧傑は結論付けた。
死体に埋め込んだ呪印が突如“壊された”ことは驚きだったが、
十師族が誰一人怪我を負わなかっただけではなく、謎の集団が十師族を守った。謎の集団の正体については『フリズスキャルヴ』で探るとして、こちらの予定通り十師族の当主達は怪我を負わなかった。
だが、これは負け惜しみなどではなく元々そうなることが顧傑にとって望ましい展開だった。
これだけの人数が巻き添えになったというのに、十師族が生き残った。その事実を顧傑は教えてやるつもりだった。
十師族は、自分たちが生き残るためならばお前たち日本人を見捨てるのだと。
お前たち日本人は、十師族によって殺されるのだと。
十師族―――四葉は、日本人に憎まれて日本から居場所を失うのだと。
顧傑は暗い愉悦に満ちた笑いを浮かべ、移動すべく立ち上がった。その足元にはこの家の持ち主とその家族の死体が転がっていた。
その彼が立ち去ってから30分後、玄関のほうから一人の少年―――悠元が足を踏み入れた。脈を確認してこの家の家族が死んでいるのを確認すると、悠元はまず『
(『僵尸術』の発動基点はここで間違いない。顧傑本人が『
得られた情報を確認した上で、悠元は『セラフィム』を抜き放って『天陽照覧』でこの家の住人を蘇生させた。死亡から一日以上経っていなかったところを見るに、顧傑は夜中に侵入して彼らを殺した可能性が高い。
悠元は仮面を外して認識を偽る刻印が組み込まれたサングラスを身に着けた上で、彼らが意識を取り戻すのを待った。
「うっ……ここは」
「大丈夫ですか?」
「君は……そうだ、妻は、妻は無事ですか!?」
「ええ。今は意識を失っているだけのようです。私は警察のもので、家の中に人の気配があったにも拘らず郵便受けに物が残ったままだったので、心配で中に入ったところで貴方方を発見しました」
これに関して嘘は言っていない。『神将会』は皇宮警察でありながらも警察官と同じように捜査権限を有し、場合によっては警視総監と同等の権限で警察省の人間を動かすことが可能である。そのため、『神将会』として活動する際は偽名の警察手帳(ビジネスネームの要領を利用していて、本当の名を使わないのは身分がバレる危険を減らすため)を携帯している。
悠元は男性を気遣っていると、彼の妻である女性も起き上がった。少し様子を見てから手帳を見せ、何か思い出せることはあるかと尋ねたところ、昨晩見知らぬ男性が尋ねてきて、道を尋ねてきた折に襲われたらしい。
やっていることは立派な住居不法侵入と殺人行為である。これに加えて横須賀の貧民行方不明事件に関与した挙句、爆破テロ行為の首謀者。USNAのスキャンダル関係はって? 向こうの自業自得なのでカウントする気にもならない。
「そうですか、ご協力感謝します。他に思い出したことがあれば遠慮なくご連絡下さい」
そういって渡したのは『神将会』が“警察省の捜査官”として使うためのナンバーで、端末上は同一だがナンバーごとに暗号強度の度合いがわざと変えられている(敢えて組織に合わせた強度にすることで相手を誤認させる手法)。悠元は丁重に頭を下げて家を出ると、誰もいない人陰に入って『
◇ ◇ ◇
私服に着替えた上で悠元が再び現場に戻ると、警察官が現場検証をしている姿や現場の様子を報道するメディアの姿が見られた。死者こそ出なかったし、怪我人と言っても全員新陰流剣武術の門下生だったため、特に問題は無いとみていいだろう。
余計な詮索が起こらないよう、警察の方から「現場に爆発物が残っている危険性があるため、警察省から公式な発表を行うまで不必要な情報の流布を避けてほしい」と申し入れをさせている。
そして、原作では警察官による取り調べを受けるわけだが、ここにも一つテコ入れをしておいた。それは、彼らに事情を聞いているのがエリカの関係者に他ならない。
「お、悠元。もう、何もなかったから暇だったわよ……って、アレは和兄に稲垣さんじゃない」
「何もない方がいいだろう、エリカ。達也たちもお疲れさん」
「ああ」
ここは本来思想にニュートラルな警察官の方がいいかもしれないが、今回の一件を魔法師同士の抗争からくるテロ行為などと言われるのを防ぐためだ。それに、魔法師の警察官なら態々身構えなくてもいいという理由もある。まあ、百家本流の千葉家としては十師族に対して事情聴取をするのが心苦しいかもしれないが、そこは職務として割り切ってもらう。
すると、被災通知メールを受け取って急行してきた香澄と泉美、琢磨と理璃が姿を見せた。彼らとしては達也と深雪、悠元はともかくとして、本来関係のないエリカ達までいることが疑問だったのだろう。
「先輩がた、どうしてここに?」
「エリカ達は偶々箱根に遊びに来たらしくてな。この騒ぎを見て駆け付けて来たんだよ」
嘘らしくもあるが、決して間違ったことは言っていない。それを理解するからこそ、エリカは思わず顔を背けて笑っていた。これにはレオが頭を掻きながら「やれやれ」と言いたげな様子を見せたが、香澄らにとってはそれを疑問に思わなかったようだ。
泉美は視線の先に取り調べを受けている十師族当主の方々の中に弘一の姿を見つけると、駆け寄ることなく一つ息を吐いてから呟いた。
「お父様は……生きていらっしゃるのならばいいです」
「泉美、せめてもうちょっとオブラートに包もうよ」
「そうですか? なら、『お父様が爆弾テロに遭われたとお聞きして取り急ぎ駆け付けましたが、私の心配が取り越し苦労に終わって何よりでした』と表現した方が良かったでしょうか?」
「ゴメン、泉美。私が悪かった」
無駄に包み過ぎて、まるで嫌味にしか聞こえなくなった泉美の言葉に香澄が正直に謝り、これには理璃のみならず琢磨まで引き攣った笑みを見せるほどだった。それを聞いていた周囲の人間も冷や汗を流すほどだったのは言うまでもない。
すると、その場に見覚えのある赤系統の制服―――第三高校の制服を着た男子生徒の姿があった。
「将輝」
「えっ……って、神楽坂。司波さんもいらっしゃってたんですか」
「ええ、大変なことになりましたね」
将輝が悠元の隣にいる深雪の姿を見て複雑な表情を浮かべていることは直ぐに分かった。それは当然悠元だけでなく深雪にも理解できていた。
元々悠元と深雪が恋人として付き合っていたことへの追認という形だが、婚約を認められた矢先に一条家から質問状が来たとなれば、当然深雪としても面白くない。どうあっても悠元への想いが揺らぐことなんてないのに、余計な手間を増やさないで欲しい……という深雪の想いは当然悠元も理解している。
だが、親同士で解決させたとしても婚約を解消された人間がどのような行動を起こすか……下手をすれば、七草弘一のように婚約者だった相手の家を貶める事すらしかねないだろう。それを危惧したからこそ、悠元は一度だけ機会を与えることにした。だが、二度目は許さない。
「本当に……各家の方々はあちらですか」
「ええ、事情聴取を受けているようでして」
「事情聴取!? すみません、少々失礼します」
「……何あの色ボケ男子。アレが本当に『クリムゾン・プリンス』?」
なお、この場には悠元と深雪以外の面々もいるわけだが、将輝の分かりやすい態度を見たセリアが一言呟いた。原作を知っていてなおそういい放った彼女の言葉に、「それはわかる」と言いたげに(いつの間にか復活した)エリカがジト目を浮かべていた。
すると、将輝が向かったのと入れ変わる形で克人が姿を見せた。
「十文字先輩、聴取は一段落ですか?」
「いや、お前たちにも事情を説明した方がいいと思ってな」
この中では克人と初対面になる1年組(水波と琢磨)と自己紹介をした後、起きたことをありのままに説明したところで克人は悠元に視線を向けた。それは恐らく十師族の避難誘導に神将会が関与していると理解しているからこそだろう。
「神楽坂。以前横浜の時のような連中が助けてくれたが、心当たりはあるか?」
「……あるにはありますが、先輩にお答えする義理はありません」
「それは、護人・神楽坂当主としての回答か?」
「そうでもありますし、
「いや、それだけ聞ければ十分だ。感謝する」
克人の問いかけに足する答えは、護人の当主として、神将会の総長として、そして国防陸軍の特務中将として答えられない案件である、と仄めかすぐらいしかできなかった。これ以上は特に聞きたいこともないため、克人は近寄ってきた香澄と泉美の異母兄である
香澄と泉美、琢磨と理璃はそれぞれ身内と一緒に帰るということとなり、悠元たちのもとを離れた。すると、あまり目立ちたくなかったのか後ろにいた元継が声を掛けてきた。
「悠元、俺たちも行くとしようか」
「……そうだな。すまないが、この後は各々気を付けて帰ってくれ。俺と兄さんは大事な一仕事が控えているから、ここから別行動になる」
悠元と元継が別行動を取る―――このことで護人絡みだと判断したのか、深雪は「お気を付けて」とだけ言い、達也と一緒に帰ることとなった。他の婚約者からも労われたが、セリアだけは「もしかしてソッチの気も」とか宣った瞬間に拳骨を落とした。お前はどうしてオチを付けたがるんだ……とは言わずに、セリアを追いやる様に行かせた。
◇ ◇ ◇
警察の事情聴取から解放された十師族の当主達(別行動していた克人も含む)は、将輝が乗ってきたヘリで横浜ベイヒルズタワーにある日本魔法協会関東支部へ向かった。付き添う形で将輝は無論のこと、香澄や泉美に理璃、琢磨だけでなく智一も一緒だった。
魔法協会に到着した彼らは、将輝、香澄、泉美、理璃、琢磨、智一を別室に待たせて会議室に籠った訳だが、会議はまだ始まらなかった。何故ならば、当主の一人である弘一が職員に呼ばれて応接室に出向くこととなったからだ。
そして、弘一が対面することになったのは、昨日師族会議の場に姿を見せた九島家先代当主にして弘一の魔法の師でもある九島烈その人だった。
「すまないな、弘一。忙しいのは承知しているが、今でなければ話せないからこそ呼び出させてもらった。本来ならば、弘一に師と呼ばれる筋合いなど無かったがな」
「……先生、昨日四葉殿に対して仰られたことは本当なのですか?」
「本当だ。その意味で婚約していたお前にも迷惑を……いや、お前の人生を狂わせたと言っても過言ではない」
弘一が烈に尋ねたのは、先日烈が真夜に対して謝罪した一件のことだ。自分にとっての恩師が四葉を売り、真夜が子を成せなくなったことで弘一と真夜の婚約は解消されてしまった。そして、弘一は七草家の次期当主たる義務という形で親から新たな許婚を押し付けられた。
これに対して弘一が憤るのも無理はない、と烈はそう感じていた。その上で、烈は今まで弘一が見えていなかった部分を打ち明けた。
「『あの方々』に屈した私も同罪だ。今更逃げることなど許されぬ身だということは承知している」
「……なら、何故断る様な抵抗をなされなかったのですか。『あの方々』の言い分が我が侭だと主張為さればよかった筈です」
「その婚約を破綻させようと最初に目論んだのが“
「なっ、何ですって……」
いつもならば冷静な口調な弘一ですら絶句するほどの有様に、烈は静かに説明を始める。
「当時、優秀な遺伝子を持つ者による交配が緩かった時、お前の両親は真夜と深夜のどちらかと恋仲になることを期待して私に弘一の師事を求めてきた。私としても優秀な次代を担う者が少しでも増えてくれればと思い、引き受けた。それは偽らざる私の気持ちだ」
真夜と深夜の両親の親世代―――彼女らの祖父母に神楽坂家所縁の人間がおり、七草家としても神楽坂家との繋がりを期待しつつ、弘一の魔法の師事を烈に頼み込んだ。結果として、弘一と真夜が仲良くなったため、七草家と四葉家は婚約を結んだ。
「だが、それに対して快く思わなかったのが三枝家だった。彼らは武家より派生した密教系魔法を使う古式魔法の使い手であり、その意味で公家の出である神楽坂家を敵視していた」
元々
その一方、上泉家とはその祖たる上泉信綱が武田信玄より
「彼らは『あの方々』を通して私を脅し、更には三枝家が私を脅したのだ。断れば古式の術者に大義名分を与えて、九島家のみならず『九』の家に関わる人間すべてを潰すとな。そんなことになれば、古式魔法師と現代魔法師の内戦になってしまうのはお前も気付いているだろう」
「……先生は、その最悪の可能性を回避されるために、四葉を売ったのですか」
「結果論に過ぎぬよ、弘一。元はと言えば力を求めておきながら、結局は望んだ力を子孫たちに与えられなかった愚かな私の責任だ」
その意味で息子の真言があのような凶行に走ったのを烈は止められなかったし、咎めることも出来なかった。光宣に魔法師としての力はあっても、それに耐えうるだけの肉体を有さなかったのは皮肉としか言いようがなかった。
「……
「……」
「私だって納得できないことはあります。それでも、十師族の一角として……七草の名を預かる者として、これ以上の無様を晒すつもりはありません。既に地の底に落ちてしまったからには、藻掻いてでも這い上がるしかないことは承知の上です」
弘一は、十師族の秩序を守るという理由で成り上がろうとする四葉家にちょっかいを掛けてきた。その気になれば報復されてもおかしくないようなことを見逃されてきたのは、真夜がまだ自分に気があるものだと思い続けてきた。
だが、昨日の真夜と烈のやり取りを聞いた時、真夜の心の中には既に弘一がいないということを思い知らされてしまった。自分の子が成せないという苦しみを司波達也という存在によって救われ、更に神楽坂悠元という存在にも救われたことで彼女自身の心境は既に過去を向いていなかった。
前に烈から言われた「過去の清算」を真夜がしてしまった以上、自身のこの想いにも決着を付けねばならない、と強く感じていた。その為にも、この事件を可及的速やかに解決せねばならない、と思い立ち上がった。
「……長い間、今までありがとうございました、先生。どうか、残りの余生を何事も無く健康に過ごされることを切に望みます」
全てを納得したわけではない。だが、このまま引き摺っていては自分の子らに同じ思いをさせるだけだ。真夜との婚約解消に納得できなかったかつての自分を思い出し、婚約に乗り気ではなかった真由美の姿によく似ていると笑みを漏らしつつ、弘一は応接室を出た。
その姿を烈はただ見送った後、ソファーに深く座り込んだ。
「……老兵は去り行くのみ、とは確かに良く言ったものだ。元造の孫に剛三の孫……この二人は、この国だけでなく世界すら変えていくだろう。私はただ、見守ることしか出来ぬな……ハハハ、この歳になって生きたいと思うなど、皮肉にも程があるな」
―――四葉元造の孫にして、四葉の復讐の象徴足り得る存在の達也。
―――上泉剛三の孫にして、三矢の再生の原点たる存在の悠元。
奇しくも『灼熱と極光のハロウィン』でこの国を救った戦略級魔法師に、烈は老い先短い身ながらも、この世界の行く末を見たく感じた。この歳になって長生きをしたい、と思うようになったことに烈は柄にもなく盛大に笑ったのだった。
顧傑が民家に不法侵入したプラス殺人(未遂)についてあまり触れられなかったのはどうかと思い、その部分を救済した次第です。泉美の部分に関しては弘一との感情が変化しているため、刑事に詰め寄るシーンが起こり得ないと思い、ああなりました。
弘一と烈のやり取りは正直どうかなとは思いましたが、魔法師としての遺伝子をかなり重んじている部分からすれば、そういった干渉はあっても不思議ではない、と思いました。