ファーストフード店に入り、ここは大人の責任ということでハンスが全て支払った。あの場を離れるのはどうかという懸念もあったが、ジャズと名乗った少女が「GPS付きのモバイルを持っているから大丈夫」と発言したことで、彼女の父親と思しき人物が彼女を見つけるのも時間の問題だろうと判断した。
そしてテーブルに全員が揃ったところで紗耶香がジャズに話しかけた。
「ジャズ、大丈夫? 怖くなかった?」
「ええ、大丈夫。お姉さんたち、ありがとう」
ハンスから見て、日本語を巧みに話せる時点で日系人の線を疑った。やけに大人びた振る舞いはどうにも気に掛かっていたからだ。すると、服部がハンスに話しかけた。
「先程は助かりました。ええと……」
「ハンスだ。言っておくが、そちらの『ジャズ』と名乗ったお嬢さんとは無関係でな。先程の騒動に図らずも巻き込まれたようなものだ」
「そうだったのですか」
ハンスとしては嘘をつく理由がないため、ありのままに起こったことを伝えると、特に怪しむ要素もないために服部や桐原、沢木は納得したような様子を見せていた。一方、女性陣はジャズと話しているわけだが、先程の人たちに関して心当たりは無いと述べていた。
だが、ハンスの内心ではルーデルの言葉も気に掛かる為、念のためにサイオンの動きだけを読み取ったところで彼女の父親と思しき人物が姿を見せた。
「ジャズ!」
「ハイ、ダディ」
「急に居なくなって! GPSでこの店に辿り着けたからよかったものの……それで、貴方方は?」
仕草を見る限りでは娘を本気で心配する父親の構図に見えなくもない。すると、彼は服部らに気付いてジャズと一緒に居ることを含めて尋ねた。
「ジャズのお父さんですね? 私は服部刑部といいます」
(服部刑部……確か、国立魔法大学付属第一高校だったか。となると、大方卒業旅行の類ということか)
ハンスは下手に口を出さず、事態の推移を見守ることにした。服部は先程ジャズが四人組の男たちに狙われ、最終的には十人ほどの集団に襲撃されたが、事なきを得たことをありのままに伝えた。
すると、ジャズの父親は被っていた帽子を取って頭を下げた。
「偶然その場に立ち会わせたため、娘さんを人目の多い場所にお連れした次第です」
「ソーでしたか。モーシ遅れました。ワタシ、ジャズの父のジェームズ・ジャクソンと申しマス」
(……いや、さっき普通に喋っていたよな? わざわざカタコトにする必要があるのか?)
ジェームズの娘よりも下手な日本語という時点で、どうにも違和感が拭えない。ただ、服部らが問い詰めるような素振りを見せなかったため、ハンスもその雰囲気に同調して問い詰めようとはしなかった。
「まだ仲間が近くにいないとも限りません。もし警察に行かれるというのでしたら同行いたしますが」
「イエ、それには及びまセン」
「そうですか。せめて、人目の多い場所を選んで行動されたほうが宜しいかと思います」
これには流石のハンスも訝しんだ。いくら外国人とはいえ、先程の件を警察に相談するぐらいは“真っ当な立場の人間”ならしてもおかしくはない。だが、それを彼が拒んだということは……彼らは“真っ当な目的”でこの国を訪れているとは考えにくい。
そして、父親に手を引かれて去っていくジャズの姿が見えなくなったところで、ハンスは遮音フィールドを張った。その手際の良さに服部らは目を見開いていた。
「貴方は、魔法師なのですか?」
「まあ、間違ってはいない。言っておくが、ちゃんとした手続きで入国しているし、襲って来た連中も知らないことは確かだ。ただ、あの男たちが普通じゃないのは……君も気付いていたんじゃないのか?」
「……ええ。分かりやすかったですか?」
ハンスがそう言って視線を向けた先にいたのは沢木だった。沢木が何か懸念を覚えるような表情をしていたことにハンスが尋ねると、沢木は正直に頷いた。
「俺でも注意深く見ないと無理だったさ……あの黒服の連中は中国語を使っていた」
「それって、大亜連合の?」
「いや、一概に決めつけることはできないと……ハンスさんの意見はどうなのですか?」
「俺は格闘技も齧っているわけだが、連中は大陸方面の軍隊格闘技に古式魔法を使っていた。サイオンの流れからして『
ハンスは剛三から『
流石に先程出会ったばかりの相手なので、信じ切れなくても無理はないと思いながらハンスは立ち上がった。
「何にせよ、お前さんらも魔法師として気を付けるといい。ではな、第一高校の卒業生の諸君」
そう言い終えてから遮音フィールドを解除すると、ハンスは人ごみの中に消えていった。暫く呆然としていた服部らだったが、最初に口を開いたのは桐原だった。
「非常識の類は司波兄や神楽坂で学んだって言うのに、世界は広いな……しかも、あのハンスって奴、俺たちの素性を知っていたな」
「うん……敵ってことかな?」
「いや、そんな雰囲気は感じなかったな。ただ……」
「ただ?」
「見た感じ、俺らとそこまで年が離れている訳でもねえのに、纏っている雰囲気は俺の親父以上かも知れねえ。一体どんな経験をしたらああなるのか想像もつかねえよ」
見るからに20歳前後の金髪の外人なのは間違いないが、彼の身に纏う雰囲気が既に歴戦の兵士と遜色ないことに桐原は冷や汗を流した。それこそ、達也や悠元から感じたような雰囲気に限りなく近いのかもしれない、とは口に出さなかったが、桐原の言いたいことを察してしまった紗耶香は下手に声を掛けられる雰囲気ではないと思ってしまうほどだった。
◇ ◇ ◇
その頃、風間らと密談したステーキハウスを後にした悠元らであったが、そこでリーナが話しかけてきた。先程の内容に関してリーナも思うところが出てくるのは仕方がない事だ。
「タツヤ、ユート。今回は向こうの作戦に加わるわけじゃないのね」
「ああ。俺らが受け持つのは当日だからな」
「それに達也ならいざ知らず、俺の場合は隊に籍があっても、そこでの扱いは非戦闘要員だからな。国防陸軍の人間として動くことはまずない」
今回の作戦によって達也と悠元が戦略級魔法師だという情報が大亜連合に明るみになるのはマズい。それに、悠元は国防陸軍総司令部勤務の特務参謀の肩書きが優先されるため、いくら大隊内に特尉として籍を置いていても、それはあくまでもサポート要員であって戦闘要員とは決してならない。
その為、今回の作戦において戦闘要員の肩書きを得るために悠元は神楽坂家の魔法師として協力する立場にいる。その一件で独立魔装大隊内にその論理が通用するなどとは思われたくないが。
「ようはリーナのスターズ内における立場が少々特殊化したのが俺の置かれている立場だ。加えて達也の魔法の管理もしている以上、俺の立場を締め上げる行為がどんな結果を招くかは言わずとも分かるだろう?」
「あー、そうね。流石にワタシもタツヤに敵対できないわ……尤も、あっちの軍は未だにタツヤをどうにかしようと動いてるみたいだけど」
リーナの“アンジー・シリウス”としての軍籍は未だにUSNA軍内に残ったままだが、リーナは最悪祖国を切り捨てるつもりでいた。あれほどスターズの人間として動いていたリーナに対し、深雪が辛辣な台詞も混ぜながらリーナに問いかけた。
「お兄様と本気の殺し合いまでしたのに、まるで他人事のように言うのね、リーナ」
「……ミユキ、ワタシだって触れてはいけないものの分別ぐらいわかるの。それに、好いた人に嫌われたくないわけだし」
「ふふ、その気持ちは分かるわ」
互いに好き合った人がいるからこそ……魔法師としてはライバル関係にある二人が通じ合っている横で、悠元は見て見ぬふりをしながら水波にタクシーの手配を頼んだ。すると、水波が訝し気に眉を顰めた。
「水波、どうした?」
「その……タクシーセンターが応答しないんです」
「センターがか……」
悠元はスマートフォン型端末―――自身が一から設計した仮想モニター展開型の通信端末―――を取り出し、この近辺の交通システムの稼働情報を表示させて達也らにも見えるようにした。
「規模的にソフトウェアの障害ではないな。ハードウェアがやられたとみるべきだが、破壊工作か?」
「だろうな。ただ、仮にテロ行為で破壊するにしても重要な中継局を潰していない。十中八九逃亡が目的だろう」
通常のモバイル通信網に併設されている形で張り巡らされている軍用通信の中継局は、ビルなどの構造的障害物が多い市街地内の通信を円滑化し、かつ大容量データ通信を円滑に行うためのものだ。仮に民間用の通信施設の基地局が破壊されても別の中継ポイントに切り替わるだけだし、最悪の場合は成層圏プラットフォーム回線や衛星回線が直接使える。
達也と悠元の推測が当たったかのように水波が「あっ、繋がりました」と述べた。
「工作員は近くにいるのでしょうか?」
「いや、近くにはいないだろうな。ただ、こちらを警戒する可能性は残ったままだ」
大亜連合にとって
ただ、彼らはその実力を知らない。何せ、悠元と直接対峙した陳祥山であってもほぼ一方的な展開だったために悠元の実力を把握しきれていない為だ。
「その、脱走兵がタツヤやユートを警戒してるってこと?」
「正確には俺らの今の立場、それと俺の
「畏まりました、悠元様」
「名は体を表す」とは言ったものだが、その意味で深雪やリーナも無関係とはいえない。名目上は慰霊祭の打ち合わせと彼岸の法要だが、滞在期間が延びれば西果新島の竣工記念パーティーに出席することぐらい読んでいるとみるべきだ。
今回の一件に関して悠元は積極的に独立魔装大隊の手助けをする気はない。今回は顧傑の一件(アンティナイトの紛失)でやらかした国防軍の怠慢に対する汚名返上の要素も含んでおり、本筋で関わる気があるのはパーティー中の工作阻止ぐらいでしかない。
それに、相手の居場所を特定できるだけの人材がいる以上、悠元が無理に出張る必要もない。その分深雪の機嫌取りに割ける時間が増えることになるので、達也や水波の負担も相対的に減ることとなる。そう思いながら悠元は到着した無人タクシーに乗り込んだのだった。
◇ ◇ ◇
その少し前、ホテルに戻ったジャズ―――オーストラリア軍所属のジャスミン・ウィリアムズ大尉はきつい口調で「父親」を詰った。
「ジョンソン大尉、先程の言葉遣いは何だ?」
「何って、いかにも日本に慣れていない外国人という感じだっただろう?」
彼の名はジェームズ・J・ジョンソン大尉。れっきとしたオーストラリア軍の軍人魔法師である。外見上はジャスミンの方が幼く見られる形だが、これには彼女に関する“事情”の側面が強いため、ジェームズもその部分をとやかく言わずに返した。
「あれでは逆に無用な注目を集めるだけだ。現にあの場にいた人物から不審を抱かれていたぞ」
「マジか」
「……まったく、うんざりにもほどがある。パートナーを変えてもらいたいぐらいだ」
「無茶言うものじゃないと思うぞ」
わかっている、とジャスミンは小声で呟きながら息を吐きつつケースを開いて作業を進めていく。
ジャスミン・ウィリアムズ大尉は調整体魔法師。彼女は計画された通りの魔法技能を有していたが、その代償として彼女が背負ったのは肉体の成長障害であった。12歳相当の肉体に成長したのが20歳の頃で、そこから9年間は全く成長しなくなった。
だが、軍はジャスミンを治療しようとしなかった。少女の外見を持つ優れた魔法師に価値を見出し、潜入工作のための
だが、子どもの身なりではジャスミンの単独行動だと確実に浮いてしまう。そのための父親役としてジェームズが抜擢された。単に外見の問題ならばジェームズ以外にも適任者はいたが、その中で彼が選ばれたのは戦闘魔法師としての適性とジャスミンとの相性の良さにある。
ジャスミンは後方からの遠距離攻撃を得意とするのに対し、ジェームズは自己加速術式を含めた前衛型の魔法師。互いにカバーリングできるからこそ軍上層部は彼らを組ませ、実際に成果を上げている以上は今更解消というわけにもいかない。
ジャスミンは生産性の無い愚痴を止めて話題を切り替えた。
「先程私を攫おうとした連中の素性は分かったか?」
「大亜連合の特殊部隊。俺たちが組んでいるのとは別口のな」
「やはり追跡部隊か。一体どうやって私たちの素性を掴んだのだろうな」
「そりゃ、大方日本軍の情報部から教えてもらったんじゃないか?」
ジェームズの予測はある意味当たっていた。だが、その部分に関して調べるだけのリスクを負えない彼らにそれを知る余裕はなかった。日本と大亜連合で講和条約が結ばれた以上、双方が協力することも何ら不思議ではない、とジャスミンは結論付けた。
「そして、あの場に居合わせた白人の男性だが、そっちは?」
「一応調べたが、あっちはどうやらSSAの関係者だ。ハンス・エルンスト―――ドイツ系の軍人で訪日しているディアッカ・ブレスティーロ大統領の護衛となっている。彼もこちらの障害になると睨んでいるのか?」
「分からない。ただ、警戒するに越したことはないと思っている」
当初聞いた話では、竣工記念パーティーには日本国内の関係者が出席する運びとなっていた。だが、いざ作戦を準備した段階でフランスとSSAが相次いで訪日し、沖縄海戦の彼岸法要と人工島の竣工記念パーティーにも出席する方向で話が進んでいた。
こうなると、もはや二国間だけでなくイギリスと同じ西EUに属するフランスや南アメリカの一大勢力となったSSAの問題にもつながる。これを大亜連合とオーストラリア―――ひいてはイギリスが画策したなどと知られれば、仮に失敗しても国際問題に発展してしまうのは避けられなくなった。
「新ソ連やUSNAにつけこまれないよう、仲直りしたところを見せつけなきゃいかんだろうからな。破壊工作を許した日には、両国の面子が丸潰れになる」
「見事に私達と利害が反しているな」
「そりゃそうだ。俺たちは国家的事業のスタートセレモニーを台無しにしようと動いているからな」
追跡部隊まで出て来た以上、ジャスミンとジェームズが泊まっているこのホテルも当然マークされている、と言葉にせずともお互いに理解していた。どの道マークされているのならば、振り切るために多少荒っぽいやり方をするしかない。
その結果として通信の基地局がいくつか破壊され、交通システムが一時的に麻痺したのだった。