国防陸軍基地の会議室。今回の任務に際して独立魔装大隊の臨時司令部として借り受けた部屋で風間は響子からの報告を受けていた。その報告にはさしもの風間ですら頭を悩ませていた。
「ホテルをチェックアウトしたオーストラリア人の工作員を追跡していた部隊ですが、全滅との報告を受けました。死者はゼロですが、全員行動不能の状態です」
「敵の増援か?」
「いえ、捕獲対象の魔法攻撃を受けたものと思われます」
感情を押し殺した声で響子が風間に報告した。追跡部隊は確かに彼らの姿を捉えていたが、捕縛という段階で失敗してしまった。相手が軍人魔法師である可能性も当然考慮しての行動だが、一筋縄ではいかないことだと風間は思いつつも響子に詳細を尋ねた。
「魔法攻撃はどのようなものだ」
「高濃度のオゾンガスによる攻撃です。部隊の隊員に麻痺症状が見られました」
「そうか……真田、どう見る?」
「これは私見ですが、恐らく『オゾンサークル』ではないかと思われます」
今回、部隊が倒されたのは屋外での出来事。屋内ならば他にもオゾンガスを発生させる魔法はあるが、屋外の広範囲で急速にオゾンガスを生成する魔法となれば戦略級魔法『オゾンサークル』であると真田は推測を出した。
幸いにも真田は悠元から『オゾンサークル』に関する資料を大気収束に関する魔法開発の一環で受け取っていた。本来日本が欧州の戦略級魔法の術式コードなど知る筈もない訳だが、悠元の「以前その魔法による攻撃を受けたために知り得た」という言葉に嘘偽りを感じなかったため、真田はそのまま受け取っていた。
「オーストラリアの魔法師が『オゾンサークル』を?」
「そう不思議な事でもあるまい」
戦略級魔法『オゾンサークル』はイギリスのウィリアム・マクロードとドイツのカーラ・シュミットが操る戦略級魔法として有名だが、元々はEU分裂前の欧州連合でオゾンホール対策として共同開発された経緯がある。
東西分裂前の協定に従い、旧欧州連合加盟国の間で『オゾンサークル』の魔法式に関する情報は共有されている。なので、イギリス連邦の一員だったオーストラリアの魔法師が『オゾンサークル』を使用できたとしても何ら不思議ではない。
裏を返せば、追跡対象であるジャスミン・ジャクソンとジェームズ・ジャクソンのどちらか、或いは両方がオーストラリア軍の魔法師という可能性が高いことを意味する。
「藤林、あの二人の正体は分かったか?」
「いえ、まだです。ただ想子センサーの記録を見る限り、魔法を行使したのはジャスミン・ジャクソンのほうであると推定されます」
「少女の方か」
「或いは少女の姿をした魔法師ということです」
藤林の言葉に風間が訝しげな表情を浮かべる。別に副官である彼女の言葉を疑うわけではないが、その言葉は先程の会合で悠元と達也が発していた懸念と同質の発言であっただけに尚更であった。
実際のところ、魔法に優れた者が年齢にそぐわぬ風貌を持ってしまう現象は風間自身目の当たりにしている。ただ、それが十代にまで及ぶ事例はあまり聞いたことが無かったため、一応頭の片隅に置きつつ別の話題を口に出した。
「悠元と達也が同じ懸念を口にしていたが……いや、前例は確かになくもないが。ところで、大亜連合側の部隊を妨害した者たちの素性は掴めたか」
「はい。国立魔法大学付属第一高校の卒業生です。こちらは卒業旅行で訪れていたようです。それと、SSA軍のハンス・エルンスト大佐もその場に居合わせていたようです」
「そういえば西果新島の竣工記念パーティーに五十里家の長男が招かれていたな。エルンスト大佐の合流予定は明日だから、こちらの事情を知らなくても無理はないか」
藤林の報告に風間は溜息を洩らしつつ笑い声が出ていた。日本とSSA自体特に蟠りもなく、大統領は親日家として広く知られている。その部下として同行しているハンスも日本に好意を持っていることは風間も耳にしていたため、今回は偶然鉢合わせたとみるのが妥当だと判断した。
「藤林は引き続き身元調査を進めてくれ。真田は敵本隊の捜索だ」
「分かりました」
「両名は既に上空のカメラで捉えています。決して逃がしはしません」
「よろしい」
真田と響子は同時に立ち上がり、風間に敬礼してその場を去った。
◇ ◇ ◇
その頃、大統領が宿泊する高級ホテルに戻ったハンスは、そのまま大統領が泊まるスイートルームに出向いた。すると、大統領夫人である女性と楽しく喋っていた少女がハンスに気付いて駆け寄り、そのままハンスに抱き着いた。
「おかえりなさい、ハンス」
「ああ、ただいま。小母様もありがとうございます」
「お気遣いなく。私にとっても娘のようなものですから。夫に報告があるのでしょう? 彼でしたらベランダに居ますので」
「分かりました」
ハンスは少女―――ナターリヤ・コントラチェンコの頭を撫でつつ大統領夫人に彼女を任せると、そのままリビングに出た。
普通なら護衛の一人ぐらい置くべきだろうが、ここは神坂グループが経営するホテルの為、魔法に関するセキュリティーが張り巡らされている。なので、本来VIP扱いであるディアッカ・ブレスティーロ大統領が一人のんびり読書に耽っていても何も咎められなかった。
「ハンス・エルンスト大佐、戻りました。こちらがお土産です」
「気苦労を掛けるな、ハンス。さて、何かしらトラブルがあった様に見受けられるが」
「……敵いませんね。実は―――」
ハンスは街に出ていた際、大亜連合の軍人と思しき集団がジャズと名乗った白人の少女を攫おうと動いていたこと。そこに偶然出くわして少女を助ける方向で動いたこと。ジャズは父親を名乗った人物とその場を後にしたことをディアッカに伝えた。
「ふむ……ハンスはその二人組をどう見る?」
「流暢な日本語を喋っていたことから、最初は日系人かこの国に好意的な感情を有しているものかと思いましたが……彼らの言葉遣いからイギリス英語の発音の仕方が聞こえたような気がしたのです。それに、少女の方は年齢からすれば精神が成熟しきっているように見えました」
母国語以外の第二外国語を学ぶ場合、どうしても一番慣れ親しんだ母国語の発音やニュアンスが混じってしまうことがある。ジェームズ・ジャクソンと名乗った男性の拙い日本語のがわざとらしく聞こえたこともハンスが彼らを疑う要因となっていた。
「少女も父親と名乗った人物もおそらく軍人魔法師の可能性が高いとみています」
「仮にそうだとして、大亜連合軍か?」
「いえ、サイオンの流れ方がどうにも違いました。一番近いとなると……イギリスの魔法師ですかね」
欧州連合は東西に分裂したが、それまでの交流がいきなり途絶したわけではない。新ソ連やUSNAといった大国クラスに対抗するべく軍事的な合同演習や会合は続いており、その一環でハンスは以前イギリスを訪れたことがあった。その時の感覚からジャズと名乗った少女とジェームズ・ジャクソンのサイオンの流れがどうにも似通っていた。
「無論、私見でしかありませんので、間違っている可能性もありますが」
「いや、ハンスを疑う余地は今のところ存在しない。……確か、ジャズはジャスミンの名を省略して呼ぶことが多かった筈だな。となると、こちらがお節介を掛けた形になったか」
「……藪蛇だったと?」
「ハンスの場合は仕方がないだろうな。聞いた状況からすれば、仮に私がその場に居たら間違いなく助けるために動いていただろう」
恐らく、少女の身柄を確保しようとした相手を図らずも妨害する形となったことにディアッカだけでなくハンスも気付き、破壊工作に通じたとみられる可能性が出てきてしまった。それに対してディアッカは「そこは政治の仕事だ」と述べた上で話を続ける。
「念のために詫びを入れておくが、明日からエルンスト大佐には日本の国防軍と協力して工作阻止のために動いてくれ」
「ハッ、了解しました。閣下は如何されるおつもりですか?」
「暫くはのんびりさせてもらうつもりだよ。ここ最近は書類の山と格闘していたからね」
実を言うと、ディアッカが多忙だったのは人間主義の活動とUSNAの怠慢の影響が大きかった。
人間主義が早々に鎮圧されたSSAと異なり、USNAは逆に人間主義を使って他国を貶めようとする動きがあった。その一つが顧傑を唆して日本に人間主義の影響を移そうとしたものだが、それは何も日本だけではなくSSAも似たような被害を受けるところだった。だが、その動きは対ゲリラを専門に扱う元ゲリラ兵で構成された特殊部隊によって早急に鎮圧され、拷問に近い取り調べでUSNAから唆された痕跡となる書類を発見した。
更に、その組織が顧傑と関係が深い元大漢難民で構成された組織であったため、大統領権限によって即座に拘束し、国家反逆罪に相当すると見做した上で表向きは「海賊船の公開爆破」という形で拿捕されていた海賊船諸共爆破された。彼らの中には海賊と繋がりがあったのも事実であり、SSA側は何ら嘘を吐いていない形となった。
「貴官の奥方もこちらでしっかりと面倒は見させてもらうよ」
「……小官は、まだ結婚はおろか婚約すらしていないのですが」
「向こうの首相閣下もとうに結婚したものと見做すだろう。諦めてくれ」
「分かっていますよ……」
今更どう取り繕ったところでドイツとSSAの国家元首から“夫婦”と見做されている以上、ハンスの抗議も単なる足掻き以外の何物でもないことは彼自身理解している。それでも、ハンスとしてはまだ人間としての矜持を捨てるつもりなどなかった。
◇ ◇ ◇
ジャスミン・ジャクソンの偽名を使用しているジャスミン・ウィリアムズ大尉と、ジェームズ・ジャクソンの偽名を使っているジェームズ・J・ジョンソン大尉がその情報を耳にしたのはその日の夜のことだった。
彼らは風間の部下の追跡を強引に振り切り、イギリス系国際資本のシーサイドホテルで大亜連合軍脱走部隊の幹部と密かに合流していた。
「四葉の魔法師が? それと、神楽坂家の当主?」
まるでオウム返しのように尋ねたジャスミンに対し、反講和派のリーダーの一人で、今回の破壊工作の首謀者であるダニエル・
「今日の式典に、四葉の次期当主と神楽坂の現当主、それと後者の婚約者も参加していました」
「神楽坂……名ぐらいは聞いたことがあるが。式典と言うのは、5年前の戦役で犠牲になった者たちの慰霊祭ですか?」
ジャスミンは以前、ウィリアム・マクロードから神楽坂の名を持つ者に関する話を聞かされたことがあった。厳密にはマクロードの父親がその者を揶揄する渾名で呼んだ際、返り討ちという形で2週間の入院生活を強いられたことがあったというエピソードを聞いただけだ。
流石にその当事者が来ているわけではないだろうが、リウが警戒するとなると少なからず関係者とみるべきなのかもしれない、とジャスミンは内心で思いつつリウに尋ねると、リウは細かい訂正をせずに再び頷いた。
「横から口を挟むことに失礼しますが、この国の魔法師のリーダーが戦没者の為に代理を遣わすのは別段おかしい話でもない気がします」
「確かに不思議ではありません。ですが、無視できるわけでもないと思います。とりわけ神楽坂の現当主は5年前の戦いに参加していたと風の噂で聞いています。我々の沖縄入りと無関係だとしても、彼らがここにいるというだけで作戦の大きな障害になりかねません」
神楽坂家の現当主―――悠元が5年前の戦闘に参戦していたという事実は昨年春に民権党の神田議員が漏らしたわけだが、その場に居合わせたメディアの誰もが口を閉ざすような恰好となった。それでも偶々聞いていた魔法科高校の生徒から“風の噂”程度のものが広まり、リウもそれを聞いてはいた。
だが、実際にどのような動きをしていたかまでは掴み切れず、リウの判断はあくまでも四葉の魔法師として出席した達也と深雪の次点であると結論付けていた。
「だが、彼らはまだ高校生の筈」
「横浜の作戦では、当時高校生だった十文字家の現当主だけでなく、彼らと同年代と思しき生徒によって我が軍の精鋭が倒された事実もあります。子どもだからと言って侮ることはできません」
ジャスミンの反論にリウは首を横に振った上で一応の注意を促す形でそう述べたが、リウは達也や深雪のみならず、悠元やリーナの真価を知らなかった。
いや、正確に述べるのならば「その知識が無かった」という一言に尽きるだろう。
◇ ◇ ◇
2097年3月25日。
敵の工作員から要注意人物認定を受けていた三人だが、精力的にカウンターテロ作戦に勤しんでいた―――という事実はなかった。いつものように九重寺へ赴くということはないが、それでも染み付いた習慣のように達也はベッドで目を覚ました。上半身を起き上がらせると、その隣で寝ている少女を見て笑みを漏らした。
達也がこんな風に感情を出すことなど、以前ならば深雪以外になかったかもしれない。だが、悠元との出会いによって少しずつ変わり、未だに夢の世界にいる少女によって達也は己の殻を破ることができた。
すると、少女の方が声を上げながら重たそうに瞼を開けた。
「おはよう、リーナ。まだ眠っていてもいいんだぞ?」
「おはよう、タツヤ……あれだけのことをしたのに、タツヤが平然としているのが何か釈然としないわ」
「平然としている訳じゃない。正直、リーナがああいった行動に出るとは思わなかっただけで、今もまだ混乱している」
何があったのかと言えば、簡単に述べるなら達也とリーナが男女の関係になったということだ。
より詳しく述べると、同室となった二人のうちリーナが迫って、達也は抑えるように言い含めたが、ここでリーナは四葉家当主からの手紙を達也に差し出した。それはリーナを婚約者序列の第一位に据えて欲しいというものだった。しかも、関係を持ったとしても別に構わないという文言で達也はいよいよ逃げ道がないことを悟った。
そのため、急遽悠元にその辺の対処法を教わり、何とかリーナの提案を受け入れたという結果になった。
「昨晩は、ミユキもユートに愛されてるでしょうけど……迫ったワタシが言うのもなんだけど、本当に良かったの?」
「母上が面白がって認めた線も否めないが、向き合ってこれなかった俺にも一定の責任があるのは承知している。尤も、リーナ相手だと歯止めが利くか分からんが」
「……今も襲いたいって思ってる?」
「それをリーナが望むのならな」
「そういうところはタツヤらしいわね」
年相応の男子らしい一面が見れたことに、リーナは思わず笑みが零れた。お互い子どもらしい人生を歩んでいなかったからこそ、リーナは達也の気苦労が少しばかりわかる様な気がした。
「まだ朝食まで時間はあるから、のんびりしようか」
「のんびりするはずが激しくなっちゃったりして」
「……そういうところはセリアによく似ているな。何故抓る」
「セリアと同類に見られたくないのよ」
そうは言いつつも、結局仲が良い双子の姉妹だと思いつつ、朝食までベッドの中でスキンシップを取っていた……無論、その様子を隣の部屋で宿泊している人たちが気付かないわけがなかった。
「……よかった。達也も思春期の男子だったか」
「……そうですね。私もようやく一安心です」
実は、リーナが持っていた真夜の手紙は悠元と深雪の入れ知恵も含んでいる。正直、達也の婚約者になろうとしている面々の中には結構我が強い人も多く、どの道過激な誘惑をする未来は見えていた。なので、達也が一番関心を寄せているリーナと男女の関係を持つことで、人に言えない好みを持っているのではと邪推される危機を回避できた形となった。
言うまでもないが、悠元の上に被さる形で深雪が一緒に寝ている。
「そしたら、一安心したところで深雪を満足させないとな。今日は深雪の誕生日だし」
「ふふっ、そうでしたね。じゃあ、今日は一日『御主人様』とお呼びしますので」
「……せめて他の人に聞こえないようにしてくれ」
今日の主役であるはずの深雪が自ら悠元の下僕となるような発言に、多少の我儘は仕方がないにせよ、せめて場を弁えた行動と発言はして欲しいという願いを込めた台詞を述べた悠元であった。
……余談だが、水波は隣のベッドで気持ちよさそうに寝ていたのだった。
原作のあたりはあまり変化がありませんが、達也と深雪だけでなく悠元も警戒対象に含まれます。なお、リーナのことが触れられていないのは、USNA側の意図による要素もあったります。