魔法科高校の『触れ得ざる者』   作:那珂之川

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堀なんてものは既に存在しない

 グラスボートが予定の航路から外れていくことに一番驚いたのは、一高生・OB・OGの一行ではなく潜水艦で彼らを待ち伏せていた大亜連合脱走兵とオーストラリア軍工作員であった。

 

「ボートは予定されている航路ではなく、西回りで港に帰る模様です。いかがしますか?」

 

 オペレーターの報告を聞いた大亜連合脱走兵集団のリーダー、ダニエル・(リウ)上校は本来グラスボートが通るべき航路から外れることに疑問を抱いた。

 元々、ボートに乗っている魔法科高校および国立魔法大学の生徒、北山家の娘を拐かし、営利誘拐や身代金目的に見せかけることでパーティーへの警戒を逸らすと共に、四葉家の魔法師に対して28日の作戦決行日に妨害できなくさせるという発案はリウの側近によるものだった。

 リウ自身乗り気ではなかったが、積極的に反対はしなかった。強硬に反対意見を述べたのはオーストラリア軍のジェームズ・J・ジョンソン大尉。だが、多数決に加えてリウの優柔不断がこの作戦を決行に至らしめた。

 

「……追跡をせよ。ただし、一定の距離を取って決行せよ」

 

 グラスボートが予定にない航路を辿ることで、潜水艦の居場所が特定されたのかと訝しんだ。だが、現在潜水艦とボートの直線距離は約1キロメートル程度。潜水艦側からならば特定できてもボート側から特定するのは非常に難しいはずだ。

 だが、作戦を確実に成功させるためにも妨害になりそうな要素は出来る限り排除すべきと考え、リウはボートの追跡を命じた。

 

 リウや同乗しているジェームズも含めて彼らは気付いていない。既に彼らの首元には死神の鎌が添えられているということに。

 

  ◇ ◇ ◇

 

 直前で変更した航行ルート程度で彼らを振り切れるとは到底思っていない。悠元は操舵をしつつ手元に置いた端末で潜水艦の動きを探る。一定の距離を保ちつつボートを追跡するのが分かった。

 

(目的はこっちの誘拐なんだろうが……そんなにプライドが大事か?)

 

 正直に言って、分裂・統合を繰り返して長らく単一国家としての体を保てていない中国大陸の国家に一体どんなプライドがあるのかと思う。別に対抗心を燃やすのは構わないが、それが高まった挙句に変な思想で周辺国家に迷惑を掛けている時点で合法的な山賊や海賊としか言えなくなる。

 すると、操舵室に達也が入ってきた。彼も潜水艦の存在を認識したのだろう。より正確に言えば達也がジェームズ・J・ジョンソンに撃ち込んだマーカーで事を読み取ったと思われる。

 

「悠元、どうやら潜水艦が追跡しているみたいだ」

「それはこちらも把握している……流石に島へ攻撃を加えるとは思えんが、民間人への被害はマズいな……そして、考えさせてくれる暇もなしか」

 

 悠元は『天神の眼(オシリス・サイト)』で、達也は『精霊の眼(エレメンタル・サイト)』で潜水艦から魚雷が発射されたことに気付く。原作なら水波が担当していたが、悠元は一緒に来ていた雫に声を掛けた。

 

「雫、ボートの後方30メートルを基点にして、海底への射角18度で『フォノンティアーズ』を撃て」

「任せて」

 

 今の雫は完全解除された魔法演算領域によって深雪に匹敵する力を獲得しており、悠元との訓練によって離れた場所から魔法を発動させることもできるようになった。海底への被害は最悪『天陽照覧』で直すため、今は潜水艦への牽制攻撃も含めて雫に任せた。

 ボートへの魔法攻撃の余波は水波がいるために問題なく、雫が放った『フォノンティアーズ』は熱線によって水蒸気化した海水によって巨大な水柱が舞い上がった。

 

「……悠元はやっぱりジゴロ」

「何で自分が責められるんだよ……あー、次に有人魚雷が飛んできますので、先輩方に対処を任せていいですか? どうせ暴れたいんでしょうし」

「沢木と桐原はそうかもしれんが、自分や五十里は例外にしてくれ……」

 

 悠元の言葉に駆け出していく沢木と桐原。服部は悠元に溜息が混じりつつもそう吐き捨てた上で二人のフォローをすべく走り出した。

 原作でも相手の兵士を圧倒していた二人だが、悠元という埒外との関わりで同学年の中でも群を抜いた強さを手にした結果、沢木は一撃で相手の兵士を沈め、桐原は『高周波ブレード』の応用で釣竿を強化して相手の防護服だけを綺麗に斬ってしまった。その不意を突こうとする兵士に対し、服部は氷の弾丸で鎮圧した。

 

「こいつらは?」

「海賊の一種ですかね。まあ、このまま連れ帰っても面倒になるので、突き返します」

 

 悠元は服部の質問に答えつつ相手の素性を探った後、ドライスーツのベルトを徐に掴んで、まるで相手の兵士を銛投げでもするかの如く海中目がけて投げ飛ばした。これには服部だけでなく沢木や桐原も呆然としていた。

 

「その、一体何をしたんだ?」

「追跡した相手がどうやら潜水艦なので、そこ目がけて投げてやりました」

 

 この程度のことなど、悠元からすればそこまで苦にもならないことだった。

 霊的な存在に襲われたり、国ぐるみの誘拐から逃げたり、マフィアに襲われて全員地面に頭から突き刺したり、果ては数百発にも及ぶミサイルを地中に埋め込んだりした。更には廃棄された核兵器搭載型人工衛星を消滅させたりしたのだ。それに比べれば敵の兵士に硬化魔法を掛けて敵の潜水艦に向けて投げおろす程度など苦にもならない。

 

「ともかく、時間は稼げるので今のうちに逃げましょう。ただ、万が一を考えて暫くは気を付けた方がいいと思います」

 

 それは明後日のパーティーも暗に含めての発言だが、全部理解できなくてもいいと思いながら悠元は操舵室に戻ったのだった。

 

「……つくづく思っちゃいたが、神楽坂を敵に回した奴に同情してしまうな」

 

 戻っていく悠元の後ろ姿を見て、桐原は率直な感想を口にした。その言葉に込められた感情は、言うまでもなく味方としての信頼と敵に回した時の恐怖に他ならなかった。

 

  ◇ ◇ ◇

 

 桐原が思わず同情した相手―――潜水艦側も無傷とはいかなかった。公海上に避難したが、投げつけられた兵士によって損傷し、潜水機能が一時的に使用不能となった。これでは潜水艦を調達した意味が無いと思いつつ、ジェームズはリウを窘めた。

 

「相手が学生とはいえ油断ならない。そう仰ったのは貴方の筈です、リウ上校殿」

 

 この場にジェームズの相方であるジャスミンは潜水艦に搭乗していない。それは作戦上の観点というよりもジャスミンの外見という武器を大亜連合脱走兵のグループに知らしめたくなかったからだ。

 その為、ジャスミンはジェームズと別行動をとっている。

 

「それで、これからどうするのですか?」

「作戦対象を28日のパーティーに絞ります」

 

 ジェームズの問いかけに対して答えたリウの口調が歯切れの悪いものだった。誘拐作戦を看破されているような相手の動きに加え、いくら脱走兵とはいえ軍人を学生が圧倒せしめた。この状況からすればミッションを続行するなど不可能だが、それを認めるのはジェームズが正しく、自分たちが間違っていると認めるようなもの。

 

 ようは面子が酷く傷ついていた。そして、それはリウのような人間にとって、耐えがたいものであった。

 そもそも、日本との講和条約に反対した勢力の言い分はその面子の問題に起因している。その根源を辿るとするならば、大昔の朝貢や三度の世界大戦などといった争いごとによるもの―――思想・信条に基づく彼らのプライドであった。

 

「しかし、一体どうやって我々を察知したのか、それが分かりません。彼らとの距離は1キロメートル以上あったというのに、まるでこちらの待ち伏せを看破したが如く航路を変更したようにも見えます」

「……上校殿は四葉の魔法の線を疑っているのですか?」

 

 ジェームズの問いに対する答えは、リウですら持ち合わせていなかった。彼らとて魔法のことを知っていたとしても魔法に関する全てを知り得ているわけではない。この世界にいる殆どの魔法師は、魔法の真の原理すら把握することなく魔法を使っている。

 その事実に気付かない限り、彼らに最初から勝ち目などない事を知るのは……その場に誰もいなかったのだった。

 

  ◇ ◇ ◇

 

 神楽坂の名を持つ人間は、21世紀の歴史の表舞台に限れば神楽坂千姫と神楽坂悠元の二人しか該当しない。日本の魔法師社会といえども、神楽坂家は安倍晴明や賀茂忠行の血と技を受け継ぐ陰陽道系古式魔法の大家という認識であり、神坂グループの経営母体として国有数の財閥グループを有している。

 その更に一握りの人間だけが『元老院』の四大老の一角を担うことを認識できるレベルであり、こればかりは『フリズスキャルヴ』でも正確に見抜くことはできない。

 

 確かにジェームズを監視しているのは達也だが、悠元は海域単位で監視をしている。国防軍が所有する潜水艦のコードも把握している為、明らかに不審と思しき船がいればすぐに把握できる。彼らは既に悠元の認識下にいるということすら知らない。

 雫からの誘いはあったが、家の仕事が残っている(慰霊祭の打ち合わせも含めて)ために断って本島へ戻って来たところで悠元は達也に尋ねた。

 

「達也、明日辺りに動くのか?」

「そうだな……いや、夜に動こう」

 

 達也が気に掛けたのは、悠元による“魔法攻撃”で手負いの状態となっている潜水艦を見過ごすよりもここで攻め切った方がいいという判断だった。その上で達也はリーナに視線を向けた。

 

「リーナ、手伝ってくれるか?」

「そうね。ミユキにもタツヤを見張っててくれって頼まれたし」

「……深雪」

「すみません、お兄様。ですが、お兄様の性分だと放っておいたら要らぬ心配事で疲れを溜め込みますから」

 

 言わずとも理解していそうなことを敢えて述べた深雪の言葉に、達也は降参の意思を示すような仕草を見せた。これには悠元が苦笑を漏らしていた。

 

「じゃあ、風間中佐には俺から連絡しとくよ。響子さんにも話をしたほうがいいか?」

「そうだな。居場所の特定のことは俺が適当に誤魔化しておく」

「そうしてくれると助かる」

 

 達也も居場所特定の精度で言えば悠元に勝てないことを自覚している。だからこそ、その辺は適当に誤魔化すつもりだったようだ。なお、リーナについては“戦略級魔法師アンジー・シリウス”としてではなく“九島健の孫娘のアンジェリーナ・シールズ”として協力することになった。

 話が纏まったところでホテルの中に入ると、ロビーの向こうから歩み寄ってくる少年少女の姿―――達也と深雪からすれば再従弟・再従妹にあたる黒羽文弥と黒羽亜夜子の二人がいた。

 

「お久しぶりです、達也兄さん」

「文弥か。亜夜子もどうしてここに?」

「奥様の言い付けで達也さんのお手伝いをと」

 

 原作では四葉家にいる八人の執事の序列第六位、白川執事が派遣されるはずだった。だが、深雪は四葉の関係者というよりも悠元の婚約者としての趣が強く、加えて悠元自身が神楽坂家当主としての実績もある為、真夜は執事の派遣ではなく息子のサポートとして二人を派遣した。しかも、四葉家で発注した快速艇を佐世保から態々乗ってきたという。

 問題は快速艇の操舵手だが、その疑問は更に姿を見せた一人の女性の姿で氷解した。

 

「佳奈姉さん? ああ、成程。確か姉さんも船舶免許は持っていたっけ」

「久しぶり、悠元。まあ、四葉殿の思惑も混じってるけど」

「思惑ねえ……」

 

 亜夜子と佳奈。明らかに達也に抱かれることを想定しての人選であり、その後押しをしたのは紛れもなく四葉家当主こと真夜の仕業。筆頭執事である葉山が反対しなかったことを見るに、彼も血が細ることを良しとしなかったのだろう。

 ともあれ、スイートルームに一度戻って達也らの部屋に集まったところで佳奈が一つ溜息を吐いた上で悠元に手紙を差し出した。

 

「そうそう、悠元。元継兄さんから手紙を預かってる」

「手紙? 別に通信でも良かったと思うが……ああ、そういうこと」

 

 その中に書かれていたのは、3月24日に上泉家へ十文字克人が訪問し、アリサのことについての相談を持ち掛けられたことだった。

 

 元継が聞いた範囲では、克人は父である十文字和樹より隠し子であるアリサの存在を知らされ、更には三矢家の養女として上泉家で暮らしていることを聞かされた。克人は十文字家の魔法師として避けられない問題である『オーバークロック』が念頭にあり、更には十師族の魔法師としてアリサを迎え入れるべきだと判断し、元継との会談に臨んだ。

 

 だが、元継は克人の提案を一蹴した上で、『オーバークロック』に関しては既に解決済みであるだけでなく、今回の一件は上泉家・三矢家・神楽坂家・遠上家の四者が関わり、最終交渉権は悠元の今の母親である千姫が有していることを克人に伝えた。

 

「―――克人。この件はアリサの母親である伊庭ダリヤさんの遺言に従って三矢家の養女となり、法的手続きが既に済んでいる。そもそもの話、いくら十文字の血縁とはいえ当事者ではないお前に交渉の権限は存在しない。お前の父親である十文字和樹が直接アリサの元に出向いて謝罪しないことには交渉の余地すら認めん」

 

 14年間もその可能性を危ぶんでおきながら、何もしなかった実の父親に今更どんな面が出来るのか。十文字和樹は「父親ではない」と法的に認めた以上、いくら十師族の当主と言えども法に従ってもらわねば法治国家としての体が崩壊してしまう。元継は上泉家当主として克人にそう告げた。

 更に、元継はこうハッキリと告げた。

 

「これが呑めないというのならば、最悪お前と美嘉の婚約も破棄せねばならん。アリサは既に十文字和樹の娘ではなく、俺の血縁上の両親である三矢元と三矢詩歩の娘だ。そのことをお前の父親に告げろ」

「……分かりました。お時間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした」

 

 神楽坂家まで関わったとなれば、悠元とも交渉せねばならない案件の為に元継は沖縄に行く佳奈経由で悠元に手紙を持たせたということだ。

 当然、悠元の答えは言うまでもない訳だが。

 

「悠元さん、これはアリサちゃんのことですか?」

「ああ……文句があるのなら俺が矢面に立つ覚悟はとうにある」

「悠元さんが……あの、十文字家相手でも圧し潰しそうな気がするのですが」

 

 文弥の言葉に悠元以外の面々は「それは確かに」と言わんばかりに頷いており、これには悠元も引き攣った笑みを浮かべた。とはいえ、態々怒るのも馬鹿らしいので深い溜息を吐いたのは言うまでもない。その意を汲んだのか、亜夜子が悠元に話しかけた。

 

「悠元さん。ここにいる文弥ったら、部下の女性たちに惚れられているのに中々手を出さないんですよ」

「いや、婚前交渉はマズいでしょう!? 達也兄さんや悠元さんも何か言ってください!」

 

 以前、黒羽家お抱えの特殊部隊絡みに首を突っ込んだことはあったが、それ以降のことは黒羽家もとい四葉家の専決事項なので放置した。文弥のことを誰よりも知っている亜夜子に任せているので、その懸念は尤もだろう。

 文弥は慌てた様子で達也と悠元に助けを求めたが、その二人は揃って文弥の肩に手を置いた。

 

「文弥、諦めることも時には必要だ」

「達也兄さん!?」

「もしもの時は力になる。まあ、性急に子どもが出来てしまう事態は避けるようにするから」

「悠元さんまで!?」

 

 既に婚約者と関係を持ってしまったため、文弥に対してそう言うことしかできなかったのは言うまでもない話。

 


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