今回の任務の前、USNA大使館から直筆の手紙が届けられた。差出人はUSNA大統領に加えてヴァージニア・バランス大佐の名が書かれていた。
その内容は、USNAの内部に今回の作戦を唆した実行犯がいる、というものだ。調査自体はUSNA政府で行う故、内政干渉に値する行為は慎んでほしい……メディアによる扇動も控えて欲しいという意味を含んでのもの。
悠元はその真摯さを鑑みて今回の作戦に関する扇動行為はしないと決めた。あくまでも“今回は”であり、“今後もしない”というわけではない。
「大統領のみならず、国防長官やFRB議長も相次いで手紙を寄越しましたからね」
「悠君は世界の金融や経済の舵取りを握ってしまいましたから、ご機嫌取りするのも已む無き事かと」
「政府関係者はまだいいんですよ……問題は軍部、それも魔法師部隊。それと『七賢人』もといクラーク親子のことです」
別にUSNAとイギリスの舵取りを握りたくてそうしたわけではなく、魔法以外の分野で相手の首を絞める方策の一環として二国の国債購入に踏み切ったのだ。流石に100兆円という国家予算レベルは無視できないのも無理はないが。
ここまで手を打ち込んでも、クラーク親子は四葉や悠元を諦めていない節は随所に見られた。自国の安寧とは言いつつも、あの野心家が目指すのは日本をUSNAの支配下に再び置くことなのかもしれない。日本を橋頭保に出来れば、大亜連合や新ソ連の喉元に剣を突き付けることができる。
だが、それは無理を押して拡張したUSNAが逆に首を絞めることになる諸刃の剣だ。安全保障上の理由があったとしても、転生前の世界では縮小の傾向にあった在日米軍の存在がある。同盟国に援助金の拠出をしてもらうことで維持していた背景からしても、いくら魔法があるとはいえ現実的ではない。
もしかすると、USNAは大亜連合と新ソ連、日本に緊張状態を維持させて軍需の部分で儲ける腹積もりか、或いはスターズを派遣するための大義名分でも作りたいのかもしれない。そこに弱みを作って日本の戦略級魔法を奪う腹積もりなのだろう。
「悠君は何を一番懸念しているの?」
「一番面倒になるのは、大亜連合・新ソ連・USNAが合従することですね。それを出来なくさせるためにも、政府にとある条約を締結させます」
「条約? 大亜連合との正式な終戦条約みたいなものかな?」
「いいえ、大亜連合にではなく台湾、東南アジア同盟とインド・ペルシア連邦、それとアラブ同盟との海上連携協定です。親書の中にはオーストラリアの参加も要請しました」
主な理由は“海賊対策”という理由で西太平洋・南シナ海・インド洋・紅海のスエズ運河に至るまでの軍事協力協定。大統領が自国に引き籠っているUSNAやイギリス、新ソ連を省くために南半球の国々のみに限定している。
そして、南アメリカ連邦共和国とフランスも協定締結後に批准することで“国際条約”へと昇華させる。フランスが加入するのはアフリカに領土を有しているという理由で、アフリカにもう一つ起こす革新によって、いくつかのアフリカの自治国家を確立させる。フランスにはその後ろ盾となってもらう腹積もりだ。
「列強が強奪した資源は取り戻せませんが、アフリカに関与しているフランスが主導することで欧州の盟主に足り得る名誉を得ます。それを北の島国であるイギリスが看過するとは思えません。何かしらの妨害を仕掛けてくるでしょう」
「……成程ね。こちらに向ける敵意を逸らすわけですか。あくどいことを思いつきますね」
「こちらから態々相手の土俵に乗ってやる義理はありませんので」
態々火種になりかねないような婚約話を持ち込んだのだ。ノーリスクで美味しい話などない事はフランス側も承知しているだろうが、西EUの主導権をフランスが握ってもらうことには大きな意味がある。
いくら国際魔法協会の本部がロンドンにあろうとも、今回の失態についてはイギリス軍のみならずイギリス連邦にも波及する問題に成り得る可能性を秘めている。
アフリカに成立予定の国家もその条約を批准すれば、日本と台湾、それとオーストラリアなどのイギリス連邦の構成国以外の南半球の全ての国家が協力できる下地が出来上がる。いくら『十三使徒』を有するUSNAと新ソ連でも地球の南半分の国家全てを相手に戦争など起こせない。
もし、USNAの軍部が旧合衆国のようにパワープレイに走ったとしても、まずついてくる人間がいない。USNA政府の首長たる大統領はこちらと友好的な関係を望んでいるし、その側近となったバランス大佐も同意見だと聞き及んでいる。
それだけでなく、長官クラスをはじめとした政府高官、米国の陰の実力者たちも剛三の影響を最も肌で感じており、日本と敵対することを何よりも恐れているのだ。
「個人的に結んだ誓約を一方的に反故にした以上、新ソ連にも掛けてやる情けはありませんが……向こうは人間主義が勝手に暴れていますので、適度にガス抜きさせてやりましょう」
「もしかして、悠君は新ソ連の解体を狙ってたりする?」
「出来れば御の字ですが、無理に狙う必要もないかと。変に介入してこちらの関与を匂わせる必要もありませんし」
残るは新ソ連の扱いだが、人間主義が暴れている以上は下手に手を入れる必要も無いと判断した。それを鎮められる能力を測る意味でも、新ソ連にとってはここが正念場となるだろう。集めた情報からするに、新ソ連の正規軍は大規模な掃討作戦を仕掛ける腹積もりのようだ。
元々ガス抜きが出来ずに不満を蓄積させ続けた結果として宗谷海峡での一件が発生していた。それが解消された場合、新ソ連側が自ら行動を起こすこと自体リスクを伴うことになってしまう。ウラジオストク軍港が修復次第、佐渡のように少数部隊での国土侵入は考えられるため、警戒レベルは自ずと上がるが。
悠元が敢えて介入しなかったのは、どうにかして人間主義を焚き付けたい連中が一定数いるのも事実だからだ。不幸中の幸いは北欧や東欧に飛び火する傾向が見られないことぐらいだろう。
「佐渡の一件も誤魔化し続けている以上、あの国に信なんて置けませんよ。態々“ソビエト連邦”を名乗っている国なんて、国家元首を筆頭に疑心暗鬼の集合体としか思えませんから」
「人間主義者が新ソ連から流れてくる可能性がある、と思っているのですね?」
「あるでしょうね。民間レベルでの交流が途絶えたわけでもありませんから」
大亜連合内に新ソ連の工作員がいたケースを考えれば、同じことがこの国で起こり得ないとも限らない。スパイに関しては合法的に軒並み国外追放処分としたが、密航してくる可能性が残ったままだ。
一昨年の秋に悠元が戦略級魔法『
「それで、イギリスはどうしますか?」
「そうですね……爺さん経由であの御仁でも決して無視できない人物に釘差しをお願いしました。向こうも快く引き受けていただきましたので」
「成程、察しがつきました。では、祝して悠元君も」
「酒は止めてください」
「えー、悠君のイケズ」
いくら精神年齢が成人化していても、法的な年齢を遵守しなければいけない立場。身内だけなんだからいいだろうと言いたげな千姫の姿に悠元は苦笑を滲ませたのだった。
◇ ◇ ◇
ジャスミン・ウィリアムズとジェームズ・J・ジョンソンの両名が日本の警察に捕らえられ、その翌日に国外追放処分を受けたという知らせは追放処分と同日にイギリスのウィリアム・マクロードの耳にも入った。
今回の久米島沖人工島破壊工作未遂事件は日本国内で大きく取り上げられており、大亜連合香港方面軍からの脱走兵とオーストラリア軍の魔法師が共謀した事実は国内外に知れ渡ることとなった。
何故なら、この事件の翌日に日本・SSA・フランスの三国首脳会談が急遽行われ、三国による共同声明でオーストラリア政府に対して“我々の国を脅かした極めて悪質なテロ行為の賠償”を求めたのだ。
大亜連合政府に賠償を求めなかったのは、今回の事件には大亜連合軍との共同作戦で破壊工作を阻止したことを念頭に置いた発表を行ったためだ。講和状態にある二国間の状態は暫く継続することも併せて公表された。
オーストラリア政府は当然事件への関与を否定した。大亜連合とオーストラリアを結び付けたのはイギリスであり、オーストラリアが公表された事実を認めた場合、その背後関係まで洗われる可能性が高くなる。
真の首謀者がイギリス軍ということが明るみになれば、西EUにおける影響力も大幅に落ちてしまう。それを自覚しているからこそ、イギリス軍情報部は緊迫に包まれていた。
だが、騒ぎになるほどの事態には至っていなかった。この件はホワイトホール(イギリスの政府機関・官庁街)にある国防情報参謀部(DIS)本部ビルの中でさえ、外部への情報漏洩を恐れて大きな声では語られていない。だからこそ、余計に重苦しい空気を醸し出している。
マクロードは、自分が非難の視線に曝されていることに気付いていた。既に弁明も求められており、自身の立場が悪化していることなど教えられるまでもなく理解していた。
だが、マクロード当人にはそんな悪感情に頓着するような素振りは一切見られなかった。政府高官の前で軍幹部に詰問されたときも、悠然とした貴族的な態度を崩さなかった。
その一つにマクロードが戦略級魔法師『十三使徒』の一人である、という点がマクロードをイギリス政府が疎かに扱うはずなど無い、と確証に近い計算を弾き出していたのもあるだろう。
しかし、マクロード自身が態々オーストラリア本国まで乗り込んでおいて、自ら指示までしたという作戦自体に大きく関与している立場なのに、ショックを受けたような感じではないのは、単に自分の地位に安泰であると確信しているからとは思われなかった。
そんなマクロードは呼び出しを受けたDIS本部ビルを出ると、一ブロック隣の古いビルの中に入る。そこにはイギリスのシギント(あらゆる手段の傍受による諜報活動)を担う政府通信本部(GCHQ:旧軍情報部第1課)の分室が入っている。
部外者には何に使われているのか全く分からないこのビルは、マクロードの仕事場である。厳密にはGCHQ分室ビルの一室に、マクロード個人の部屋が割り当てられている。
元々の特殊性ゆえに人の出入りがただでさえ少ないビルだが、割り当てられたマクロードのオフィスは内部の職員ですら滅多に出入りしないマシンフロアの一角にあり、専用のエレベーターに乗ってしまえば、その部屋に来た事実すら知られることはない。
部屋に入ってすぐに鍵を閉めたマクロードは、この古いビルに不釣り合いな最新式通信機のスイッチを入れた。その通信機のディスプレイには一人の男性の姿が映し出されており、約束の時間よりも前に陣取っていたようだ。
『ハロー、サー・ウィリアム・マクロード。お身体の調子は如何ですか?』
「ハロー、ドクター・クラーク。体のほうは元気ですよ、年の割にはですが」
『そんなつもりではなかったのですが……失礼しました』
「こちらこそ失礼。単なる冗談ですよ」
マクロードが話している相手―――困惑気味に笑っている男性の名はエドワード・クラーク。USNA国家科学局(NSA)の学者で、大規模情報システムの専門家だ。
『お人が悪いですよ、サー。ところで“例の件”ですが、
「ドクターに隠し事は出来ませんな」
一介の学者と戦略級魔法師『十三使徒』との繋がり……マクロードはモニターに映る相手が単なる学者ではないことを知っている。イギリスですら事件の翌日に知った情報をすぐにキャッチできるだけの『システム』を有していることも把握している。
『恐れ入ります。それで、「木馬」は上手く潜り込めましたか?』
「……」
『サー・マクロード? もしや、こちらの企みが明るみになったというのですか?』
「そこまでは分かりませんが……どうやら、日本の警察に拘束された後、テロ工作の容疑でシドニー行きの民間機に乗せられる形で国外追放処分となったようです」
マクロードが放った言葉にエドワードは驚きを露わにしていた。当初の目論見は戦略級魔法師であるジャスミン・ウィリアムズを国防軍経由で四葉家の目に留まらせ、潜り込ませる作戦だった。もしくは動きが読めない神楽坂家か上泉家を探らせる予定だったが、完全に当てが外れた形となった。
『あの四葉が簡単に諦めたとなると、厄介ですな』
「ジャズを拘束したのは神楽坂悠元―――第三次大戦の英雄こと神楽坂千姫の関係者です。我々の懸念材料が増えた形になりましたね」
『成程……いずれにせよ、世界を制するには情報が不可欠となります。サー・ウィリアム、USNAは貴方のご協力に、作戦の可否に関わらず感謝しております』
「恐縮です。我がブリテンの繁栄の為に、今後もドクターの知恵をお貸し願いたい」
『無論ですとも。我々は同盟者なのですから』
エドワード・クラークとの通信を終え、マクロードは通信機の電源を切るだけでなく、念入りにシステムをロックした上で秘密オフィスを後にした。そのマクロードがビルの外に出たところで、一台の立派なリムジンが停まっていることに気付く。そこには身なりを整えた男性が控えていた。
「ウィリアム・マクロード卿でいらっしゃいますね」
「如何にもですが、どのようなご用件でしょうか?」
突然すぎる出迎えに、普通ならば訝しんでもおかしくはない。だが、マクロードは其処に立っている男性がイギリス王族の住まう宮殿の執事を務める男性であることを把握していた。
「陛下からマクロード卿を宮殿に召喚するよう言い付かっております。此度は公的な会談ではない故、格好についてはそのままでも構わない、と仰せです」
「……一度、自宅に寄らせて下さい」
「畏まりました」
まさかの宮殿からの呼び出しにマクロードは少し考えた後、一度自宅に戻って身だしなみを整えることにした。いくら公的な召喚ではないと言われても、そのまま宮殿に向かうというのはマクロード自身の面子が許せない。
自宅で身支度を改めて整えた後、リムジンで英国の王族が住まう宮殿に向かった。宮殿の使用人の案内で応接の間に通され、マクロードは静かに腰を下ろした。
よもやイギリスの国王に呼び出されるとは思っても見なかったことだが、マクロードは大方先日の事件に関することを尋ねられると予想していた。なので、最悪はイギリス連邦の未来の繁栄の為に行ったと釈明する腹積もりでいた。
そして、扉が開いて宮殿の使用人に案内される形で謁見の間に通されたマクロードは、立派な椅子に座るイギリスの王―――いや、女王に対して距離を取った上で片膝をつき、頭を下げた。
「急な呼び出しをして済まぬな、ウィリアム・マクロード卿」
「いえ、女王陛下からの呼び出しとなれば、『サー』の称号を賜った者として礼儀を尽くさねばならぬと自覚しております」
現在のイギリス国王である女王は、なんと当時18歳(現在25歳)という若さで王位に就いた。
本来なら彼女の兄である皇子らが即位して国王になるものと思われたが、彼女の父である前国王は魔法師と非魔法師の対立を重く捉え、自身の亡き祖母である女王のように英国に対して慈悲深き心情を持ち得る王が必要と考え、娘に王位を継がせた。
その際、彼は昔イギリスで知り合った日本人の協力を得て、若き英国の女王が誕生した。
彼女は幼少期に祖国を離れて日本に留学して“とある名家”で研鑽を積んだ結果、英国の王族として相応しい振舞いを身に着けていた。彼女の王族としてのオーラは、もはや若輩と侮る事すら許されないものであった。
それは国家公認戦略級魔法師のマクロードであっても、イギリスの女王たる風格を持つ彼女の前には自然と臣従の姿勢を取らざるを得なかった。
色々考えることは多い、というまとめも含めての展開です。その気になればパワープレイでゴリ押すことは簡単だったりします。
現実の世界だと北半球側に穀倉地帯が集中しているわけですが、サハラ砂漠を中心とした一帯が丸々巨大な穀倉地帯になれば、欧州だけでなく広大な耕地を有するUSNAの支援が一切不要の長物と化します。要するに北と南で供給と需要の相互関係が成り立っていた前提条件を壊すための一手です(ぶっちゃけリアル世界の現状でも供給能力不足なのは言うまでもありませんが)
新ソ連は……まあ、旧体制でも粛清しまくったので、新国家として樹立してもその根っこが劇的に変わるとは到底考えづらいんですよね。というか、この世界のドクターとか貴族の称号持ってる奴が軍事に口を出すとか正気の沙汰かよ、って思いました。
若き女王を育てた日本の名家……一体どこの誰だというのだろうか。