詩奈が作ったパンケーキサンドは在校生たちに好評で、詩奈自身も安堵していた。パラサイト事件の時に達也や深雪と知り合っているが、やはり四葉家の異名である『アンタッチャブル』は抜けきらないのだろう。こればかりは時間で解決していくしかない。
「悠元さんは詩奈ちゃんを送り届けなくていいのですか?」
「余り過保護になるのもどうかと思うからな。兄としても、妹が自立してくれるのが一番いいわけだし」
深雪の問いに返しながら端末に目を通すと、丁度速報という形で新ソ連政府の公式発表が表示された。日本語に翻訳された文章では『我々は国を脅かすテロリストに毅然と立ち向かう姿勢を見せるため、我が国の切り札を使用した。それが兵器なのか戦略級魔法なのかという問いに関しては、軍事機密上の観点から回答することはできない』との見解が示された。
正直、佐渡への二度にも亘る侵攻行為にあれだけ答えを渋っておきながら、今回はあっさりと認めた形になったことには意外であった。尤も、佐渡の場合は日本との国際問題に発展する可能性を秘めているが、人間主義者への“粛清”は最悪国内問題で片を付けることが十分可能だったからだ。
(『シンクロライナー・フュージョン』は使われなかった。しかし、明確にしなかったが『トゥマーン・ボンバ』が使われたことで戦略級魔法に対する心象的なハードルは下がったとみていい)
横浜事変の際、日本は二発の戦略級魔法を使用している。大亜連合方面に向かって使われた『
魔法に対する恐怖を煽るデメリットは存在するが、特に沖縄方面で暮らす日本国民からすれば4年前に侵略行為を受けたばかりで精神的な傷が癒えていないところに横浜事変が起きた。数年で同一の国家から侵略行為を受けたという事実は拭いたくても完全には消え去らない。
別に中国大陸との諍いが今に始まったわけではない。過去の歴史から見ても、日本と大陸の争いは幾度となく行われてきた。その大本は朝貢による上下関係から発展した思想で、皇帝を擁した側からすれば東洋の小さな島国の国など属国だと見下す傾向が多かれ少なかれ存在した。それが大陸に根付いた宗教などと融合した結果、切っても切れない大陸人の気質が根付いたのだ。
すべての大陸の人間がそうであるという断言はしないが、この国の人間をどう扱おうが構わないという気質が大亜連合や滅んだ大漢にもあったというのは、度重なる侵略行為や四葉家絡みの事件で立証されてしまっている。
「それは違う」と断言したいのならば、この国に対して土下座するぐらいの誠意を見せるところから始めないと土台無理な話だろう。前世で似たようなことを実行した何処かの輩みたいな『いかれた思想』でも持っていないと出来ないことかもしれないが。
本来、抑止力の観点で言えば使わずに存在を仄めかすだけで相手を抑え込めれば御の字。だが、いくら耳にしたところで目の当たりにしなければ誰も信ずることができない。魔法以前に抑止力として使われた核兵器ですら、その威力の大きさと悪影響に原爆の研究者ですら反対を唱えたことからして、物事は必ずしも計算だけで弾き出せないのだ。
核兵器を抑え込むために使われたものが、核兵器すら凌駕する抑止力になることは当然の帰結としか言いようがない。
それに、相手が攻め込むという姿勢をした以上、相手を撃つという覚悟を示したも同然。大体、それ以前から海上でのレーダー照射という宣戦布告紛いの行動を起こしているにもかかわらず、攻めてこないという楽観視なんて本来してはいけない話なのだ。
『
どこぞの人間のように速さが世の真理などと宣うつもりなどないが。
『東アジアの独立国家として、かつて悲惨を極めた第二次大戦の悪夢を繰り返させない為、この国の殆どが瓦礫の山と化した悪夢を回避するために、我々は苦渋の決断として戦略級魔法の使用を決断いたしました』
誰も好き好んで自ら破滅を望む国家などありはしない。国を束ねる者として国家の安全を保障する意味でも魔法の力に頼る。小国だからこそ、周辺の大国に対抗できるだけの力を保持せねばならない。
結局、戦争になれば最終的に勝った側が“官軍”なのだ。それは過去の歴史において勝者に立った側が証明している。
大量殺戮・大量破壊の魔法の使用を正当化するべきではない、という意見も当然あった。その主な理由は周辺国家から戦略級魔法の攻撃を受けないかという不安視からくるものだ。しかし、何時まで弱腰でい続けられては困るというということで、悠元は魔法の行使者として内閣総理大臣に日本政府として戦略級魔法の使用を認めろと突き付けた。
横浜事変の時点で『トゥマーン・ボンバ』の発動を受けたことは事実だし、その後も『ヘビィ・メタル・バースト(ブリオネイク)』、『オゾンサークル』と二つの戦略級魔法が日本国内で使用された事実を突きつけた。これでいて専守防衛を語る様ならそんな仕事など止めてしまえ、と暴言を吐くように述べた。
現に、日本の戦略級魔法の存在を世界に知らしめた以上、ただ黙ってさえいればいいという時代などとっくの間に終わっている。沈黙など無言の肯定以外の何物でもないと見做される時代に、最早平和という言葉など紙切れ一枚の価値に等しい。
昼食の時間は専ら新ソ連政府の公式発表で話題が持ちきりだった。死傷者数が明確にされないが、各メディアの情報では約二万人前後にまで膨れ上がると報道されていた。単に人間主義者だけでなく新ソ連の正規軍にまで被害が出ているとすれば、そこまで膨れ上がっても不思議ではないだろう。
「……悠元はどう見る?」
「そうだな。単に敵意を挫くだけならここまで大規模の爆発を伴う兵器なんて逆に使用できない。そうなると、使われたのは戦略級魔法で間違いないだろう」
大規模魔法の行使に伴う発動兆候は達也たちも感じており、新ソ連からの公式発表を鵜呑みにしている人間はこの場に居なかった。幹比古の問いかけに答えると、次に言葉を発したのは達也だった。
「今のところ判明していない『十三使徒』の魔法となると、新ソ連の『トゥマーン・ボンバ』になるな。その可能性を考慮すべきか」
「ま、俺らが直に関わる可能性は低いかもしれんが、十師族やそれに近い人間が無関係でいられるとは言えん」
「それは、私達が狙われる可能性があるということでしょうか?」
「有り得なくもない。何せ、5年前にあった佐渡侵攻で一躍有名になった『クリムゾン・プリンス』―――将輝は一条家の人間だ。新ソ連がその復讐を画策したとしても、不思議とは思えん」
旧体制の時でも平気で不可侵条約を破って領土を奪っていった連中の名を持つ後継国なのだ。変な理屈を付けて攻め入ってきてもそれをおかしいとは思えない。それに、新ソ連は既に誓約を破った以上、彼らに遠慮する義理も道理もない。
それでも敢えて手を出していないのは、日本の国家としての体裁を重んじてのことであり、許可さえ出れば今すぐにでもクレムリン宮殿に乗り込んで国家元首である首相を引っ張り出し、今上天皇と内閣総理大臣の前で土下座させる腹積もりだ。
午後からの作業は暗い雰囲気もなく順調に進んだ。魔法を使ったのが原作におけるブラジルではなく新ソ連という点も影響してか、和やかに作業が進み、沖縄の任務で遅れていた分の入学式の作業は大分捗った。
そもそも部活連会頭が生徒会の手伝いをすること自体今までになかったことだが、その理由はここにいない生徒会役員の一人―――ほのかが熱を出して寝込んだことによるものだった。
「悠元さん、誰かからのメールですか?」
「雫からだな。セリアと姫梨の二人と一緒に見舞いへ行ったらしい」
まだ海開きには早い時期に頑張って水着姿で誘惑したほのかだが、本人が恥ずかしさを堪えて頑張り過ぎた結果なので知恵熱の側面もあるのだろう。
そして、この場にいない理璃は壬生家へ挨拶をしに行っていた。学校が始まると忙しくなると踏んでのものであり、光宣との正式な婚約の為に光宣の今の両親と光宣の祖父である烈と会っている頃だろう。十文字家の方は先代当主の和樹とその妻が同席している。
本人たちにとって大事な事なので、そちらを優先させる代わりに悠元が一肌脱いだ形となった。
「理璃ちゃんが羨ましいです。私も悠元お兄様と恋人らしいことをモガっ」
「はいはい、はいはい。そういうことをここで言うんじゃないの」
余談だが、神楽坂家の婚約序列が確定したことで泉美が改めて深雪に挨拶をした。その際に泉美はこう述べた。
「うちの父親と呼ぶにも烏滸がましすぎる輩が深雪先輩と司波先輩、お兄様のご実家へご迷惑をお掛けてしまい、大変申し訳ございません。この身はお兄様に委ねますので、焼くなり煮るなりお好きにしてください」
オブラートというか、明らかに実の父親をここまでするかと言わんばかりの罵倒の意味合いも含んだ謝罪に、深雪はおろか悠元と達也までドン引きしていた。深雪は困って悠元に対応を求めてきたため、悠元は泉美にお願いをした。
「なら、あの
「小悪魔……ああ、あの
「……あの、達也先輩。どうしたらいいのでしょうか?」
「俺にはどうにも出来ない。諦めてくれ、香澄」
「あ、はい」
明らかに意思疎通している時点で二人が思い浮かべた人を察した香澄は達也に助けを求めたが、達也の無慈悲とも言える言葉に香澄はただ頷くことしかできなかった。言うまでもないが、全てを察していた深雪の表情は満面の笑みを浮かべていたのだった。
◇ ◇ ◇
原作だと詩奈の達也や深雪に対する評価は兄や姉達から齎されたものだった。だが、姉の一人である佳奈は四葉家次期当主の達也の婚約者となり、兄の一人である悠元は達也の妹である深雪と婚約している。それに、一昨年夏と昨年の初め頃に面識を持っている為か、詩奈はそこまで深刻に考える必要も無くなっていた。
傍から見れば、深雪の人間離れしている風貌に詩奈も目を見開いていたのは事実だった。だが、あの『クリムゾン・プリンス』すら破った実力を有する兄の婚約者ならば“妥当”であると彼女は内心でそう思っていた。
身贔屓という側面があるのは否定できないが、それを抜きにしても三矢家現当主の血族でずば抜けた実力を有していることは事実で、祖父の上泉剛三が話した「大軍相手に圧倒した」という悠元の武勇伝に目を輝かせていた。
尤も、剛三としては詩奈の物差しで出来ることをすればいいと諭した上で厳しく指導をしているが、詩奈本人は憧れとも言える兄の存在を目指して研鑽を続けている。
この認識のズレがどういった結果を齎すのかは……神のみぞが知るのかもしれない。
「詩奈、お疲れ」
「侍郎君!?」
流石に正門前なので奇行と思われないように声量はとっさに抑えたが、それでも少し驚くような素振りを見せた詩奈に対して少年―――
「今日はそこまで用事が長引くこともないし、帰っていいって言ったのに」
「護衛が一人で帰ったらマズいだろう。俺が父さんに大目玉を食らうよ」
「それはそうなんだけど……」
詩奈と侍郎は誕生日が2日違いで、三矢家と矢車家の間柄もあって実の姉弟のような感覚に近かった。その影響の一端は詩奈と歳が近い兄こと悠元の存在が関わっている。侍郎も詩奈が悠元に憧れる理由は理解していたが、何だか釈然としない気持ちをずっと抱いていたことは事実だった。
けれど、まともに魔法が使えなかった侍郎を変えたのは悠元だと父親から知らされた時、侍郎の中にあった悠元に対する評価も大きく変わった。その転機は同時に侍郎の苦労の始まりでもあった。
「……その様子だと、悠元兄さんにも会ったのか?」
「え、何で分かるの?」
「何でって、表情が緩んでるから。そういう時の詩奈が誰に会ったかなんて一番分かりやすいからな」
悠元の影響は詩奈が自ら武術を学びたいと志願したことに始まった。元々三矢家の勧めで新陰流剣武術を学んでいた侍郎だったが、メキメキと実力を上げていく詩奈に遅れは取りたくないという思いでより一層鍛錬に励むようになった。それは男性としての矜持というよりも、一人の女性に恋をする男性としての意地ともいえるようなものだった。
「てか、聞かないの?」
「聞くって、何を?」
「その、司波会長や司波先輩のこととか?」
「聞いてどうにかなる問題じゃないだろ? なら、精々刺激しないように立ち回ることしかできないだろうに」
侍郎は一時期魔法の実力が伸びなかった。だが、その枷を壊してもらったからこそ、己を律しようと決めている。あの四葉家の人間となれば多少の警戒は必要かもしれないが、侍郎だって全く知らないというわけではない。
「さ、早く帰りましょうか。詩奈お嬢様」
「……無理にお兄様のように背伸びしなくても、侍郎君は立派だと思うよ」
「う、うるさい……」
ここだけの話、矢車本家から愛人を娶るという話が来た際、詩奈の機嫌がすこぶる悪くなってしまい、侍郎はご機嫌取りに3日ほど時間を費やした。