「本当にごめんなさい、お兄様」
会議が終わった後、詩奈はそう言って頭を下げた。だが、これに関しては詩奈や三矢家、矢車の責任とは言えなかった。自分もよもや侍郎と詩奈の婚約に関する形で侍郎から護衛の役目を外すとは思わなかったのだ。なので、こればかりは自分にも責があることだと思う。
「詩奈だけが悪い訳じゃない。侍郎がそうなった遠因に自分も関与している以上、誰かひとりにこのことを咎める理由はないだろう。とはいえ、侍郎が魔法を使って疑われかねない行動をしたという事実は消えない。その責任を負うということは、当然理解しているな?」
「……はい」
「ならいい。三矢家と矢車家には俺から話を付ける。侍郎は保健室で寝ているから、起こしに行ってやれ」
「……本当に、ありがとうございます」
そう言って駆け出していく詩奈の後ろ姿を見て、どこか寂しい気持ちを抱いてしまっていた。これが俗に言う“兄離れ”なのかもしれない。詩奈との関係は自分が転生する前の三矢悠元から引き継いだものだが、こんな風に思ってしまうあたり自分自身も歳の近い兄弟姉妹に何かしら求めていたのかもしれない。
「話は終わったの? って、詩奈ちゃんはどこに?」
「保健室だよ。さて、俺も引き上げるとするかな」
「後は若いお二人でってことね……何もしないの?」
「期待の眼差しを向けるな、阿呆が」
別にいつも出合い頭にやっているわけではないし、別にオチを付けようとしたわけでもない、とセリアの言葉をそのまま受け取ると、彼女が何故か期待の眼差しを向けてきたので辛辣な言葉を吐き捨てた。
なお、なんだかんだ言って軽口を言い合えている悠元とセリアの姿を羨ましく見つめる深雪や雫の視線が向けられたのは言うまでもない。
その後、悠元は元に連絡して事情を説明した上で、改めて当人たちに事情を説明するべきだと進言し、今回のトラブルが大事に発展しなかったが、魔法の無断使用ということで侍郎に関する責任を詩奈が負った事も説明した。
『そうか、私も少し性急すぎたな。仕郎さんには私から説明しておく。にしても、入学式の祝辞でお前が壇上に立つとは思いもしなかった』
「俺も似たようなものだけどね。正直な気持ちを吐露したに過ぎないけど」
『はは……だが、悠元の言い分は至極真っ当なものだろう』
期待に胸を膨らませて入学式に臨んだら、いきなり天狗の鼻を根元から折られたようなものだ。新入生総代の詩奈の関係で来賓として出席した元も最初は驚きを隠せなかった。よもや師族会議議長である悠元が壇上に上がったこともそうだが、彼が二科生制度のことや魔法師の現実を突きつけたことには強い説得力があると感じていた。
『今のお前は九島閣下から師族会議の長を継いだに等しい身だ。そのお前が真っ向から「魔法師は決して甘くない」と現実を見せた。それで、新入生の反応はどうだった?』
「お陰で後輩たちに結構絡まれたよ。詩奈の功績も含んでのものかもしれないけど」
『そうか……何にせよ、迷惑を掛けたな』
そう言って通信が切れた後、悠元は背凭れに体重を預けながら天井を見た。
悠元と元は対外的に見れば一家の当主という立場にいる。だが、悠元は元と親子のように接しているし、元は悠元が神楽坂家の当主であってもそれを盾にはしない。別にそう取り決めたわけではなく、お互いの配慮が噛み合った結果に過ぎない。
「その迷惑がまだ続く模様なんだけどな……」
悠元がそう零した根拠は、国防軍情報部の動きがどうにも怪しくなってきていることに起因する。原作だといきなり十山つかさが出てきて、その後にリーナ達の襲撃を模した一件を起こしている。
情報部絡みの一件とするなら、パラサイト事件の時に七草家の息が掛かった防諜第三課が絡んだことと、それと昨年の論文コンペ絡みで『伝統派』の事件に介入したことが挙げられる。いずれも原作では達也が深く関与しているので、そこから達也の危険性を睨んだのだろう。
情報部は悠元の“再教育”を目論んで上泉家に押し掛けたわけだが、そもそも剛三がいくら全盛期ではない(無論、国防軍側で得られる情報からの推測だが)とはいえ、新陰流剣武術を舐め過ぎているのではないかと思う。
その一件を調べたところ、150名にも及ぶ襲撃部隊の出所は朝霞基地に配属されていた部隊らしく、命令の内容は“敵国と内通している可能性が高い長野佑都の捕縛”であった。大きく関与しているのは国防軍情報部・首都方面防諜課という部署。十山つかさが『遠山つかさ』として所属している部署でもある。
しかも、その命令はあくまでも“演習計画”として立案・実行された形だった。結局、独立魔装大隊と千刃流の剣士、そして剛三をはじめとする新陰流剣武術の門下によって叩き潰された。
(……自分たちがまともなら、同じ立場にいる魔法使いの同士討ちを考える時点で正気を疑うわ)
自分の実力が他の魔法師よりも群を抜いていることは認める。だが、一方的な論理でこちらを“怪物”などと宣った上で排除するようならば、躊躇わずに銃を向ける覚悟はある。そもそも、連中の正気を保証できる人間が一体どこにいるのかと問いかけたい。
国家の利益という正義を掲げ続けるならば、相応の対価を支払ってもらわねばならない。
◇ ◇ ◇
十山家は既に剛三の怒りを買った。それを含めた結果として七草家は奄美・沖縄方面への配置転換を余儀なくされ、十文字家もアリサの件で強く出ることが出来なかった。
沖縄から戻った後、悠元はそのまま十文字家を訪れた。いきなりの訪問で驚く克人だったが、前当主である和樹と話をさせて欲しいという悠元の言葉で大方の事情を察した。その上で丁重に人払いを済ませた上で悠元は遮音フィールドを張り、和樹と克人の会談に臨んだ。
「急な訪問になってしまい、それについては大変申し訳なく思っている。だが、今後の諍いにならぬよう早急に片を付ける必要があり、神楽坂の当主として出向かせてもらった」
「諍い、ですか?」
「そうだ。事の次第は上泉殿から聞いている。何でも、克人殿が三矢家の養女となった伊庭アリサ嬢の身柄を引き取りたいと申し出たそうだな?」
悠元の言葉に和樹は驚きを隠せなかった。何せ、いくら三矢の係累とはいえ神楽坂家の人間である彼の口から十文字家の隠し子であるアリサの名が出たこともそうだが、上泉家から事情を聞いていたとはいえ、矢面に立つ意味が分からなかった。
困惑を隠せない和樹に対し、克人が代わる形で悠元に問いかけた。
「神楽坂殿、何故上泉家および三矢家と十文字家の問題に関与されるのですか? 確かに三矢殿のことを考えれば理解できなくもないでしょうが」
「克人殿のお考えもご尤もでしょうな……いいでしょう、説明いたします」
克人は既に元継から聞かされてはいたが、何故神楽坂家が関与するのかという疑問を抱いても無理はない。その意味も含んだ問いかけに悠元が答えた。
「自分がまだ三矢家の人間―――長野佑都と名乗っていた時、祖父である剛三殿に連れられて北海道で過ごしておりました。その縁で世話になっていた古式魔法の家の方が遠上家と伊庭家とも親交がありまして、彼女の母の葬式の際に顔を合わせ、彼女の願いを聞いて義理の兄妹みたいな関係となりました」
本当に偶然が偶然を呼んだ結果だった。三矢の家を離れるような動きをしたら十文字の縁者と知り合い、四葉の人間に惚れられ、九島に目を付けられ、一条・五輪と続いて七草からも知られる形となった。
某漫画の“
「そして昨年末、現在の母と共に北海道へ出向いた際、自分はアリサ嬢を婚約者の一人として受け入れました。その後に彼女の母である伊庭ダリヤ殿の遺言が見つかり、その言葉に従って三矢家が彼女を養女として受け入れたのです」
「そんなことが……では、十文字家に関わる技術については?」
「自分が既に“処置”していますので、彼女が『オーバークロック』を暴走させるリスクなど既に存在しません。なので、十文字家のみが得ている制御技術を教える必要もありません」
悠元は以前にも和樹を治療している。なので、誰が対処したかなどという論議を広げる必要など皆無だった。納得したように頷く克人であったが、ここで口を出したのは和樹であった。
「神楽坂殿の配慮には感謝します。……ですが、尚更アリサを十文字家で引き取らせてほしいのです」
和樹としては、一人の父親としての償いも含んでのお願いだったのだろう。克人も悠元も当然理解しているだけに、普通ならば考慮の余地の一つもあったかもしれない。
だが、そんなことを今更述べたということに、悠元は気配の度合いを“引き上げた”。
「本気で言っているのか、十文字和樹。言っておくが、貴方の当時の事情もこちらは全て把握している。懇ろな関係を持っておきながら、14年間もその可能性を捨て去って十文字家の当主をしていた神経が信じられん」
「か、神楽坂殿?」
「ついでに言っておく。十文字家が引き取った貴方の姪である理璃嬢はアリサ嬢が十文字家の隠し子だということに薄々気づいていた。彼女の母の日記に貴方とダリヤ殿が関係を持っていたことが書かれていたそうだ。更に言えば、克人殿と婚約している姉の美嘉も承知の事実だ」
アリサの問題は、既に護人の二家と十師族の二家、それと遠上家にまで波及している。もしアリサを十文字家に引き取ることにしたら、今度は十文字家の家族問題に発展し、最悪分裂の危機に瀕することになるだろう。
不幸中の幸いなのは、既に十文字家の当主が克人となっていることだろうが、それでもアリサや遠上家も納得して合意したことを今更白紙になど出来ない。
「先程述べた二人に加え、理璃嬢と婚約した壬生光宣殿も存じている事実だ。これ以上この事実を広めれば、間違いなく和樹殿の奥方や子女の耳にも入ることになる。最悪十文字家が真っ二つになるという事態に陥ってもいいと? それでも一家を預かる父親の台詞とは到底思えん」
それに、折角七草家と九島家の処置が一段落したというのに、ここで十文字家が躓く様なら十師族の存在意義に疑問を投げかけられることになる。和樹の提案は言ってしまえば現当主に対する“叛逆行為”にも等しいことを彼は認識していない。
仮にダリヤの生存を確認した上でアリサを引き取っていたとしても、家庭間の問題は回避不可能としか言いようがない。和樹の妻である慶子は良識ある人物だが、アリサを快く思ったかと言えば必ずしもそうとは言い切れない。
「そしてこれが一番大事なことだが、法的に伊庭アリサの父親は貴方ではない。いくら血が繋がっていようが、遺伝による根拠を持ちだしたら貴方の家業を克人殿か夫人に継がせ、貴方自身は遠方に隠居していただく。この決定が不服だというのなら、自分が相手になるが? 最悪力ずくでも貴方方を叩き伏せる用意と覚悟があるとこの場で明言させてもらう」
自分がアリサの婚約者だからこそ一定の距離を置いた付き合いは許容するが、直接の親戚として付き合うのは真っ平御免である。光宣と理璃にもその辺を説明しており、彼らも「先輩とは良き友人関係でありたいです」と承諾している。
悠元から殺気を向けられて何も言えずにいる和樹に対し、克人が頭を下げた。
「神楽坂殿、此度は態々出向いていただいただけでなく、事情説明をして頂いたことに感謝いたします。父が隠し子を作っていたことを聞いた際、自分も呆れてしまったほどです。今後は彼女を十文字家とは関係のない人間として扱うように父を説得いたしますので、この場はどうか矛を収めて頂きたい」
「……いいでしょう。克人殿―――いえ、十文字殿。そちらの父君の処遇は貴方に委ねます」
「寛大な処置に感謝いたします」
悠元も十文字家の事情に深く関与する気はないし、克人と美嘉が婚姻を結べば間接的にアリサも十文字家と義理の親戚となる。十文字家の人間だと公表する必要もないし、アリサ自身は十文字の名を“名乗りたくない”と明言していた。
克人が和樹の処遇を判断するのであれば、こちらが割く労力も減るので克人の提案をそのまま受け入れた。十文字家がどういった決着を見るのかは克人の当主としての手腕を問われることに繋がる理由もあったりする。
悠元が帰った後、執務室に戻って来た克人の厳しい視線が和樹に向けられた。
「親父殿、何故神楽坂殿の婚約者となったアリサ嬢の引き渡しを求めた? 交渉は自分に一任すると言ったことは嘘だったのか? 正直に答えてくれ」
克人がアリサのことを知ったのは、師族会議体制の再編が一段落した3月14日のことだった。克人は暫く考えた後、知己がいる上泉家に足を運んだ。そこで現当主の元継から事情を聞いた。
当事者側の遠上家と三矢家の関係性は分からなかったが、今回悠元が述べた事実でその接点が繋がった。
「嘘ではない。だが、父親として何もしてやれなかったことが何よりも悔しかった」
「だから神楽坂殿に交渉を持ち掛けたというのは軽率すぎる。仮に実現したとしても、今度は十文字家が七草家のような立場に追いやられることになる。それが分からない親父殿ではない筈だ」
関東地方の守護・監視は今年の5月初めに七草家から三矢家へ体制が引き継がれる。師族会議が発足してから担当地域が他の
それと同時に、三矢の人間が養子となった護人の二家も十文字家として無視できる要素ではない。和樹とて十師族の前当主としてそれは理解している筈なのだ。こればかりはアリサの父親としての心残りから出た提案だが、その一言は神楽坂家現当主の逆鱗に触れてしまった。
「……親父殿、明日三矢家に出向く。今回の粗相に関して三矢殿に取り成してもらうが、アリサ嬢の引き渡しに関しては一切交渉しない。これは十文字家当主としての決定だ」
「……分かった。克人の提案を呑もう」
十文字家が抱える懸念材料を取り除く―――それを成した悠元の異質さは克人自身も理解していた。切り札とも言える『ファランクス』を無力化する技術を会得している以上、敵対したところで丸裸の状態ともいえる十文字家の人間に抗う術はないに等しい。
克人も十文字家の抱える
悠元にその魔法を以て十文字家の宿業を回避してもらう算段も当然考えたことはあった。だが、その能力を下手に明るみには出来ないことは魔法使いの家として理解していたし、彼に支払う対価がどれほどのものになるか想像もつかない。最悪、十文字家が神楽坂家の庇護を受ける形になってしまうかもしれない。
師族会議で明確に護人の麾下となった以上、克人は十文字家の当主としてアリサのことは三矢家に任せる選択を取った。その決定に和樹はただ頷くことしかできなかったのだった。
今回は十山家関連と十文字家関連ということで書きました。人間関係に『壁』を作って騒ぎを起こすという意味では流石第十研とも言えますが(何