西暦2097年4月7日、魔法科高校入学式の夜。
達也が霞ヶ浦基地に向かったのと時を同じくして、悠元は防衛省内にある国防陸軍総司令部の本部室を訪れていた。呼び出し自体は一条家の件があった2日前だったため、若干タイトなスケジュールなのは間違いない。
呼び出した相手も悠元の事情は理解しているが、早急に相談しなければならない事態ということは悠元も理解している為、それに異論を唱えることはなかった。
防衛省庁舎の中なので流石に銃を持った軍人が徘徊していることなどない訳だが、定時の時間を過ぎても残っていると思しき官僚たちは慌ただしそうにしていた。そんな中、その防衛省で働く四葉家所縁の人物―――
勝成もまさか庁舎の中で悠元と遭遇するとは思わず、目を見開いていた。
「これは勝成殿、ご多忙のようですね」
「神楽坂殿、ご無沙汰しております。今日は一体どのようなご用件で此方に?」
「国防軍のほうに少し用事がありまして。それ以上は機密の為に申し上げられませんが」
軽い挨拶をしたところで、勝成が時計を見て急いでいるような素振りを見せたので、自分に気遣う必要は無いと述べると、勝成は頭を下げた上でその場を早足で去っていった。事務職であるはずの勝成で忙しそうな雰囲気を見るに、外交官ともなれば更に忙しいのだろう……と思いつつ、悠元はそのまま本部室に向かった。
本部室の前で入室を請おうかと思ったところ、丁度反対方向から来ていた蘇我大将と遭遇し、悠元は敬礼をする。
「大将閣下、このような格好での出頭をお許しください」
そう述べた悠元の恰好は別に私服姿ではなく、『神将会』の人間が身に付けるスーツ姿だった。公的な場で制服を身に付けることはあっても、悠元は正規の形で軍の中に身を置くことはしない。まして師族会議議長となった以上は適切な距離を取らなければならない。
蘇我は悠元の事情を理解した上で敬礼をする。
「いや、今日は魔法科高校の入学式ということを考えれば、君を呼び出すのは心苦しいと思っている。まずは中に入ろう」
誰かが聞き耳を立てているかもしれない、という明言はしなかったが、その可能性を匂わせた発言をしつつ、蘇我に続く形で悠元が中に入った。その奥にある総司令官の執務室に着いた上で、蘇我と悠元は互いに向き合う形でソファーに座った。
蘇我は悠元が常軌を逸した情報収集能力を有していることを知っている。沖縄防衛戦後に方面部隊指揮官として指揮を執った『大天狗』風間玄信大尉(現在中佐)を直接呼出し、事の詳細を聞く中で判明したものだ。とはいえ、迂闊に言える情報ではない為に蘇我が本当に信の置ける人間にしか話しておらず、陸軍総司令部でも蘇我を含めて片手で数えられるほどだ。
「先日の佐渡沖の件は君も当然知っているだろうが、参謀本部の解析では新ソ連が起こしたものと睨んでいる。更には海軍の艦隊が侵攻を睨む様な動きを見せている」
「本部の予測はどのような感じですか?」
「佐渡を含む北陸への侵攻が多数派を占めている」
新ソ連が態々山陰・九州地方へ軍を動かすというのは艦隊への攻撃を受けやすいリスクがあるし、大亜連合も黙ってはいない。5年前の件は大亜連合軍にいる新ソ連のスパイが情報を流してドサクサ紛れに引き起こした可能性が濃厚だろうとみている。双方が協力した線も否めないが、歴史的背景として互いに協力できるかと言われると微妙だろう。
欧州方面への侵攻も新ソ連にとってはリスクだ。現状東西に分裂しているEUも、新ソ連からの危機感が強まれば統合とまではいかなくとも東西間の軍事協定を締結して連携するだけの下地は未だに残っている。
「特務参謀殿の意見はどう見る?」
「そうですね……祖父の状況を把握しているとは言い難いですし、可能性は低くありませんが、侵攻を匂わせている時点で敵勢力が一定の目的を達したとは言えるでしょう。とはいえ、欧州方面で動きを見せていない以上、極東方面からの本侵攻に備えて北海道・東北・北陸の各師団を待機させておくのが無難な判断になります」
「そうなるか……今回は魔法による攻撃ということで、第101旅団に北海道へ出動するよう要請した。その先遣隊として独立魔装大隊が明朝に出発すると連絡を受けた」
蘇我としては、対魔法師の戦力となる悠元がいれば北陸方面の抑えになると鑑み、魔法師部隊である独立魔装大隊を北海道へ派遣することで二方面への備えとすることにした。その目論見は悠元もすぐに理解した。
だが、ここで問題になるのは
「大黒特尉にも出動命令を掛けたのですか?」
「そこまではしなかったようだが、仮に北海道方面への侵攻の兆しがあれば、彼を動員する可能性は捨てきれない……中将としては不服か?」
命令となれば、それに従うのが軍人としての責務だ。だが、悠元も達也も正規の軍人ではない。リーナやセリアのように存在を隠した上で正規の軍人として任ぜられているならばともかく、危機に迫らない限りは従う義理もない……というのは我が侭かもしれない。
含みを持たせるように問いかけられた蘇我の言葉に対し、悠元は率直な意見を口にした。
「不服を申し上げる理由はありませんし、不満はありませんが、身勝手だとは思います」
「身勝手、か……確かに、それを言われると否定はできないか」
悠元の辛辣な言葉に蘇我は否定する言葉を持ち合わせていなかった。
十師族は軍を利用できないが、軍は十師族を利用する。軍のスタンスとしては至極当然のものだ。だが、十師族を含めた師族会議全体が今上天皇より国の守護を任ぜられる立場となった以上、軍が一方的に魔法師を利用するという事態は“異常”としか思えなかった。
既に政府との非公式の約定も含めて師族会議に対する政府と軍の権利を剥奪したのだ。にもかかわらず力を当てにするということは、“相応の対価”を要求されることに国防軍の意識が追い付いていないようであった。
「師族会議と国防軍が国家の利益の為に適切な距離を取るということには賛成します。ですが、軍や政府が
達也が冷遇されていた時期は、別にそれが起きても大きな問題ではなかった(達也もそこまで問題にしていなかった、という事情も含んでいる)。だが、四葉家の次期当主となった以上はそういった扱いをすること自体リスキーな行為に他ならない。
師族会議もとい護人の本質は国土および国民を守ることで国家主権及び国益の保全・守護を行うことにあり、必要とあらば国外にある直接の脅威を取り除くことも選択肢の一つとして保有する。
「私の『
「……私としては安易に頼りたくないと思っているが、そういった考えを持っている軍人は少なくないのも事実だ」
護人の方針が指す国益はあくまでも“恒久的平和を望む国家の利益”であり、政府や軍の利益とは必ずしもイコールではない。悠元が懸念したのは、国防軍が十師族ひいては師族会議の力を悪用する可能性があるということだった。
「勝ち過ぎれば、相手に窮鼠の如く噛みつかれて泥沼に陥り、最終的には国力を落として最悪国が亡ぶ。こんなことは古今東西において度々起きていたことです」
「そうだな。我が国も第二次大戦の時に先人たちがその轍を踏んでしまい、連合国に占領された苦い歴史を我々が繰り返してはならぬ」
仮に、軍の利益として悪名高い四葉の名を持ち出すことで、敵勢力へ必要以上の脅威を与えることが可能ではある。だが、その代償として国家の利益を著しく損なう可能性が極めて高い。現に利益に関係なく四葉の力を削ごうと動いている諸外国の勢力がそれを如実に証明してしまっている。
勝ち過ぎて己の首を絞めるという事例は古今東西の歴史が証明しており、第二次大戦で戦勝国となったアメリカ(旧USA)ですら、“世界の警察”と自称して一方的な論理を振り翳した結果、中東情勢に介入して終わりの見えない宗教戦争へと突入してしまった歴史がある。
そもそも、国防軍に対する不信感という点で言えば、悠元は達也よりも多い。決定的となったのは情報部主導の誘拐未遂事件で、その後も国防軍絡みでトラブルに巻き込まれている。昨年の九校戦の競技変更や、周公瑾を匿った一件、止めとして南盾島の戦略級魔法の件が挙げられる。
「最早師族会議は政府直下にある組織ではありません。態度の急変は大黒特尉の戦略級魔法を使いたがる人間を懸念してのものでしょうが……ちなみにですが、統合幕僚会議の意見は?」
「特務参謀を動員するという意見には至らなかった。君が出動するという段階の話になるとすれば、北海道に上陸された時点での話となるだろう」
俗に言う“防衛ライン”を超えない限りは悠元が上条達三特務中将として戦場に出ることはない、と蘇我はそう結論付けるように述べた。
その言葉には、悠元が国防軍に対する不信感を持っていたとしても、個人としての縁を切ることはしたくない、という蘇我のせめてもの願いが込められているような気がしたのだった。
「……分かりました。以前にもお話ししていたことの繰り返しになりますが、仮に国防軍の軍人がこちらを囮にしたり脅すようなことがあれば、その際は自らに与えられた権限を用いて対処いたします。その際は防衛大臣から直接許可を取り付けるつもりですので、適切な対応を願います」
「了解した……本当ならば、君のような若い者に任せる話ではないのだが、どうか宜しく頼むよ“悠元君”」
悠元の言葉―――それは、今後起き得るであろう達也やリーナに関することを含めてのもの。それをどこまで見抜いたかまでは分からないものの、蘇我は悠元の名を呟くことでそれに対する黙認の意思を伝えたのだった。
◇ ◇ ◇
達也が霞ヶ浦の独立魔装大隊本部を、悠元が防衛省の国防陸軍総司令部を訪れていた頃、克人は
会談の場所は都内の高級料亭。大物政治家や一流経済人が多く利用する“要人御用達”ともいえる店だが、座敷に端然と座る克人の姿に『場違い』という言葉は存在しなかった……なお、当の本人は義理の妹となった理璃から昨春に言われた言葉で「自分はそんなに老けて見られるのか……」とショックを受けたこともあったのはここだけの話。
二十歳も間近という年齢には見えない克人が黒壇の座卓で待つこと一分、会談の相手である智一が姿を見せた。
「お待たせして、申し訳ありません」
「自分も先程来たところですので。遠慮せずに足を崩して楽になってください」
そう言って頭を下げて克人の正面に座るが、正座に慣れていないのか窮屈そうに見えた克人は智一に声を掛けた。
「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えまして」
克人の厚意に甘える形で智一は膝を崩して胡坐になるが、克人は正座のままであった。智一と克人の座り方によることもそうだが、元々の体格差も相まって克人が智一を見下ろす様な形となる。こればかりはお互いに気に留める様子もなく、社交辞令を交換してアルコールの入っていない飲み物を口にすると、二人はどちらからともなく会談モードに入った。
とはいえ、二人同時に声を発したのではなく、克人が切り出す形となった。
「七草さん。妹さんから、私に相談したいことがあるとお聞きしましたが」
「そうですね、本題に入りましょう。十文字さんは、昨今の魔法師に敵対的な風潮について、どう対処すべきとお考えですか?」
魔法師に敵対的な風潮はこれまでも見られたことだ。一昨年の『ブランシュ』の件や昨春の反魔法主義をメディアが焚き付けていた件が主に該当する。しかも、後者の件に関しては克人の目の前にいる人物の父親―――七草家当主が関与していたことを、克人は神楽坂家当主(当時は次期当主)との会談で知ることとなった。
諸外国の情報は十文字家の守備範囲外だが、情報共有の一環で七草家(真由美)や三矢家(美嘉)と連絡を取り合っている。反魔法主義を含めた魔法師を敵対視する思想による暴動や騒ぎとほぼ無縁の状態にあるこの国が、外からの思想の流れでデモやテロが再発する可能性は決して低くないためだ。
そんな中、智一が克人の思想ではなく具体的な思考を求めたことに少し意外感を覚えていた。
「どう思っているか、ではなく、どう対処すべきか、ですか。差し当たって、七草さんは反魔法主義の風潮に対して能動的な対応が必要であるとお考えなのですか?」
「その通りです」
智一は誤魔化しや
「最早、被害を受けたらそれに対応するというスタンスでは凌げないと考えております」
「魔法師に攻撃的なプロパガンダを放置すれば、よりエスカレートして取り返しのつかないことになると? 具体的にはどのようにお考えなのですか?」
克人は魔法科高校在学時に『ブランシュ』の一件に立ち会い、校内の治安回復の為に陣頭指揮を執り、拠点制圧にも尽力して『ブランシュ』日本支部のトップであった
反魔法主義に関わる経験を口に出さず、克人は智一に尋ねた。
「私は箱根テロ事件を上回るような爆弾テロや、まだ魔法を使えない幼児、児童を標的とした誘拐殺人も起こり得ると恐れているのです」
「魔法師ではない人々を巻き込む凶悪犯罪が続発するとお考えなのですね」
「その通りです。そうならないために、我々は何をすべきでしょうか」
実のところ、反魔法主義に関する実行的な部分は十師族ではなく護人の二家が殆ど関与していた。更に詳しく言うと、克人の後輩である神楽坂家現当主が自身の有している膨大な資産を駆使してメディア関連株式の公開買付を行ったことで、ジャーナリストの『ペンの力』を財力で抑え込んだ。
この国の半数近くのメディアが実質的な“粛清”を受けた以上、残る半数も同じ憂き目に遭う懸念が付き纏う。何せ、諸外国では有数の大手メディアを現金一括で買収せしめたことからして、それほどの力を有していることが如何なる意味を持つのかなど、賢いジャーナリストならばすぐに理解するだろう。
財力の面だけでなく、魔法の面でも卓越した手腕を発揮している彼の功績は師族会議の場でも全て公にはされていない。智一の問いかけからして、父親からは何も聞かされていないと考えるのが妥当と思いつつ、克人は率直な意見を口にした。
「私には、直ぐには思いつきません。いえ、私一人で時間を掛けたとしても、有効な対策案を考え出せるとは思えません」
「実は、私にも分かりません。一人で対策を練るには重すぎる問題ですし、そもそも一つの家だけでは実行できないでしょう」
「……確かに単独では、現在の反魔法主義運動に対抗することはできないでしょう」
克人の同意に智一はホッとしたような表情を浮かべていた。克人は智一の為人を知る人間として素直に白旗を揚げるような言葉に意表を突かれつつも、智一の言葉を内心では否定したかったがそれを呑み込んだ。
何せ、単独ではないにせよ反魔法主義に真っ向から対抗したのが神楽坂家と上泉家の二家。多方面を巻き込んで反魔法主義を抑え込める実力を有するとなれば、現時点で彼ら以外に存在しないだろう。
そして、智一の相談事はその二家に対抗しようとしているように聞こえた。
「この問題は十師族だけでなく、もっと多くの魔法師の知恵を集め、意思を結集して対応しなければならないと、私は考えています」
「多くの魔法師と言いますと、日本魔法協会の総会に諮るべきだとお考えなのですか?」
「いいえ、いきなり多くの人間を集めたとしても、一般論以上の結論が出るとは思えません。それに、当主クラスの人間が集まったとしても、終始腹の探り合いになって実りのある議論ができるとも思えないのです」
「しかし、各家を代表するものが出席しなければ単なる意見交換会程度のものになってしまい、仮に何かを決めたとしても単なるアイデアで終わってしまう可能性が極めて高いと思います」
多くの魔法師の意見を集めるにしても、最終的に纏めたアイデアを実行へ移す段階で師族会議もしくは日本魔法協会の総会に諮る必要が出てくる。師族会議でのやりとりはこれまで父親の代行として経験してきたため、克人も智一の言い分には一定の説得力があることを認識していた。それも含めての反論に対し、智一はここで「我が意を得たり」と言わんばかりに頷く。
「ですから当主やそれに準じる年代ではなく、もっと若い世代の、次の当主に決まっているような方々にお集まりいただくべきかと思うのです。まずは二十八家から始めて、ナンバーズ、百家と増やしていけばいいかと思います」
「ならば、既に当主である自分には参加資格がありませんが」
「いえ、十文字さんはお若いですから、若い世代を集めるという趣旨であれば……」
当主の座に就いて、克人は自分の思考スタイルが変化したことを実感している。最適もしくは最善であることよりも、実現可能性の有無を最優先に考えるようになっていた。一言で言えば柔軟性の低下に尽きるが、理想論を掲げてばかりでは事態を混乱させるリスクが高くなる。
ならば、実現可能性を意識せざるを得ない立場にあるものの、当主ほど縛られない次期当主や直系の子女を集めて知恵を出し合えば、師族会議に対する建設的な提言を生み出せるかもしれない、と克人は考えた。
だが、定義があいまい過ぎるところを突くと、智一は当然慌てた。二人の話し合いの結果として、年齢の定義で30歳以下の若い世代を集めるということで決着を見た。普通ならばここで終わることだが、克人はここまで触れられていなかった存在を口に出した。
「ところで七草さん。一つ質問があります」
「何でしょうか?」
「先程“二十八家”と口にしたこともそうですが、何故師族会議の現メンバーである神楽坂家と上泉家の当主が含まれていないのですか?」
「それは……その二家の現当主は三矢家の血縁者ですので……」
そう、師族会議議長を務める神楽坂家の悠元と、副議長を務める上泉家の元継の存在だ。悠元は現在17歳、元継は24歳で、若い世代を集めるという趣旨で言えば二人も該当する案件になる。智一の言い分も尤もだが、彼らが三矢家の血縁者という事実は別に隠しているわけではないし、彼らは既に三矢家の籍から抜けている。
意見を集約して師族会議に提言する意味でも彼らがいるというのは意見が通りやすいメリットもある。それを選択しなかったということからして、克人は智一の提案が彼一人で起こしたものとは思えなくなっていた。
結局、克人の圧力に屈する形で智一は神楽坂家と上泉家の当主も参加の対象に含めるとしつつ、二家への連絡は智一が受け持つと明言したので克人はその提案を呑んだのだった。