克人からの招待状が届いたのは、言うまでもなく司波家だけではない。封筒というものが移動する関係上、到達の差異が生まれてしまうのは已む無きことだが、厚木の三矢家は達也たちが受け取ったのとほぼ同時に受け取っていた。
手紙の宛先は、当然会議の参加条件を満たしている次期当主の元治であった。とはいえ、現当主は未だ元であり、真っ先に相談するべく執務室を訪れていた。元治は手紙をまず元に読んで欲しいと差し出すと、元は近くにあったペーパーナイフで封を切り、中の便箋に目を通した後で元治に差し出した。
そんなに簡潔な文章なのかと訝しむ元治だが、渡された招待状の内容は確かに十文字家当主らしい簡潔な文章だった。それを読み終えた上で元治は元に尋ねた。
「今度の日曜に会議とは急な話ですね」
「そうだな。それで、どうする?」
「会議には出ようと思いますが……ただ、少し気になります」
「ほう?」
元治の言葉に元は少し関心を覚えた。三矢家直系の子の中で、間違いなく話術に優れているのは現神楽坂家当主の悠元。元継も毅然とした精神力で祖父の剛三譲りの才覚を見せつつある。それに比べると元治は些か優しすぎるきらいがある。
元は催促することなく目の前にいる息子の言葉を待つ。元治はそれを理解したのか、少し思案した後で話し始めた。
「今回の提唱人は十文字家当主の克人殿とのことですが、彼の為人を考えるのならばまず神楽坂家か上泉家に話を持ち込むでしょう。反魔法主義というデリケートな問題を考えるのなら、師族会議を統率する彼らに発起人となってもらうことで強い効力を生み出す案を出せると思います」
「元治は、それをしなかった時点で十文字殿は持ち掛けられた側とみているのか?」
「はい。ただ、過去のやり口から見て七草家のようにも思えるのですが、七草殿が企てたにしては詰めが甘いと自分は考えます」
三矢家は七草家に代わって関東地方の守護・監視を正式に担う立場に置かれる。その意味で同じ地域を担当する十文字家のことも当然把握しておかなければならない。元治自身、克人との面識はあまりないが、父親伝手に聞く為人からしても彼が発起人とは思えなかった。
かと言って、七草家の当主にしては些か手段に荒っぽさが目立つと元治は率直な意見を述べた。
「成程、言われてみれば道理ではあるが……今回は私が関わる立場にない以上、お前に任せる」
「分かりました」
元の執務室を出ると、元治は手紙を持ったまま屋敷の中を進む。このことを妻に相談するのもいいが、今回ばかりは三矢の人間として相談すべきこと。思い悩みつつ歩いている元治に対し、その向こう側から声が掛けられて元治の視線はそちらを向く。
すると、そこにはカジュアルな私服姿の元継が立っていた。
「どうした、
「元継? 今日はどうしてここに?」
「ちょいと親父に相談があったんだが……困ってる兄貴を見捨てるのも忍びないな。妹連中にも声を掛けて話し合うぞ」
「え、あの……」
元継の即決即断に巻き込まれる形で、元治は屋敷の外に連れ出された。その行き先はというと、東京・町田にあるFLTツインタワーマンション北棟……共同生活スペースに三矢の人間が集められた。
「―――というわけで、済まないな悠元」
「よもや、急に呼び出されるとは思わなかったけど」
部屋の持ち主である悠元のジト目に対し、元継もバツが悪そうに謝罪していた。しかし、元継の思い付きとはいえ、詩奈以外の六人が会するのは久しぶりのことなので、そのことについては素直に嬉しかった。
「
「万が一の場合は遠慮せずに泊まっていいよ。客室は空いてるから」
「お、それは嬉しい限りだね。佳奈姉さんは楽だけど」
「美嘉はどちらかといえば当事者側でしょうに」
矢車分家の長男と結婚した長女:詩鶴、達也の婚約者である次女:佳奈、克人と婚約を結んだ三女:美嘉。いずれも魔法科高校時代は第一高校生徒会長として輝かしい功績と血なまぐさい歴史を作ってしまった三姉妹。
ここに集まった六人の兄弟姉妹の中で比較的まともなのは元治に他ならない。時間も時間なのでホットミルクを出し、一口付けて落ち着いてから元治が話し始めた。
「今度の日曜、横浜ベイヒルズタワーの日本魔法協会関東支部で反魔法主義運動の対策を話し合う会議が開かれることになった。差出人は十文字殿だ」
「かっちゃんが? ……時勢的にはあり得なくもないけど、それだったら父さんが表立って話すべきだと思うのは私だけ?」
元治の説明に対して真っ先に問いかけたのは美嘉だった。彼女は将来嫁ぐ相手としても同じ高校・大学に通っている身としても、とても克人が率先して提唱したとは思えないことに疑問を呈していた。
「今回は師族二十八家と護人二家の若手を集め、将来的には百家なども含める文言からして次世代のコミュニティを作りたいという感じにも見える」
「……悠元、元継兄さん。二人のところに招待状は?」
「来ていないな。悠元は?」
「右に同じく。ここに来る前に同様の手紙が司波家に送られてたのは確認してるが、居候である自分は連名になっていなかった」
元治の言葉を聞いて、詩鶴は元継と悠元に招待状の送付の有無を確認した。元継に続く形で悠元も招待状を受け取っていないことに、元治のみならず詩鶴や佳奈、美嘉も驚きを見せていた。これに対して真っ先に反応したのは美嘉と佳奈だった。
「おかしい、おかしすぎる」
「そうね。文言では神楽坂と上泉―――悠元と兄さんのことに触れているのに……もしかして、克人はその話を持ち掛けられた側じゃない?」
「俺自身もそう睨んでいる。なので、会議には自分が出席しようと考えているが……元継と悠元はどうする?」
招待状の送付ミスなど有り得るはずがない。箱根に本拠を置く神楽坂家と群馬に本拠がある上泉家ならば、ほぼ同時刻に送付されていてもおかしくはないのだ。仮に入れ違いになったとしても、親展や書留の類でない限りは中身を確認して連絡するように言い含めている。
だが、現時点で悠元と元継の両者に本家からの連絡は入らない。つまり、招待状は出されなかったと判断するほかにない。
そんな不手際を十文字家の人間―――それも現当主の克人の性格を考えれば、絶対に有り得ないこと。だとするならば、誰かが裏にいるのが妥当だろう。
「その日は既に護人で話し合う予定があるが……悠元はどうする?」
「出る気にもならない。最悪厄介事を押し付けられるのが目に見えている以上、まだ護人で話していた方が有意義だから」
そもそも、これまでの反魔法主義運動に対して先頭に立って対処してきたのは神楽坂家と上泉家。諸外国の動向を踏まえてのものというのは理解できるが、どうにも会議に参加してほしくない様子が招待状に垣間見えている以上、無理に参加する道理もない。
「もしかして、七草家か十山家が関与していると?」
「……一条家当主の件の後、十文字先輩と七草先輩が連絡してきてな。その後、七草先輩と二人で話した際、先輩の上の兄が十文字先輩に相談事と言って連絡役をやらされたことに疑問を呈していた」
「そんなことが……じゃあ、真由美を介した連絡がその会議のことだと?」
「それしか考えられない」
招待状の時点で正直まともな議論になるか疑わしいというのもおかしな話だろう、と思う。だが、七草家が表立って差出人に名を連ねなかった時点で、その会議がまともに進むかどうかすら疑わしくなるというわけだ。
「ま、招待状が送られてこなかったところで別に構いはしないし、返事を書く手間が省けるからどう転ぼうとも構わない。問題はこの先だろう」
「……その会議が何かしらの引き金になる、と悠元はそう考えているのね?」
「その通りだよ、詩鶴姉さん」
若手会議を切っ掛けとして十山家が動き、色々なトラブルを引き起こす。自分の誘拐未遂という事件を起こした手前、よもや情報部がまた動くとは考えづらいが、それでも動く様ならば容赦する気など無い。
それに、若手会議はもう一つの動きの起点となる出来事。言うまでもなく、『ディオーネー計画』に関することだ。その会議の情報を知ったエドワード・クラークがその前日に起きた新ソ連の軍事行動を見て、協力者の中にベゾブラゾフを加えたとみるべきだろう。
「会議の進捗次第だが、俺もまともな議論は望めんと思う。克人がしっかり諫めてくれればいいが、当主になってから実現可能性を重視しているような感じだからな。場に流されるような形になってもおかしくはない」
「元継、そこまで言うのかい?」
「上泉家当主だからこそ、そこまで言わないといけない。下手すると、詩奈が反魔法主義に対するアピールとして神輿にされる危険性だってあるんだ。何かを決める為の会議となるかは不明瞭だが、兄貴の責任は重大だぞ」
「……ああ、分かった」
元治をサポートするのならば、悠元や元継にも会議に参加してほしいと思うのが普通だ。しかし、二人は既に三矢の人間ではない為、表立って庇うことは難しい。血縁関係からの協力要請は出来ても、護人の力を笠に着るような真似は許されない。
「継兄もそうだけど、悠元も手厳しいね」
「美嘉姉さん、俺はもう神楽坂家当主だし、元継兄さんは上泉家当主だ。将来父さんの後を継ぐってことは、日曜の会議ぐらい独力で乗り切れないと師族会議でなんてやっていけない。元治兄さんも父さんからすべて任されてるはずだし」
「その通りだよ。全く、こうやって現実を突きつけられて父や弟たちの気苦労が分かるだなんて、僕もまだまだだな」
元治は肩を竦めて呟いたが、仕方がないことだ。
悠元と元継は三矢の家督相続権を早々に放棄したものの、剛三によって武術を学ぶと同時に、社交界との付き合いを通してマナーや礼儀などを学んだ身。元治も父親から厳しく教えられているのは間違いないだろうが、そもそものスタート時点が違う以上は結果も自ずと変わってくる。
「
「……ところで、七草家が沖縄方面に移る決定打はやっぱり悠元絡みなの?」
「それもあると言えばあるけど、もっと決定的なのは周公瑾とコンタクトを取って反魔法主義を煽ろうとしてた件。尤も、周公瑾は処刑されたが」
師族会議再編の際、七草家の沖縄方面への“鞍替え”については十師族でも実力のある七草家に最前線を担ってもらうという表向きの理由が存在する。正直に神楽坂家と結んだ周公瑾に関する約定を破っただなんて公表すれば、七草家を師補十八家に落とすべきという声が上がるのは想像に難くない。
とはいえ、これまで十師族の中で政府に対して強い働きかけが出来ていたのは他ならぬ七草家だけという現実もある為、周公瑾に関する罪は九島烈ならびに九島家が全て負うという形で決着した。
◇ ◇ ◇
三矢家での話し合いは夜遅くまで続き、結局悠元と佳奈以外は客室で一夜を過ごすこととなった。悠元もマンションの自室で寝泊まりをした訳だが、寝るときには一人だった筈のベッドの中―――悠元の隣には愛人扱いの一人である安宿怜美が眠っていた。
これには悠元が一つ溜息を吐いた上でそのまま寝かせてやると、ライディングスーツを着てマンションの地下に降りる。地下には『ドレッドノート』が停まっており、悠元は『ワルキューレ』を差し込んでイグニッションスイッチを押してエンジンを起動させる。
そしてバイクに跨ってヘルメットをかぶると、コンソールを操作してセキュリティゲートのロックを解除する。コンソール上で全てのゲートが開いたことを確認すると、悠元はスロットルを吹かして開いたゲートへと走り出した。長いゲートを潜った先はトンネルの中で、その道は公道ではなくFLTの敷地内にある私道に繋がっている。
FLTの土地自体が神楽坂家から借り受けている形(複数の不動産会社や名義人を通しているため、辿っても神坂グループには行きつかないようになっている)のため、このような方法が取れるというわけだ。それに、悠元はFLTの社員『
悠元が『ドレッドノート』を駆って到着した先は無論司波家であった。事前に連絡をしていたとはいえ、ガレージからそのまま家の中に入ると深雪が嬉しそうに出迎えてきた。
「おはようございます。そしておかえりなさい、悠元さん」
「ああ、ただいまとおはよう、深雪。達也はいつもの鍛錬か?」
「はい。直に朝食にしますか?」
「そうだな。じゃあ着替えて来るよ」
達也の鍛錬のことは時折八雲から聞き及んでいるが、組手では5割の勝率にまで持ち込まれているという。八雲に勝てているというだけでも以前軽運動部に関する条件を満たしている訳だし、八雲も達也に提案したらしい。だが、達也は固辞したという。
曰く『師匠に本気で「参った」と言わせられるようにならなければ話にならない』とのことで、誰のことを指しているのか分かる話だ。
自室で上着以外の制服を着た上でリビングに戻ると、丁度朝食の準備が出来ていたので頂く。
「昨日は急に呼び出されたから済まなかったな」
「いえ、悠元さんも家のことがありますから。それで、元継さんの呼び出しの用件は何だったのですか?」
「昨晩届いた招待状の件で、詩奈以外の三矢の人間で話すことになった。早い話が元治兄さんに檄を飛ばす形になったが」
若手会議の件は師族二十八家で知られることになるため、悠元は特に隠すこともなく正直に話した。司波家(四葉家)から達也だけが出ることは伝えなかったが、元治からすれば顔見知りであるために必要以上のお節介を焼く必要もないと判断した。
「今頃、達也も九重先生から会議のことについて言われてるかもしれんな」
「先生の性分を考えると、そうなっていてもおかしくありませんね」
朝食を終えると、悠元は身支度をすると言って自室に戻った。端末を起動させて情報を具に見ていくと、一つ溜息を吐いた。画面に表示されたのは、USNA軍―――スターズが再び日本へ潜入工作を試みるというものだった。その理由も自ずと想像がつく。
「……世界最強と自称するからには、『マテリアル・バースト』と『スターライトブレイカー』を見逃せない理由も分からなくはないが、馬鹿にも程がある」
正直な話、『マテリアル・バースト』に関しては言うまでもないことだが、先日ようやく完成した戦略級魔法『
それをしないのは、この国も少なからず影響を受ける可能性が高いためであり、国益に反するものとして実行していないに過ぎない。
自国に向けられたくないと思うのならば、自分たちから歩み寄ろうという気概を持つべきなのに、魔法師としてのプライドが邪魔しているのだろう。それこそ愚かとしか言いようがない。
国内は国内で面倒だというのに、国外のことも加わって面倒事を持ち込もうとしている輩に一発殴ってやりたい気分だ。自分がまともな思考をしているとは自負するつもりなどないが、正気を持っているとは思えない人間に正気の沙汰を疑われたくない。
元治は同年代の十師族直系で見れば優秀な部類です。ただ、次男や長女以下が悠元の影響で飛びぬけたため、霞んでしまっているのは私のせいだ。だが私は謝らない。(割と)常識の範疇に収まっている人材って貴重なので。
詩奈の場合、原作でネックになっていた聴覚制御を覚えた+武術を習っている……この先は神のみぞが知る。少なくとも侍郎は尻に敷かれる。
悠元と元継が会議に出ないのは護人の会談もあるのですが、元治に将来を見据えて場数を踏んでもらいたいという思いがあります。どちらかがいれば頼りにしてしまう可能性がある為、血縁関係があろうとも家単位では別の人間ということをしっかり割り切って欲しい思惑も含んでいます。