佐渡沖で不審船調査に赴いて突然魔法による攻撃を受けたあの日、剛毅が運び込まれた病院では治療法はおろか衰弱の原因も分からず、家族は不安に押し潰されそうになっていた。
娘の茜と瑠璃は情緒が不安定になり、時々声を押し殺して泣いていた。妻の美登里は気丈に振舞っていたが、娘に余計な心配を掛けたくない思いと元気付けるための強がりだということは誰の目から見ても明らかだった。無論、当事者側である将輝も平気な振りを装っていたが、内心の動揺は抑えられなかった。
その動揺にすぐさま反応を見せたのは師族会議議長を務める神楽坂家当主・神楽坂悠元であった。今までに数人の魔法師を治してきた彼は剛毅の容態を「復帰するのに回復可能な状態である」と見解を示した上で、四葉家に要請を出して治療の専門家を派遣すると一条家に伝えた。
当日の内に剛毅の事情を把握せしめた情報収集能力は驚くべきものだが、何をすればいいのか分からない立場として一条家は彼の提案に縋りついた。
そんな事情で派遣されたのは、将輝の目の前にいる女性こと
原作では国立魔法大学大学院の研究生でしかなかった彼女だが、国立魔法医療大学の新設に併せて設けられた医療従事者としての『魔法治療技能師』の資格を取得している。本来は魔法医療大学を卒業することで取得の要件を満たすものだが、彼女が研究しているテーマ―――『魔法演算領域のオーバーヒート』―――に加えて幾つかの臨床実験に参加して“実務経験”を得ることで特例的に取得を許されている。
従来の医学でも魔法医学は未成熟の分野であり、『トーラス・シルバー』の功績で取り入れられ始めていると言っても、医学全ての分野に浸透しているわけではない。病院での治療が出来なかったのは、そんな医学分野の事情が大きく影響している。
「父は、回復していますか?」
一昨日の時点では首も動かせず、声を出すのも辛い状態だった。そこから考えると、自力で起き上がるのは難しくても2日で座った状態のまま姿勢を維持できるようになったのは大きな進歩だ。
それと同時に、将輝の中には一抹の不安もある。見かけは良くなっていても、身体の状態が悪化する可能性もあるためだ。
「ええ。何分、手探りの部分が多いために何時完治するかまでは申し上げられませんが、このままでいけば来週の初めには全身の痺れも抜けるでしょう」
「そうですか」
夕歌が述べたことは決して嘘偽りではない。
悠元から技術を教わったとしても、彼女には悠元や達也のような『眼』を持たない。生来から得意とする精神干渉系魔法を使って剛毅の情報を読み取りつつ、魔法治療を施す。もし悠元が来れば瞬時に治せるが、悠元と一条家―――主に将輝と因縁を抱えている以上、それが出来なかったからこそ夕歌が派遣された。
「心配するな、将輝。俺も何時までも寝てはいられないし、津久葉さんの治療で大分体の自由も利くようになってきた。この分ならすぐに良くなる」
剛毅は夕歌に対する感謝の言葉を口にしつつ、将輝に「治る」と宣言したことで、将輝も幾分か安心した表情を垣間見せた。
「さて、今日はこの辺で失礼いたします。明日も参りますので」
「あっ、送っていきますよ」
「ありがたいですが、お気遣いなく」
夕歌は将輝の見送りの提案をやんわりと固辞し、剛毅に一礼してから部屋を出ていった。それを見た剛毅は部下に短く声を掛けると、夕歌を追いかけるようにして退室した。
二人きりとなったところで、将輝は愛想笑いを止めて剛毅に視線を向けた。
「それで、本当のところはどうなんだ?」
「どう、とは?」
まだ起き続けるのは辛いのか、剛毅が枕に頭を預けるようにしたので、将輝は慌ててベッドのリクライニングを倒すスイッチを入れた。その後で将輝は剛毅からの問いかけに答えを返す。
「彼女は、信用できるのか?」
「将輝……その言葉は、十師族よりも魔法に関して一日の長がある神楽坂家を疑うことになるぞ」
「それは……」
四葉家の息が掛かった魔法師とはいえ、その推薦をしたのは神楽坂家であり、剛毅から見れば息子と同い年の現当主かつ師族会議議長の推薦。息子が四葉の息が掛かった魔法師に身内を委ねることに納得していないのか、九校戦や想い人を巡る争いの関係で神楽坂家現当主を快く思っていないのか……この場合は“両方”かもしれない、と剛毅は内心で溜息を吐いた。
確かに、元々現代魔法の権威とも言える十師族直系の子息が未熟とも言える魔法師の治療分野を熟知しているなどといわれても信じ切れない。だが、その信じられない光景を剛毅は一昨年の九校戦でまざまざと見せつけられた。
「今は同じ師族会議の人間なのだ。疑い出したらキリがないぞ」
「そうだな……他に手がない以上、それを信じるしかないか……」
「そういうことだ。それより将輝、そこにある手紙はお前宛だ」
将輝も剛毅が冒すべきリスクを察したのか、自身を納得させるように呟いた。剛毅は将輝がそのことで思考を嵌らせるのは得策ではないと話題を切り替えるように声を発した。
見ると、サイドテーブルには一通の手紙が置かれていた。
「開けてみろ」
「あ、ああ……」
この場で開けて読め、ということは私的な手紙ではないと将輝も判断し、剛毅の言われるがままに手紙を手に取った。差出人が
「何と書いてあった」
「……招待状だ」
「何の」
「護人二家と師族二十八家から30歳以下の魔法師を集めて、現在小康状態となっている反魔法主義運動へどう対処していくかを話し合う会議を開きたいと十文字殿が提案してきた。日時は今度の日曜、場所は横浜の魔法協会関東支部だ」
「随分と急な話だな」
将輝が述べた手紙の内容に対して、剛毅が率直な意見を口にした。奇しくも、それは将輝と同じ意見であったが、その意図する意味を汲み取るという意味では剛毅が上手だった。
「十文字殿は横槍を入れさせたくないのだろうな」
「横槍? どこから横槍が入るというんだ?」
この場に真紅郎がいれば、剛毅が謂わんとしていることも察しがついただろうが、将輝は謀略の部分に関してそのレベルに達していない。そもそも、十代後半でその謀略のレベルに踏み込んでいる人間の方が異常ともいえる。
「例えば、国防軍。或いは警察当局といったところか」
「……政府が十師族の邪魔をするということか?」
「可能性の話だ。護人の二家も会議の対象に入っている以上、政府が横槍を入れるとは思えんが……どうする?」
教育方針上、剛毅は将輝に対して必要以上に教えたりしない。自分で理解し、納得するほかにないと常々そうしてきたからこそ、将輝も異論を唱えたりはしなかった。
「出席する。侵略者の動向は気になるが、それに気を取られて蚊帳の外に置かれる方が拙い」
「その意気だ……どうした?」
将輝の決断に剛毅はお墨付きとも言える言葉を放った。だが、将輝が思い悩む表情を垣間見た剛毅はすぐさま問いかけた。今の言葉を翻す訳ではないことなど分かっていたが、もしかすると会議に出るであろう“彼”とのことについてなのか訝しんだ。
「親父……こういう場合は、手紙で返事を出すべきだよな?」
「当然だ」
「……なんて書けばいいんだ?」
佐渡で魔法の猛威を振るった将輝は、これまで十師族の間でやり取りする正式な書面を作ったことがない。一条家の教育方針の反動とも言えるべきものだが、途方に暮れた声で訊ねる息子に対して、剛毅は「情けない……」という眼差しで見返した。
◇ ◇ ◇
4月9日の夜。
大学から帰宅した克人は、客が待っていると家人から伝えられた。克人は最初、十文字家を訪れている光宣のことを指しているのかと思ったが、家族はおろか家人からも“理璃の婿”として認識されている彼ではないと判断した。
続いての可能性は克人の婚約者である美嘉だが、現状は婚約であってまだ同居はしていない。婚姻は克人が大学を卒業してからという形になっているが、態々客という単語で表現したりはしない。
30分前から待っている、という家政婦の言葉を聞いて、克人は着替えることなく応接間に急いだ。“一応”同じ師族二十八家という立場上、ぞんざいに扱える相手ではなかったからだ。
「お待たせしました」
応接間に入るなり謝罪を口にした克人に対し、座っていたスーツ姿の女性は態々立ち上がって丁寧にお辞儀をする。
「こちらこそ、留守の間に勝手ながらお邪魔してしまい申し訳ありません」
「いえ、ただ連絡でもくださればもう少し早く帰宅できましたので」
互いに恐縮したような台詞を見せた後、克人が勧める形で同時にソファーへ腰を下ろす。
「お久しぶりですね。十文字家御家督継承、遅ればせながらお慶び申し上げます」
「ありがとうございます。2月の師族会議ではお目に掛かれるものと思っておりましたが」
「これは失礼を致しました。ご存じの通り、私は家の方針で軍務に重点を置いていますので、十山家のことについては弟に一任しております」
本人が言った通り、彼女は師補十八家がひとつ、
立派な氏名詐称の案件だが、彼女が所属する国防軍情報部では、上司も既に承知のことだ。実質的に陸軍情報部を牛耳っている諜報畑の黒幕的実力者と十山家の盟約により、彼女は身分を隠して軍務に従事している。
「でしたら、本日は国防軍の関係でいらっしゃったのでしょうか?」
「いえ、そういうわけではないのですが」
「では、ご用件は何でしょう」
つかさの感情が籠っていないにこやかな表情と共に出てきた克人の問いかけに対する答えに、克人は性急とも言える問いかけを投げつけても、つかさは嫌そうなそぶりを見せない。年齢で言えばつかさのほうが4歳年上だが、克人に対して落ち着き払えているのは同年代の人間相手でも難しい。この辺は同じ「十」の
だが、それ以上に克人が問いかけを急がせた根底にあるのは、現在の十文字家と十山家の関係にある。より詳しく言えば、目の前にいる人物ことつかさの企みによって十文字家が上泉家だけでなく神楽坂家からも厳しい目で見られている事情がある。
国防軍情報部が主導した神楽坂悠元(当時は長野佑都と名乗っていた)襲撃計画。当時の時点で『脅威』と見做して計画された襲撃は、当時の上泉家当主であった上泉剛三を激怒させた。より内情を明かせば、その計画は『元老院』に所属するとある黒幕的人物が襲撃を黙認した。それも、よりによって同じ組織の四大老の実家を襲えという内ゲバ。
その影響で国防軍の襲撃を看過した七草家は多大な罰を支払い、四葉家が正式に中部・東海地方の守護・監視を担うこととなった。七草家の煽りを受けて十文字家も少なくないペナルティとして新陰流剣武術の門下生数人を雇い入れることを呑んだだけでなく、十文字家が所有する会社の筆頭株主として上泉家が正当な手段で株式を取得している。よく言えば上泉家の後ろ盾を得たようなものだが、実質的には上泉家の監視下に置かれたようなもの。
そして、襲撃対象だった人物は現在師族会議議長にして護人・神楽坂家現当主。正直彼の勘気を被って十山家が師族二十八家から外されたとしても不思議ではないところに今日の訪問。十文字家当主となった克人からすれば、約束もなしに訪れた相手から不信感を拭えなかった。
とはいえ、横暴な態度を見せているわけでもない以上、アポなしの訪問についてとやかく追及することよりも用件を聞くことに克人は重きを置いた。
「克人さんからご招待いただいた件のことについてです。誠に申し訳ありませんが、十山家は御存知通りの事情を抱えておりますので、欠席させてください」
「そうですか……それならば、仕方がありませんね」
十山家は第十研―――魔法師開発第十研究所で生み出された一族。十文字家がミサイルや機械化部隊といった“対軍防衛”を主眼としていることに対して、十山家は国家機能の防衛―――“要人護衛”に特化した防衛能力を有する。
前者が国家や国土を守る為のものとするなら、後者は国家機能を守るためのもの。それ故に、十山家は国防軍中枢との繋がりが深い。非常時に国家にとって重要な人物を守り通すという使命を帯びている為か、国防軍の闇の部分に深く入り込んでいる。
十師族の目的は魔法師が国家権力によって使い潰されない為に
しかし、欠席の連絡をするならば手紙で別に構わないと克人は思っているし、理由が思いつかないとも思えない。克人とつかさがそこまで年齢が離れているわけではないにせよ、尤もらしい理由を十山家が思いつかない筈など無い。
「欠席の理由は如何されますか?」
「それなのですが、そのことをご相談したいと思いまして。是非とも克人さんのお知恵をお借り致したく」
十山家の事情を詳しく知っているのは十文字家だけ。だが、つかさが関与した先日の悠元の国防軍襲撃の件は師族会議議長就任の際に公表されている。「既に解決した事項」と念を置かれた上で開示されたが、師族二十八家の一つである十山家が護人の上泉家に喧嘩を売ったにも等しい事項の為、十文字家は庇うことすら許されず、他の二十六家からも冷ややかな視線を向けられている。
「そう申されましても、生憎自分には上手い理由など思いつきません」
「……ちなみにですが、十山家以外にも欠席を申し出てきた家はあるのではありませんか?」
何せ、克人が十文字家当主として就任して初めて師族二十八家に呼びかける試みの会議。心理的に断るのは難しい申し出であり、今回のことで爪弾きに遭わせるような狭量など克人には持ち合わせていない。
だが、他の家からすれば旨味のある可能性を捨てるにはあまりにも大きすぎる。とはいえ、時期が急であるがゆえに出席できないと申し出てきた家はある、とつかさはそう睨んだのか、克人にそう問いかけた。
「回答自体まだ数件ですが、
「どのような理由ででしょうか。もしかして、次期当主殿が防衛大に在籍しているから、という理由ではありませんか?」
「……その通りです」
他人が出した手紙の内容を悪気もなく尋ねてくることに、克人は顔を顰めた。だが、つかさが続けて述べた推測に対して、執拗に答えを迫られることを嫌った克人はその推測を認めた。
「そうなりますと、同じくご子息が防衛大在学中の一色家、ご子息方が軍務に就かれている
「……つかささん。余り嬉しそうに言わないでいただきたいのですが。それに、一色家は出席の意向を示す書状を既に受け取っております」
つかさに対しては事細かく言わなかったが、新たに十師族として加わった一色家は確かに息子は出ないものの、第三高校に在籍している娘がいる。一色家からの書状では『僭越ながら……』と前置きをした上で彼女が出席する旨が記載されていた。
「そうでしたか。ともあれ、十山家も同様の理由で欠席いたします」
「……承りました」
にこにこしているつかさとは対照的に、克人は憮然とした表情を見せていた。自分の招待を笑って蹴飛ばす様な素振りを見せたつかさの態度は気に障るとしか言いようがなかったが、十山家の事情を知る者として無理強いすることも出来なかった。
正直、戦力面だけで言えば将輝は立派なのですが、いくら自分で考えさせる方針だとしても一度鼻っ柱を折られないと分からない部分があると思います。どの部分なのかは分かり切っていることなので言及しませんが。
剛毅の場合は先輩で現在第三高校の校長に一度鼻っ柱を折られた挙句、頭が上がりません。原作の将輝だと鼻っ柱を折られる前に逃げたようなものなので、その意味で本当の敗北を味わうのは原作最終巻の一幕でしょう。それでも懲りてない辺りは一種の才能かも知れませんが。
十山つかさのことで以前に主人公の婚約者候補に入らないのかという疑問がありましたが、正直やっていることが胸糞悪いとしか言いようがなく、続編での絡みからして黒幕が恐らく“あの人物”になると思われます。
あと、キグナスで出てきた『元老院』の一人ですが、影響力からして四大老に近いポジションかも知れませんが、この世界では少なくとも四大老ではありません(確定事項)。
余談ですが、大老の椅子が一つ増えたら五大老になって、徳川と豊臣の争いの再来が起きることを危惧して四大老になったという説がワンチャンありそうな気がするようなしないような。
反論は認めます。