克人から相談を持ち掛けられたその日の帰り道。真由美は克人から指定された古風な佇まいの喫茶店に立ち寄った。名は『
「久々に来たけれど……ごめんね、つぐみん」
「いや、私も他人事では済まされない立場だし。摩利、無理はしなくていいんだよ?」
「大丈夫だ、亜実」
とはいえ、真由美一人では“男女の間柄に関する有らぬ疑い”を考慮してか、真由美は店に良く通っているということで亜実に声を掛けると、亜実は関係筋ということで摩利に声を掛けた。
「正直、とっとと帰ってベッドに寝たいんじゃないの?」
魔法大学と違って、防衛大学校はどの科に所属していたとしても基本教練や戦闘訓練のカリキュラムからは逃れられない。なので、亜実は『無理にとは言わないけど』と気遣う姿勢を見せたが、摩利は『この程度で弱音を吐いていたら、エリカに笑われてしまう』という反抗心みたいな感情から同行することにした。
「それを否定できる材料はないが、エリカに笑われたくないからな」
「そっか……」
「さ、早く入りましょ。先に待ってるはずだから」
摩利の所属する特殊戦技研究科は寮生活を免除されるため、亜実の述べたことを否定する材料はないとしつつも、自分の心情を吐露した。それを聞いた亜実も無理に帰らせようという気は無く、これを見た真由美が話題を切る形で先導して店の中に入った。
店員に待ち合わせであることを伝えると、ウェイトレスが2階に行くよう指示した。既に克人が来ているようだ。2階は四部屋の個室となっており、扉は全て閉まっている。どの部屋にいるのか思案する真由美だったが、右奥の部屋の扉が開いて克人が姿を見せた。
「二木、入ってくれ」
扉を開けている克人の横を通る形で、真由美たちが中に入る。喫茶店に個室というのは些か不便ではないのかと思うが、窓は二重ガラス、床や壁は防音仕様となっており、個別に部屋代でも取っているのだろう、と真由美は思った。
「渡辺や五十嵐も来たのか」
「仕方がないでしょ。それに、二人だって十師族の関係者みたいなものだもの」
部屋に招き入れたところで、克人は嘆息を漏らした。これについては真由美が説明したわけだが、根本的な理由をぼかしたことについては克人だけでなく摩利や亜実も口を挟まなかった。なお、席の座り方は克人の隣に真由美が座り、克人の対面には亜実、その隣に摩利が座る形となった。
各自飲み物を注文し、ウェイトレスが飲み物を運んで退室したのを見計らって真由美が口火を切った。
「さて、十文字君。相談事は先日の若手会議に関してかしら? それとも、新ソ連に関すること?」
「今回は前者にあたる」
「そうなると、達也君のこと?」
「六塚から聞いたのか……ああ、その通りだ」
亜実が燈也と同居していることは人伝に聞いていたため、若手会議の内容を把握していても不思議ではないし、そもそも秘密にするような内容と言えば顧傑の一件ぐらいしかないため、克人は亜実の問いかけに対して拒否するような素振りを見せずに答えた。
「その話は真由美から聞いたな。何でも、反魔法主義の過激派対策を話し合う内容だったとか?」
「過激派対策ではない。社会の反魔法主義的な風潮に対し、魔法師としてどう対処していくかを話し合う会議だった」
「それって意味があるの? そもそもの話、魔法に関する根本的な性質を変えないことにはどうしたって心情を変えるのは難しい、って燈也君は言ってたけど」
十師族直系の中でも燈也は特殊と言うべき出生と経験をしている為か、燈也の魔法に対するドライな発言を口にした亜実の台詞に、摩利だけでなく真由美も引き攣った笑みを浮かべていた。
「六塚がそこまで言っていたのか……先日の会議でそこまで非難はしていなかったが」
「十文字君の顔を立てたかった、みたいなことは言っていたけどね。で、アピールするにしても魔法を振り翳したところで元の木阿弥だけれど」
燈也も師族二十八家直系の若手の人間が揃って会議に出ること自体稀なため、顔合わせだとしてもいきなり印象を悪くしない方が良いと判断して発言を選んでいた、と亜実が代弁する形で述べつつ問いかけた。
「アピールか……例えば、
「何で私なの!?」
「九校戦で顔は知られてるんだし、受けはいいと思うぞ」
「そういう問題じゃないわよ!」
摩利の出したアイデアに真由美が噛みつく。メディアへの受けがいいという部分は確かだし、『エルフィン・スナイパー』という二つ名も十分武器となる。尤も、摩利の意図を察した真由美が声を荒げて拒否に近い態度を示した。
このままでは口喧嘩になるとみたのか、克人が割って入った。
「渡辺の案も一定の支持を集めた。だが、一番の支持を集めたのは四葉の次期殿の妹に魔法師を代表してもらうプランだった」
「四葉の……深雪ちゃんか。十文字君、その会議に当人は?」
「いや、司波だけが出席した」
「達也君だけって。ああ、それはダメね」
克人の言葉に亜実が直ぐに察し、彼女の疑問に克人が答えを返すと真由美が直ぐに察して呟いた。達也の為人を考えれば、身内を神輿に担ぐようなリスクを許容するとは思えない。なので、その案が出た時点で却下したのは目に見えている。
その真由美の考えを肯定するかのように、亜実が話した。
「深雪ちゃんを衆目に晒すという意味で、達也君が許容できるとは思えない。確か、そのプランに対して反対した人もいたんでしょ?」
「ああ。三矢、六塚、七宝、一色、一条に加え、オブザーバーとして参加していた光宣からも反対意見が噴出して却下となった。その後の会食には反対した者たちが出席しなかった」
「十師族直系の半数が反対した形となったのか……それ以外に反対した家は?」
「特になかった」
克人の答えに摩利は思わず舌打ちしそうになった。同調圧力と言えば聞こえはいいが、摩利も三矢家の外戚の人間である以上、無関係とは言えなかった。
「問題は、今回の会議の一件で師族二十八家が一枚岩ではないという状態に“見られている”ということだ。日本魔法界は護人の二家によって体制再編が進む中、歩調が乱れている状況を看過は出来ない」
「……そういえば十文字君、師族会議の直系と言うなら上泉家と神楽坂家―――元継先輩と悠君も含まれる筈よね? 二人は会議に出ていなかったの?」
「七草殿から欠席すると言伝は貰っていたが、二木は何も聞いていないのか?」
「何も聞いていないわ」
真由美からすれば、30歳以下で既に当主となっている二人が出ていない時点で訝しんでいた。とはいえ、既に別の家の人間であるために元実家の事情など聞いていないし、態々聞きに行くつもりもなかった。
「……あの二人は、余程のことがない限り会議を欠席したりはしないだろう。そうなると真由美、
「それが有り得そうだから困るのよ」
「そちらのほうはともかく、どうしたらいいのかという意見が欲しいと思ってな」
「うーん……なら、今度は具体的な対策を話し合う場として会議を開始したらどうかな? 結局、案を出したのは数名だけでしょ? 各々が“課題”として具体的な案を持ち寄って、現実的なところで擦り合わせていくのがいいとは思うけど」
亜実が述べたのは、同調圧力による会議の進め方ではなく、師族二十八家が各々反魔法主義に対する案を持ち寄るということ。これには克人も意表を突かれた格好となった。
「誰かの考えた案に乗っかるのは簡単だよ。でも、会議の参加者に師族二十八家を代表して来ているという意識が希薄に見える、と燈也君の話を聞いてそう思った。それで将来の師族会議を担える立ちになり得るのか、と思う」
「言い方は厳しいが、亜実の言う通りだな」
会議を開いた面子を潰したという意味では達也に責任がある話だが、師族二十八家代表として来ているのならば、責任を負うという意味を自覚する立場にいるということだ。
「そうなると、達也君と深雪さんには説明しないといけないわね」
「説明? 説得ではなくて?」
「それはそうよ。深雪さんを神輿に担ぐということは、会議に出ていた達也君だけじゃなくて、婚約者である悠君の機嫌すら損ねる案件よ。三人が同居している事実を考えたら、伝わらない筈がないもの。だから説明……この場合は“釈明”と言うべきでしょうけれど」
それに、先日の新ソ連の件は公にされていないが、一条家当主が負傷して防衛体制に穴を開けた点を挙げれば、そういった“緊急的な対応”を次期当主が求められる立場となる。その意味で若くして当主となった側である克人にとっても耳の痛い話だった。
「正直な意見を述べさせてもらえば、親睦とかの段取りをすっ飛ばしていきなり四葉の次期当主の身内を神輿にしようとしたんだろ? 本人の意思が介在しているならばともかく、何も確認せずに担ぎ上げたところで良い結果を生まないとは思う」
いうなれば、基地司令の娘をPRのためのマスコットに仕立てようと言えるようなもの。そんなことを実行しようとしたら左遷不可避の案件になりかねない。
「馬鹿正直に反論した達也君も達也君だとは思うが……それで、どう説得するんだ?」
「十文字君は確定として、真由美もいたほうがいいよね」
「はぁ……血縁の兄の尻拭いをやるだなんて、気が滅入るわよ……何よ、摩利?」
「いや、お前でも嫌がることがあるのだと改めて感じただけだ」
「それってどういう意味よ!?」
結局、説明役ということで克人、真由美、それと摩利が確定となった。まずは達也と深雪を説得した上で、深雪の婚約者である悠元を説得することで決着した。ちなみに、亜実は「余り船頭が多くなっても話が脱線するだけ」という理由で丁重に断った。
◇ ◇ ◇
魔法科高校で課せられる魔法師としての教育としては別に、深雪には淑女教育として様々な習い事がある。和洋のマナー講座にダンス、生け花、茶の湯とさながら上流階級の令嬢が身に付けるべき類を習っている。尤も、深雪は中学卒業の時点でマスターしている為、身に着けた技能を忘れない程度という形で週に一回程度、上流階級の子女向けのマナースクールに通っている。
曜日を固定していない(一ヶ月前に通うスケジュールを立てるのであまり意味はないが)のは、誘拐などによる周囲への被害を避けるための配慮であった。これは深雪に対してというよりは、他の
「それじゃあ水波、頼んだぞ」
「畏まりました、達也様」
スクールは男子禁制の為、護衛という名目でも達也が入ることはできない。以前はスクールの警備員にお願いしていたが、水波が司波家に来てからは彼女が深雪の護衛を務める形となった。
このスクール通いも夏までには終わらせる予定だ。身の回りがきな臭くなってきたこともそうだが、深雪が嫁ぐことになる神楽坂家ではマナースクールよりも格式の高い習い事が出来るため、今後は“花嫁修業”の一環として習い事を学ぶ形となる。
深雪と水波が建物の中に入った後、自走車に乗り込んだ達也がコンソールを操作して通話をすると、そこに映ったのは“達也の姿”であった。
「
『こちらでも確認した。……しかし、ここまで化けられると俺でも立つ瀬がないな』
「あんまり使いたくない代物だがな」
そう、自走車に乗り込んでいるのは魔法で姿を変えている悠元であった。事の発端は達也が八雲から聞くこととなった情報。
一つは、USNA軍の工作部隊に対して国防軍情報部が何かを策謀していること。もう一つは、USNA軍を使って達也と深雪にちょっかいを掛けようとしていること。八雲は「何だったら、悠元君を頼るのも一つの方法かもしれないよ」と付け加えた。
八雲が『九頭龍』の長という情報は神楽坂家の当主関係者でもごく一部にしか開示されず、『神将会』に属している人間でも全容を知ることはできない。その彼が悠元を頼ることを許容したということは、神楽坂家としても国防軍による四葉家への干渉を認めない、と述べている様なものだった。
「今回はリーナやセリアがいない以上、苦戦するということにはならないだろうが……九重先生の体術は大まかに分かっているから、達也が出せる範疇で片を付けるつもりだ」
『……すまないな、悠元。本当ならばこちらだけで片を付けなければいけないというのに』
「気にするな。大体喧嘩を吹っかけてきたのは情報部であって、俺は既に因縁持ちだ。ここで因縁が一つや二つ増えても最早誤差の範疇だからな」
情報部に限らず、国防軍絡みのトラブルはここ最近後を絶たない。これには蘇我大将のみならず防衛大臣も頭を抱える案件となっていた。悠元に限っても、一昨年や昨年の案件は正直信用を疑いかねない事態であり、仮に蘇我大将を個人的に信用していたとしても、国防軍に対する心象が悪くなったことは事実。
『一昨年のことは真田少佐から話を聞いたが、あれだけのことをされて十山家を潰さなかったのは正直驚きだった』
「あのな、達也。そんなんで一々潰していったら、大半の師族を潰さなきゃいけなくなるんだぞ?」
単に潰すだけならば問題はない。だが、現在の師族二十八家は魔法師としてだけでなく家業の面で社会的な繋がりを有している為、後釜の選定やら当該の家を支持する各界の要人と利害の折衝をしなければならなくなる。
その意味で十山家は国防軍と直結しているためにまだ潰しやすい部類に入るが、その黒幕となる樫和家当主・樫和主鷹が十山家を師族二十八家から追い出すことに難色を示している。
普通の考えならば、師族二十八家から離すことで逆に“遠山家”として使いやすくなる利点が生じると考える人間がいるだろう。
だが、十山家は他の二十七家に存在しない方針―――師族二十八家同士の争いを誘発させることで師族間のパラーバランスを保つ役割―――が存在する。それを果たす意味でも師族二十八家の一つとして身を置く方が、もしもの時に十文字家を頼れるという名分も出来るという形だ。
「単純に家単位だけならばまだしも、政財界や一般社会関連の折衝なんて一々やってられん。政府が主導してやってくれるのならばまだいいが、国会議員たちはどこか及び腰になる。戦闘に参加した当事者の側からすれば“軟弱者”と評価したくなるほどだ」
『……悠元を見ていると、「明日は我が身」という言葉が身に染みるようだ。ともかく、“二人”の対処はこちらでしておく。悠元はUSNA軍の対処を頼む』
「了解した」
とても高校生の身分で話している内容はともかく、必要な連絡事項を述べた上で達也の方から連絡を切った。その上て座席のシートに身を預けるように座ると、一息吐いた。
「全く、自分の尺度でしか秩序を守れない奴らが多すぎる。常識外れの技術を使うという意味を学べと言ってやりたいわ」
古代文明において存在した時代の魔法や
一昨年の勾玉―――
尚、勾玉はデータ分析だけして返却したため、元々依頼を受けていた小百合は不満げだったが、狙った相手が“大亜連合”であることだけ伝えると事の重大さを感じたのか、彼女はそれ以上何も言うことなくトーンダウンしたのであった。
原作だと話が脱線しまくっていましたが、亜実が本題を話す役割を担うことで話の脱線を回避した形です。この時点でまだ会議の招待状は魔法協会に留め置かれている形なので、悠元が送付した招待状の存在は知りません。この辺は本文にて触れる予定。
後半部分は情報部による襲撃編ですが、囮に関わる部分は悠元が担います。この辺の事情は次の話で触れます。