魔法科高校の『触れ得ざる者』   作:那珂之川

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言論に躊躇いなど不要

 4月20日、土曜日の放課後。

 一高の生徒会室には、生徒会長と書記―――深雪と達也の姿がなかった。水曜の夜に真由美との話し合いの申し出を受けてのものだ。

 尤も、ほのかや泉美、理璃とセリアに理由は告げていない。話の内容が秘密にする必要性があるかも知れないというもので、最初に聞いた泉美も真由美の思考を読み取ったのか……特に理由を尋ねることはしなかった。寧ろ、生真面目な生徒会長に対して「先輩がいなくても大丈夫です」と留守を預かることを率先した。

 今日はまだ、ほのかやセリア、そして理璃は来ていない。水波は言うまでもなく深雪や達也と同行している。なので、生徒会室にいるのは泉美と詩奈、そして風紀委員(つまり部外者)の香澄だけであった。子どもからの付き合いである三人しかいないこともあって、生徒会室の中は緩んだ空気となっていた。

 

「ねえ、泉美」

「なんでしょうか、香澄ちゃん」

 

 既に二人は別の家の間柄とはいえ、泉美はそこまで七草という名に対して目くじらを立てていない。あくまでも許せないのは遺伝上の父親だけであり、せめてもの恩情で七草家に留め置かれた香澄に含むところは無い。むしろ、そんな役目を年上の姉が背負わなかったことに対して思うところはあったりする。

 

「達也先輩と司波会長、やっぱりお姉ちゃんに呼び出されたのかな?」

「多分その可能性は高いでしょうね。ピクシー、お茶をお願いします」

 

 尚、部活連会頭である悠元は学内にいて、今頃は軽運動部の部室で汗を流している頃だろう。この場にいる三人も書類仕事で身体が鈍らないように軽運動部で鍛えていたりするが、生徒会や風紀委員の仕事を片付けてから行うのが基本方針であった。

 

「詩奈ちゃんも一旦休憩にしましょう……ありがとう」

「あ、はい。分かりました」

 

 泉美は詩奈に声を掛けつつ、ピクシーが淹れてくれた緑茶が入った湯呑を受け取る。先に休憩というか寛いでいる香澄はブラックコーヒーを口にしている。

 

「でも、お姉ちゃんがねえ……悠兄の優しさに甘えすぎなんじゃないかなって思うよ」

 

 香澄がそう零したのは、真由美が悠元の婚約者序列に入っているとはいえ、やっていることが悠元の意に反している様な行動をしているようにも見えている。それに対して泉美はこう述べた。

 

「あれはお兄様も既に承知のことです。寧ろ、そういう感じで胡散臭く動くように指示しているようですから」

「そうなの? というか、何で知ってるの?」

「私は事前に聞かされてますので」

「あ、そうなんだ……」

 

 真由美の事情を既に聞かされている泉美に対し、香澄は何も聞かされていないことよりもそれで許してもらえていることに姉が甘えている事実は変わらないと納得してしまい、それ以上の追及をするのを止めた。

 すると、自分で淹れた紅茶を手に詩奈も席に座った。嗜好がすぐ上の兄に似たためか、蜂蜜入りのミルクティーという極端な甘党。それでいて作るお菓子が甘すぎないのは憧れの存在でもある人物の影響もあるのだろう。

 

「お姉ちゃんが態々達也先輩や司波会長に取り次ぐ内容って、心当たりが多すぎるんだけど」

「そうですね。今や別の家の関係者となった父親と四葉家の諍いなんて、私たちが知らない部分でも色々抱えていそうですし」

「えっと……大変なんですね」

 

 香澄と泉美でも知らないことは多く、特に四葉家を出し抜こうと動く弘一の思考回路なんてその最たるものだ。堅実に実績を積み重ねれば四葉家と伍することも夢物語ではないだろうに、今や六塚家の養女となった泉美からすれば別に遠慮する必要もない辛辣な台詞に対し、詩奈は苦笑を滲ませていた。

 

「でも、恐らくは先週末の会議のことでしょう。私はその時別件のことで気を回す余裕なんてありませんでしたから」

「その割に、泉美はあっさり受け入れたみたいだけど」

「悠元兄様と結婚できるのなら別に構いはしないと決めていましたし」

 

 そんな泉美の個人的事情はさて置いて、話題は真由美と達也や深雪が会って話をするということについての話題を詩奈から切り出した。

 

「私は会議の経緯を詳しく聞いていないんですが、先週末の会議で何かあったのでしょうか?」

「ボクも人伝というかお姉ちゃんから聞いた範囲での話だけど、うちの兄貴が司波会長をアイドルのように矢面に立たせようとしたんだよね。それに真っ向から反発したのは達也先輩で、その後の会議の空気が最悪になったそうだよ」

「愚かな兄です。深雪先輩を矢面に立たせようなんてことをすれば、悠元兄様が黙っていません」

「いや、そこで泉美が力説しなくても……」

 

 やっていることを総合したとしても、七草家が自ら四葉家だけでなく三矢家や神楽坂家にまで喧嘩を売る様なもの。いくら同調圧力が掛かろうとも、現在の師族会議議長―――悠元を納得させうるだけの交渉材料を有しているとはとても言い難い。その意味も含んだような泉美の痛烈な言葉に対し、香澄が窘めた。その辺のことは詩奈も聞き及んでいたためか、特に疑問に思う様な素振りは見せなかった。

 

「ただ、その会議には悠兄が出席してなかったみたいだけど。後で気になって聞いたら、政府の要人と会っていたから出れなかったって」

「それならば納得もできるでしょう」

「そうなのですか?」

「今の悠元兄様はあの父親のように一家の当主です。日本政府の要人と師族会議の青年たちを天秤に掛けた場合、どちらを優先すべきかなど自明の理でしょう」

 

 泉美が弘一を必要以上に扱き下ろす様な言い方はスルーされつつ、彼女の述べた言葉に対して疑問を呈したのは香澄であった。

 

「まあ、事情は理解するけどさ。お父さんもそういう用事で家を空けることが多いし……ねえ、泉美。もしかしたら、うちの兄貴は悠兄に嫉妬してるんじゃないかな?」

「嫉妬、ですか?」

 

 香澄の言葉に反応したのは詩奈だった。七草家長男の智一は二十代後半で、悠元は十代後半。智一と歳が近い三矢家の長男である元治相手ならばまだしも、大体一回りほど違う相手に嫉妬するという感情がどうにも理解できなかった。しかし、香澄の言葉に対する泉美の言葉は“同意”と呼ぶに相応しいものだった。

 

「有り得なくはないでしょうね。何せ、高校生の身分でありながら実績を有している『クリムゾン・プリンス』にルールという制限があるとはいえ負かしています。十師族直系の最強格という肩書を得てもおかしくは無かった兄様があっさりと十師族から抜けたことに対して、面白くない感情を抱いたとしても別におかしくはないかと」

 

 七草家の場合、現当主の弘一が魔法師としての確たる地位を有し、後妻の子である真由美だけでなく、香澄や泉美も魔法師としての評価を得ている。一方、三矢家の場合は当主の子全員が優秀以上の魔法師の実績を得るまでに成長し、次男と三男は実家の伝手で古式魔法の大家の当主に就任した。

 男子と女子の格差が激しい七草家と長男以外の兄弟姉妹が著しい三矢家。普通ならば智一が羨むべきは父親や妹たちであるが、その矛先が悠元や元継に向けられた決定的な出来事は顧傑の一件にまで遡る。

 

「でも、普通ならお父さんやボクらとか、後お姉ちゃんがその対象になるよね?」

「普通ならばそうでしょう。ですが、師族会議の後で七草家の担当地域が奄美・沖縄方面へ移ることになった切っ掛けは兄様のご実家が関係しています」

 

 盤石な地盤を奪われ、一からの関係構築を余儀なくされる。前向きに捉えれば、魔法師として偉大な父親の影響なしに自らの基盤を作れるという利点があるわけだが、元々国防軍の影響下にあった場所となれば一般社会に溶け込んでいる人間の智一がそう簡単に事を進められるはずがない。どう足掻いても父親の協力は必須となるのが予想される。

 こんな苦労をする羽目になったのは父親のせいだが、泉美や香澄の知る人間が自分の息子に対してすべての事情を正直に話すとは思えなかった。そして、その羨望の矛先がどこに向かうのかと考えた結果、九島烈の引退と引き換えに師族会議へ加わった神楽坂家と上泉家に向けられることとなる。

 

「悠兄だって何も苦労せずにそうなったわけじゃないのに」

「だから愚かなのですよ、あの兄は」

「……泉美、七草の家を出てから大分容赦がなくなったよね」

 

 恋愛は人を変えると言うが、いくら気の知れた相手しかいないとはいえ、ここまで躊躇うことなく発言していることに香澄はもとより、詩奈も今まで聞いたことのない泉美の台詞に若干引き気味となっていた。

 

「それはいいとして、話し合いには多分克人さんも出てくるだろうけど、どうするんだろう?」

「どうする、とは?」

「だってさ。元を糺せばうちの兄貴がしでかした事じゃない。だったら、釈明なり謝罪するのが筋だとボクは思うんだけど、違うかな?」

 

 香澄の言い分は、達也の主張の如何はともかくとして四葉家を逆撫でするような提案を出した側―――智一が前面に出て事情を説明するのが筋である、というものだ。

 

「あの会議の提案者は克人さんですから、彼が前に立つことは理に適っているといえばそうなのでしょうね」

「苦労人気質だよね、あの人は」

 

 泉美と香澄の会話に詩奈が若干ついていけてないのは、克人と直接の面識を有していないためだ。尤も、詩奈自身三矢の姓を正式に名乗ったのは魔法科高校入学後の話なので、こればかりは無理もない話と言えよう。

 

「うーん、悠兄もお姉ちゃんに対して色々言い含めてはいそうだけれど、大丈夫かな?」

「……そう言われると、安心材料がどうにも浮かびませんね」

 

 元々蚊帳の外にいる香澄と泉美がどうこうしたところで何も浮かばないし、下手に首を突っ込んで事態をややこしくするのも厄介なことになる。とりわけ泉美にとっては被害者側に近い立場なので、いくら元実家とは言え擁護する気もない。そんな二人を静かに見つめている詩奈。この停滞した状況に新たな来訪者が舞い込んだ。

 

「泉美ちゃん、お疲れ様」

「香澄、何もなかった?」

 

 ほのかは泉美を労い、雫は変わったことがなかったか香澄に尋ねた。特に忙しそうな様子も見受けられないが、雫は職務の範疇として香澄に質問を投げかけた。

 

「あ、はい。特に変わったことはないです」

「そう」

 

 香澄の言葉を聞いて短く答えた。元々香澄は非番なので、放課後の時間に生徒会室を訪れていたというのも分かるし、生徒会の仕事を邪魔している雰囲気でもないのは直ぐに理解した。雫はほのかに視線を向けると、その意図を察してピクシーにお茶を入れてもらうようにお願いをした。

 特に誤解やトラブルなどが起きることなく飲み物で一息入れていたところ、ピクシーが詩奈の傍に歩み寄った。

 

「詩奈様。応接室に・お客様が・お見えです」

「お客様ですか?」

 

 ピクシーに言われて自分の端末を確認すると、来客を告げる校内メールがあったことをすぐに知った。

 

「ピクシー、ありがとう。光井先輩、泉美さん、お聞きの通りの事情ですので、席を外しても宜しいでしょうか?」

「ええ、いいわよ」

 

 詩奈の問いかけにほのかがそう答える。泉美もそれに異を唱えることはなかった。

 

「ありがとうございます。ピクシー、後片付けをお願い」

「かしこまりました」

「それでは、いってきます」

 

 扉の前で一度振り返り、丁寧なお辞儀の後で再び扉に向き直って出ていった……生徒会室に自分の私物が入った鞄を置いたままにして。

 

  ◇ ◇ ◇

 

 第一高校の裏には広大な演習林がある。魔法の練習をするのだから、当然近隣住民に迷惑を掛けないような規模の広大な演習場を有している。演習林とはいっても単なる森林ではなく、人工の丘陵で起伏に富んだ地形を造り、更には野外プールや水路に加えて九校戦の競技に合わせた専用の練習場まで備えている。

 そして、その一つである林間クロスカントリーコースを一人の男子生徒―――矢車侍郎が駆けていた。とはいっても、何かトラブルに巻き込まれたわけではなく、彼の武術教練の一環で“鬼ごっこ”をしている。

 ルールは複数の鬼から5キロメートルの区間を走って逃げきる、というシンプルなものだが、そこに魔法らしさの要素として鬼が投げてくるおもちゃのナイフに触れたら容赦なくリスタート。移動系魔法に長けている侍郎も最初聞いたときは楽勝だと高を括っていた……最凶最悪の鬼が参加していなければ。

 

(あの人、一体どこから見ているっていうんだ!? 知覚系魔法を持ってるだなんて言われても知らないぞ!?)

 

 何せ、侍郎の気配を察知できる範囲外から超高速で飛翔する物体を躱すに等しく、それを躱したとしても他に追いかけてくる鬼(エリカの呼びかけで参加しているレオや山岳部の部員、燈也も含まれている)たちも容赦なくナイフを飛ばしてくるため、既に14度のリスタートを挟んでいる。

 尚、悠元はスタート地点からほぼ動かずにナイフを[ダンシング・ブレイズ]で飛ばしており、[天神の眼(オシリス・サイト)]は使わずに精霊との呼びかけで侍郎の位置を正確に把握している。つまり、侍郎が自ら察知できる範囲外に逃げ出している様なものである。

 相手の攻撃を避けるという意味で距離を置くということは決して間違っていないわけだが、この場合は『相手が悪すぎた』の一言に尽きる。

 

「……エグイね、悠元は」

「この程度のこと、爺さんは平気でやってたからな。寧ろそれよりも遥かに優しいぞ」 

「え、マジ?」

 

 固有の魔法や能力を使わずに現行の魔法を遥かに超える技量を有する悠元を相手にした段階で“詰む”という事態など、一体どこの誰が想定できるのかということであり、幹比古は無論のことエリカも若干引き気味な口調で述べた。

 尤も、人間の常識を遥か彼方へ置き去りにしてきた英雄の存在もあったりするが、そこまでは言及しなかった。

 

「魔法に頼り切って体力を付けないようでは、この先絶対に躓く。だからこそ軽運動部で渡しているメニューも各々に即した課題を克服するための身体能力を身に付ける鍛錬だからな」

「……両手足に各40キロの鉛板が入ったアンクルを付けた状態で、軽やかに動いている悠元が本当に凄いと思うよ」

 

 幹比古は疲れ気味な口調でそう述べたが、軽運動部における成長度合いで幹比古はレオに次ぐ成長度合いを見せている。なお、そのせいでエリカに嫉妬されて『ミキ呼びは止めない』という意固地にも繋がっている。

 当の幹比古本人も佐那から「私も“ミキ”と呼びたいです」というおねだりに屈したのか、そこまで口煩く言うことは無くなった……時折諦め気味に呟くことはあるが。

 

「その程度ならまだマシだ。一番大変だったのは、200キロのバーベルを振り回して槍の雨を防御しろという課題だった」

「いや、何ソレ。というか、持てるの?」

「一応はな……言っとくが、重量挙げの方法だと280キロが限界だからな」

「も、持てるんだね……」

 

 剛三の鍛錬によって一流のアスリートと遜色ない身体能力を得てしまい、沖縄の司波家の別荘でお世話になった際、食糧調達の一環で漁師の手伝いをしたら銛で大きいマグロを確保してしまった。そのマグロは個人だと食べきれないので一部は冷凍にして三矢家に送ったところ、父親が盛大に頭を抱えたのはここだけの話。

 




 嗜好は人によりけりですが、主人公の嗜好(コーヒーのブラックや紅茶のストレートは飲めない)は最初魔法面で優れている主人公のアクセント的な要素として取り入れましたが、改めて読み返したら詩奈に近い部分が出ているという……その辺は完全に示し合わせたように見えるかも知れませんが、単なる偶然です。マジで。
 

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