案内された茶室は中世でよく見る昔ながらのそれを模したものであった。剣術に茶道(エリカは『その道のプロからしたら、真似事程度でしょうけれど』だと零していたが)というのは似つかわしくないかも知れないが、剣のみならず、武道や芸術を修めた者が修行を通して培った縁によって文化に精通する側面が生じることも少なくない。
そんな千葉家の茶道との関わりはともかくとして、エリカが先に行くと、手には湯飲み茶碗を乗せたお盆を手にしていた。立っている意味も特にないため、悠元たちは静かに腰を下ろしていた。
「悪いわね、折角の茶室なのにお茶の一つも点てなくて」
「暢気にお茶を楽しめる場合でもないだろうに。エリカ、こいつが詩奈のCADに内蔵されたGPSの追跡ルートだ」
悠元が茶を飲みながら端末を操作すると、仮想モニターが茶室の壁に表示されて詩奈が第一高校から辿ったルートが詳細に表示されている。すると、悠元の台詞を聞いたレオが問いかけてきた。
「なあ、悠元。もしかしてだが、お前が俺たちに提供したCADにも搭載されているのか?」
「ああ。何分試作品とはいえ公に出せない魔法技術が搭載されている以上、セキュリティは万全にしとく必要がある。ちなみに、電力供給については幹比古が一番知っているだろう」
「……ああ、あれのことだね」
魔法師とて常にCADを使用しているわけではない。俗に言う“スタンバイ状態”の時にGPS機能が作動するようになっている。詩奈のCADの場合は聴覚制御の機能のオンオフに拘わらずシステムが起動するようになっており、動力源は昨年の九校戦で使った
「これを見ると、行き先は軽井沢。カートレインも使わずにか……悠元、いつ行くの?」
「今日の深夜に仕掛ける。移動手段は……俺が魔法を使う」
「成程、俺やエリカが経験したあの魔法なら早いか」
悠元ならば[
相手に魔法がバレるリスクも当然存在するが、そのリスクを回避するべく既に其方への根回しは済ませている。仮にバレたとしても、悠元からすれば数多の修得した魔法の一つでしかないという現状もあるわけだが。
「ただ、今回はちょっと趣向を凝らそうかと思ってな。ちょっと待っててくれ」
そう言って悠元が茶室を出ていき、1分も経たない内に戻って来た悠元が手に持っているのは大きめのスーツケース。それをエリカたちの前に置いた。疑問に思う彼らに開けるよう促すと、エリカが先陣を切る形でケースを開けた。中にはネックレスと思しきものが複数入っていた。
「悠元、これってCAD?」
「ああ。ちょっとしたギミック付きで、参考元はマクシミリアン・デバイスで開発された[スラスト・スーツ]だ。コードネームは[ブリッツ・スーツ]というらしい」
「……このCADがスーツ?」
物は試しということで、エリカがネックレスにサイオンを込めると、ネックレスが光り輝いてエリカの服を覆うように戦闘用スーツが展開された。
「どうだ? きつかったりはしないか?」
「寧ろフィッティングし過ぎて気味が悪いぐらいよ……何時サイズを測ったの?」
「それはCADが勝手にやってくれるからな。いくら何でも幼馴染の身体データなんて持っていてもしょうがないし」
伸縮率が高い特殊なゴムとカーボン素材によって、上限は存在するが魔法師の体格に合わせたフィッティングが可能となった。元々は次世代型[ムーバル・スーツ]に搭載する予定のものだが、真田に先日の非礼の代償として実験データを取る目的で提供させた。
CADの情報改変によって現実世界の収納まで可能にした悠元の技術は最早世界最高峰といっても過言ではない。だからこそ、悠元は世界最強という称号に興味を持とうとはしない。
エリカの様子を見て、レオと侍郎もネックレスでスーツを纏って着心地を確かめていた。幹比古については古式魔法の性質上、近距離戦闘自体がもしもの時を想定したものなので、スーツは着ない方向のようだった。
「こいつはすげえな。CAD展開にも支障が出ねえのはありがたいぜ」
「これは凄いですね……ちなみに、このネックレスは」
「そいつも試作品みたいなものだから、この作戦が終わったら返してくれ。流石に公に出来ない機能もあるからな」
そうやって説明している中、エリカはスーツがいたく気に入ったようであった。悠元の説明については些か不満げだったが、この技術の凄さを肌で感じ取ったからこそ渋々納得していた。
「エリカ。この一件が終わったらお前専用の戦闘服を融通してやるから、それで勘弁してくれ」
「え? いやー、催促しちゃったようで悪いわね」
「悠元、いいのかい?」
「どの道、またトラブルに巻き込まれないという保障なんて出来んからな」
悠元とて常に暇をしているわけではないし、達也絡みのトラブルにいち早く対処できる役は一人でも多い方が楽。なので、今回の実験データによって[神将会]の戦闘服をアップデートする対価として、エリカに旧式となってしまう戦闘服を譲ることとした。
それに、自分や達也を目の敵として敵意や悪意を向けてくる相手からして、非力の部類に入るほのかや美月を守る意味でも理に適っていると判断した。
「ついでに、レオと幹比古にも渡す。旧式にはなるが、現行の魔法技術でも最新鋭の戦闘服だから安心して受け取ってくれ」
「……なんだか、本当に受け取っていいのか怖くなっちゃったんだけど……何よ?」
「いや、怖いもの知らずも同然のエリカにしては慎重だなって思っただけだよ」
「同感だな」
自分の家の父親をあれだけボロクソに詰ることを躊躇わないし、ハプニングやトラブルに喜び勇む様な様子を見せることが多いエリカにしては物怖じするような“らしからぬ発言”に対し、幹比古が率直な感想を述べてレオも頷いて同意した。
「何でよ! 悠元のことだから危険なものは渡さないにしても、人間を辞めるようなものをポンポンと渡してくるのよ!? あたしが今まで学んできた千刃流の剣術だってとうにぶっ壊れたわよ!」
「魔法師に普通の人間はいない、って俺の友人が言っていたんだがな……ゴールデンウィークはみっちりしごくから覚悟しておけ」
千刃流に関してほぼ頭打ちとなってしまったため、新陰流剣武術を学ばせる意味で既に剛三と元継の許可は得ている。そもそも、横浜事変前のシゴキの時点でレオと共に新陰流剣武術の門を潜ったに等しい。でなければ奥義を教えるということにもならない。
なお、当人たちにこの事実は今まで伝えていなかった。理由は元継曰く『もう少し鍛えてから門下生と戦わせて判断したい』とのこと。
「……あの、悠元さん。自分は強くなります。詩奈をこの手で守り切れるぐらいに」
「そうか……そう決めたからにはやり遂げろ。半端な覚悟だと何もかも失うからな」
「はい!」
今までのぶっ飛んだ会話を聞いて侍郎にも何か思うところがあったのか、詩奈を守り切ると宣言したことに悠元は侍郎の肩に手を置いてそう告げた。気持ちの良い返事を聞いた悠元は、端末を仕舞い込んで一息吐いた。
「さて、最後の確認だ。今回はあくまでも三矢家による国防陸軍情報部への報復―――いわば私闘だ。お前たちが参加しても罪に問うようなことはさせないし、警察も動いてくれるわけだが……覚悟はいいな?」
ここにいる時点で覚悟は持っている様なものだが、主体となって動くのは三矢家。それも当主や次期当主の意向を受けずに動く独断行動に近い。仮に罪に問われても問題ない様に神楽坂家と上泉家の両当主が最前線に立つ。
悠元の問いかけに対し、エリカたちは顔を見合わせて頷いた。
「そんなの、今更じゃない」
「そうだぜ、悠元。お前には散々借りがあるんだ。ここいらで少しばかり返させてくれ」
「正直、借りを返すだけでどれぐらい働くべきなのか分からないけど」
「お前らなあ……達也みたく貸し借りの勘定なんかやめてくれ」
「あはは……」
彼らを強くしたのは悠元に他ならないが、それを勘定に乗せられても正直困るとしか言いようがなかった。これには侍郎が苦笑を禁じえなかった。
「あー、達也君ならその辺をキッチリしてそうよね。深雪もその辺を含めて誘惑してくるんじゃない?」
「誘惑ならまだいいが、服従を強請られたときは本気で頭を抱えたがな。結局達也からの頼みもあって受け入れる羽目になったが」
「……ゴメン。聞いたあたしが悪かったわ」
「気にするな」
さしものエリカでも深雪が悠元を誘惑するところまでは予想したが、深雪が悠元に服従したいと強請ったことを聞かされて、親友の気苦労を測らずも知った事に謝罪の言葉を口にした。
基本は単に甘えるぐらいなのだが、二人きりになると自らを下僕のような素振りを見せる。結局歯止めが掛からずに熱い夜を過ごしていることに、婚約者のご機嫌取りやストレス解消の一環だと思って無理矢理納得していた。
「まあ、侍郎も頑張れ」
「ここで自分なんですか!? いや、確かに心当たりはいくつかありますけど……」
余談だが、侍郎の婚約者は詩奈で決定しているが、姫梨の妹と矢車本家の純一郎の妹が愛人兼専属使用人候補となっている。魔法科高校で更にその候補が増えなくもないため、詩奈が嫉妬する頻度が増えることになるだろう。
更にもう一つ付け加えると、先日詩奈から『侍郎君が他の女子に興味を持つのはいいとしても、一番目でいられる方法を伝授してください』と相談され、一線を超えないようにする術式を提供した。
在学中に関係を持っても大丈夫にはなったが、侍郎が絞られるのは時間の問題となったことも含めてエールを送った悠元であった。
◇ ◇ ◇
FLTツインタワーマンション。北棟と南棟の上部にはそれぞれ達也と悠元の婚約者や愛人兼使用人が暮らしている。とはいえ、全ての婚約者が移り住んだわけではなく、現状は殆どの婚約者が住んでいるという状況で、将来は深雪と水波も住むことが決まっている。
会社にほど近い場所に住居を構えるというのは落ち着かない部分もあるが、悠元がこれまで培ってきたリモートワークの実績を生かして達也もその形で勤務する方式を取れるようになる。[トーラス・シルバー]はどの道公表することになるが、セキュリティの面を鑑みてのものである。
そんなマンション北棟では、悠元の婚約者たちが話していた。
「詩奈さんが連れ去られた?」
「うん。私はほのかから事情を聞いただけだけど、お兄ちゃんだけじゃなくエリカたちやお兄ちゃんの兄や姉も協力するって。今日の夜に片を付けるとか言ってたよ」
「それはまた、相手が泣いても許されん陣容じゃな」
セリアからその事実を聞かされたのは、ちょうどリビングにいた愛梨と沓子であった。セリアもほのかから生徒会の絡みで簡潔に事情を聞いただけなので、詳しいことは全て悠元から聞かないと分からない―――みたいな言い方をすると、沓子が溜息を吐きながら相手を『哀れだ』と心なしか思ってしまった。
「確か、一昨年の正月に悠元さんが連れ去られかけたことは父から聞いていましたが、同じ組織なのでしょうか?」
「見立てだと首謀者は同じみたいだね。警察が動くから、私たちは大人しく留守番しててくれって連絡されたよ」
関係各所に事情説明をする意味でも、下手に首を突っ込む方が面倒事になる。それを理解したからこそ、セリアは率先して留守番を決めた。これには別の意味合いも含んでいる。
「お兄ちゃんの婚約者は比較的実力がある面子だけど、達也の婚約者はそうもいかない。彼女たちを守るという意味でもここにいることは大事だと思う」
「流石に大袈裟な……とは言いたいが、悠元を態々誘拐しようとした奴らじゃからのう。わしらを誘拐して人質にすることも考えなければならぬ」
マンション暮らしをしている悠元の婚約者の中で、実力がまだ身に付いていない茉莉花とアリサを除けば、姫梨と夕歌、セリアに愛梨、沓子はいずれも実力面では一線級。だが、達也の婚約者の中には魔法の実力が乏しい者も少なくない。そこまで手を出したら“愚か者”でしかないが、ここまでくると何が起きても不思議ではないとセリアの言葉に沓子が同意した。
「そもそもの話として、国内でも有数の企業であるFLTを怒らせたら国防陸軍どころか空軍や海軍まで割を食うことになるんだけどね」
「それは確かに……」
魔法工学関連のメーカーは国内だけでも結構な数が存在するが、[トーラス・シルバー]を擁するFLTにおける国防軍への貢献度はかなり高い。その最たるものは重力制御術式を内蔵した飛行デバイスで、国内のみならず国外の魔法師部隊に採用されるほど。
このマンションは書面上FLTの敷地内に存在するため、関係者以外立ち入りを許されない場所に国防軍が如何なる理由で踏み込んだとしても、住人が“自己防衛”という形で魔法を使っても咎められない。万が一の場合は四葉家の鶴の一声で揉み消せる利点もある。
すると、リビングにもう一人の女性―――伊勢姫梨が姿を見せた。
「お、姫梨じゃない。周りは大丈夫?」
「ええ。強固な結界を張りましたので、一晩は大丈夫かと。ただ、由夢が早速捕り物をしたようで……」
「侵入者の類かのう?」
「いえ、偶然だったようです」
姫梨の説明によると、放課後に由夢と修司が街で買い物をしていた際に危うく連れ去られそうになっていた千秋と栞を助け、相手を路地裏に誘いこんで容赦なく叩きのめした。その際、修司が襲撃した相手の一人の顔を覚えており、身元照会を実家の宮本家に問い合わせた。この一件は神楽坂本家の方にも伝わっている。
「偶然とはいえ、まさかそこまでやるとは……その相手は何者だったのですか?」
「国防陸軍の退役軍人のようで、どうやら情報部に弱みを握られて已む無く踏み切ったようですね。身柄は九重八雲和尚にお任せしたとのことらしいです」
「……悠元の気苦労も偲ばれるの」
「全くだね」
もうスリーアウトどころか一発退場の領域にまで踏み込んでいる上、事の次第は既に剛三にまで伝わっている、と姫梨は述べた。情報部どころか十山家が明日の朝日を拝めることなく消え去ってもおかしくない有様に、四人は揃って溜息を吐いた。
「お兄ちゃんがあれだけ昇進を嫌がったのも分かる気がするよ……いくら特務の非常勤職とはいえ三軍の将校クラス兼務なんて普通じゃないもの。お姉ちゃんでも少佐で留め置かれてるっていうのに」
「スターズで元中佐だったセリアがそれを言いますか」
「別にそれを望んで魔法を鍛えてたわけじゃないから。名誉とか権力なんて人の嫉妬を買うには一番分かりやすい代物だもの。それを分かってない大人たちはいっぺん熱湯風呂で3分耐えきってみせろって言いたくなるね」
セリア自身の素性は他の悠元の婚約者にも共有されており、悠元の国防軍における立ち位置も婚約者たちに明かされている。事の重要性は階級の時点で察することが出来るため、揃って秘匿している。
いくら魔法に優れていると言っても、見えない力を恐怖に思う他者が少なくない以上は下手に目立ちたくない。だが、下手に拘束されないためには階級が高くならなければならない。名誉や権力のジレンマをリーナの傍にいて一番感じていたセリアの言葉に、他の三人は苦笑を漏らしたのだった。
別に情報部を辱める意図は無いのですが、相手が喧嘩を売ったのだから買っただけという始末。今回出した魔法技術はありなのかという疑問が出て来るでしょうが、続編であんな展開になってると、多少のファンタジー要素は別に出てきても大丈夫かなと思いだした次第です(続編関連の展開ネタバレになりそうなので細かくは言いません)。