おおよそ2時間後、宮殿の私室に招かれたのはプラチナブロンドの綺麗な髪を持つ女性。風貌からすれば女性というよりも少女のようなあどけなさを垣間見せているが、これでも既に20歳という事実だけでなく、政府機関の人間として働いている人物。
「アニー、よく来てくれたわね。さ、座ってちょうだい」
「え? ですが……」
「ここには私と爺やと貴女しかいないもの。なに、私を殺す?」
「そ、そんな滅相もございません!!」
言っていい冗談ではないだろうが、エリーは“アニー”と呼んだ女性の緊張をほぐす意味でも言い放ち、これには彼女も『そんな考えなど一切持っていない』と反論も含めた言葉を返した。それを見た執事はメイドを呼び出し、何か耳打ちをして下がらせた。
ほどなくして茶菓子と紅茶が運ばれ、互いに向き合う形でソファーに座り談笑を始める。そして雰囲気が落ち着いたところでエリーが切り出した。
「さて、アニーには爺やから触り程度の説明を受けていると思うけど、貴方の祖父が大西洋上のUSNA軍空母に出向くことになりました」
「大西洋? アフリカ絡みですか?」
「表向きはそうだけれど……ご時世を考えると、例の宇宙開発計画に関するものだとみて間違いないわ」
[エシェロン]の基本ネットワークにイギリスは関与しているが、現行の[エシェロンⅢ]については専らUSNAの専売特許のような形となっている。ケンブリッジ大学の客員教授として送り出した[十三使徒]ウィリアム・マクロードが、先日ディオーネー計画を理由として国外への出征許可を政府と王室に求めた。
「あの計画ですか……何故祖父があんな計画に賛同したのか理解に苦しみます」
「貴女がそう言うってことは、概要は見たのね?」
「何分、職務の範疇にあったものですし、魔法師が関わるとなると無視はできませんから」
先日のオーストラリア軍の一件や新ソ連の戦略級魔法、そして大亜連合軍のアフリカ侵攻によって、秘密情報部もより一層の緊張を余儀なくされていた。その中で持ち上がったディオーネー計画は、一見すると反魔法主義に対する大義名分を掲げているように聞こえる。
「あの計画は、いわば悪魔の計画とも言うべきもの。小国の魔法師を奪い、大国の覇権を揮う先に待つのは、四度目の世界大戦で済めばいいものだと考えております」
「世界規模の戦争で済めばいい……確かにそうね。殊更戦略級魔法なんてものが存在する以上、それが今まで無秩序に放たれてこなかっただけ平和だったのかもしれないわ」
別に国際魔法協会そのものが機能していないわけではない。だが、協会の組織自体は“核兵器ならびにそれに準じる魔法の抑止”を謳っていても、今まで実効的な効力を発揮した例が存在しない。
第三次大戦となった世界群発戦争の時も、超法規的な国際部隊によって抑止に成功したという事例であり、その一端を“四葉”が担っていた。そして、英雄と呼ばれた二人の人物も日本という小国で生まれ育った魔法師であった。
「率直に聞かせて。アニーはこの計画が真っ当な目的で立てられたと思う?」
「いいえ。恐らくは、日本の“アンタッチャブル”を排除しようと目論んでのことだと考えています。これは上司も同意見でした」
その噂がどれほどの信憑性を持っていたのかは不明だが、結局のところ『四葉』の悪名は一種の“抑止力”として世界の戦争を制御していたという一因にも繋がっていた。
「話を聞けば、かの英雄たちも既に高齢と聞き及んでいます。これで四葉を排除できれば、第二次大戦のようなことは起きないとみているのかもしれない……というのが、ディオーネー計画を踏まえての情報部の見解です」
「そう……USNAも新ソ連も哀れね。無論、それになし崩し的に巻き込まれた我が国もだけれど」
エリーはカップの紅茶を飲み干し、カップを置いた上で淡々と述べた。
王室の長となった彼女からすれば、祖国の安寧を乱す様な行為など許せるはずがない。だが、魔法協会はおろかこの国に古くからいる魔法師の家々は積極的に動こうとしない。いくら秘密主義と言えども、非魔法師から謂れなき誹謗中傷を浴びせられて黙っていることの方が“愚か”だと非難したかったほどだった。
「その事態を打開するためにも、アニーもとい“エージェント・ヴィンセント”にはマクロード卿の護衛としてエンタープライズに赴き、向こうの大統領から派遣されたUSNAのエージェントと接触。暫くは向こうの大統領府が貴女を匿ってくれるから、時期が来たら帰国して頂戴。何か質問はある?」
「時期というのは具体的に?」
「そうね……向こうの魔法師が何らかの事情でUSNAを出なければならなくなったときね。言っておくけど、亡命とかの類じゃないから安心して」
「は、はあ……」
秘密情報部のエージェントとしてはらしからぬ反応だが、そこまでの事態になることを見越しての物言いの為、アニーもといアニエス・ヴィンセントは静かに頷くことしかできなかった。
「その辺の段取りはフランスも関与するから、貴女は無事にイギリスへ帰ってくることだけ考えておきなさい。『いい加減結婚しなさい』って小母様にも言われているのでしょう?」
「うっ、それを言ったらエリーもじゃないの!!」
「あらら、やっと素の言葉が聞けたわ」
「むー……そのまま独身貴族を続ける気なの? それこそエリーのお兄様たちに言われるじゃない」
ここまでずっと他人行儀だった言葉遣いがやっと崩れたことにエリーは笑みを零し、痛いところを突かれたアニエスは反論するように言葉を紡ぐ。
それを聞いたエリーは臆することなく言葉を続ける。
「結婚はしないけど、お目当ての男性から子種だけもらうつもりだから」
「え? 冗談だよね? そこまでして相手を捨てるってこと?」
「相手にも立場があるから、無理に来てもらうのもねえ……爺や、晩夏か秋に行けるように調整しておいて」
「……畏まりました」
その会話が交わされたころ、遠く離れた国にいる“お目当ての男性”が悪寒を覚えたのは言うまでもない。
◇ ◇ ◇
アメリカ、イギリス、新ソ連がディオーネー計画に関して動きを見せている中、日本国内でも慌ただしい動きがあった。尤も、自主的なものというよりは外からの情報に振り回される形だが。
日本魔法協会の会長には百家の
現在の会長は
『元々持ち回りみたいなものだから』という軽い気持ちで引き受けたわけだが、ここにきて昨年の自分を呪いたくなるような衝動に駆られ、頭を抱えている翡翠。その理由はディオーネー計画にある。
いくら大国の一つにして現代魔法の先進国であるUSNAといえども、魔法を用いての宇宙開発計画の推進自体はまだしも、他国の魔法師―――それも戦略級魔法師[十三使徒]を
ところが昨日、その[十三使徒]であるイーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフがディオーネー計画参加を表明したことで、猶予が一気にゼロになった。それもUSNAにとっては最大のライバルである新ソ連の魔法師が。
魔法を宇宙開発という人類の人口増大に対応するための壮大な計画は、一見すれば魔法の平和利用という点で魔法協会の理念に沿っている。反魔法主義者は魔法が見えないことを理由に、非魔法師を殺傷する武器だと主張することで一定の支持を得ている。これに対抗するには、一過性の自然災害の阻止程度では止めきれない。その意味でディオーネー計画は一定の説得力を有している。
プロジェクトの成功の可否に拘わらず、魔法の平和的かつ未来への展望を切り開くための道に成り得る。対立している二大国が協力しようとしている姿勢を見せる中、“仮にも”USNAと軍事同盟を結んでいる日本が参加を拒否するなど有り得ない。保留することすら不可能。一刻も早く[トーラス・シルバー]を名乗っている高校生を
実を言えば、翡翠は[トーラス・シルバー]の正体を知っていた。USNAの大使館員が彼女の下に手渡しで届けた。古風にも封蝋が施された書状に書かれていたのである。
翡翠は抱え込んでいた頭を上げた。嘆いているばかりでは何も解決しない。厄介事を肩代わりしてくれるようなヒーローのような存在もいない以上、悲劇のヒロインのような振る舞いをしても何も解決することなど無いのだから。
悩んだ末に翡翠は魔法協会の会長が持つ特殊な権限を行使することとした。
―――『臨時師族会議の招集』
翡翠は専用回線を使い、十師族当主にオンライン会議開催を呼びかけた。一方の十師族当主達も予見していたのか、招集から1時間後、翡翠の見つめるモニターには、神楽坂、上泉、一条、一色、二木、三矢、四葉、五輪、六塚、七草、七宝、八代、十文字の各当主が揃っていた。
『十文字殿、先日の怪我は完治なさりましたか?』
『はい。その節は大変ご迷惑をおかけいたしました』
『既に解決したことですので、お気になさらず。おっと、失礼いたしました十三束会長。此度の緊急招集について事情をお聞かせ願えますか?』
変に緊張を避けるべく、悠元は克人と言葉を交わした上で翡翠に謝罪しつつも召集の本題を切り出すように促した。相手がいくら息子と同じ学年の男子とは言え、既に一家の当主にして師族会議議長の重責を九島烈から認められた人物。
威圧的ではなく、諭す様に尋ねてきたことで翡翠の緊張もいくらか解れたのか、正直に言葉を発し始める。
「御当主の皆さん、お忙しい中、速やかに集まって頂き感謝しております」
『丁寧な挨拶は受け取るが、そこまで火急の用件となると……やはり例の宇宙開発計画に関する話と受け取って宜しいか?』
「は、はい。USNAの技術者が提唱した金星開発の話になります」
翡翠の言葉に対し、ここで問いかけたのは元継だった。護人は魔法協会の動向も具に観察しており、彼女の為人も既に把握している。その為、率先して声を掛けることで翡翠から情報を引き出そうと考えての行動であった。
「昨日、新ソ連がプロジェクトへの参加表明を行ったことで、日本魔法協会としても早急な対応を余儀なくされてしまいました」
『何故協会が? エドワード・クラークなる人物は個人の参加を呼び掛けていた筈ですが』
ここで翡翠に問いかけたのは七宝拓巳。すると、ここに差し込む形で八代雷蔵が声を発する。
『そうは言いましても、日本人が一人指名されてしまいましたからねえ』
『それは向こうの都合だろう。我々が従う義理など存在しない』
「ところが、そうもいかないんです」
雷蔵の言葉に対して強気に発言したのは六塚温子。それを聞いて内心ビクビクしつつも発言したことで、視線が一斉に翡翠の方へと向けられる。モニターによる対面形式だから仕方がないこととはいえ、ここまでくれば一緒と破れかぶれながら言葉を続ける。
「現在魔法師は、平和の敵という謂れなき非難を浴びています。幸い、この国における反魔法主義の運動は下火となっていますが、このぬるま湯につかっていてはいずれ諸外国から非難を浴びることになります」
諸外国に比べれば、日本は非魔法師の反魔法主義がかなり抑えられている。無論、翡翠はこの功績の一端が[トーラス・シルバー]によるものだと理解はしている。
「クラーク博士のディオーネー計画は、魔法を軍事利用以外で人類に寄与することが出来る格好の材料となるのです。国際魔法協会本部は、ディオーネー計画に対する全面的な支援を表明する準備に入っています」
翡翠の述べた中には、既にUSNAと新ソ連の魔法協会が独自のプレス発表を準備していて、更にはドイツがUSNA政府にローゼン・マギクラフト単体ではなく複数の魔法技術関連企業による連合による参加を打診している、という文言まで付け加えられた。
『それで、どうするのですか? その当該人物を我々に探し出して参加を強制しろと?』
「……実は、探し出す必要もないのです」
娘を戦略級魔法師としてもつ五輪勇海の問いかけに、翡翠は変な力みを有して言葉を発した。そして、彼女の目線はその一角にいる真夜に向けられていた。
「[トーラス・シルバー]は四葉殿―――貴女のご子息ですね?」
当然、その問いに真夜は言葉を発しない。『何故そう思われるのですか?』という無言の圧力を画面越しに放っている。
「アメリカ大使館から書状を受け取りました。本人が未成年であることを鑑み、今のところ氏名の公表は控えるから、その代わりに[トーラス・シルバー]こと司波達也氏の説得に力を貸してほしいと」
『体のいい脅迫だな』
翡翠が述べた内容に対し、不満を露わにしたのは一条剛毅。無論、表情からして快く思わぬ人間は数多くいた。その中の一人は無論、その当該人物と近しい関係にある悠元であった。このまま通信を抜けさせるような展開はマズいと考え、声を発する。
『口を挟ませていただくが、十三束会長に何点かお伺いしたい。宜しいか?』
「神楽坂殿? は、はい、構いません」
『では、まず一つ目。今回の件は周囲の圧力に巻き込まれてのことだと思うが、ロンドンにある国際魔法協会本部から正式な説得の通達は来ていたか?』
「……い、いえ、来ていません」
これは翡翠自身、周囲がディオーネー計画への発表準備に流れが傾く中でそう判断しただけで、国際魔法協会から日本魔法協会に対して[トーラス・シルバー]の参加を強制するような圧力が掛かったわけではない。
とはいえ、USNA大使館の職員が態々出向いて手渡したとなれば、その重みは確かに重いのだろう。
『では二つ目。現時点でその書状以外にUSNA政府もしくは日本政府からの[トーラス・シルバー]の参加要請は来ていたか?』
「……いいえ」
『では最後にだが……仮にその書状の通りに司波達也氏を差し出すとして、日本魔法協会は四葉家のみならず十師族に対して如何なる対価を支払うつもりか? 言っておくが、栄光や名誉という“俗物”だと言うのなら、この場で通信を切らせていただく』
「そ、それは……」
魔法は人間の有する
彼女とてボランティアでやっているわけではないのに、達也にボランティアじみた事をやらせる時点で『ブラック企業と大差ない』とディオーネー計画を評価してしまうことになる。尤も、魔法の平和利用という名分に眼が眩んでいる大人たちがいるのも問題だが。
『別に十三束会長を責め立てる気はない。だが、日本魔法協会として明確な対価を示せないとなれば、師族会議議長として司波達也氏をディオーネー計画に送り出すことなど出来ない。上泉殿、私は別件がある為に後は任せます』
『……承知した。神楽坂殿も苦労を掛ける』
事の次第を元継に任せると、悠元が通信を切った。周りの当主達が様々な反応を見せる中、真夜は自分の言いたい言葉を代弁してくれたことに笑みをこぼしていたのだった。
前半は英国内での動き、後半は日本での動きとなります。後半の事情説明は追々本文にてやりますので悪しからず。