十三束が翡翠に怒られたその日。十三束については百山に掛け合って『身内の見舞い』ということで木曜と金曜の授業を公欠として計らう様にしておいた。そして、十三束家の当主にも事情を説明しておいた。
流石に当主も事情を聞いて顔を蒼褪めていた。一歩間違えれば十師族でも最強格の四葉家を敵に回すところだっただけに。そして、十三束を公欠にする理由も述べると、十三束家当主は深く頭を下げて感謝した。
悠元は行きこそ[
このマンションには悠元が[ミラーゲート]を使用する前提の小部屋も用意されており、そのキーは悠元にしか開けられない。キーを通して玄関に入ると、帰宅を待ち構えていたように私服姿の深雪が待っていた。
「おかえりなさいませ、悠元さん。十三束君とはお話が付きましたか?」
「そっちは彼の母親に任せた。俺や達也が説明するよりは受け入れられやすいと思ってな」
冷静に判断させるとなれば、悠元や達也が説明するよりも身内に説明させた方がまだ聞く耳を持つだろうと判断し、十三束を京都に置いてきた。親子揃って頭を冷やしてもらうことで、余計なノイズを取り除くというものだった。
悠元はそのまま自室に入って私服に着替えると、リビングに降りたところで珍しく茉莉花が抱き着いてきた。
「―――ミーナが抱き着くのは珍しいな。何か相談事でもあるのか?」
「まあ、あるにはあるけど……アーシャばっかりズルいし」
「別に俺から抱き着いている訳じゃないんだがな……」
一同が揃って夕食の時間を過ごし、シャワーを浴びてから茉莉花の部屋を訪れると、部屋にはアリサもいた。そして、テーブルの上にはマーシャル・マジック・アーツ関連の雑誌が開かれた状態で置かれていた。
「お兄ちゃん。見て見て!」
アリサが嬉しそうに雑誌の一つを見せると、ゴールデンウィーク明けに行われたマーシャル・マジック・アーツの中学関東大会でアリサが優勝、茉莉花が準優勝という結果が書かれていた。
アリサは元々争いを嫌う性格だったはずだが、自分のこともあってか茉莉花に対して親友兼ライバルという関係を構築しているようだった。
「アーシャが優勝か、凄いじゃないか。でも、俺に見に来てほしいなんて言われた記憶がないんだが……俺が忘れていたのなら謝るが」
「いや、悠兄は悪くないよ。アーシャったら、悠兄に見られて無様な結果に終わったどうしようって悩んだ結果として悠兄に伝えなかっただけだし」
「ちょっと、ミーナ!!」
大好きな人の前で恥を掻きたくないという心情は理解できるため、こればかりはアリサを責めることも出来ないと思いながら、アリサの頭を撫でた。
「何にせよ、次は全国大会か。何時なんだ?」
「うん。次は7月の予定だけれど、九校戦が中止になったから開催時期の延期もあるって」
「そっちにまで波及しているのか……ん?」
確かに、メディア放映も含めれば魔法競技会としてビッグイベントとも言えなくはない九校戦が中止しただけに、他の魔法競技の大会にまで影響が波及するのは当然の流れとも言えた。悠元は久しぶりに雑誌を読み進めたところで、気になる記事を見つけた。
それは、関東大会と同日に行われた中部大会(北陸・中部・東海地方)の結果で、圧倒的な強さを見せつけて優勝していた一人の少女の姿があった。名前は一条茜―――悠元の婚約者の一人だった。
茜とは面識を持っている為、二人も茜の姿に気付いて声を上げた。
「この人って、ゴールデンウィークあたりにお兄ちゃんに会いに来た人だよね?」
「そうだな。って、この記事は見てなかったのか?」
「私たちの活躍の記事を見たくて買ったものだから、他は飛ばして読んでたんだよね」
「成程」
にしても、茜にも『見に来てほしい』と誘われた覚えはないので、こちらもある意味アリサと同類かも知れないし、思春期特有の恥じらいと言えるかもしれない。せめて、この恥じらいを少しでも他の婚約者に持ってほしいと思ってしまうところもあるが、ここまでのことになった以上は諦めることも肝要なのかもしれない。
「そういえばこの前、茜ちゃんから連絡が来てさ。お兄さんに関する愚痴を聞かされたよ。あたしも兄貴のことがあるから、その意味で意気投合しちゃって」
「あ、あはは……」
「まあ、仲がいいに越したことないがな」
茜の兄である一条将輝と茉莉花の兄である遠上遼介(十神遼介と呼ぶべきかもしれないが)。二人とも現在は十師族の直系で、互いに想う人がいるという現実。しかも、その対象を両方とも悠元は知っているという有様。
「そういえばさ、悠兄。兄貴が何しているか調べられる? あたしは勿論、父さんや母さんも分からないって言ってるし、師族二十八家に復帰して十神の名字を名乗った以上は放置するわけにもいかないし」
「知ってるが、聞きたいか?」
「……う、うん。何か嫌な予感はするけれど」
茉莉花の言い分には筋が通っており、[
「結論から言うと、遼介さんは生きてる。そこはいいんだが……バンクーバーにある魔法結社[
「魔法結社の構成員? 何でまた……」
「そのトップがレナ・フェールという女性で、調べたところによると、遼介さんは彼女に惚れて結社に入ったようだ」
悠元から言い放たれた衝撃の事実を聞いた茉莉花の反応はというと、ゴンッという音と共に、盛大にテーブルに突っ伏した。これにはアリサも気遣う様に声を掛けた。
「……えっと、ミーナ? 大丈夫?」
「あのばがあにぎー……いっだいなにやっでるのよ……」
テーブルに突っ伏しているせいで、茉莉花の答えがまるで呪怨を唱えるのかのような濁点交じりに聞こえていた。
ただ、茉莉花の気持ちも分からなくはない。身内が無事なのはまだしも、海外で女性に現を抜かした挙句、向こうで魔法結社の構成員になってしまったのだ。安心というより、心配するだけ無駄だったという表現が一番妥当なのが今の茉莉花の心情だった。
暫くすると茉莉花は起き上がったが、先程突っ伏した影響で額のあたりが少し赤くなっていた。
「茜ちゃんのお兄さんといい、自由な兄貴を持つと苦労するよ……今からでも悠兄が本当の兄貴にならないかな」
「婚約者兼義理の兄って、すでにアーシャがそうなってるんだが……てか、ミーナも俺からしたら義理の妹みたいなものだし」
「じゃあ、問題ないね。ついでに悠兄の子どもが」
「それは道徳と倫理と法律を勉強してからにしようか?」
流石に中学2年の二人(茜も含めると三人)と関係を持ってしまったことは実家の件もあるので諦めたが、最後の一線を越えるのはマズいというか法に触れることとなる。公だと恥じらいを持っていても、プライベートで簡単に枷を外してしまうのは如何なものか……と訝しんだ悠元だった。
「へっくしゅん!……うーむ、風邪かな?」
そして、噂されているとは露知らず、盛大なくしゃみを発した青年がいたのであった。
◇ ◇ ◇
2097年6月6日、木曜日。悠元と達也を巡る情勢に大きな変化があった。
インド・ペルシア連邦における魔法研究の中心地、旧インド中南部のハイダラーバード大学に勤める魔法工学の第一人者にして、同国の持つ戦略級魔法[アグニ・ダウンバースト]開発者として知られている女性研究者、アーシャ・チャンドラセカールが記者会見を開いた。
『―――以上の理由により、私たちはUSNAの金星開発計画ではなく、日本の恒星炉計画を支持します』
この時点で、既にSSAとフランス、ドイツが揃ってSTEP計画を支持し、これによってドイツのローゼン・マギクラフト社長であるフリードリヒ・ローゼンも公式声明で『ドイツ政府の方針に従い、ディオーネー計画への参加を中止して日本のSTEP計画に賛同する』と公表している。
ここにきて更に追い打ちを掛ける形で口火を切ったのが、インド・ペルシア連邦だった。日本とはSEPAによって経済的な繋がりを有するだけでなく、既に[恒星炉]の恩恵を受けている当事国として、今後も水素ガスの安定供給を取り付けるという意味を持つのは言うに及ばずだった。
南半球側の二大国が声明を発表したという事実だけでなく、さらに追い打ちを掛けるようにアラブ同盟、アフリカ連邦、東南アジア同盟も声明を発表し、日本の恒星炉計画を支持する動きに回った。更に、アフリカ連邦大統領が日本を電撃訪問し、水素発電技術と燃料用水素ガスの輸出枠の契約を日本政府と結んだことを二国の首脳による記者会見で公表した。
そして、STEP計画を支持する動きは世界各地に飛び火していった。その一つが、トルコの戦略級魔法師―――[十三使徒]の一人であるアリ・シャーヒーンがUSNAとフランスのメディアのインタビューに応じた映像が流れたことだ。
生中継とはいかなかったが、同日の内にUSNAや東西ヨーロッパのメディアを通じて映像が流れた。
『―――では、トルコ政府はUSNAの宇宙開発計画に他国民の参加を強制するべきではないとお考えなのでしょうか?』
『いいえ。これはあくまでも私個人の見解ではございますが、魔法の平和利用は宇宙に活路を見出すという道一つに決めるべきではないと考えております』
インタビュアーの問いかけに対し、シャーヒーンはディオーネー計画に対して消極的な意見を述べた。
『例を挙げるとすれば、日本のSTEP計画と呼ばれる次世代エネルギーラインプロジェクトが発表されました』
『それは、先日チャンドラセカール博士が名を挙げていたプロジェクトですか?』
『ええ。このインタビューを聞いているであろう皆さんは御存知でないかも知れませんが、重力制御術式による核融合炉は現代魔法研究において難問とされていたものです。司波達也や神楽坂悠元という二人の青年は、これに目途を付けるばかりか既に実用化していて、インド・ペルシア連邦やアラブ同盟がその恩恵を受けていると耳にしています』
大半の非魔法師からすれば、核融合発電に関する知識を持つのはそれこそ専門分野を齧った人間でなければ知る筈もない事。シャーヒーンはそのことを念頭に置いた上で、悠元と達也の名を挙げた上で彼らの功績を誉め立てるような口ぶりを見せた。
『では、トルコもその恩恵に与りたいと思っていらっしゃるのでしょうか?』
『今すぐに、というのは難しいかもしれません。ですが、我が国と日本は浅からぬ縁があります。その縁と祖先たちの恩を仇で返す様なことなど許されませんし、魔法の平和利用として声を上げてくれたのならば、その芽を摘み取る様な行為は許されない。私はそう思っております』
昔に自分らの祖先を救ってくれた恩人である東洋の国。その恩と縁を大事にしたいというシャーヒーンの言葉は、欧州のみならずUSNAの人々に広く受け入れられた。
◇ ◇ ◇
世界の各国がSTEP計画への支持を表明する一方、ディオーネー計画の側にいる人間としては面白くない顔をするものもいる。エドワード・クラークは無論だが、それに協力している新ソ連側としても、同様の意見を持つ者は少なくない。
ただ、原作と唯一違う点を挙げるとするならば、[十三使徒]の一人であるレオニード・コントラチェンコ少将はSTEP計画に一定の理解をしつつ、画面の向こうにいる同じ[十三使徒]のイーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフを見ていたことに他ならない。
「シャーヒーンの小僧の魂胆は分かっておる。奴の言葉全てに嘘偽りがあるとは思えんが、これ以上USNAと新ソ連が接近するのを良しとしていないのだろう」
アリ・シャーヒーンの年齢は30歳。70歳を超えているコントラチェンコからすれば『小僧』と呼称しても不思議ではない。
「ディオーネー計画で我が国とUSNAが協力体制に入ったと見做しても特段不思議ではあるまい。既に各方面でディオーネー計画そのものに対する疑問が噴出しているこの時期に、あの小僧は負の印象を更に強調することで、ディオーネー計画を頓挫させようと狙っておるのかもしれん」
『日本に使嗾されたという可能性はありませんか?』
「それはない。シャーヒーンにトルコ国外の者が接触すれば、儂には分かります。今回のことは、小僧が自分でやったことだ」
ベゾブラゾフの可能性の問いかけに対し、コントラチェンコは明確に否定した。国家公認の戦略級魔法師であるアリ・シャーヒーンの情報は逐一把握しており、とりわけ黒海を挟む形で対峙しているコントラチェンコにとっても、彼の動向は死活問題とも言えた。
『それにしては、タイミングが良すぎませんか?』
「日本のエネルギープラント計画が発表された後、相次いでSSAとフランス、それにドイツまで日本の支持に回った。恐らくですが、
先週水曜の時点では、日本単独のものだった計画。だが、いざ蓋を開けてみれば、既にインド・ペルシア連邦とアラブ同盟が事業の恩恵を受けており、更には南アメリカだけでなくディオーネー計画の協力者リストに入っていたドイツまで味方につけて切り崩した挙句、イギリスと同じ西EUに属するフランスがSTEP計画の支持を表明した。
ここまで複数の国家が介在するとなれば、シャーヒーンとしても反論の材料として申し分なかったのだろう、とコントラチェンコは冷静に呟く。
「その時点である程度渡りを付けておいた。本人が直接国外の者と接触するのではなく、恐らくトルコ政府を介在させる形でメディアに取材の申し出を行ったとみるのが妥当だろう。それで博士、如何なされるつもりか? 最早エドワード・クラークは当てにならぬと思うが」
コントラチェンコの推測にベゾブラゾフは一切反論しなかった。恐らく、同様の結論に至ったのだろう。そして、エドワード・クラークが国際世論の工作に失敗したと判断した点では、コントラチェンコもベゾブラゾフも同じ意見だった。
『今日にでも、ウラジオストクへ向けて発ちます。今度は[イグローク]を連れて』
「……今回は本気ですな」
『ええ。未だ不明である日本の戦略級魔法の存在もありますが、判明しているものでも排除しなければ、何時我が国に牙を向ける戦略級魔法を放置すべきではないと判断しました』
「せめて、御武運を祈っておりますぞ」
そのやり取りで通信が消え、ブラックアウトした画面にはコントラチェンコの表情が見えていた。周りに誰もいないことを確認した後、頭を抱えていた。
ベゾブラゾフが[イグローク]を連れて行くという意味は理解しているし、そこまでして彼が失敗するという可能性は低い……これは
では、日本を相手にした場合の勝率はどうなるのか。
現在、最大の脅威である司波達也を除けば、かつて戦略級魔法の使い手で名を馳せた上泉剛三は現在日本国外にいる。日本の[十三使徒]である五輪澪の[
最大の懸念は、USNAが[シャイニング・バスター]と呼称している日本のもう一つの戦略級魔法の正体が何も分からないという点。まるで、かつてコントラチェンコが味わった剛三による蹂躙劇のような不気味さをどうしても拭い去れなかった。
「仮に成功したとしても、新ソ連が滅ぼされる未来しかないことを分かっておるのか、
コントラチェンコはベゾブラゾフがエンタープライズから戻った際に詳細を聞かされることは無かった。聞かされたのはあくまでも司波達也が戦略級魔法師という事実だけであり、彼が四葉家の次期当主だという事実は知り得ていなかった。
もし、この情報がコントラチェンコに伝えられていたら、彼は間違いなく『“
「……万が一の場合は、儂も覚悟を決めねばならん。ナターリヤ、すまんな。儂は
コントラチェンコが何を覚悟したのか……その魂胆を知る者は、彼以外に誰も存在しないのであった。
前半は息抜き程度プラス茉莉花に兄:遼介の行方を知らせました。原作だと続編の方で判明する形になりましたが(流石に日本にいたらバレるのも時間の問題でしょうが)。
後半は世界情勢と新ソ連方面の動き。コントラチェンコは原作と異なり、剛三による新ソ連軍の殲滅劇をその目で見ている人物だからこそ、ベゾブラゾフに対しては『成功を祈る』というよりも『日本の現実を知って欲しい』という思いが込められていたりします。
そして、最後のコントラチェンコの言葉が意味を持つのは、まだ先のことになります。