日ノ本の国における最高峰と呼ばれた陰陽師、
安倍氏と賀茂氏、そして皇族の血筋を継ぎ、この国を陰から護る者―――
そして、三代目当主であった
だが、身体と精神を極限まで研ぎ澄ませることで漸く顕現に至るとされる天刃霊装は、第三代以降の当主が顕現に至ることは無かった。神楽坂光明が幼少期に武術の指導を後の武家から教わっていたことが後世に伝わらなかったのも、永らく天刃霊装の存在が世に出なかった原因でもあった。
その長き沈黙を最初に破ったのは、神楽坂家の神楽坂千姫と神楽坂奏姫、同じ護人の上泉家の人間―――上泉剛三の三人。だが、彼らは天刃霊装に至ってもその解放段階を踏むまでには至らなかった。
天刃霊装の[
現実にあるかどうかも分からないとされた二つの解放の扉を開けたのは、神楽坂家第108代当主・神楽坂悠元。そして、彼はその二つの扉を開けるための鍛錬法まで編み出してしまった。
最早、神楽坂家当主足り得る功績を叩き出した彼を羨む者は居れど、それに対して不満や不平を唱えることは許されない。だが、それでも文句を述べたい輩がいるのは別におかしなことではない。
何せ、先代当主の姉の孫という本家筋から見れば傍系の血筋。無論、彼を養子にした千姫にもそう言った声が出るのは想定の内。だからこそ、千姫は厳しい表情を目線の先にいる面々に向けていた。
「さて、息子に継がせて漸く穏やかな老後を過ごせるかと思えば、この体たらくとはの。どう落とし前をつける気なのか述べてもらえるかのう? 宮本殿に高槻殿」
「「申し訳のしようもございませぬ」」
状況を簡潔に説明すると、神楽坂本家の大広間で上座に座って気だるそうな表情を見せている千姫に対し、深く土下座をしている宮本家当主・
どうしてこんなことになっているのかと言えば、発端は悠元が昨年正月に見せた天刃霊装[
その後、同じく天刃霊装が使える宮本家三男の修司と高槻家次女の由夢を巡った御家騒動にも発展し、結局は二人が新たな家を興す形で決着を見たわけなのだが、今度は天刃霊装の存在で割を食った連中―――主に宗司の息子たちや寿人の息子たち―――が天刃霊装の顕現を“過ぎた力”だと主張して悠元を排除するように迫った。
それを『星見』や『九頭龍』経由で知った千姫が静かにキレて、両家の当主に『直ちに本家へ来い』と簡潔な召喚命令を送り付けた。そして、今の状態に至るという訳だ。
「妖が出てくるリスクが避けられなくなったこのご時世に、漸く世に出た天刃霊装を捨てろというか……主等の愚息共は時勢が読めぬのか? これ以上おいたが過ぎるなら、今すぐ家の縁を切らせるぞ」
「……弁解のしようもございませぬ。先代様のご処置に従うまでのことだと覚悟しております」
「右に同じくであります」
慶賀会の時は悠元が怨恨を持たないために穏便な対処を求めたので、両家はそれに従って厳しい説教を彼らに行った。だが、それで逆に“力を捨てろ”という同調圧力を生み出したことについては、千姫の耳に入った時点で自身の進退も極まったと両者は覚悟してこの場に出向いた。
千姫は左手に持っている扇子を器用にクルクルと回し始めた。
「悠君はそこまで気にしないけど、悠君だけじゃなくて愛弟子の修君と由夢ちゃんまで口を挟むなんて、いつから偉ぶれるようになったというのでしょうね……ねえ、“
「……私どもの教育が至っていなかったのは事実であると認めます」
千姫は[
「ここだけの話、悠君は天刃霊装の最終解放―――神霊甲縛式[天魔抜刀]に至ったことを確認しました。最早彼の力を外に出す事など許容できないのです。そして、彼に導かれる形で私もこの歳で天刃霊装の解放に至りましたから」
そうして千姫が右手に顕現させたのは、漆黒に染まった扇子。[月読]を受け継ぐ神楽坂家を象徴するかのような彼女の[天刃霊装]―――名は[
「分かりましたか? 彼の存在はこの国を強き国にするための要なのです。家に帰ってしかと聞かせなさい。それでも納得し得ないというのならば、妾自ら出向いて息子の道を阻むものとして処断する……よいな?」
「「は、はっ! 先代様のご配慮に感謝いたします!!」」
そうして面会を終え、離れに戻った千姫がクッションにダイブする形でだらけると、丁度姿を見せた支倉が話しかけてきた。
「奥様……お茶でもご用意いたしましょうか?」
「今はいいかな。支倉君、ちょいと話に付き合ってくれない?」
「……畏まりました」
神楽坂家の使用人では新参者である支倉だが、千姫の愚痴や無茶ぶりに付き合わされているという点で先輩の使用人たちから『頑張ってくれ』とエールを送られている。支倉が聞いた限りでは、現在四葉家の筆頭執事を務めている葉山忠教が千姫の弟子であり、しかもこんな無茶ぶりを長年受けていたと先輩たちから聞かされた。
こんな人の傍に長年仕えた経験があるのならば、あの四葉家の執事を務めあげられないわけがない、と心なしかそう思ってしまった。
「それで、如何いたしましたか? 大方悠元様のこととお見受けいたしますが」
「流石“サブちゃん”。天刃霊装っていう魔法の武装があるんだけど、それを危険だと見做して騒ぎ立てた阿呆がいるんだよね」
「……成程。過ぎた力を恐れたということですか」
過去にいた演歌歌手のようなあだ名で呼ぶことは諦めつつ、支倉は千姫の言葉に対して率直な感想を口にした。支倉が
力が足りなくて求める事よりも、強大な力を恐れて喚くことに力を割いた……昔の支倉からすれば、そうしたかった事実があるのも確かだった。
「力を怖がるのは人間らしいと思うよ。でもね、魔法師を道具として扱うような世の中を脱するために悠君は戦っているんだよ。それを理解できない時点で彼らは魔法の道具に成り下がりたいのかって言いたくなったけど」
師族会議という政府や国防軍にとって都合の良い“道具”があったからこそ、古式魔法師は古来の在り方を通すことが出来ていた。だが世界情勢が緊迫していけば、現代魔法師のみならず古式魔法師も戦場に駆り出される事態になるのは目に見えている。
その現状を打破するために神楽坂家現当主の悠元は師族会議を政府や国防軍と切り離し、国家の象徴たる皇族から認められることで“君臨すれども統治せず”の信念を持つ組織へと作り変えようとしている。
社会的な観点から経済的な支配は避けられないとしても、魔法師として社会的な地位を占めることは極力避ける。仮に地位を手にしたとしても、それを笠に着るようなことはしない。それを体現するかのように、悠元は日本の国家の在り方そのものを変革させつつあった。
「劣る者を知るからこそ、優れた者としての立場と責任を果たす。言葉では簡単に言えるけど、行動で示すのは難しいんだよね。サブちゃんなら、それが一番理解できるんじゃない?」
「……そうですね。かつての私ならば、それを一番痛感していたことでしょう」
「そんなサブちゃんに朗報。近いうちに見合いをするから」
「……え?」
真面目な話から一転して投げつけられた千姫の爆弾発言に、支倉は目を丸くしていた。確かに以前から見合いをするとは聞かされていたが、まさかこの場で出てくるとは思わなかった。
「ちなみにですが、お相手がどのような方なのかをお尋ねしても?」
「見合いの後にすぐ結婚とはいかないけど、実質的な婚約になるかな。相手は十文字家の次女。慶子ちゃんは私の教え子の一人で、向こうも非常に乗り気だったって」
「……ええっ?」
相手がまさかの十師族。しかも、かつて七草家でボディーガードとして働きつつ七草弘一の仕事の手伝いをしていたことからも知り得ていたことで、その相手は確か現在小学六年生……周公瑾の身体を利用する形で若返ったとはいえ、今まで生きていた分からすればおおよそ三回り近い年齢差の婚姻に、支倉は戸惑いを隠せなかった。
「これにはちゃんと理由もあるの。先日十山家の件で十文字家が已む無く助けに入ったの。それで現当主と三矢家の婚約は解消させなかったけど、その代わりに私が慶子ちゃんへ提案したのが
「成程、体面的な部分で十文字家がペナルティを負ったということを示す為、私にそれを背負えということでしょうか?」
「本当なら、悠君のように複数の妻を宛がうことも考えたのだけどね」
「それは勘弁してください……」
若返ったとしても精神は名倉三郎の時のままであり、現当主や四葉の次期当主のような状況など、普通の男子なら喜びそうなシチュエーションが現実になって降り掛かってくるのは、さしもの支倉であっても許容できなかった。
後日、支倉は千姫の付き添いという体で十文字家を訪れ、その際に見合いをすることになったのだが……周囲の圧力に屈して即日婚約を結ぶ羽目となった。これまで闇の部分を見てきた支倉であっても、周公瑾以上に勝つことが出来ない相手を前にしては、最早降参する以外に生き延びる術を持たなかったことは事実であった。
◇ ◇ ◇
所変わって第一高校の演習場。ベゾブラゾフによる魔法攻撃の件は波紋を広げたが、それを聞いたことで一層鍛錬にも熱が入っていた。タンクトップ姿のレオが真剣に両手で振り上げと振り下ろしをしている光景に対して、似たぐらいの露出を見せているエリカが若干呆れ気味に問いかけてきた。
「レオ、少し休んだら?」
「ん? おお、気が付いたら1000回以上やっちまってたぜ……って、どうしたよ?」
「ちょっと見せなさい……って、んげっ!?」
レオがエリカの表情を見て首を傾げていると、エリカはレオの手に持っていた木刀―――正確には、木刀型の鍛錬用CAD―――を手に取り、刀身の根元部分にある設定画面を見て引き攣った表情を浮かべた。
そのCADは悠元謹製で、木刀自体の質量を自在に変化させられる代物なのだが、振っていた状態の設定が“600キログラム”になっていることに引いていた。
「アンタ、夜だけじゃなくて昼まで獣になるつもりなの? 人間辞めてるじゃない」
「いや、流石に素の状態でやったら脱臼するから、自己強化術式込みでやってるだけだぞ? てか、学校でそういう話はするんじゃねえよ」
「おや、興奮しちゃう?」
「否定はしねえが、誘惑は止めてくれ」
最初は互いに口喧嘩する間柄だったが、一緒に鍛錬を重ねていくうちに恋仲となった。“喧嘩するほど仲が良い”とはよく言ったものだとは思いつつ、レオは近くの樹木に凭れ掛かる形で腰を下ろした。
すると、それを見たエリカはレオの隣に座った。
「それで、どう? 悠元が言っていた[天魔抜刀]だったっけ。そこまでいけそう?」
「手ごたえは十分に感じてる、って感じだな。ただなあ、俺の場合だと剣で戦うよりも拳で戦う感じが性に合ってるからな」
あの達也ですら未だに至っていない[天魔抜刀]を現時点で修得しているのは悠元だけ(レオやエリカを含めた達也近辺の人間に限定すれば)であり、その顕現を目の当たりにしたことがあるレオとしては、その時の感覚に近い手応えは感じていた。
ただ、レオは祖父が遺してくれたガントレット型CADのこともあったし、これまで新陰流剣武術を学ぶまでは剣術に触れることも無かった。基本的に体術で何とかしてきたことが多いレオからして剣を振るうこと自体に抵抗はなくとも、拳で戦うことが一番肌に合っていた。
「別にどちらかを選ぶ必要はない、って悠元は言ってたじゃない」
「確かにそうなんだけどよ……てか、エリカはどうなんだよ?」
「あたし? 形は朧気に見えているのよね。ただ、あたしはどんな剣を振るいたいのかなって思っちゃって」
エリカも[天魔抜刀]に至る道筋を掴んでいた。ただ、根底に存在する千刃流の剣術から、どんな在り方が自分にとって一番納得できるのかという根本的な問題にぶつかっていた。
「この力だって、元々あたしがここまで鍛え上げたわけじゃない。悠元に引っ張られる形でその高みに立っているだけだもの……もっと、強くなりたい」
「そうなると、目標は悠元ってことか?」
「うーん、アレを目標にしたら、人外の埒外にまで上り詰めることになるんじゃないかって」
「流石に本人の前では言うなよ……っ!?」
人外の時点で人間を辞めているに等しいが、その埒外となると最早“人の皮を被った何か”としか形容できなくなる。目標を悠元に定めるか躊躇しつつも貶す様な発言に対し、レオが窘めた。
すると、二人は近くから膨大な量の霊力を感じ取って身構えたが、その波長が知り合いのものだと直ぐに分かったのは、その人物が姿を見せたからだ。いや、正確にはその霊力によってレオたちの近くの樹木が一瞬にして“消失”したからだった。
「ん? ……すまん、レオにエリカ。二人きりの時間を邪魔したな」
「いや、それはいいんだが……修司、そいつは?」
「ようやく形を成せたんでな。天魔抜刀[
その現象を成した人物―――
「修司のコレでここまでなるなんて、悠元のアレはどうなるのかしら?」
「悠元の[天魔抜刀]顕現の際は俺も見ていたが、下手すると戦略級魔法を付与した斬撃を繰り出すかもしれん」
「……俺らも強くならんとな」
「そうね……」
いくら悠元でも味方を殺す様なことはしない。だが、彼から教わっている身としては、彼に必要以上の負担を掛けないことが自分たちの安寧に繋がる……と確信に近い何かを覚えていたレオとエリカであった。
今回はどちらかと言えば閑話的なものです。修司の天魔抜刀形態の元ネタは……想像がつくと思うので口に出しませんが。名称的に悠元のものと被るというツッコミは無しでお願いします。