エドワード・クラークの提唱したディオーネー計画。原作では多少の躓きで許されていたが、この世界ではその比にならないほどに頓挫していた。
本来のターゲットであった[トーラス・シルバー]=司波達也を引き込めなかったどころか、当初は協力の姿勢を見せていたエルンスト・ローゼンがドイツ政府の意向を受けて撤退。国内においてはマクシミリアン・デバイス社長のポール・マクシミリアンが『計画の信憑性』を理由に計画の参加を保留。
これだけならばまだしも、日本と経済的な繋がりを有する東南アジア同盟、インド・ペルシア連邦(IPU)、アラブ同盟、南アメリカ連邦共和国、アフリカ民主主義共和国連邦が相次いで司波達也が関わるSTEP計画に賛同した。南半球に属する全ての国々が日本の支持に回った。
更に、北欧諸国やトルコ、東西EUまでもが日本の[恒星炉]プラントに対して積極的な交渉を行っており、協力者の一人であるマクロードが属するイギリス連邦ですらも日本の支持に回ってしまった。
ディオーネー計画自体はクラーク一人の手を既に離れているが、国家科学局(NSA)内では各国の協力を取り付けられない状態で計画を進めても実行できるか疑わしいという他の科学者の意見もあり、精々“暇つぶし”程度の産物に成り下がりつつあった。
プラントの構想自体は決して珍しいものではなく、かつて計画された核融合発電プラントをベースに組み立てられている。エドワードにとって最も誤算だったのは、[恒星炉]自体が発表時点ですでに稼働していたという事実を[フリズスキャルヴ]でも掴めなかったことにあった。
従来技術では採算が取れなかった事業を、魔法核融合炉によって採算を成り立たせる。クラーク自身もその公算を否定することは出来ない。そして、司波達也と同じく[トーラス・シルバー]として名乗った人物―――神楽坂悠元の存在をエドワードはそこで初めて認識することとなる。
かつて世界群発戦争で名を馳せた神楽坂千姫の養子。旧姓は三矢。司波達也と同じ第一高校の生徒で、息子のレイモンドが指摘した“もう一人の戦略級魔法師”。ここまでくると、クラークであってもかつて息子が述べていたことを呑み込まざるを得なかった。
だが、神楽坂悠元を[フリズスキャルヴ]で調べれば調べるほど、クラークは袋小路に追いやられる気分に苛まれていた。彼の成したと思しき功績を噂レベルに広げたとしても、脅威と見做す以前に『有り得るはずがない』という事象しか出てこない。
しかも、傍らには神楽坂千姫と同じ英雄にして、四葉の復讐劇を知る生き証人の上泉剛三がいた。彼が見出した戦略級魔法師という見方をすることもできるが、それだけで脅威と見做すことが出来ない。
最大の理由は、上泉剛三がUSNA国内にもあらゆる方面でシンパを有しており、USNA政府のトップである大統領は彼の弟子の一人。いくら危険性を訴えたところで、如何なる対価を支払えば納得してもらえるのかという難題が待ち構えていた。
このままでは、ディオーネー計画の真の目的は達成できない。だが、迂闊に手を出すわけにはいかない。ただでさえ政府内部からもディオーネー計画に対する信憑性の有無を問われている以上、勘のいいジャーナリストが嗅ぎ付けてディオーネー計画の真実を突き止められる確率は無視できない。
世界からも見放されつつある状態であるのに、エドワード・クラークはまだ諦めていなかった。状況を引っ繰り返す糸口を探して、オリジナルの[フリズスキャルヴ]が集めてくる膨大なデータと格闘を続けていた。
オリジナルの[フリズスキャルヴ]は世界中にばら撒いた端末と違い、大型コンピューターに接続してデータを保存・整理できる。クラークは戦略シミュレーションAIのアシストを受けながら、かれこれ十日以上も家に帰っていない状態が続いていた。
なので、レイモンドがパラサイト化したことなど知る由もなく、訪日することに関する連絡もメールでしか遣り取りしていない。そもそも、直接顔を合わせたのは半月以上も前のことになるわけだが。
だが、司波達也を暗殺する事すら失敗している状態で、神楽坂悠元まで殺そうとしたとしても、ほぼゼロに近い可能性の糸口を見出すという無理難題という事実。
そんな状況をかの
電話の相手は、最近コンタクトが取れなかったイーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフであった。
『クラーク博士、ご機嫌は如何ですか』
「ベゾブラゾフ博士、お久しぶりです。気分は芳しくありませんが」
『そうですか。しかし、それは私のせいではありませんよ』
「何を言っている」と罵声を発したい気分だったが、クラークは自制してベゾブラゾフの言葉を待った。一方、ベゾブラゾフはクラークの様子を一切気にすることなく続きの言葉を発する。
『私が失敗したのは事実ですが、元を返せば恒星炉プラント計画を政治工作で阻止できなかったことが原因なのですから』
「博士の立場からすれば、そうなるでしょうな」
ここで喧嘩別れをしても有害無益。下手をすれば、彼の[トゥマーン・ボンバ]がUSNAに向けられるリスクを伴う危険性も生じる。だが、口調に棘が混じってしまうのは抑えられなかった。
『ご理解いただけて幸いです。私の立場では、司波達也を放っておくことは出来ませんでした』
「事態は余計悪化してしまいましたがね! 司波達也を暗殺する。それは結構! 失敗したのも仕方がないでしょう。相手が一枚上手だっただけのことです」
余りにも反省の見られないベゾブラゾフの態度に、クラークはとうとう怒りを爆発させてしまう。ベゾブラゾフは不快感を表情に滲ませていたが、「知った事か」という心境だった。
「ですが、日本のもう一人の戦略級魔法師は確定できました。名前は神楽坂悠元。神楽坂千姫の養子にして、先日FLTの記者会見に姿を見せた元[トーラス・シルバー]の一人です。恐らく、一昨年佐渡沖で博士の[トゥマーン・ボンバ]を無力化したのも彼の仕業でしょう」
『それは……ならば、尚のことこちらから提案があります』
「……伺いましょう」
ベゾブラゾフはクラークの情報に少し考えた後、先程までの不快な表情が消え去って真剣な表情でクラークを見据えるように話し始めたため、クラークも気分を落ち着けた上で彼の言葉を待った。
『ご存知の通り、我が国は現在大亜連合による侵攻を受けていますが、それも明日には決着がつきます』
「博士が[トゥマーン・ボンバ]を使用されるのですな」
『その通りです』
戦略級魔法を投入しただけで戦争が決着するというケースは、戦争をあまりに単純化しているようにも見えてしまうかもしれない。だが、局地戦レベルである今回の戦いに焦点を当てた場合、ベゾブラゾフの発言は決して誇張されたものではないというのはクラークも理解していた。
大亜連合側はベゾブラゾフの不在を基に立案されたものだが、ベゾブラゾフが健在となれば戦闘続行の名分が喪失するし、戦略級魔法の損害によって継戦も極めて難しくなる。この場合、ベゾブラゾフが[トゥマーン・ボンバ]を使用することによって大亜連合軍が大打撃を受け、敗走するのは免れない。
『我が軍はこの勝利に乗じて、日本海を南下する予定です』
「日本に攻め入るのですか!?」
『大義名分は用意するのでご心配なく。それに、本州へ上陸する計画もありません。そもそも、領土を求めての侵攻作戦ではありませんので』
「……」
新ソ連艦隊の南下。だが、領土への侵攻はない……ベゾブラゾフもとい新ソ連側の言葉をどこまで信用できるかは不明だが、クラークはベゾブラゾフの策の真意がどこにあるのかを悟った。
『お分かりのようですね。そう、これは陽動です。司波達也の恒星炉プラントがどこに建設されているかは、ご存知でしょう』
「……東京南方180キロ、『巳焼島』と呼ばれる火山島ですね」
『その通り。我が軍が南下する海域のちょうど逆サイドです』
新ソ連の陽動に際し、USNAが建設中のプラントを攻撃する。ベゾブラゾフの策をクラークは考慮したものの、一方のベゾブラゾフは臆することなく発言した。
『別に難しい話ではありますまい。施設が国籍不明のテロリストの標的になったと知れば、プラントに出資する資本家も考え直すのでは? 恒星炉プラント計画は中止せざるを得なくなり、司波達也はディオーネー計画参加を拒む口実を失います。そのついでにクラーク博士が仰った彼も巻き込めば、一石二鳥というものでしょう』
理性的に考えれば、即座に蹴るべき提案だ。仮にいくら誤魔化そうが、全て明るみにされるリスクはどうあっても拭い去れない。神楽坂千姫がその最たる例で、彼女に敵意を向けた人間はだれ一人の例外もなく闇に葬られていることは収集したデータで把握していた。
もし、彼女の息子となった神楽坂悠元に同じことが出来るとすれば、それは確かに脅威だ。だが、彼は国内外の公人に信の置ける人間が多く、現USNA大統領もその一人だ。
しかし、閉塞感で苦しんでいたクラークにとって、ベゾブラゾフの申し出が魅力的な打開策にしか聞こえなかった。彼が唆す作戦案は、クラークにとって甘美な悪魔の囁きと化していた。
「……艦隊の出動は何時になりますか?」
『作戦が順調に進行すれば5日後、7月8日になります』
「5日後ですか……」
そこで急を要する訳でもない計画というのが、クラークへ更に拍車を掛ける形となっていた。
「分かりました」
『引き受けると思っていただけました』
ベゾブラゾフが満足げに笑う。クラークには、以前司波達也に敗れる前の彼からは感じられなかった寒気を覚えたのだった。
◇ ◇ ◇
その頃、巳焼島の宿舎の一室。寝ているというよりは突っ伏している状態に近いハンス・エルンストが目を覚ました。別にルーデルに体を乗っ取られているわけではなく、魔法の制御をルーデルに任せると慣性法則とかどこ吹く風と言わんばかりに物理的におかしい動きをやらされる羽目になる。
すると、扉が開いてナーディアが姿を見せた。両手にはカップを持っている為、気付いたハンスは起き上がってナーディアからカップを受け取り、コーヒーを一口啜った。
「すまないな、ディア(ナーディアの愛称で、基本的に家族にしか呼ばせていない)。訓練はいいのか?」
「流石に休憩。相手がアンドロイドとはいえ、幻術まで使ってくる人が相手なんて、やっぱり日本にはニンジャっているんだね」
「色々話は聞いたが、正直驚くことばかりだ」
すると、枕元に置いていたハンスの端末に着信音が鳴る。空いていた手で端末を掴み、そのまま操作してメールを開くと、それはハンスの中にいるルーデルが端末に送った通信記録と思しき会話のやり取りだった。
その画面をナーディアはハンスの後ろから覗き込んでいた。
「……お兄ちゃんの中にルーデルさんが憑りついたのは聞かされたけど、アナログ時代に生きていた人がここまで電子機器に精通しているの?」
「憑りついた中で色々学んだらしいが……」
ナーディアにはハンスの中にルーデルが憑依していることを教えたが、これまでハンスが成した功績を聞かされた結果、『それは確かにルーデルだね。お兄ちゃん、良く生きてたね』と憐れまれた。
それはさておき、その内容がエドワード・クラークとイーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフの会話だということは直ぐに把握し、更には新ソ連艦隊の南下とUSNA軍による巳焼島襲撃まで画策したことが判明した。
「……なあ、ディア。仮にここを襲撃するのがUSNA軍だとして、[パラサイト]の公算が高くなったとみるべきだが、ディアの意見は?」
「私もそう思う。てかさ、露見してUSNAの評価がマイナスを突き抜けることになるし、エドワード・クラークなる人物を殺した方がいいと思うけど」
「物騒なことを言うな。ただ、それに関しては俺も同意見だ」
彼が一体何を目的としているのか……恐らく、日本に最近出現した戦略級魔法師。無論、悠元もその一人に含まれるだろう。
「俺らですら敵わないと分かり切った相手に挑む時点でバカとしか言いようがない。無秩序に恐怖を煽る方が国家にとって害悪でしかないと俺は思うがな」
「だとしたら、国家にとってアキレス腱になっている何かを握られてるとか、かな?」
「ただなあ……これで、新ソ連とUSNAが組んでいるような事実が露見すれば、間違いなく最重要容疑に挙げられるのはイーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフとエドワード・クラーク。それと、イギリスのウィリアム・マクロード」
本来、敵対する主義と思想を有する二大国が協力すると言う時点で異常事態だ。しかも、USNAにとっては同盟国でもある日本を嵌めようとする動き。この時点で、第二次大戦の逆襲を恐れているようにも見えてきてしまう。
その仲介をしたということでイギリスにも少なくない疑いの目を向けられるのは避けられない。既に日本への支持をしていたとしても、ディオーネー計画に一時協力していた時点で二国を結び付けた責任を取らされる可能性は出てくる。
「その絡みで一つ妙な情報をルーデルが持ってきた。大亜連合軍の真の狙いは……どうやらシベリア鉄道のようだ。中央アジア方面に大規模の動員情報が確認された」
「えっ!? 虎の子の戦略級魔法師を捨て石にするってこと!?」
「流石にそんな真似を大亜連合政府がするとは思えんが……このメールの件も合わせて悠元に伝えておくか」
局地戦単位で見れば大亜連合の負けは確定的だが、どうやら中央アジア方面からシベリア鉄道を占拠しようとする動きが見られる。更に、ナーディアには伝えなかった未確認情報として、大亜連合軍の特殊部隊が新ソ連内に潜伏しているらしい。
「全く……変に恐怖を煽る奴も奴だが、相手の為人を考慮して妥協を探るという話し合いをせずに排除しようと考える辺り、野蛮人と言われても反論できない所業だな。いや、こればかりは魔法師の置かれた境遇のせいなのかもしれんが」
―――魔法師を『人』と見做さず、『兵器』と見做す。
これが現代魔法が成立して、現在までに根付いてしまった思想。核兵器という強大な力を抑え込めるが故に、それ以上の強大な力として成立したが故の宿命。そして、各国の政府が人道や道徳を完全に無視した魔法師
「それは……私も分かるかな。魔法の力があるというだけで、離れていった友達も多かったし。お兄ちゃんは強いね」
「俺はある意味両方を知るからこそ、ここまで達観できているだけだ。その意味で、悠元はこの世を変えていく要なのかもしれんな」
次代を担う人間というのは、常人とは違う何かを持っている。それが例え異質に見られようとも、強き意志によって魔法師の未来が変わっていく……何故だか、ハンスはそう思えてならなかった。
将来起きるであろう嘘予告『次回、イーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフとエドワード・クラーク、宇宙(そら)へ』