西暦2097年7月4日、木曜日。大亜連合と新ソ連の武力衝突は1週間が経過した。
事態が動いたのはこの日の朝。先に行動を見せたのは新ソ連側で、ハバロフスクに配置した東シベリア方面軍―――南側で防衛に当たっていた機甲部隊が南下を開始。同時に、ウスリースク郊外で大亜連合軍を食い止めていた沿海地方軍は、ムラヴィヨフ=アムールスキー半島―――ロシア沿海地方南部のピョートル大帝湾(日本海の北西部)にある半島で、半島の先端にウラジオストクがある―――の入り口を目がけて後退を開始する。
新ソ連の意図が、東シベリア軍と沿海地方軍による挟撃を目論むことは明白。ここで大亜連合側が取れる選択肢は二つ。一つはこのままウラジオストクまで押し切って占領し、籠城作戦を取る。もう一つは、ハンカ湖西岸の占領地域まで退き、同地域の支配を固定化すること。
前者が成功すれば、高麗自治区からの軍が北上する際に海上からの攻撃を受けずに済むという利点に加え、ウラジオストクを橋頭保とすることで沿海地方を一気に占領できる―――大亜連合の理屈では『取り戻す』―――ことが出来る。
大亜連合軍は急戦を選択し、一路ウラジオストクへ進撃する。その動きに気付いた新ソ連も追撃を開始するが、決断の差と戦闘車両自体の速度も相まって、両軍の差は離れていく。そして、差が20キロメートルを超えた時、進撃する大亜連合軍の前に突如霧が発生する。それは瞬く間に兵員輸送車を含む6000人の兵士を載せた車両を覆いつくした。
部隊の指揮官や参謀が退避を促したのは早かったかもしれないが、それを嘲笑うかのように複数の魔法式が覆いつくし、酸水素ガスが点火。イーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフの[トゥマーン・ボンバ]による超広域爆撃が大亜連合軍を襲った。
爆発による衝撃波ではなく、摂氏2000度超の高熱が容赦なく兵士へ曝露される。
2097年7月4日。現地時間8時55分、日本時間7時55分。
大亜連合軍はこの攻撃によって侵攻部隊の7割以上を無力化され、実質的な全滅に近い敗北を喫した。
◇ ◇ ◇
ベゾブラゾフの放った[トゥマーン・ボンバ]による強烈な魔法の波動は、当然日本でもキャッチされた。伊豆高原で朝食を摂っていた九島烈は、その波動を感じて静かに箸を置いた。
「……今のは、新ソ連の方向から感じたな。剛三」
「みたいだな。大方[トゥマーン・ボンバ]だろう……ただ、魔法としてはお粗末だな」
「それを言えるのは世界が広くてもお前や千姫ぐらいだろうな」
烈は隣の席で湯呑のお茶を啜る剛三に話しかけ、剛三は放たれた魔法を察した上で“お粗末”と吐き捨てた。これには烈のみならず、同席している奏姫やシルヴィアも苦笑を滲ませた。
「自国の被害も鑑みずに放たれる魔法など、俺からすればお粗末以外の何物でもない。ただ、問題はこの後だろうな」
「この後? まさか、新ソ連が日本に侵攻すると?」
「威嚇や脅迫に近いことは想定されるだろうよ」
剛三は数十年前に新ソ連の艦隊を迎撃し、自身の戦略級魔法で壊滅に追いやったことがある。その復讐めいたことは一昨年の横浜事変でも起きたが、ほぼ似たようなことを成し遂げた悠元に対し、正直『流石わしの孫だな』と称賛を送ったほどだった。
すると、そこで質問をしたのがシルヴィアであった。
「剛三さん、質問があります。仮に新ソ連が大亜連合と講和が成ったとして、日本が要求したベゾブラゾフの引き渡しを突っぱねて軍事行動に出るという時点で、新ソ連側に非があるとしか思えませんが」
「シルヴィアさんの疑問も分かる。だが、連中に目的そのものを問う事など意味が無いのだ」
「意味がない、ですか?」
「うむ。奴らはいわば面子で生きているに等しいからな」
でなければ、態々一度崩壊した“ソビエト連邦”の名称を再び使うという事態にはならない。かつての栄光を取り戻すという夢物語のために、反発する者は悉く粛正する。そうやってソビエトは生き永らえてきた。ただ、余りにやり過ぎたがために、旧ソビエト連邦は崩壊してしまった。
「まあ、うちの孫のことだから、何か考えておるのは間違いない。それよりも……奏姫、感じておるか?」
「ええ。横須賀方面から妖の気配を感じます」
「まさか……パラサイトがまた!?」
「……私が言えた義理はないが、愚かと言う他ないな」
奇しくも、ここに居合わせている面々は全員[パラサイト]との関わりを持ってしまった者達。
「剛三、こちらから何か手は打つのか?」
「それに関しては悠元と元継に任せようと思う。あ奴らなら、[パラサイト]の対抗手段を既に得ておるからのう」
もし、手を拱くようならば手助けをすることも考えていた。だが、悠元が何かしらの意図を以て実行しているとするならば、手を貸す必要も無いと感じていた。それに、自分たちがいつまで生き永らえるかなど分からない。本人たちで対処できる能力があるのならば、態々出張る必要もないと判断した。
「お茶のおかわりを貰えるか?」
「はい、ただいま」
「あ、私も手伝います!」
「……魔法に関わらなくなると、ここまで平和になるとはな」
「全くだ」
自ら選んだ道であっても、そこから外れたことで見えるものは平和に見えてしまう。烈の呟きに対して剛三は同意の言葉を口にしたのだった。
◇ ◇ ◇
その頃、悠元は他の生徒と同じく定期考査を受けるために登校していた。授業免除されていたとはいえ、受講登録している魔法科高校のカリキュラムに関しては深雪たちの協力を得て勉強していた。
そして、魔法の発動兆候は3年A組の教室にいた人間も感じ取っており、教室の外から聞こえるざわめきで他のクラスも[トゥマーン・ボンバ]の発動を感じ取ったのだろう。
「自席で待機するように」
試験監督官の教員も、そう手短に告げて教室を後にした。悠元は出ていく教員を横目で見つつ端末にウラジオストク近辺の地勢図を表示させる。
(一歩間違えれば、防衛している新ソ連軍まで被害が出かねなかったところで攻撃か……とはいえ、侵攻部隊の7割以上が喪失した以上は大亜連合軍が“全滅”したに等しい)
すると、悠元の後ろに深雪が立っていた。特に問いかけることはしなかったが、心配そうな表情を覗かせていた。それを察しつつ、悠元は静かに呟く。
「今すぐ事態が動くことにはならんだろう。今は定期考査を乗り切ることだけ考えておけよ」
「は、はい。すみません、悠元さん」
「別に謝る必要はないからな? 悪いことをした訳じゃないんだから」
だが、完全な躓きによって大亜連合軍は侵攻を継続することが困難となった。自宅でウラジオストク周辺の情報を集めた所、艦隊出動の兆しは見えている。そうなると、残るは艦隊を動かす為の大義名分。
(剛毅さんに[リンケージ・キャスト]の基礎設計データは渡した。向こうも渡された意図に気付いて行動を起こしてくれるだろう。残るは……ここからクラークとベゾブラゾフに渡してやる時間はない)
お膳立ては全て整った。まずは、USNA方面の[パラサイト]を完全に無力化。然る後に新ソ連が介入できないような状態を作り、大亜連合に対しても一定の制裁を加える必要が出てくるだろう。
真一たちの移動手段に関しても問題はなく、貨物船を手配して海路で横須賀港へ移動させる手筈は整えた。新ソ連の艦隊を利用して巳焼島のプラントを攻めるのだから、こちらも利用した上で全てを茶番劇に変える。
「……人の厚意を無碍にする意味を、骨の髄まで理解させてやるよ」
ほぼ聞こえないぐらいの小声で囁かれた悠元の言葉。幸か不幸か、その言葉を耳にした者は誰もいなかったのだった。
◇ ◇ ◇
大亜連合の戦略級魔法師こと劉麗雷は友軍崩壊の際、その部隊へ同行せずに後方待機していた。部隊が敵部隊を捕捉したところでヘリによる合流の予定だったため、ベゾブラゾフの戦略級魔法[トゥマーン・ボンバ]の被害を免れることが出来た。
劉麗雷の護衛部隊を率いる隊長は、ハバロフスク方面から新ソ連軍が侵攻していることを把握しながらも敢えて北上し、ウスリースクの北にあるヴォズドヴィデンカの飛行場を占拠した。
護衛部隊の隊長は、大亜連合軍司令部に即時帰国を具申。部隊が全滅判定同然の壊滅をした以上、当然とも言える申請であった。しかし、軍司令部が下した判断は現地待機―――実質的な“見殺し”に近い命令。
ハバロフスクから南下した部隊はその部隊の動向を把握していたにもかかわらず、ヴォズドヴィデンカを攻撃することはおろか、包囲すらもしなかったのであった。
◇ ◇ ◇
放課後、帰宅した悠元のワークステーションに受信メールが二件届いていた。直に悠元はオフライン専用端末に転送して開く。
一件目はハンス・エルンストからのもので、“ルーデル”が掴んだエドワード・クラークとイーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフの通話を文章データにして書き起こしたもの全文が届けられた。しかもご丁寧に日本語へ翻訳しており、魔王と呼ばれた人物の凄さを垣間見たような気がした。
「ベゾブラゾフの提案にクラークが乗った。そして、向こうもとうとうこちらを認識するに至ったか。ただ……これで、遠慮は要らなくなった」
そのまま二件目のメールを開くと、差出人は真紅郎からのものだった。[リンケージ・キャスト]の基礎設計データ提供に対する感謝と合わせて、相談したいことがあるという文言があったため、レシーバーを付けて真紅郎の通信端末に電話を掛ける。
三高も試験期間中だが、基本的な試験の時間は魔法科高校共通の為、この時間ならば真紅郎は帰宅しているだろうと睨んでいた。その推察通り、真紅郎は数回のコール音の後、モニターに姿を見せた。
『悠元。珍しいね、君から連絡をしてくるなんて』
「メールは読んだ。何か相談したいような文言に見えたから、こちらから連絡はした。剛毅さんから渡された[リンケージ・キャスト]―――[トゥマーン・ボンバ]に使われている[チェイン・キャスト]の改良版となる技術の基本設計データは、俺と真紅郎が“共同開発者”として体裁を取ってくれ」
『え、えっ? 僕自身は全く関わっていないのに?』
悠元が放った言葉―――将来、達也が槍玉に挙げられないための方便として、悠元と真紅郎で共同開発した体裁を取るということ―――に、真紅郎は動揺を隠せなかった。
「俺が昨年の九校戦で[インビジブル・ブリット]を散々弄り回したことがあったからな。そのお詫びとして受け取って欲しい」
『……お詫びの方が重すぎる気がするんだけど』
「後はそうだな……将輝のお守りに対する労いということで」
別に真紅郎は将輝の保護者でないのだが、原作でもこの世界でも一条家に入り浸った結果として縁者に好かれる現象が発生している。それに、一条家を介せば将来の義兄弟ともなってしまうため、これまでの迷惑料も加えての対価。これには真紅郎も苦笑を禁じえなかった。
『何を言ってもダメそうだね……分かった、甘んじて受け取るよ』
「それで、進捗度合いはどんな感じだ? [爆裂]の広範囲相転移爆撃魔法は」
『それを見越して提供しているだろうから、バレてしまうのは仕方ないか……明日には完成する。将輝には一度テストしてもらうけれど……変に増長しないか心配だよ』
真紅郎は
「流石に余り度が酷い場合は、直接剛毅さんに相談しておけ。それに、今真紅郎が完成させようとしている魔法の大本は俺が昨年の九校戦で放っているから。名称は[
『あー、成程。でも、それだったら悠元が対処しないのかい?』
「出来る奴がいるならやらせる。それでも対処できなかった時は別の手段を講じる。このスタンスを変える気はないからな」
何でもかんでも自分で対処なんかしていたら、明らかに猫の手であっても借りたくなるような状態に陥ってしまう。だからこそ、独力で乗り切れるのならば自分が無理をする必要も無くなる、と判断してテコ入れをしている。
新ソ連が如何なる理由を持ち出すかは分からない。だが、ハバロフスクから出動した新ソ連軍がヴォズドヴィデンカを意図的に避けるような動きを見せている。間違いなく、そこには劉麗雷を含めた部隊がいるとみて間違いない。
『それにしても、新ソ連がこの時期に日本へ攻め込むと?』
「奴らにとって大義名分などどうでもいいだろう。何せ“ソビエト”の名を敢えて名乗った連中に信用など置けるものか」
『……何か、嫌な経験でもあったのかい?』
「爺さんの付き添いで訪れた時、特殊部隊に襲われた挙句、三個師団に包囲されたことも有った。全員雪の中に埋めてやったが」
『……はは、はぁ(将輝、君の相手は最悪よりさらに下の実力者だよ)』
疚しい方法で入国したわけでもないというのに、一方的に因縁を吹っかけられた挙句、銃を向けるような連中に信用など出来るはずがない。流石にその時のことを持ち出しているとは思えないが、少なからずそんな感情はあるのかもしれない。
悠元が言い放った事実を聞いて、真紅郎は将輝に対する言葉を内心で思いながらも、苦笑の後に溜息を吐いた。
「もしもの時はこっちから掛け合って護衛とかを手配するから、最低でも自分の身を守れる様にだけはしておけ」
『それもそうだね。それじゃ、悠元。もしもの時は将輝を殴ってでも止めるから』
「……何か見繕って贈っておく」
真紅郎の心労が垣間見える台詞を聞き、悠元は通信を終えると、彼に対する労いの贈り物を直ぐ手配した。後日、真紅郎から感謝のメールと共に一条瑠璃へのかかわり方を相談されたのは……また別のお話。
通信を終えると丁度夕食の時間となったので、リビングに降りると婚約者たちが準備をしていたため、ソファーに座ると隣に座っていた五輪澪が話しかけた。
「悠元君。長いこと部屋にいたけど、何かしていたの?」
「ジョージと連絡を取っていて、今後も見据えたプランを彼に頼んでいた」
「それって、今朝の新ソ連の[トゥマーン・ボンバ]と関係が?」
「それは夕食後に話すので」
そうして夕食の時間は雰囲気を壊さないために定期考査の話となって盛り上がったが、夕食後のコーヒーが置かれたところで悠元が話を切り出す。
「澪さん……コホン、澪には触り程度に話したが、今朝の新ソ連の動きで日本に矛先が向く可能性が高くなった」
「何故? 向こうは達也さんを殺そうとして二度も失敗しているのに?」
「失敗したからこそ、ですか?」
「大まかに言えばな」
ディオーネー計画はあくまでも隠れ蓑でしかなく、本当の目的は達也を含めた四葉家の完全抹殺。奇しくも顧傑が実現できなかった案をクラークが実行しており、ベゾブラゾフもそれに便乗した形となる。
いや、[フリズスキャルヴ]の端末の件を含めてもクラークが顧傑を手足のように操って、四葉家を社会的に抹殺しようとしたのは明白。
「新ソ連の戦略級魔法師、[十三使徒]イーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフは達也を敵視している。そして、知り合いからの情報提供で俺が戦略級魔法師の一人という情報も向こうに伝わった」
「……悠君は、これからどうするの?」
「黙ってやられるつもりはない。既に段取りは整ったが、ここからは皆にも手伝ってもらう必要がある。無論、強制をするつもりはない」
「え? お兄ちゃんの命令なら喜んでやるけど」
「お前がそれを言うと洒落にすらならんから止めろ」
婚約者たちの身の安全を考えるのならば、変に関わってもらう必要はないし、悠元も強制するつもりはない。だが、彼女たちは積極的に協力したいと申し出るような雰囲気を漂わせていた。
セリアの言葉がその代名詞に聞こえてしまい、悠元は窘めるように呟いたのだった。