その頃、真一はレグルスとレイモンドを連れて空母『インディペンデンス』に移動を完了していた。悠元が[パラサイト]の制御を真一に任せたのは、真一は極めて当事者に近い立場で動いていたからこそ、図面を描くことも可能だと判断したからだ。
(以前の僕ならアークトゥルスの封印を解除するために居残った訳だけど、そこまでする義理は今の僕に存在しない)
もし、関西国際空港にて匿った時点でレグルスやレイモンドに明確な自我があれば、真一は従う振りをしてアークトゥルスの封印を解除した後に支配下へおくつもりだった。だが、悠元が設計した魔法は二人を完全な支配下に置いていた。
[パラサイト]になった自分ですらも敵対したくない相手―――そんな経験は初めてだったが、向こうが『敵対しない』と明言している以上は真一も敵対する必要もない。そして、そんな風に思案する真一に近付く少女こと愛波が、カップを載せたトレーを持っていた。
「真一様、コーヒーが入りました」
「ありがとう、愛波さん。手間を掛けてしまってすまないね」
「いえ、お気遣いなく」
愛波は真一たちが横須賀港に降り立った際、上泉家の手引きで合流した。そして、そのまま空母に乗り込んでいる。この空母には別の[パラサイト]もいるが、三名については既に真一が支配下に置いている。空母には“客人”として乗り込んだが、戦力として加わることはしない。それは愛波を守るためのものである。
すると、愛波がコーヒーを一口啜った後で尋ねる。
「真一様。その、お伺いしても宜しいでしょうか?」
「何だい? 僕が教えられることならば、何でもいいけれど」
「……その、真一様はどのような経緯で[パラサイト]になったのですか?」
愛波の素朴な疑問―――真一もとい九島光宣が[パラサイト]になる選択をした理由。それに対して、真一は驚きこそしたものの、彼女が飛ばされてきた時間軸を考えれば納得も出来る質問だった。
そして、真一は躊躇うことなく愛波に経緯を説明する。
桜井水波が新ソ連の戦略級魔法を防御したがために負傷し、魔法師としての生き方を絶たれそうになっていたこと。
九島光宣は持てる知識の全てを以て考えた時―――周公瑾の知識に導かれる形で、[パラサイト]による肉体の強化で常人の限界を超えることにより、自我を保ったまま魔法に耐えうる力を手にする。
尤も、後から考えて見れば祖父である九島烈が確率の低い強化措置を受けて成功してしまったが故に、同じような道を辿ったという事実は真一ですらも苦笑を禁じえなかった。
「僕は、水波さんを救おうとあらゆる知識に縋った。そして、強大な精神力に耐えうる肉体が必要と考えた。その結果として……僕は人間を辞めてしまった。一時期は人間らしからぬ発想や行動をしていた時もあった。でも……僕は結果として水波さんに救われたんだ」
「そのようなことが……では、私の知る光宣様も?」
「君の知る僕は僕じゃないから、そうなるとは言えない。でも、君が健在ならば、命を賭して何とかしようとすることは避けられるかもしれない」
ただ、それは逆に九島光宣が魔法師として大成する可能性の芽を摘んでしまう行為。人を捨ててまでも魔法師として大成するか、例え一瞬でも人の記憶に残る大輪の花を咲かせ、散っていくか。
「……この件が終わったら、僕は悠元さんに頼んでみようと思う。君の世界に居る九島光宣が生き永らえるための方法を教えてもらう」
「そんな! 真一様がそこまでしていただかなくとも」
「いや、これは僕が頼むべきことだと思う」
愛波(桜井水波)と真一(九島光宣)が仮に同一線上の世界線を歩んでいた場合、愛波の変化は確実に光宣へ影響を及ぼすこととなる。もしかしたら、九島家の凋落に落胆して[パラサイト]を取り込むという可能性も無い訳ではない。
だが、可能性がある以上はそれを取り除くための方法を知る必要がある。幸いにして、この世界はそれを克服するための方法も存在する。でなければ、この世界の九島光宣が[パラサイト]を一切経由せずに健全な状態へ快復することなどない。
「いずれにせよ、まずは悠元さんから頼まれた芝居を完遂する。互いにきちんと生き残らないと、待つ人たちへ迷惑を掛けることになるからね」
「そう、ですね。私もそう思います」
真一はいずれ来るであろう目覚めの時のために、愛波は自分の命をとして守った人たちの許へ帰る為に。
「ところで、愛波さんはその世界に居る僕のことが好きなのかな?」
「あ、え、あ、はい……」
「そっか。僕が言うのもなんだけど、強引に迫りでもしないと受け入れてくれないから、回りくどいことはせずに押すことをお薦めするよ」
「は、はい! 是非参考にさせていただきます!」
この遣り取りによって、愛波の世界に居る九島光宣がどうなったのかは……神のみぞが知る。
◇ ◇ ◇
午前9時。国防軍小松基地を、男子高校生と女子中学生の二人組が訪れた。一般論で言えば不釣り合いな組み合わせの正体は、一条将輝と一条茜の二人。
父親である一条家当主・一条剛毅はこの場に同行していない。とはいえ、既に[クリムゾン・プリンス]の異名を持ち数々の戦闘を経験している将輝からすれば、今更基地のゲートを潜るぐらいでビビったりはしていない。
茜の方はというと、戦闘経験は一切ないが『兄に負けたくない』という思いからか、一介の少女らしからぬ強さを垣間見せていた。とはいっても、若干強張った印象は拭えないが。
彼らが身分証を見せると、直ぐに迎えの車が来た。別に疑っていたわけではないが、既に話が通されている証左なのだろう。流石に沈黙が続くのは耐えきれなかったのか、茜が口を開く。
「どんな子かな? 話は通じると思う?」
「劉少尉は日本語が堪能ですよ」
茜の問いに対して返したのは、将輝ではなく車の運転手を務める士官であった。ただ、相手がいくら十師族の人間とはいえ、不安材料を回避しようと話を続ける。
「話を聞いた限りでは、祖父の劉雲徳を通じて知り合った日本人がいるそうで、日本語の手紙を読むために独学で覚えたそうですよ」
「なら、話は通じそうな気はするかな……兄さんはどう思う?」
「何にせよ、通訳を通さずに意思疎通できるのはありがたいことだと思う」
変に煽ったりする雰囲気は無事に回避されたわけだが、運転手を務めた兵士が実は新陰流剣武術の門下生で、彼らに理解があるからこそ運転手に抜擢された、という事実があることを二人は知ることなく、そのまま文官用の宿泊棟に案内された。
劉麗雷一行が保護されている宿泊棟は、一応「ホテル」と呼べるだけの設備が整っていた。将輝と茜が劉麗雷と引き合わされたのは1階のロビー。当然だが、内外には魔法師が見張っており、少なくとも十人以上の魔法師の気配を将輝は感じ取った。
基地の兵士が将輝、茜、劉麗雷、林護衛隊長の順に紹介した後、劉麗雷は通訳を使わずに自己紹介をした。
「はじめまして、劉麗雷です」
「初めまして、一条将輝です」
自己紹介の時点でも日常生活で話せるレベルだと窺わせるほどの話し方。一方、将輝は無難に自己紹介を交わす。だが、初対面で茜は思わず呟きを漏らした。
「うわっ、可愛い…」
「おい、茜」
「も、もう、分かってるよ。―――将輝の妹の一条茜です。宜しくお願いします」
こういう場に慣れていないのだから、茜の反応も普通の女子中学生としては真っ当な反応とも言える。ただ、将輝が小声で叱ったので、小声で文句を呟きつつも挨拶をした。その反応を見た劉麗雷はというと、『仲が良い兄妹ですね』と何処か羨ましげに見ていた。
一条家の兄妹と大亜連合からの亡命者の顔合わせは、本来和やかな雰囲気で進められるはずだった。実際のところ、部屋の
「へえー、兵士さんから少し話は聞いてたけど、今もやり取りをしてるんだ」
「はい。ただ、最近は色々忙しくて、返事の手紙が出せないことも多くて」
「にしても、ちゃんとマメに手紙を寄越してくれるなんて、いい人なんだね。それに引き換え、うちの兄は……」
最初の自己紹介の時にちょっとしたドジをしてしまった茜だが、劉麗雷はそれを見て『この人となら話せるかも』と思い、林護衛隊長と将輝が会話をする合間を見計らって談話に華を咲かせていた。
これだけ見れば、彼女が戦略級魔法を使用することを抑止できると思えるわけだが、そう感じられない言い争いがお互いのソファーの反対側から繰り広げられていた。
「……うちの兄がゴメンね。えっと、レイちゃんって呼んでもいい?」
「いいですよ。その代わり、私も茜と呼ばせてください」
「それは構わないよ」
どういうことかと言うと、将輝は劉麗雷が唆されて戦略級魔法を使用されるリスクを下げるため、一条家で預かりたいと提案したのだが、林護衛隊長は頑なに反発したのだ。
その上で林護衛隊長は十師族のことを“軍閥”などと蔑んだりして、流石に劉麗雷としてもあまり気分のいい言い争いとは思えず、茜も互いに助けを求めた結果として談話することにしたのだった。
ただ、流石に会話の邪魔となる為、茜が遮音フィールドを張っているわけだが。
「そういえば、その人の名前って?」
「あ、はい。確か、長野佑都と……」
「え? 長野佑都? 悠元兄様だよね、それって?」
「え、ええ!? ご存知なんですか!? というか、お兄様って血縁関係なのですか!?」
思いもよらない劉麗雷と悠元の繋がりを聞いた茜が思わず漏らしたことに対し、劉麗雷が食いついた。これによって言い争いを繰り広げていた将輝と林護衛隊長が完全に蚊帳の外に置かれた瞬間だった。
「えっと、実の兄じゃなくて、兄のような存在と言えばいいかな(流石に婚約者の関係です、とか言えるわけがないよね)」
「そうだったんですか……では、その人は日本にいるのですね?」
「うん……好意でもあるの?」
「いえ。でも、私を私らしくしていただいた“師匠”にお礼を言いたくて」
「し、師匠?」
茜からすれば、兄と同い年の婚約者が劉麗雷と師弟関係を結んでいた、ということになる。何ともちぐはぐな関係性に対して茜は首を傾げてしまったため、劉麗雷が説明を始めた。
彼女の説明では、大亜連合国内で出会った時、お互いに好意を抱かないことで納得していた。祖父が許嫁にしようと画策したが、それを悠元が拒否した。曰く『彼女が目指したい道を見つけるのは彼女自身の権利だ。それを止めることも縛ることも出来ない』と。
その代わり、日本語の読み書きを文通の形で行った。聞くことと話すことはほぼ独学だが、その切っ掛けをくれた悠元は、劉麗雷にとって“先生”とも言える存在になっていった。
「何にせよ、兄様が安堵しそうなことだね」
「? 何かあるのですか?」
「聞いた話だと、十人以上に囲まれているらしいって」
「……普通なら干からびませんか?」
「私もそう思うよ」
婚約者の一角を担う茜も、そこに拍車を掛けている一人。いずれにせよ、劉麗雷が悠元の婚約者もしくは愛人に名を連ねることを回避できるのならば、悠元も少しは安堵するだろうと茜はそう感じた。
「まさか、こんな形で師匠との繋がりがあるなんて。あの、もっと聞かせてほしいです」
「いいよ、どうせまだ掛かりそうだし」
「……そうみたいですね。って、私自身のことなのにすみません」
「気にしなくていいって」
劉麗雷と茜が同年代の少女らしい会話に没頭していく横で、将輝と林護衛隊長が未だに言い争いを続けていて、そこから茜が耐えきれずに口を出したのは……そこから15分ぐらい経った後のことだった。
◇ ◇ ◇
劉麗雷と護衛隊長は宛がわれた部屋に戻っていった。同席していた基地の士卒も持ち場に戻ったところで茜が将輝を咎める。
「お父さんも意向を伝えるとは言ってたけど、いきなり引き取る話をするとか性急すぎるにもほどがあるでしょうに」
「……それは、そうだが」
「ちゃんと相手の感情も考えなよ。こういう場に慣れているのは専ら兄さんのほうなんだから」
正論に近い説教を受けては、さしもの将輝であっても回答に窮するのは無理からぬことだった。
「大体、レイちゃんは14歳なんだよ。自分で散々言っておきながら高圧的な態度を取る方が問題だと思うけど」
「ちょっと待て。『レイちゃん』は劉麗雷少尉のことか?」
「そうだよ。兄さんが護衛の人と言い争っている間に話が進んで、本人からそう呼んでいいって言われたから」
「そ、そうか……」
劉麗雷に対する呼び方に気付かなかったとなれば、当然二人の会話に出てきていた悠元の存在に気付いていない可能性が高い。寧ろ、その方が変に話を拗らせることもないし、茜も一条家でのトラブルを考慮すれば話さない方がいいと判断した。
すると、基地の兵士が二人に割り込む形で声を掛けてきた。
「失礼します。一条将輝さんにお客様です」
「ここに?」
将輝が問い質したのは、自分に用件があるという意味ではなく、客人が将輝の所在を把握して尚且つ追いかけてきた、という意味から来るもの。とはいえ、手持無沙汰となった将輝に断るという選択肢は存在しなかった。
「分かりました。案内をお願いします」
いくら十師族とはいえ、将輝の立場は“客人”に近い。将輝はそのことを直ぐに思い返し、丁重な言葉遣いで案内を促した。
「こちらです」
兵士に続く形で将輝が動き出したが、茜はそれに続く形で後ろをついていった。ここで『付いてこなくてもいい』と言いだしたら、それはそれで後々問題になると踏んで、将輝は何も言わなかった。
将輝に用件がある客は宿泊棟ではなく、軍の魔法師が使う装備をメンテナンスしている施設であった。呼び出しに来た兵士の運転する車で到着し、案内された先は2階の一室だった。
そこで将輝と茜を待ち受けていたのは、彼らが良く知る人物―――吉祥寺真紅郎であった。
「待っていたよ、将輝。茜ちゃんも同行していたとは剛毅さんに聞いてたけど……その様子だと、言い争いでもしたのかい?」
「お、正解です真紅郎君」
「……ジョージ、その為だけならば態々小松基地に来る必要もないだろうに。俺に用事があると聞いたが、どんな内容か教えてもらえるか?」
真紅郎は将輝がまたやらかしたような表情に気付いて冗談気味に問いかけると、茜が代わりに応えたことで「やっぱりか」と苦笑を見せていた。一方、弱みを握られたような感覚に陥った将輝は話題を逸らすために真紅郎の訪問理由を尋ねた。
「その前に、一つ話しておきたいことがある。これも重要な事なんだけど、先程悪いニュースが飛び込んで来た」
「悪いニュース?」
「うん。新ソ連政府が戦争犯罪人・劉麗雷の引き渡しを日本政府に要求してきた。勿論、日本政府がそれを認めることは出来ない」
日本と新ソ連は正式な国交を結んでいない。それでいて、佐渡沖や宗谷海峡の件についてしらを切り続けている有様。その相手が厚かましく亡命してきた劉麗雷の引き渡しを要求してきたのだ。
「何よそれ!」
「落ち着け、茜。それでジョージ。新ソ連が侵攻する可能性が高まったからこそ、俺が動かなければならない状況にあるということだな?」
「話が早くて助かるよ。だからこそ、将輝には試してほしい魔法がある」
真紅郎は真剣な表情で将輝に迫った。それに対して、将輝は真紅郎の様子が嘗て[
「新たな魔法? この状況で……まさか、ジョージ」
「そのまさかだよ、将輝。君に使ってもらう魔法は“戦略級魔法”だ。覚悟は……なんて、今更問い質す必要もないだろうけど」
「無論だ」
将輝の力強い頷きに対し、意志の硬さを感じ取った真紅郎。
「なら、色々試したいことがあるのは……そこも言わなくても分かるか」
「ああ。先に行って待ってるぞ」
先程のことについてあまり触れられるのを避けたかったためか、先に出ていった将輝の後ろ姿を見た後、深い溜息を吐いた。
「はあ……これでちゃんと吹っ切れていてくれたら問題もないんだけど。流石に前田校長や剛毅さんに絞られてるから、大丈夫だよね?」
「……真紅郎君は、兄さんがまだ悠元兄様の婚約者を諦めてないと思ってるの?」
「ただでさえ曲がったことが嫌いな将輝だからね……杞憂に終わってくれてればいいんだけれど」
真紅郎からすれば悠元は、友人の一人にして魔法研究者としての目標の一人。茜からすれば、悠元は既に想いを通じ合わせた婚約者。互いに悠元と将輝のことをよく知っているからこそ、真紅郎の漏らした杞憂に対して茜が問いかけ、真紅郎は無駄な思考に終わってくれることを切に願ったのだった。
「仮にそんなことになったら、父さんが上泉さんのところへ修行に出すとか言いかねないかも」
「……とっとと諦めてくれたら、僕たちは楽できるのに」
一人の少年の恋慕によって、周りに多大な迷惑を掛けているという現実を知れ……と言いたげな真紅郎の呟きに対して、茜はウンウンと言いながら頷いていた。
てなわけで、劉麗雷絡みはこんな展開になりました。別名ほのかパターン(一線を引いておく)に日本語の先生・生徒要素を組み込んだ感じです。それに、悠元は大亜連合に対して正面切って喧嘩を売っているような立場ですし、祖父は大漢を殲滅した張本人。
尤も、悠元の場合は前世の大陸の傾向を知っているだけに、人は信用できても国家を信用するには至らない格好です。