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その名を聞けば、知らない人はモグリと言われても過言ではない魔法師。
十師族・五輪家現当主である
彼女は戦略級魔法『
これが表向きにされている五輪澪に対しての印象と評価である。
では、実際の彼女はというと……こうである。
「悠元君、久しぶりー!!」
「…澪さん。他に人がいないとはいえ、少しは隠してください」
会議の後、澪からの呼び出しを受けて悠元が(当たり前だが)真夜が泊まっている場所とは別のVIPルームに足を運ぶと、執事と思しき人の案内で中に通された。澪は動力付き車椅子に乗っていたのだが……二人きりになった瞬間、澪は車椅子から飛ぶようにして地面に着地すると、駆け寄って悠元に抱き付いていた。
「偶にはいいでしょう? 使用人には見せられないんですから」
「寧ろ医者経由で知っていると思ったのですが?」
「私のことを知られたら、悠元君に迷惑が掛かるもの……何なら、そのまま婚約しても」
「はいはい、調子に乗らないでくださいね」
澪は本来丁寧な言葉を使うのだが、悠元に対しては無駄に疲れるということから口調を崩して話すことが多い。悠元は澪からの言葉にそう返しつつ、澪をお姫様抱っこで車椅子に戻した。その一連の行動に対して、澪は顔を真っ赤にして俯いていた。
「ズルいよね、悠元君は。釣った魚にも律儀に餌をあげるんだもの」
「餌やりはもとより、釣り上げた覚えなど皆無なんですが」
悠元としては、澪の治療はあくまでも『
『癒しの風』は想子体と幽体、肉体の相互バランスに対して干渉を行う魔法。その副次効果および隠蔽としてマイナスイオンを意図的に発生させる放出系と気流操作の術式も組み込んでいる。
この魔法を作った理由は、単に『領域強化』の効果が強すぎた為。『領域強化』の効果対象とした魔法師の実力まで引き上げてしまうことが剛三と深夜、それと穂波に対して使用した結果から得られたためだ。
新入生勧誘週間の時に『癒しの風』を使ったのは、疑似キャスト・ジャミングによって想子体に変調を来たしていたため、肉体に対して想子酔いという症状を引き起こしていた。なので、それを軽減させる干渉を行っただけだ。変数設定によって効果範囲も容易にできるため、その時は狩猟部の先輩たちに対象を絞った。
ただあの時、その範囲内に亜実も入っていたことを失念していたが……燈也に確認したところ、あの日以降亜実の実力もメキメキと伸びていったらしい。恐らくは彼女の想子保有量に対して肉体とのバランスが合っていないと判断して干渉し、身体強化に付随して魔法力も伸びたのだろうと考えられる。
魔法って本当に末恐ろしいと思う。この場合は本来『その時不思議な事が起こった』というご都合的展開が起こりえない世界で、そのご都合的展開を起こせるだけの異分子である悠元が単に“埒外”なだけだが、本人は否定している。
「やっぱり、私の容姿なのかな……最近は成長してきてるけど」
「それはいい傾向だと思いますよ」
「むー、他人行儀なんてしてほしくないの! 本来なら、寧ろ私が敬意を払わなきゃいけないんだよ?」
話を戻すが、悠元は魔法の実験のつもりでも、澪にとっては“自分の命を救ってくれた恩人”に他ならない。
国内の名立たる治療師でも解決策を見いだせなかった澪の治療を成した……その功績は、魔法医学界にとっても大きな出来事。彼の非凡さは十師族の中でも突出した存在だろう。だからこそ、澪の父親である勇海は彼女を悠元と婚約させようとしている。
加えて悠元は三男であり、三矢家長男が次期当主である以上は師族の当主に成り得ない。だが、非公式の戦略級魔法師である悠元は、澪と同じようにその存在だけで三矢家の要なのだ。
戦略級魔法師同士が婚姻となれば、確実に国内外へと波及しかねない。だからこそ、元は勇海の申し出を丁重に断った経緯がある。尤も、澪としては悠元との婚約は吝かでないと思っている。
「前にも話しましたが、ある意味騙していたのは事実です」
「魔法師なんて、騙してナンボみたいな所はあるけど? 十師族なんてその極みじゃない」
「否定はできませんね」
最初、悠元は非公開の治療魔法と
こればかりはいくら相手が同じ十師族で、魔法技術提供に好意的な三矢家とはいえ教えられる話ではない。それに、勇海の取った行動が魔法使いとしての掟を破ることに繋がりかねない。なので、被験者でもある澪が悠元からその魔法の大まかなことを聞き、勇海をそれで納得させていた。
「だからと言って、その詫びに澪さんと婚約させようとしている時点で七草家当主とやってることが大して変わりませんよ……魔法使いの家としては、次代に卓越した魔法師を残す意味合いで受け取るなら、それも正しい選択なのでしょうが」
「……え? あの家からも? もしかして、真由美さんの妹さんのどちらかと?」
「ええ、
悠元自身、許婚の相手がいること自体はそれとなく聞いていたが、具体的な内容については婚約破棄を告げられるまで知らなかった。
元としては、年を越す前(昨年末)まではその方針で行こうと考えていたらしい。深雪が悠元に対して特別な感情を向けていることは、元も知らなかったので無理もないことだ(バレンタインチョコ云々は元の妻である詩歩から『本人たちの問題』と釘を刺されていたため)。
「―――お父様? せっかくの良き話を台無しにしてくれた代償は、どう支払っていただけるのでしょうか? 悠元お兄様と結ばれるチャンスをふいにされて……解っていますよね?」
「泉美、ストップ! ストップ!!」
「お願いだから落ち着いて! って、名倉さんが立ったまま気絶してる!?」
「……(娘の教育、間違えてしまったのだろうか?)」
余談だが、そのことを後で知った泉美が、父親に対して殺気混じりの満面の笑顔を浮かべながら問い詰めた。これには姉である真由美や双子の姉である
弘一は冷や汗をかきながら、娘の教育を一体どこで間違えてしまったのか、と自問自答していたのだった。こればかりは弘一が原因ではなく、悠元という存在に出会ってしまったことが大きいというのは……この時の弘一には分からなかった。
そんな経緯もあり、六塚家現当主の弟が五十嵐家長女を婚約者とする発表には、特に工作をすることもなく黙することを選んだ。そのことを知っているのは当人とその側近の執事だけである。
「泉美ちゃんから『今後はあの人を父親だと思いたくありません』と言われた時は返答に困りましたよ。少し落ち着くように言いましたし、真由美さんや香澄ちゃんにはそれとなくフォローしてもらうよう言い含めましたけど」
そのフォローの一環がホワイトデーのプレゼントも兼ねた七草家訪問だった。ちなみに、持参した大量のクッキーの半分は克人が引き取って十文字家に持ち帰ったところ、克人本人や彼の父親、克人の弟と妹から『美味しかった』と感想をもらった……どうか、フラグが立ちませんように。
「……そういえば、最近真由美さんのスキンシップが増えてたりする?」
「その印象は拭えませんが……でもあの人、
「婚約者“候補”というだけだよ。何回か食事やデートらしいことはしてるけど……周りが変に持ち上げちゃって、結果的に『婚約者』って話になってるの」
澪の言葉に悠元も思わず目を見開いた。
あの七草家当主なら同い年以上の男性を婚約者候補に据えようと考えていたことは、泉美との婚約話でも理解していた。なので、てっきり真由美も婚約しているとばかり思い込んでいたのだ。
達也がそのことについて自分で調べなかったのは、それが深雪に対して害をなすような話でもなかったために調べなかったのだろう。こればかりは自分の早とちりだなと自省した。
「その話で思い出したけど、真由美さんから『悠君が、自分のことを名前で呼んでくれないんですよ』って相談されたんだけど」
「学校でその呼び名を使ったら、学校非公式のファンクラブから要らぬ嫉妬を受けかねません。唯でさえ、自分と真由美さんは年齢こそ違えど、同じ十師族の直系なのですから」
「それも納得できる話だよね……本人は諦めないと思うけど」
呼び名一つで本人の機嫌を損なうのは嫌だが、彼女をアイドルのように神聖視しているファンクラブの面々から要らぬ疑いを持たれて、それで襲撃されるのは一番御免である、というのが悠元の出した結論だ。
「泉美ちゃんの問題で尾を引き摺っているのにですか……」
「むしろ、逆に好機だと思ったんじゃないかな。十師族は恋愛結婚なんて夢物語みたいなものだし」
「七草家のごたごたに介入する気はゼロですよ」
泉美との婚約解消も相まって、より拍車が掛かったのは否定できない。何せ、何度か出たパーティーでの態度と、一高に入学して生徒会に入ってからのスキンシップを比較すると、後者のほうがより直接的になっている。
「……まあ、うちの爺さん共々七草家に危機を与えてるような感じなのは否定できませんが」
「別に御破算になっても、五輪家にとっては痛手にならないからね。寧ろ私としては都合がいいし」
「いや、それでいいんですか……
「都合がいい」というのは、悠元と泉美の婚約話が消えたことで澪にもその
念のため、自分の婚姻に関わることを剛三から聞いたのだが……剛三は「この国の護りを万全にするために戦略級魔法師の血縁を絶やさないことが大事だ」と述べていた。彼の子どもは戦略級魔法を使えないが、その孫である自分が戦略級魔法を使えるという事実上の隔世遺伝を起こしていたからだ。
その上で「民法など無視してでも複数の婚姻を結んでその血筋を増やすことこそ肝要」と力説された。つまり、待っているのはハーレム的展開ということに他ならない……マジで? 剛三は東堂青波を始めとした『黒幕』とも面識があるらしく、彼らの伝手を使えば政府を黙らせることなど造作もないらしい。おお、怖い怖い。
恐らくだが、達也もこの例外になると踏んでいる。何せ、剛三は深夜を知っているので、自ずと達也と深雪も知っている可能性が高い。転生という形で原作に介入している自分でも、こればかりは「
前世の時はハーレムを羨ましいと思ったり、男の夢だなと思ったりしていたが……転生して魔法使いの家系に生まれ、各所に顔を出していく中でそんなのは“遥か遠き理想郷”だと率直に感じた。例えて言うなら、女子校が夢の花園とか理想を抱いても、現実はそう甘くないと突きつけられるようなもの。
そこに加えて、自分の場合は恋愛感情の欠落もある。そう簡単な話ではない、と溜息を吐きたかったのは言うまでもないし、剛三との話は二人だけの秘密である。
「男として情けないって思っちゃうね。せめて悠元君みたく女性の心を盗んじゃう人じゃないと」
「俺はどこぞの怪盗になった覚えはありません。てか、フォローもしないんですか?」
「無理。私には私の都合もあるからね」
血の繋がった実の弟に対してバッサリと切り捨てた澪に、悠元は思わず頭を抱えたくなった。この後、学校生活のことや九校戦の出場種目についての話をした後、悠元は漸く解放される形となった。
なお、帰る際に「私のことを置いてかないでー!」とか言ったので、母直伝の
ダメだ、この
澪で丸々一本書き上げるとは想定外でした。
原作だと丁寧な口調ですが、真由美みたく余所行き用の口調という設定にしています。