そのスピード・シューティングの様子を、一高の天幕内で佳奈と美嘉が見ていた。
彼女らは天幕の警備に来ているのだが、昨晩の不審者の件もあって数名ほど増員されていたため、天幕内の警備をしていた。万が一の場合は佳奈の『眼』があり、美嘉の体質によって隠蔽や認識阻害の類は見破れるという判断に基づくものだった。
美嘉としては昨年の九校戦よりもレベルアップしていると感じていたが、佳奈に至っては一つ溜息を吐いた。
「ん? どしたの、佳奈姉? まゆみんは大分仕上がってるのに」
「せめて『魔弾の射手』を多方向に複数展開して、速攻でやるぐらいの器量は見せてほしいと思うのは……私の贅沢?」
「まあ、七草家は元々『
佳奈の言っていることも、それに美嘉が苦言を呈したことも、見方を変えればどちらも正論である。すると、そこに鈴音が紙コップを二つ持ってきた。
「お二人とも、折角ですからどうぞ」
「ありがとう」
「悪いね、リンちゃん」
鈴音から紙コップを受け取り、中に入っている冷たい茶を口にする。その様子を見つつ、鈴音は佳奈に問いかけた。
「佳奈先輩から見て、会長はどうです?」
「まあ、あの時は私も柄になくムキになったかな。でも、あれで世界屈指の精密射撃能力者というのは……」
「佳奈姉、悠元と比較しちゃダメ。あれはホントおかしいんだから」
佳奈の言葉に誰と比較したのか察した美嘉は、姉を窘めるように呟く。すると、彼女の口から出てきた人物の名前に鈴音が珍しく首を傾げて尋ねた。
「……悠元君が何かしたんですか?」
「えっとね……リンちゃん、まゆみんってこっから富士山山頂に立てられたシャープペンの芯に命中させるぐらいの精密射撃って可能?」
「どうでしょうか……本人に聞かないと分かりませんが」
この場所から富士山頂までの直線距離は約13キロメートル。魔法を使用したとしても、それほどの対物狙撃を成功させるのは並外れたレベルの知覚力がないと無理である、と鈴音も認識している。だが、美嘉の言うことを鵜呑みにするなら、悠元はそれを実行可能としている点だ。
「一昨年の初詣の時、富士山頂にいた美嘉が携帯端末で本家の屋敷にいた悠元を挑発したの。そしたら、悠元の魔法と思しきものが美嘉の後頭部に命中した」
「ほんの軽くだったから被害はなかったけど、あれ以来怒らせたらダメだって知っちゃったし」
「待ってください。それはもっとおかしい気がしますが」
三矢家の本屋敷があるのは神奈川県(厳密には旧神奈川県だが)厚木市。そこから富士山頂への距離は推定70キロメートルを超える。いくら富士山がこの国で最も高い山とはいえ、その山頂にいる美嘉の後頭部にピンポイントで魔法を命中させるのは世界屈指どころの話ではない。
それは、悠元がまぎれもなく世界最高クラスの精密射撃能力を有していることになるからだ。
「私はCADの補助なしなら15キロが限界かな。詩鶴姉さんなら、本気だせば50キロはいけてたし」
「私は5キロが限界だよ……リンちゃん? ハトが豆鉄砲食らったような顔をしてるよ?」
「いえ、大丈夫です」
鈴音は感じていた。悠元も大概だが、この二人もかなりおかしいレベルへ振り切れていることに内心溜息を吐いたのだった。せめてもの救いは、ここが天幕の奥だったことと周りに誰もいなかったことぐらいだと思った。
◇ ◇ ◇
バトル・ボードは人工の水路を全長165センチ、幅51センチの紡錘型ボードを使って走破する競技だ。ボード自体に動力はついていないため、魔法で動かすこととなる。他の選手やボードに対する攻撃は禁止されているが、水面に魔法で干渉して間接的に妨害するのはルールの範囲内である。
元々海軍の魔法師訓練用に考案されたもので、水路自体に統一された規格は存在しない。魔法使用が前提のため、一般に普及しないと考えられているためだ。九校戦用のコースは全長3キロの人工水路を3周走ることになる。直線やカーブ、上り坂やスロープといった変化があり、純粋なスピードだけではなく巧みなペース配分やバランス感覚が求められている。
予選は1レース4人の6試合で1位のみが勝ち上がり。準決勝は1レース3人で行われ、決勝は準決勝の1位同士、三位決定戦は準決勝の2位同士で行われることになる。
ボードの最大速度は30ノット超―――時速換算で55キロから60キロを出して、風除けもなく空気抵抗(風圧)をまともに受ける形でボードに乗っている状態を維持し続ける。これだけでもかなりの体力が消耗されることになるのだ。
この中ではほのかが新人戦バトル・ボードに出場し、その練習メニューと作戦立案を達也が担当。本番はアイス・ピラーズ・ブレイクとの兼ね合いもあるため、あずさが担当エンジニアとして入る。
「ほのか、体調管理は十分か?」
「大丈夫です。体力トレーニングはちゃんと続けてきましたので」
九校戦より大分前の話だが、達也はほのかに体力不足を危惧して、魔法の訓練だけでなく肉体面での体力トレーニングもするようにアドバイスしていた。達也本人としては日常会話程度のものだった。だが、ほのかにしてみれば自分が恋焦がれている人が心配してくれたことと、そのアドバイスは4月の時の一件で強く感じており、そのアドバイスを素直に受け取った。
ここまでは普通なのだが、そこからが凄かった。雫経由で悠元にトレーニングメニューを考えてほしいと頼み込んだのだ。それなら達也に頼めばいいんじゃないか? と尋ねたところ、ほのかは達也にあまり迷惑をかけたくない、という乙女心のような心理が働いていた。雫からもお願いされたので、悠元もそれの作成を了承した。
基礎的なバランス感覚を養わせるため、インナーマッスルを含めた体幹をしっかり鍛える方向性でのトレーニングメニューを渡した。外側のほうはどのみちバイアスロン部に所属している関係で身に付いてくるという判断だ。ほのかは『エレメンツ』の一族であるため、誰かに依存することでその強さを発揮することは理解していた。ならば、達也の期待に応えるためにトレーニングを頑張る方向性へと導いたのだ。
一応雫にもそのトレーニングに付き合ってやってほしいと頼んでおいた。彼女自身も4月のことは理解していたし、同じ部活なので親友として切磋琢磨するのがいいと思ったからだ。雫からは「トレーニングのお蔭で胸が少し大きくなったけど……ほのかに勝てない」と言われた時は反応に詰まったのは言うまでもない。やはり、同じ女性としてほのかのスタイルの良さは羨ましいのだろう。
自分? スタイルの是非よりも内面じゃないのかな、というのが正直な感想である。顔がいいならなお良いぐらいだ。恋愛観が若干擦れているのは気にしないでほしい。
「ほのかったら、随分筋肉がついてきたんですよ」
「ちょっと、やめてよ深雪! 私はマッチョ女になる気なんてないんだから! って、達也さんに笑われたじゃない!」
「今のは、ほのかの言い方がおかしかっただけだと思う」
深雪の言葉に達也が思わず噴き出すと、ほのかは頬を赤く染めて涙目で深雪に抗議しようとしたが、そこで雫の横槍が入る。
「雫まで! …いいもん。私はどうせ仲間外れだし。二人と違って、試合は見てもらえないし」
「……ミラージ・バットはほのかの調整も担当させてもらうんだが」
ほのかがいじけたことに達也は笑うのを止めた。というか、何故自分が矛先を向けられるのか分からないという表情を見た燈也と悠元は視線が合い、軽く頷いた。
「バトル・ボードは担当してもらえませんよね。深雪と雫は、二種目とも達也さんが担当するのに」
「……その分、練習も付き合ったし、作戦も一緒に考えたし、決して仲間外れにしているわけでは……」
達也は頑張ってフォローしようとしているのだが、遂には口ごもってしまった。
「達也さん、ほのかさんはそういうことをいっているんじゃないですよ?」
「お兄様……少し鈍感が過ぎると思います」
「朴念仁?」
女性陣―――美月を皮切りに、深雪と雫から達也への非難のような言葉が飛んできた。これにはエリカも万能超人と思えた達也の意外な面に笑みを零した。
「達也君の意外な弱点、発見かしら」
「君はもう少し乙女心を勉強すべきですよ」
「流石、彼女持ちは言うことが違うな」
続けて放たれた燈也の言葉に悠元はわざとらしく頷く。だが、こんな理不尽な状況でも達也はめげないように悠元へ視線を向けつつ言い放った。
「悠元、お前もある意味同じだからな」
「勝手に道連れに……って、あのー、二人とも? がっちり肩をホールドしないでください」
「そうですね。非常に不服ですが、お兄様の言うこともご尤もです」
「ん。放っておくとどんどん増えていくから困る」
この二人は競い合っているのか共謀しているのか分からないが、いつの間にかほのかのことが回りまわって自分に矛先が向けられたことに悠元は溜息を吐きたかった。
別にそんなつもりはなく、三矢の家らしく人の繋がりを形成しているだけなのだが……ここで幹比古とレオに視線を向けたところで打開策が出るわけでもない。燈也に助けを求めたところで厳しいツッコミが入るだけだろう。
結局、レース開始まで深雪と雫に両肩を掴まれたまま、項垂れるほかなかった。
「そしたら、レースが始まるまで燈也に乙女心の気づき方を教わるってのはどう?」
「その程度なら苦じゃないですよ」
「……」
なお、そのことで達也が回避に成功したわけではなく、エリカからの追撃で燈也から乙女心の気付き方を学ぶ羽目になった達也(プラス悠元)であった。その横でニコニコしている深雪を見て、これは断ったら肺まで凍らされると確信したのは言うまでもない。
そして、女子バトル・ボード第三レースが始まるのだが、その中でエリカが一際不機嫌な様子を隠そうとしていなかった。これには周囲が疑問に思う中、やっと解放された悠元が話しかけた。
「エリカ、まだ認めてないのか」
「そう簡単に認められるわけないでしょ……」
エリカが不機嫌な理由。それはこれから出てくる摩利が彼女の身内と恋仲にあるということ。それに対して不満げであるということもある。過去にエリカが摩利に対して勝負を持ち掛け、完膚なきまでに叩きのめしたのだが……それが切っ掛けで進展したことに納得がいかなかったのだ。
「悠元さんはご存じなのですか?」
「達也と深雪なら覚えてるだろうけど……ほら、俺らが生徒会役員に、達也が風紀委員に推薦された日のこと」
「……ひょっとして、悠元が入れ知恵したのは委員長の彼氏ということか?」
「ちょっと、悠元!?
流石に観客がいることもあるので、エリカは周りに迷惑が掛からない程度に叫ぶ。
悠元としてはその彼氏から真面目に相談されたのでアドバイスを送ってやっただけだ。それに、摩利もその彼氏も上泉家に関わりがあるため、無碍にできないと判断してのことだった。
「次兄様? エリカちゃんのお兄さんって凄い人なんですか?」
「コイツ、滅多に実家のことを話さない……いや、話したくないから無理ないのさ。エリカが不機嫌な理由は可愛がって貰ってる兄の彼女が渡辺委員長なんだよ。そんで、その兄が外部補助スタッフの
エリカが下手に噛み付かないのは、悠元が新陰流剣武術師範代であり、その彼が自分の兄こと修次を破っていることに起因する。修次が千刃流免許皆伝の腕を持っているのに勝てない相手であり、自分では勝負にならないと理解しているからこそだ。
「……悠元、実は性格悪いでしょ。このシスコン」
「失敬な。俺は認めた相手なら素直に譲るぐらいの器量はあるぞ、このブラコン」
お互いに悪口を言い合うような格好だが、冗談交じりだということはお互いに理解しているため、取っ組み合いになるようなことはなかった。これぐらいの気配りをレオに……いや、彼は彼で結構デリカシーがない発言をかますので、痴話喧嘩になっても無理はないだろう。
エリカは何度か三矢本家の屋敷に来たことがある。その際、詩奈が悠元の妹であることを知った。その詩奈が悠元に対して見せている態度と悠元の可愛がりから『シスコン』と言い放ったが、その辺は自覚した上で悠元も答えを返す。だが、それを知らない人は姉に対してのシスコンだと勘違いしているようだ。
「悠元さん、やっぱり年上好きなんですか?」
「思いっきり勘違いしてるだろうが、血の繋がった人間に欲情なんてできないし……って、そろそろレースが始まるな」
「あ、逃げた」
後でまた修次か摩利に入れ知恵してエリカを困らせると決意して、レースに意識を向けさせた。レース開始を待つ選手が片膝をついて対している中、摩利は悠々とボードの上に立っていた。そんなことが出来るのは優れたバランス感覚を持っているからなのだが、見方を変えれば他の選手を傅かせる女王様のようにも見えなくない。
摩利の名前がコールされると、観客席の同性から「摩利様」と黄色い歓声が飛び、摩利も手を振る形で答える。これには燈也が思わず呟いた。
「分かってはいましたけど、すごい人気ですね」
「分かる気もします。渡辺先輩はカッコいいですから」
その反面、同級生から姐さんと呼ばれることに対して抵抗があったり、彼氏に対して乙女らしい一面があったり、しまいにはその彼氏の妹から小姑の如く睨まれている。そんな一面が明るみに出たら、ファンの子達はどういう反応をするのだろうかと思わなくもない。
本人にバレて剣術の練習台になるのは御免なので、それを口に出すことは決してしないが。
競技よりも、その合間の会話が書きたくなる症候群。