悠元と元がホテル地下の温泉(サウナ)で語らっていた頃、ホテルの高級士官―――大佐クラスが泊まる部屋に剛三はいた。新陰流の総本山の規模が大きいとはいえ、剛三自身は必要以上の贅沢を嫌っていた。それこそ重要な行事などでもない限りは質素な食事で済ませているほどだ。
今回剛三がVIPルームに泊まらなかったのは、武術家として自分の宿泊する部屋は狭いほうが逆にありがたいぐらいだったためだ。とはいえ、大会運営側の面子も立てる形でこの部屋を選んだのだった。
それはともかく、剛三は円卓に備え付けられた椅子に座っていて、円卓を挟んで向こう側に座っている3人の男女に目線を向けた。剛三にとって、その3人はよく知っている人間だが、悠元には話していない。何せ、その3人は“裏”の天神魔法に関わる人間だからだ。
「姫梨ちゃん、七高の先輩は大丈夫だったか?」
「はい。精神状態のほうも大分落ち着きました。とはいえ、魔法力の低下は避けられないかと…」
剛三に話しかけられた少女―――神楽坂家の筆頭主家である伊勢家の長女、第七高校1年の伊勢姫梨は少し落ち込んだような表情を見せていた。
本戦女子バトル・ボードの準決勝第2レースで起きた七高の選手のコースアウト。怪我などはなかったが、オーバースピードによる制御不能状態は当事者である選手に対して魔法への懐疑を起こさせてしまった。加えて、担当した技術スタッフもひどく落ち込んでしまったと話した。
すると姫梨の隣に座る男子が声に出した。そして、その言葉に続いて男子の隣に座る女子も声を上げた。
「電子機器の誤作動……となれば、『電子金蚕』が一番濃厚だな。しかし、単独で七高を狙い撃ったとは考えにくい。やはり、一高の渡辺選手と潰し合って、三高の選手を決勝に上げる為だったんだろうな」
「そうなると、あの組み合わせも怪しくなるね。トーナメント操作に監視システムの一部無効、加えてCADチェック……問題だらけじゃない?」
男子―――神楽坂家の分家の一つである宮本家三男、第九高校1年の宮本修司が七高選手の原因である古式魔法の名を呟くと、女子―――同じく分家の一つである高槻家次女、第二高校1年の高槻由夢は大会委員にその原因があることを指摘した。その指摘には剛三も溜息を吐いた。
「今回、被害にはならなかったから見ぬ振りはするが……三矢家からリストは貰ったが、半分以上が『クロ』だ。こうなれば、正当な競技が出来るかどうかも疑わしくなる」
「つまり、何らかの妨害は続くと?」
「バトル・ボードであれだけのことをやったのだ。警戒することぐらい向こうは読んでいるだろう。無頭竜の連中は会場に『ジェネレーター』まで送り込んでおったからな」
剛三は修司の問いかけに答えた上でそう断言した。対人競技で事故の可能性があるものと言えば、モノリス・コードとミラージ・バットが該当する。特にミラージ・バットは本戦に姫梨も出場するため、気が抜けないのは確かだろう。『ジェネレーター』に関しては既に対処済みなので、観客に被害が出ない状態はある程度確保できたといえよう。
「そうなると……剛三の爺さん、俺は新人戦モノリス・コードに出たほうがいいのか?」
「いや、その辺りは“第二席”―――わしの孫に見張ってもらう。補助には2人が付いているが……修司にもその補助を頼めるか?」
「つまり、何か起きること前提と言うわけか。分かった……お祖母様にも頼まれてるからな」
修司は諦めたように一息吐くと、真剣な表情を浮かべて頷いた。幸いにして、修司は本戦のクラウド・ボール1種目だけなので、割と自由に動けるのだ。すると、それを聞いた由夢が剛三に尋ねた。
「そういえば、私と姫梨で三矢悠元って人に会ったんだけど……知ってます?」
「ほう、あ奴に会ったか。その様子だと、天神魔法を止められでもしたか?」
「仰る通りです。まさか、高位魔法を瞬時に定義破綻させられるとは思わなくて……」
「姫梨ってば、彼に惚れちゃったみたいでさ」
「由夢!!」
「二人とも、落ち着け……」
由夢の言葉に姫梨は頬を赤く染めつつも叫び、それを見た修司は双方に落ち着くよう諌めた。それを見た剛三は笑みを零していた。まさか、自分の意図していないところで自分の孫と出会ったことに、彼は何かしら“持っている”と感じていた。
「あ奴には元々武術の免許皆伝の段階に教える予定だったのだが……“表”の天神魔法を自力で会得しおった。あの難解な文章を己の力だけでな」
「マジか……ちなみに、どの属性を極めているんだ?」
天神魔法は会得の難しさと魔法特性の関係で陰陽(光・闇)、五行(火・水・木(風)・金(雷)・土)の7属性のいずれかを1つ極めることが多い。加えて当主の場合は、“表”の場合は光、“裏”の場合は闇の属性を会得していることも次期当主の条件に含まれる。これは各々の魔法に関係しているためだ。
「驚くでないぞ、修司。あやつは―――“
「はあ!?」
「ええっ!?」
「そんなことが有り得るのですか!? 神楽坂家でも歴代最高クラスの実力を有するお祖母様でも、最上級の天神喚起まで会得したのが4属性なのですよ!?」
剛三の言葉に修司、由夢、姫梨が続けざまに声を上げた。全ての属性を会得するということは最早“神業”の領域―――それこそ、この魔法を編み出した陰陽師である安倍晴明と賀茂忠行の再来ということになる。三人の驚きをよそに、剛三は話し続ける。
「事実だ。悠元が偶々天神魔法を練習していた時に出くわしたことがあったのだが、あ奴は全ての属性魔法を同時行使までしていた。それを千姫に伝えたところ、九校戦に足を運ぶと言ってきた」
「祖母ちゃんが自ら来るって……流石に着物では来ないよね?」
「それは流石に目立つだろうよ。まあ、この間買い込んでた服でも着るとは思うが」
「多分、今頃実家で着ていく服を準備してるのでしょうけど……父様が頭を抱えそうですね」
神楽坂家当主は公的な場や行事以外だと現代風のファッションを好んでおり、ネットを駆使して流行を敏感に察知する。現当主である神楽坂千姫は一応「84歳」なのだが、剛三以上に若い容姿に加えて、女性にとって理想のモデル体型でもあるために何を着ても似合う有様だった。
古式魔法の大家なのに、そういう所は必要以上に拘らない現当主に対して、姫梨は頭を抱えるであろう自分の父親を同情したのであった。
◇ ◇ ◇
九校戦4日目。本戦はミラージ・バットとモノリス・コードを残した形で一旦の区切りとなり、今日から5日間、1年生のみで勝敗を競う新人戦となる。ここまでの総合ポイントは第一高校と第三高校が競っており、その差は70ポイントで第一高校がリードしている。とはいえ、新人戦の成績次第では第三高校に逆転優勝される恐れも出てくる。
新人戦の得点は本戦の2分の1(小数点以下が出た場合は切り下げ)とはいえ、総合優勝を狙うとするなら新人戦の結果が直結すると考えていいだろう。無論、出場する選手にとっても新人戦優勝は自分達の栄誉になる。
幹比古は、ホテルの敷地内にある場所―――先日見つけた場所なら、人知れず精霊魔法の訓練もできると足を運んでいたのだが、その場所に先客らしき気配を感じた。しかも、その場所に同調している精霊が明らかに多いことも気に掛かった。
(この力は……一体誰が……)
自分でもそこまでの精霊を集める技量はない。かつて“吉田家の神童”と呼ばれていた頃でも恐らく無理だろう。ならば一体誰が……先日の賊のことも考えてゆっくりと近付くと、開けた場所の中央に立っていたのは、幹比古がよく知る少年―――悠元であった。
「……凄い……」
嫉妬や羨望よりも先に、幹比古の口から出たのは驚きであった。彼から見た悠元の古式魔法……その光景があまりにも綺麗だった。
本来なら意識を集中させないと感じ取れない精霊がハッキリと見えるほどに彼の同調が強いということも感じていた。7つの属性を持つ精霊が一切列を乱すことなく、悠元の周囲をまるで虹が覆っているかのような光景だった。
すると、悠元が手を上に翳す。それに従って精霊たちが空に舞い上がっていく。まるで朝日に照らされて精霊たちが虹の光を放っているかのようだった。
その光景に幹比古が意識を奪われていると、悠元から声を掛けられたことに驚いた。
「幹比古、覗き見はあまり感心しないけど?」
「あ……ゴメン。あまりにも綺麗だったから……凄いね、悠元は」
「これでも一生懸命練習はしてるからな……なんだ、その顔は?」
まるで練習もせずに会得したみたいな返しは心外だぞ、とは言わなかったが、その辺も含めた悠元のジト目に幹比古は慌てて取り繕った。すると、幹比古はそこで悠元から今までにない雰囲気を感じ取っていた。
「ご、ごめん。ところで、何か良いことでもあったの?」
「……どうしてそう思った?」
「さっきの魔法だけど、無理が掛かってる感じがなかったし、一切の淀みが無かったからね。嬉しいことでもあったのかなって思ってさ」
「嬉しいことか……まあ、悩みの一つが解決したってことかな」
悩みと言うか、単に自分勝手な思考を抱えていたが、結局は自分の視野を狭めていたことに父親からの言葉で気付かされたというぐらいのことだ。それによって自分の恋愛感情も自覚し始めたわけだが、敢えて口にしない。
「お返しに幹比古の訓練に付き合うよ。秘術関連は教えてやれないが、外典の神道系精霊魔法ぐらいは問題ないだろうし」
「はは……まあ、お手柔らかに頼むよ。神祇魔法も使えるんだっけ?」
「うちは、どちらかと言えば
そういうのって、大抵口に出したら負けフラグになるのがお約束だと思うので、考えるのは新人戦の試合が終わってからでいい。それまでは競技に集中する。
例えば、将輝の性格なら「俺は一条家の跡取りとして圧倒的な力で優勝しなければならない。そして、優勝したら最終日のダンスパーティで、正々堂々と司波さんにダンスを申し込もう」とか思いそうなのが目に見えている。
あくまでも自分の予想ではあるが、我ながらカッコつけてるようにしか聞こえない。けれど、将輝なら十中八九考えそうだから困る。
こちらとしては、異性との向き合い方(主に接し方や話し方)を教えた側と対峙するわけだが……正直に言って、何か腹が立ってきたな。直接戦闘ありなら美嘉姉さん直伝の関節技で沈めてやれたのに……そんな風に思ってしまう自分に思わず苦笑した。
「どうしたの?」
「元から恵まれてるリア充のことを思い出したら、爆発させたくなってきた」
「物騒なことを言わないでくれるかな……」
別に幹比古のことを言ったわけではないのだが、彼の言葉を聞いて「すまない」と詫びつつ、それ以降は表情に出さないよう努めた。
ともあれ、十師族としての力―――三矢家の力を見せて来いと元に言われた以上、躊躇う理由はなくなった。将輝に恨みはないが、本気でやらせてもらおうと思う。念のためだが、会場を壊さないために威力を加減するのと手を抜くことは違うと言っておく。
◇ ◇ ◇
競技の順番は本戦と同じプログラムで進められる。種目はスピード・シューティングの予選から決勝まで。バトル・ボードは予選が行われる。とはいえ、本戦とは違って開会式はないため、スピード・シューティングは午前が女子、午後が男子となる。
試合中にCADの調整はできないが、試合の合間に選手のコンディションを見て細かな調整を行うのはエンジニアの仕事だ。
技術スタッフは基本的に担当する選手の傍に付くことが多い。そのため、クラウド・ボールなどの試合数が多い競技ではメインとサブの二人が担当することになる。
同じ競技で複数人の体制が起きているのだから、同じエンジニアが同日の異なる種目を担当することはできない。
「それで、悠元は何故技術スタッフのブルゾンを着ているのですか?」
「1日目のサブエンジニアを達也から頼まれたからな。これに関しては気付いたら発注されてた」
「気付いたらって……」
一高の天幕で、燈也の問いかけに対して悠元はそう答えた。本来技術スタッフの定員は8人だが、別に選手がスタッフを兼任してはならないというルールはないし、それによって技術スタッフの補助が手厚くなったとしてもルール違反にはならない。
現に三高の場合は選手が作戦スタッフを兼任しているため、それに準えたような形だ。大体、自分でCAD調整できる真由美や克人のような存在もいる以上、実質的にその分の技術スタッフを増やしているようなものだ。
ようは代表選手およびスタッフの元々の定員や一人あたりの出場する種目数、エントリー人数さえ超えなければ、その辺の融通は各校の戦略として黙認されている、ということでもある。流石に本戦メンバーの2、3年生を新人戦の選手として持ってくることはできないが。
なお、技術スタッフ関連の前例を作っていたのが、悠元の姉にあたる佳奈や美嘉と言う存在であり、その二人をある意味育てたのは紛れもない悠元である。悠元本人としては「そこまでの技量を身に着けたのは本人たちが努力した結果である」と言い切っていたが。
「燈也に関しても急で申し訳ないが、俺が担当することになった。他の男子二人は固辞してきたから、元から担当している先輩に任せたけど」
「それは構いませんが……森崎もですか?
「アイツは負けず嫌いだからな。俺の力を借りるのが癪に障ったらしいけど……もう一人の男子のほうは、俺がE組の教室に出入りしていたことから毛嫌いしているようだ」
悠元の場合は、恐らく真由美あたりが手を回したと思しき技術スタッフの着るブルゾンが準備されていた。ここに来る際、真由美だけでなく深雪や雫に写真を撮られる羽目になったのは言うまでもない。
真由美はともかく、後者の2人に関しては競技も控えているので、彼女らのモチベーションやメンタルに貢献できるならと甘んじて受けることにした。
「強制はしないんですね」
「下手に強制して結果が出なくて、それで八つ当たりされるのも困るからな。CAD調整は双方の信頼関係が一番影響しやすいから」
燈也は、起動式の供与に加えて悠元のCAD調整スキルを一度体験しているので、悠元がCAD調整をしてくれること自体は既に受け入れていた。更に言うなら、燈也の彼女である亜実が優勝できたのも悠元から提供された魔法あってこそなので、燈也から見た悠元の評価は極めて高い。
燈也やバトル・ボードに出場する鷹輔以外だと、森崎や他の男子に自分の調整を受け入れさせるのは難しいだろう。CAD調整は選手とエンジニア双方の信頼関係が重要だ。そこで十師族として自分から押し付けても良い結果が出るとは思えない。
「それは確かに。そうだ、桐原先輩が使ってた『アレ』を使いたいんですが」
「魔法を変えなくていいんなら調整データの書き換えでいけるけど、それでいいか?」
「ええ。それでお願いします」
2日目から5日目までは、自身の出る種目の関係で補助はできないし、本来は1日目も天幕に詰める形となる予定だった。だが、深雪の本戦ミラージ・バット出場の関係で達也に負担が掛かりすぎていることを鈴音が指摘し、それを聞いた真由美が悠元に白羽の矢を立てた。悠元の代わりとして、天幕には服部が詰める形となった。
その為、女子スピード・シューティングでは雫を、男子スピード・シューティングでは燈也を担当することになった。女子スピード・シューティングのメインエンジニアである達也が雫の担当を悠元に任せ、雫も悠元が担当することを喜んでいた。その辺には雫が使うことになる魔法と“例のCAD”も関係している。
選手として活躍するよりも先にエンジニアとしてデビューするのは複雑な心境ではあったが、決まったことに文句を言っても仕方ないと割り切った。悠元が雫の担当をすることに対して深雪が若干不機嫌となったため、諌めることになったのは言うまでもないが。
「まあ、雫も燈也も俺が関わってるから、いくらか気分が楽だけど」
「改めてよろしくお願いします、悠元。ところで、エイミィのことなんだけど……」
原作だと、英美は寝不足で調子が狂っていたことがあった。アイス・ピラーズ・ブレイクでも同じ現象が見られたので、ああ見えて繊細な性格であると判断した。その為、ちょっとしたものを燈也経由で英美に渡していたのだ。
「アレ、効き目が強すぎたか?」
「いや、グッスリ眠れたって言ってたけど……違法のものとかじゃないよね?」
「問題ない。アレは詩鶴姉さんが調合した睡眠薬だよ。本人は薬剤師の資格も持ってるから、れっきとした合法だよ」
「……三矢家って、魔法使いの家柄ですよね?」
三矢家は、第三研の関係から国防軍に所属する軍人魔法師とも関わりが深い。物を壊すということは物を治すことにも長ける……その意味で、応急処置などの治療魔法は一通り修得することが義務に近い。
魔法だけでなく薬などの知識も学ぶことになるわけだが、自分の場合は瞬間記憶のために辞書をパラパラ捲ったらお終いという手軽さ……分かってはいるが、これでいいのかなと疑問を浮かべることは多かった。
燈也の問いかけに対し、悠元はキーボードを叩きつつ答えた。
「
「成程。にしても、選手よりエンジニアとしてのデビューが先になったことに関して、悠元は正直どんな気分です?」
「上手くは言えんな……魔法師というより魔工技師としての評価になるし、それが十師族としての力を示すことになるかと言われたら、俺には判断できないとしか言いようがないが……おや?」
すると、視線の先に作業をしている達也と隣に座るほのかの姿があった。二人の会話は『聴覚強化』で全て聞こえている。達也がほのかの試合を見に行くと言い、それを聞いたほのかは「約束ですよ!」ととても嬉しそうにしていた。それを見ていた悠元は、自分の操作する端末のモニターに目線を向けつつ小声で呟いた。
「……燈也。あそこにいるのは『女誑し』か?」
「悠元、君がそれを言う?」
「返す言葉もないのは分かってるから、それは言わないでくれ」
その言葉に燈也は目を見開いて驚いていた。どうやら自覚するようになったことに対してだが……それを見た悠元は、苦笑を滲ませつつも自分の担当する二人の起動式とCAD調整を進めるのであった。
令和一発目となります。
代表チームのメンバー関連については色々独自解釈混じってますが、ご了承ください。