「隣空いてる?」
「あら、深雪。空いてるわよ。どうぞどうぞ」
深雪はエリカに対してそんなやりとりをしているが、実際のところは深雪とほのかの座る場所取りをしていただけである。
態々両端にレオと幹比古がいるにも拘らず、そんなことも露知らずに下心見え見えの連中が訊ねて来たので、事あるごとに殺気込の視線プラス嘘八百でエリカが追い払って確保していた席だ。
「ほのかさん、試合は大丈夫なんですか?」
「だ、大丈夫です! 私のレースは午後だから!」
美月の問いかけにほのかはそう返すも、上擦った口調と合わせて、見るからに緊張しているのがバレバレであった。そんな様子を見て深雪がほのかに視線を向けつつも落ち着くように諌めた。
「ほのか、今から緊張していたら試合までもたないわよ?」
「うっ……分かってはいるんだけれど」
「大丈夫よ、ほのかなら。お兄様も仰っていたでしょう? あんまり考えすぎないようにってこちらの応援に来たのだから、今は雫の応援をしましょう」
ほのかに対する気遣いは達也の考えと深雪の考えが一致したものだった。前者は技術スタッフとして、後者は同じクラスメイトとしての視点の違いだが、生真面目で自信がなさすぎるほのかのことを考えれば、気を紛らわせるのがよいと考えたからだ。
ほのかも一応は納得して席に座った。
「そういえば、燈也さんは?」
「先輩方に引っ張られていったぜ。ま、人の恋路に何とやらって奴だ」
燈也は亜実に連れられる……いや、あれは強制連行に近かったとレオは感じていた。だが、燈也自身も嫌とは感じていなかったようだし、彼は午後から試合があるので、余計に疲れることは避けたのだろうと思った。
「アンタもそういう気遣いはできるのね」
「エリカちゃん、大人しく観戦しましょうか?」
「あ、あはは……(美月がドンドン逞しくなっていくわ……)」
こういうやり取りに慣れて来たのか、美月の凄みのある笑顔にエリカもたじろいで苦笑を浮かべていた。これにはレオも顔を背けつつ苦笑していた。すると、その美月が深雪の様子に気付いて声を掛けた。
「そういえば……深雪さん、大丈夫ですか?」
「? 美月、私は大丈夫だけれど?」
「あ、いえ……ちょっと、“揺らぎ”みたいなものを感じてしまいまして……」
笑顔でそう答える深雪から、その奥に秘めた何かが垣間見えたのか、美月は自分の「目」で視えたものをそれとなく感じ取った、と話した。すると、そこで幹比古が悠元の姿が見えないことに疑問を持った。幹比古たちは九校戦のパンフレットを手に持っており、出場種目は既に把握していた形になる。
「そういえば、悠元はまだ試合がない筈だけれど、やっぱり他のことで忙しいのかい?」
「実は、悠元さんが急遽雫のエンジニアをやることになりまして」
「それって、昨日のニュースで言っていた深雪絡みのことと関係あったりする?」
幹比古の問いかけを聞いたほのかが説明すると、それにエリカが追加の質問をした。昨日のニュース―――それは、深雪が本戦ミラージ・バットに出場することであり、それに反応した深雪が呟き始めた。
「ええ、そうよ。お兄様に負担が掛からないように、という先輩方のご配慮はとてもありがたいけれど……あの会長は……」
深雪としては、達也の負担を軽くしてくれる配慮はとても嬉しかった。それだけ兄の功績を認めてくれているという裏返しとも言えたからだ。だが、その代わりに駆り出された悠元と観戦できる時間を奪った真由美に対して、妬みに近い何を抱いていた。
とはいえ、こうなったのは本戦に自分が出場することも関与しているため、その決定に異を唱えることが出来なかった。
加えて、担当するのが雫であることも深雪の不機嫌に拍車を掛けていた。達也としては別に悪気があったわけではなく、純粋に技術者としての視点から一番仕上がっていて悠元も練習に付き合っていた雫を選択したことは深雪も理解しているし、そう聞いている。悠元に関しても急遽決まったことであり、勝手が分かっている雫を担当するのは無理からぬことだった。
ただ、そう理解してはいても、納得できない一線というのがある。雫は悠元に対して恋慕しているのは確かであったし、アイス・ピラーズ・ブレイクの練習でも悠元は雫の面倒を見ていたと達也から聞いていた。
深雪が魔法技能に関して突出した存在であっても、恋愛はまた別の話。アプローチの観点では寧ろ雫にリードされているような状況に、深雪は「本気で負けたくない」と感じつつあった。今思えば、懇親会の夜にキスでもしておけば良かった、と内心で後悔していた。
ある意味ぶっ飛んだ思考が深雪の中を駆け巡っているが、これは深雪本人の事情も深く関係している。深雪(プラス達也もだが)は隠しているが、「
四葉家現当主は昔の事情により子どもを産み育てられず、深雪の母親も政略結婚で達也と深雪を授かっているため、恋愛経験が皆無に近い。加えて、兄である達也も知識として恋愛を語ることはできるが、本人の感情が乏しいこともあって恋愛経験はない(達也の場合は深雪のガーディアンという事情も含んでいるが)。
おまけに、深雪に近付く人間は深雪の美貌に惹かれて群がるような下心の持ち主ばかりだし、母親のガーディアンをしていた人もまともな恋愛経験がない。現在その母親のガーディアンをしている人物はまだ恋愛感情を持っていないため、彼女から教わるというのも難しい。分家筋の人間に教わろうとしても、真っ当な恋愛観など皆無に近い。
そもそも、魔法使いとしての力を保持するためには、お互いに強い力を持つ者同士が結ばれるほうが後世に強い力を残しやすい。そのことから恋愛結婚自体難しいため、人口の大多数を占める非魔法師の世間一般的な恋愛観を求めるのが難しいというのもあるのだが。
結論を述べると、書物などからでしか恋愛観を学ぶことが出来なかった「箱入り娘」同然に近い状態だった深雪に対し、真正面から接した初めての異性―――初恋の相手が悠元なので、恋愛経験自体は皆無に等しかったというわけだ。いくら兄を代わりに見立てても、実際に本人と接するのは勝手が違う。
そんなことを考えていながらも笑顔を見せている深雪に対し、隣に座っているほのかが内心で助けを呼んでいた。
(み、深雪が怖いよー! 悠元さん、雫、助けてー!!)
「……何か、心なしか寒く感じるんだが」
「……アンタと意見が合うのは奇遇ね」
魔法が漏れて達也と悠元に迷惑を掛けないように、という自制心は辛うじて働いているため、観客席が冷凍空間になることはない。だが、今にも「フフフ……」という笑みと共に冷気というか寒気が漏れてきてもおかしくはない有様で、これにはレオが小声で思わず口に出した。それを聞いたエリカも小声でポツリと零したが、地獄耳と言わんばかりに、深雪がレオとエリカに視線を向けた。
「お二人とも、何か仰いましたか?」
深雪の笑顔に対して「いいえ、何も」と2人揃って返したことに、幹比古と美月は余計なことを聞いてしまったかと引き攣った笑みを零し、ほのかに至っては自分の試合に対する緊張が吹き飛び、深雪に対して怯えるような有様だった。これでは、ほのかよりも深雪が大丈夫なのかということになる。
多分、この状態を見越した上で、達也は深雪とほのかをスピード・シューティングの観戦に行かせようと仕向けたのだろう、と幹比古は言葉に出すことなく推察した。
すると、深雪が何かに気付いてポケットから通信端末を取り出していた。そのメールを読み進めていた深雪だったが、黙々と画面を操作して通信端末をしまうと、深雪から感じていた先程の空気がすっかり収まっていた。
「深雪、どうかしたの?」
「何でもないわよ、ほのか。ほら、雫の試技が始まるわ」
「あ、うん……(多分、悠元さんからのメールだよね……ありがとう、悠元さん)」
ほのかは今の事態をそれとなく察していたであろう悠元によるものであると推測し、ほのかだけでなくエリカ達も悠元に対して内心で感謝の言葉を述べていたのであった。もし、ここで深雪に声を掛けようなどという
◇ ◇ ◇
文字通り「ヒヤリ」とした一幕が繰り広げられている一方、そこから離れた席に3年生組―――真由美、摩利、鈴音……そして、亜実と燈也もその場にいた。競技が終わって燈也に甘えている亜実を見て、真由美は呆れたような表情で見ていた。
「まったく、燈也君は午後から試合だというのに……」
「メンタル面でのケアをしてもらってると思えば、非常にありがたいことではありますが」
本来一高の天幕に詰めていなければならない側の真由美と鈴音だが、真由美は何があってもいいように音声通信用のレシーバーを耳に着けており、鈴音は「強制オフ」ということで観戦しに来ていた。
尤も、鈴音の場合は出場する選手の中に自分の元身内がいることも理由に含まれているが。
「というか、真由美の場合はある種の『嫉妬』だな」
「その意見には同意します」
「ちょっと!? 二人して私が誰に嫉妬しているって言うの!?」
摩利の言葉に鈴音も同意し、これには真由美が声を荒げて反論した。すると、亜実がいつの間にか燈也に甘えるのを止めて、真由美の隣に移動して肩に手を置いていた。燈也もそれに連れられる形で席を移動した。
「真由美、いくら自分が生徒会長で代表チームのリーダーとはいえ、その権限を使って悠元君と司波さんを引き離そうとしているようにしか見えないよ?」
「はい!? 私はそんなこと微塵も思ってないわよ、つぐみん!」
(と言いつつ、顔が真っ赤になってますけど……)
亜実の爆弾発言ともいえる指摘に、真由美の顔はみるみる赤くなりつつも、必死に「いくら私でも、そんなことはしない!」と弁解していた。本人の背の小ささも相まって、周りには姉に対して妹が駄々をこねているようにしか見えない、と燈也は思ってしまったのだった。
身長に関しては燈也と真由美が同じぐらいで、しかも黒髪で瞳の色が同じ赤色をしている。二人の関連性は、家自体異なるが同じ十師族というぐらいで実際に血の繋がりはないのだが、前に亜実が冗談半分で真由美のようなウェーブがかった長髪の鬘を燈也に被せたところ、スタイルを除けば見事なまでに真由美と瓜二つになった。
その画像を見た摩利と鈴音も「真由美と生き別れた姉妹?」という感想を抱いた。真由美自身も、それを見たときはドッペルゲンガーの線を疑ったらしい。それが燈也だと知ったときはショックを受けていたが。
「恋で絶賛悩んでいる真由美はさておくとして、アイツのエンジニアとしての腕を実戦で見るのは、これが初めてだな。北山には悠元君が調整を担当するのだったか」
「ええ。北山さんの練習にも度々付き合っていたと司波君から聞いています」
「摩利ってば、勝手に人を恋煩い扱いしないでよ……って、つぐみんも何で笑うの!?」
半ば冗談も交じっている摩利の言葉に続いて鈴音がそう述べると、からかわれたことに対して恨みがましく呟く真由美の姿に、亜実は顔を背けて笑いを零していた。とてもチームリーダーに対する扱いではないな、と燈也は冷や汗を流していたのだった。すると、摩利が燈也に話しかけてきた。
「真由美から術式関連は聞いていたが……燈也君は、悠元君のエンジニアの実力を知っているのだったな?」
「急遽ですが、自分も担当してもらうことになりましたから。彼は『達也には一歩及ばない』と自己評価していましたが、完全マニュアル調整ができるだけでも十分凄いのですが」
この場では口に出さなかったが、燈也は射撃魔法関連の術式供与も受けている。様々なシチュエーションを想定しており、燈也の魔法特性に合わせた調整がなされている。そのどれもが本当に使いやすく、自分もそれなりに訓練は積んできているとはいえ、この短期間に魔法が上手くなったのかと錯覚しそうになったほどだと燈也は感じていた。
「五十嵐さんの『
「え? あれでちょっとなの?」
「ええ。どうやら、かなり大掛かりな起動式をいくつか用意しているそうで。尤も、それは競技が始まれば分かることかと」
鈴音の言葉を聞いて、燈也は自身に提供された中で最も大掛かりな魔法のことがすぐに頭に浮かんだ。加えて、本人も選手として出場するので、鈴音の発言はその魔法のことも含んでいるのだろうと推測できた。
魔法技能自体も規格外だが、それを生み出せる発想力の強さに燈也が抱いた印象は「悠元を敵に回さないほうがいい」という結論だった。
「司波君については、1年女子の選手達から好評のようです。自分のCADを持ち込んでいる選手もいたぐらいですから」
「おいおい……競技に差支えるんじゃないか?」
「その辺はうまくコントロールしているようです。いざとなったら悠元君にも頼むでしょうから……会長、彼にこれ以上の負担は厳禁ですよ?」
鈴音は摩利の指摘にしっかりと答えつつも真由美に対して釘を刺した。何せ、本人の我侭みたいなもので女子クラウド・ボールの手伝いを2人にさせていたのだから、これ以上は彼らのやるべきことに支障を来たすと断言した。
「リンちゃん、私は何も思ってないんだけど?」
「聞くところによると、悠元君に会長のCADの調整をやらせていた、と司波君と渡辺さんから報告がありまして」
「ちょっと達也君に摩利ってば、ばらさないって約束した……てへっ」
「てへっ、じゃないでしょう! 悠元君だって明日から試合なのよ!」
摩利が怪我で無理出来ないため、彼女が説教するということはなかった。だが、その代役として亜実の鉄拳と説教が真由美に炸裂したのだった。その痛みに頭を抱えて蹲る真由美を見て、亜実が先程言った“推測”に繋がっているのだと燈也は一人納得していたのだった。
美月の成長、深雪の憂鬱、真由美の心は何処に。
頑張れほのか(二つの意味で)
燈也の容姿にあまり深い意味はないです。
遺伝子調整の結果、容姿が偶然真由美に似たというだけです。
俗にいうそっくりさんd(ドライアイス貫通)