選手入場のアナウンスがこちらにまで聞こえてきて「櫓」が動き出す。
いよいよ本番か。さて、服装も含めてどういった反応をされるのか……まずは落ち着こうと瞼を閉じて意識を冷静に保つ。そして、足場が上がりきったところで瞼をゆっくり開いたのだが……観客の反応は沈黙一色だった。
目線だけを動かすようにして周囲を見てみたが、どの観客も同じようであり、そして相手選手の様子は……呆然としていたのだった。これには悠元も改めて瞼を閉じ、内心で若干疑心暗鬼になってしまった。
あれ? 俺、時でも止めたかな? というか、そんな魔法ないな。そういう“超能力”はありそうだが……あれもそういう類みたいなものだし。別におかしい衣装でもないとは思うんだけど……何が悪かったのだろうか? 別に威圧とかしたつもりなど微塵もない。強いて言うなら、日頃の癖同然となっていた気配の抑制を敢えて止めているぐらいだ。
驚くとかそういう反応ぐらいは覚悟していたが、逆に静かすぎるのはこっちも困る……と悠元はそこまで考えてから深く息を吐いた。
あれこれ考えていた自分自身が馬鹿らしく感じてしまい、逆に緊張が解れた。その上で瞼を開き、改めて24本の氷柱があるフィールドと、その先に立っている対戦相手を真剣な眼差しで見つめていた。言っておくが、別に殺気は一切込めていないと述べておく。
三矢悠元。十師族・三矢家現当主、三矢元の三男にして、第一高校における今年度の新入生総代であり、先日の学期末考査では魔法理論・魔法実技共に文句なしの第一位。公にはなっていないが、公式の試合で十文字家当主代行相手に勝利した人物でもある。
その人物を実際に見た観客たちは、彼の放っている存在感に圧倒されていた。いや、会場の空気を“掌握”していると言っても過言ではない。身に纏っている羽織袴と雪駄の姿が様になっていることもその要因と言えるだろう。
尤も、その当人が周囲の反応に困ってしまうというオチまでワンセットだが。
◇ ◇ ◇
「……」
「様になってる、とかいうレベルじゃないわね……」
「真由美……写真を取りながら言う台詞じゃないぞ」
モニター室では、悠元が真剣な表情を浮かべて「櫓」にいる様子を、克人は何も言葉を発することもなく真剣な表情で見つめていた。沈黙に耐えきれずに真由美が真面目な発言をしているが、いつの間にか隠し持っていたカメラで彼の羽織袴姿を収めている行為を見て、摩利が溜め息交じりに呟いた。
達也は本来深雪の試合が次に控えている関係で女子会場の控室に移動するはずだったが、深雪から悠元の試合を代わりに見てほしいとお願いされて、已む無くこの場にいた。インターバルのことを考えれば、悠元の試合時間は女子の試合時間よりも短くなるだろう、という達也自身の予測もあったが。
真由美の行動には達也も若干呆れていたが、ここで雫が彼の姿を写真に収めようとせず、窓の外に映るフィールドをジッと見つめていた。そのことに気付いた達也は、雫に近付いて小声で尋ねた。
「雫。悠元の姿を写真に収めないのか?」
「大丈夫。実は既に撮っているから」
彼女も真由美に聞こえないように小声で返したのだが、強かなところは妹に似ているな、と達也は内心で呟きたかった。2人が変にいがみ合うことがないので、出場している競技に支障を来たしていないことが奇跡とも言えるだろう。
その意味で、悠元は本当に不思議という言葉でしか表現できないな、と達也は思った。
(しかし、相手選手が気の毒になるレベルだな……まあ、同情はしないが)
モニターで見るからに、悠元の体調は万全のレベルということがハッキリ見て取れた。そして、彼の相手となる第八高校の選手は完全に委縮してしまっているのが達也も認識できていた。
戦う前から既に勝負は見えたも同然だが、これはあくまでもアイス・ピラーズ・ブレイクの競技であり、相手へのプレッシャーで勝つ競技ではない……彼の場合ならやりかねないと思ってしまうあたり、自分もつくづく毒されているな、と達也は内心で呟いた。
◇ ◇ ◇
フィールド内のシグナルである赤が灯る。
それが黄色に変わって、青に変わり、試合開始となる。
開始直後、最初に動いたのは悠元。彼は、自陣の氷柱全てに魔法式を投射した。それは硬化魔法をよく使っている摩利が反応した。
「なに? 自陣の氷柱に硬化魔法を?」
摩利は、克人の『ファランクス』を破るぐらいの実力だから、てっきり領域干渉でも使うのかと想像していたが、悠元がそれや情報強化ではなく硬化魔法を選択したことに驚いていた。
そこから遅れて、相手選手が振動魔法の魔法式を投射して、悠元の氷柱を『溶かす』作戦を取った。だが、時間が少し経っても溶ける様子が見られない。それどころか、悠元のフィールドにある氷柱が綺麗な表面をしていることに、ほのかが気付いた。
「達也さん。悠元さんは硬化魔法しか使っていないんですよね? それでいて、氷柱の表面が綺麗に見えるのですが……」
「それは間違いない。どうやら、悠元は硬化魔法で氷柱を“整えた”ようだ」
「整える? どういうこと?」
ほのかと雫の疑問に達也は説明を入れる。
硬化魔法は収束系統魔法の一つ。その定義内容は“相対位置の固定”となっている。なので、彼はその処理をしやすくするために氷柱内の気泡を全部取り除いて
氷柱とフィールドの相対位置固定も無論掛かっており、1つの魔法で3つの事象改変を干渉させることなく同時に行うという高等テクニックを披露している。
「氷柱に3つの硬化魔法のマルチ・キャストとは……」
「それだけでも、世界でも指折りの事象改変能力を持っているってことね。いえ、寧ろ片手で収まるぐらいじゃないかしら?」
表面が歪な状態より整っていた方が事象改変の負荷を抑えられるが、彼の想子保有量ならそこまでする必要などない。これは懇親会の時に「老師」こと九島烈が言っていた“工夫”に対する返答だろうと達也は推察した。
「達也さん、それじゃあ相手の選手が悠元さんの氷柱を倒す方法はあるんですか?」
「そうだな……彼と同等以上の事象干渉力を以て、魔法を撃ち込むしかないだろう」
達也はそう答えたが、十師族クラスの事象干渉力に対抗出来るレベルの人間となるとそう多くない。仮に相手選手が魔法力のリソースを1本に集中させたところで、彼の「眼」を誤魔化せるわけがないし、的確な対処で完璧な防御を行うだろうとみている。
「悠君と同等……十文字君はいけそう?」
「正直分からない。あれで本気の事象干渉をしているという確証もないからな」
ほのかと達也のやり取りを聞いて真由美が克人に尋ねるが、返ってきた言葉は「分からない」であった。その言葉には真由美だけでなく摩利も真剣な表情を見せていた。
会場から感じられる悠元の事象干渉力は現時点でもかなり高いが、三矢家は七草家と同じく『多種類多重魔法制御』を得意としている。それこそ硬化魔法、領域干渉、情報強化のマルチ・キャストぐらいは簡単にできるだろうと克人は推察している。
そこまでやられたら『ファランクス』を用いたとしても勝てるかどうか不明である上、以前見せた『
真由美は、悠元が無意識的に漏れた深雪の魔法をCADなしで抑え込んだ干渉力を目の当たりにしている。それから比べればまだまだという印象を受けているのは確かであり、摩利も同じように感じていた。
この時点で相手選手の攻撃は無意味と化していた。それに気付いた相手選手は情報強化で耐え凌ぐ作戦に切り替えた。だが、そんなことを気にすることなく、悠元はCADを操作して起動式を読み込み、魔法を構築する。
そして、相手フィールドに魔法式が投射されるのだが、現代魔法で見たことのない魔法式が相手フィールドの氷柱を上下から挟み込むように展開し、相手フィールド全ての氷柱の中心に光のラインが縦に走ったように見えた。そこから氷柱が一気に白く光ったかと思った次の瞬間、全ての氷柱が瞬時に水蒸気へと化して、空中に舞い上がっていった。
試合終了のブザーが鳴り、悠元は瞼を閉じて静かに頭を下げた。だが、その場にいた観客は一体何が起きたのか理解できず、会場内は静寂に包まれていた。それこそ、実況のアナウンスの声が会場内にいる観客によく聞こえるほどであった。
◇ ◇ ◇
「爺さん、あれは……」
「ああ。よもや、
VIP席で見ていた面々も驚きを隠せぬ中、元継と剛三は悠元の使った魔法を見抜いていた。厳密には天神魔法と現代魔法の複合術式で、使用した天神魔法は土属性の『
現代魔法で使われる『共振破壊』とは異なり、本人が認識できていれば起点が地中や海中でも発動可能な点に加えて、特定範囲や対象物“のみ”に効果を限定して発動することも可能とする。なので、悠元が魔法を使った際にフィールドが振動しなかったのは、相手フィールドの氷柱のみを狙い撃ちにしたのが理由である。
だが、単純な『共鳴裂界』だけでは、瞬時に水蒸気へと化すことはないと分かっていた。精々かき氷レベルの細かさに砕けるぐらいだ。なので、彼が複合して使った現代魔法がその要因だと考えた。瞬間的に見えた光のライン……剛三は内心で一つの結論に達した。
(『
剛三の予想は正解だった。
悠元が使ったのは、現代魔法の光波空間収束魔法『流星群』と構造硬化魔法『相転移装甲』、それと天神魔法『共鳴裂界』の複合術式。固有名は『
『流星群』で相手の防御全てを貫通させて氷柱の中心に撃ち込み、撃ち込まれた光を起点として『相転移装甲』で意図的に分子構造変化の強制破綻を起こし、氷柱の水素結合を崩壊させた。『相転移装甲』の強制破綻による結合崩壊は、過去に木刀をカーボンナノチューブにしてしまった経験から会得した技術である。
そして、間髪入れずに『共鳴裂界』で強烈な振動を与えられた水分子が一気に加熱し、昇華で水蒸気へと変化して空中に舞った、という流れである。尤も、この魔法はあくまでも無機物への干渉を前提としたものであり、対人戦闘を想定する場合は『分解』か『金鎖破鎚』を使った方が速いということを付け加えておく。
「剛三。あの魔法式は……もしや、例の魔法か?」
「ああ。アンタはわかるだろうな」
烈は以前に何度かその魔法を見たことがあった。そして、今回の九校戦では、彼だけでなく第九高校と第二高校にもその魔法を使う人間が存在した。その驚きに気付いたのか、澪が問いかけてきた。
「閣下、彼が使った魔法の存在をご存じなのですか?」
「ああ。天神魔法―――陰陽道系古式魔法において最上位の魔法だ。存在は殆ど知られていないが、その魔法に関係しているのがそこにいる剛三の上泉家と神楽坂家なのだ」
烈の言葉で元を除く十師族の当主や澪は驚きを露わにした。その二家が『
「まあ、教えることはできないがな……さて、失礼する。元継、行くぞ」
「はい。失礼いたします」
「それでは、自分も一旦失礼します」
これ以上この場にいたら、間違いなく天神魔法のことを聞き出そうとしてくる……それを見抜いて、剛三は元継と共にその場を後にした。元もそれに続く形でVIP席を立ったのであった。
◇ ◇ ◇
試合が終わっても、先程の衝撃から会場の空気が未だに抜けきれぬ中、次の試合を見ようと移動している修司、由夢、姫梨の3人はお互いに黙ったままだった。すると、この空気に耐えかねた由夢が言葉を発した。周囲に人がいるので、声量を抑えつつ話した。
「彼、間違いなく土属性の最上位魔法を使ったね……それだけならまだ分かるけど……」
「現代魔法との複合術式なんて、一体どれだけの演算能力を持っているのか、ってことだな」
話している2人と黙っている姫梨は、天神魔法と現代魔法の両方を使いこなすだけの技量を持ち合わせている。だが、いくら天神魔法が現代魔法に近い改変プロセスとはいえ、その2つを複合させて同時に行使するという技術は持ち合わせていない。“魔法が使える”と“魔法を合わせる”では、その難易度が格段に違うのだ。
ここで、由夢は黙り込んだままの姫梨に視線を向けた。彼女の足取りはしっかりしているのだが、まるで心ここにあらずと言わんばかりの様子を見た由夢はジト目に変わっていた。
「姫梨、揉むよ?」
「いきなり何を仰っているのですか!?」
「別にどこをって言ったわけじゃないのに、何で慌てるかな……」
「お前が今までにやってきたことの結果だ」
由夢が納得いかないような表情を見せたことに対して、修司は辛辣ながらもそう言い放った。
自分たちの祖母が彼に対して課した“試し”もそうだが、剛三の言葉に関して正直半信半疑だった。だが、彼はそれに違わぬ実力の一端を指示した。それを目の当たりにしてしまった以上、認めざるを得ないだろうと修司は感じていた。それは由夢と姫梨も同意見であった。
尤も、姫梨の場合は悠元に対しての恋慕をより一層強めたのかもしれない、と先程の様子から察してしまったのは、ここだけの話である。
雫は期末考査終了後のこと(達也が指導室に呼び出されたこと)を覚えているので、達也に聞かれても動揺はしません。
達也が試合見てていいのか? とも思いますが、妹に甘い達也がその辺の手抜きをすることがあろうか。いや、絶対にない。(反語)
解説役って本当に重要です。
そして補足説明。
天神魔法の魔法式が見えているのは、九校戦において全ての魔法に可視化処理が施されているためです。敢えて秘匿をせず表に出したのも理由はありますが、その辺は追々説明を入れていきます。
烈は第九研の関係から天神魔法を経験していて、十師族自体は現代魔法のコミュニティーとも言えるため、殆どが知らない状態となっている、ということです。
古式魔法の家から見ると、天神魔法の認知度は格段に違うということも付け加えておきます。