伊井野ミコは告らせたい~不器用達の恋愛頭脳戦(?)~   作:めるぽん

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第9話 不器用な2人の夏休み 真夏の海編

夏!

それは恋の季節である!

これでもかと肌を焦がす太陽の悪戯か。

アスファルトに揺蕩う陽炎の幻惑か。

少年少女の心を裸にし 男女の関係を次のステップへと誘う!

そんな夏休みが幕を開け――――

 

生徒会一行は、海に来ていた!

 

そして、今!

石上とミコは、人目の付きにくい岩陰の中、

『2人とも』上半身が産まれたままの姿で、互いに密着していた!

 

「(…………)」

 

突然の出来事に、暫しの間放心状態に陥った石上!

事ここに至るまでには、1学期の終業まで遡る事になる!

 

 

1学期の終業!

直前に行われた1学期末テストでは、

1学期中間テストでは順位の変動がほぼ無かった石上も少しだけ順位を上げ、85位に。

ミコは、1学期中間に引き続き、期末でも1位をキープしてみせた。

そんな2人と藤原千花に、白銀とかぐやから重大な話が打ち明けられる事となった。

 

それは、2人が1月から交際をスタートしていた事。

そして来る10月には、2人とも秀知院を離れ、アメリカ・スタンフォード大学へと進学するという事実であった。

 

ミコは、実は事前にかぐやから両方とも聞かされていた為、今ここで驚く事は何も無かった。

石上も、10月に日本を離れるという事には流石に驚きはしたものの、

2人の関係についてはもう前々から勘付いていた為、『やっとですか、おめでとうございます』と素直に祝福する余裕を見せた。

 

そんな2人とは比べ物にならないほどの衝撃を受けたのが藤原である。

『手間のかかる子供』と、『大好きな人』が恋愛関係に至っていた事など全く気付きもしていなかった上、

残り数カ月でここから去ってしまうという衝撃のダブルパンチを受けた藤原は、あと少しで半狂乱と言える程に泣き叫んだ。

『居なくなっちゃうなんてやだーー!!』『会長にかぐやさんなんて勿体なさ過ぎます!』『会長のお守りは大変ですよ!?』などと泣きじゃくったが、

紆余曲折を経て成り立った2人の関係と覚悟が、今更変わるはずも無い。

比較的衝撃の薄かった石上とミコの2人に慰められ、とうとう藤原もこのショッキングな事実を、受け入れる事を選ばざるを得なかった。

 

ただし。

 

「なら……10月までに、みんなでいっぱい思い出を作りましょう!これは絶対です!いいですか絶対ですよ!?」

 

大好きなかぐやが日本を去るまでの約3ヶ月の間に思い出を作る!と燃える藤原の熱気に全員押される形で、夏休みに生徒会メンバーで出掛ける事が決定したのである。

 

藤原曰く『国内で穴場のスポットが有る』という事で、まず8月のはじめに海に行く事に決定した。

以前なら『会長が藤原さんの胸に気を取られて……』とかぐやが懸念するところであったが、

既に付き合っている今、会長はその程度では靡かないという確信を持っていた為かぐやも反対する事は無かった。

 

……だが、ここに1人、海へ出掛ける事に関して悩める女子が居た。

生徒会会計監査・伊井野ミコである。

 

今まで真面目過ぎるという位真面目に生きてきたミコ!

当然、『みんなと海に出掛ける』など彼女にとって人生初の出来事である!

となれば、問題が一つ浮かんでくる!

 

『どんな水着を着ていけば良いのか分からない』!

 

プライベートで海はおろかプールにも出かける事の無かったミコは、所持している水着は学校指定のスクール水着のみである。

いくら何でも、それをそのままプライベートで着ていくのはおかしいという事はミコにも分かっていた。

……尤も、これまで熟読……いや、風紀委員の義務として仕方なく目を通してきた本によれば、敢えてスクール水着を好むニッチな需要も有るらしいが。

 

ともかく、自分としてはスクール水着で海に行く訳にはいかない。

浮いてしまわない為にも。

そして……アイツを振り向かせる為にも。

 

そう決意したミコは、日曜日の昼下がり、水着売り場を訪れていた。

だが!

 

「(……どんなの買えば良いのよ……)」

 

ひとくちに水着と言っても、

トランクスタイプと、ブーメランパンツタイプのどちらかくらいしか無く選択肢の多くない男子向けとは違い、

女子向けの水着は、大まかにビキニタイプとワンピースタイプに分類され、

そこから細かく分岐する多くの名称を挙げていくにはキリが無いほどの多様な選択肢が存在する!

普段あまりオシャレを意識しないミコにとって、この選択肢の多さは逆に高いハードルとなっていた!

 

どうしよう?

ちょっと恥ずかしいけど、もう店員さんに聞いてみようかな……

 

そんな事を考えていた時。

ふと、近くで水着を選ぶひとりの女性が目に入った。

 

「ん〜……こっちのチューブトップも良いけどぉ……思い切ってマイクロでも良いかなぁ」

 

その豊満なボディを引き立てる露出度の高い水着を手に取って選ぶその桃髪の女性は、どこか見覚えが有るような気が……

 

「ふ……藤原先輩?」

 

思わず、頭に浮かんだ人物の名前を声に出してしまった。

 

「えっ?」

 

女性がミコの方を振り向いた。

確かに藤原千花と同じく桃髪ではあるが、

あの特徴的なリボンも無いし、胸は千花に輪をかけて大きく、

顔もどこか大人の色気と余裕を感じさせる。

何故か面影があるような気はするが、ともかく、あの天真爛漫な千花とは別人であった。

 

「あっ!す、すみません!尊敬してる先輩に似てるような気がしたので、つい声に!」

 

「んーん。良いよ、間違いは誰にでも有るよねぇ」

 

ミコは慌ててあやまったが、女性の方は気にしていない様子だ。

だが、その女性はしばらくじーっとミコの顔を見つめていた。

 

「……あら?あらあら?」

 

そしてミコの周囲をくるくると歩きだし、色んな角度からミコを観察する女性。

 

「……あ、あの、えっと」

 

こうじろじろ見られる事に、ミコは人一倍慣れていない。

どうして、この人はこうもじっくりと見てくるんだろう?

疑問に思っていたミコであったが……

 

「あなた、もしかして……伊井野ミコちゃん?」

 

「えっ!?は、はい!」

 

突然自分の名前を当てられた事にミコは驚く。

交友関係の狭さはミコ自身も自覚しているだけに、この見知らぬ歳上の女性に自分の名が知れているとは全く思ってはいなかったのであるが……

 

「やっぱり。千花から聞いてたんだぁ。去年から、自分を慕ってくれるカワイイ後輩ちゃんが生徒会に入ったってね〜」

 

『カワイイ後輩』。

藤原先輩が、自分の事をそんな風に思って、人に話してくれていたなんて。

 

そして、藤原先輩からそんな話を聞かされて、なお且つどこか藤原先輩の面影があるこの人。

もしかして……

 

「えっと、貴女は……」

 

「あっ!ゴメンねぇ〜、まだ言ってなかったよねぇ。千花の姉の豊実だよ、ヨロシクね♪」

 

藤原家長女・豊実が、偶然にもミコと同じ目的でこの水着売り場を訪れていたのであった。

 

「は、はじめまして!藤原先ぱ……いえ千花さんにはいつもお世話になっております!」

 

尊敬する藤原千花の姉ということで、ミコは緊張の様相を見せている。

 

「も〜、ミコちゃんってばカタいよぉ。気軽に接してくれるのが一番だよ?」

 

緊張で縮こまっているミコの頭を撫でながら豊実が話す。

 

「そういえば、千花が8月に生徒会の皆で海に行くって言ってたなぁ。なるほど〜、その時に要る水着を買いに来てるのね?」

 

「は、はいっ」

 

「けど、どんなのがイイか迷ってるって感じかな?さっきから、ちっちゃくてカワイイ子があちこちうろうろしてるなぁって思ってたけど」

 

「は、はい……実は……」

 

尊敬する藤原千花の姉という事だけあって、ミコは自らの内を明かす事に躊躇いは無かった。

今までこんな機会が無かった故、いったいどんなのを選べば良いのか全く分からないという事実を、そのまま話してみせた。

 

「そっかぁ……じゃあ、おね〜さんが一緒に選んであげよっか?」

 

「えっ?良いんですか?」

 

「妹が可愛がってる後輩ちゃんだもん。それくらいしてあげるよ〜」

 

これは心強い味方が出来たと、ミコは内心喜んでいた。

 

ところが。

 

「ええ!?またこういうのですか!?」

 

「い〜じゃない。オトコの子をオトすにはコレくらい必要よ〜?」

 

豊実がチョイスする水着は、やけにキワドいタイプのものばかりであった。

 

「わっ、私は別にそんなんじゃ……」

 

慌てて顔を逸らしながら反論するミコ。

 

「隠したってダ〜メ。オンナの子が気合入れて水着選ぶ理由なんて、友達同士で見栄張りたい時か、気になるオトコの子に見せたい時くらいなものでしょ?

ミコちゃんって友達に見栄張ってオシャレするタイプじゃなさそうだし〜……そう来たら、オトコの子でしょ〜?」

 

「う、ううっ」

 

一見ちゃらけてて遊んでいるだけのように見えるが、こういった鋭さは流石に名家の長女である。

 

「まあ、恥ずかしがるミコちゃんがカワイくてこういうの選んでるってのもあるんだけどね〜」

 

「やっぱり!」

 

どうりで先程から楽しげに写真を撮っている訳だ。

遊ばれていた事実に、ミコはぷんむくれて怒る。

 

「あはは、ゴメンねぇ〜……ちゃんとミコちゃんに合いそうなのも持ってきてるから。ほらぁ、コレなんてどお?カワイイんじゃない?」

 

「……あっ!コレ……良いかも……」

 

最終的に、お洒落上手な豊実がミコの雰囲気にぴったりと合う物を見付け、ミコは無事水着選びを済ませた。

 

「ねぇ、これからお茶なんてどう?おね〜さん奢っちゃうよぉ?」

 

そう言いながら豊実が指差した先には、小洒落た雰囲気のベーカリー店が有った。

購入したものを店内で寛ぎつつ食べられるスペースを有するタイプの店である。

 

「そ、そんな!選ぶの手伝って貰ったのに、そこまで……」

 

「い〜よ、遠慮しないの。千花から聞いてるよ?いっぱい食べる娘だって」

 

「そ!そんな事な……」

 

しかし、ここに来て神の悪戯か。

ミコの腹の虫が、今まさに『ぐううううう』と大きな音を立てたのであった。

 

「な……い……です……」

 

お昼ご飯も、ちゃんと食べてきたのに……。

 

否定の声は、みるみる内に尻すぼみになっていった。

 

「うふふ。ほらぁ、行こっ?」

 

「……はい……」

 

恥ずかしさと間の悪さで顔を赤く染めたミコの手を豊実が引きつつ、2人はベーカリーへと足を運んだ。

 

 

数十分後。

ミコの目の前の数枚の大きな皿には、いくつものパンが盛り付けられていた。

尚、これでも既に半分以上を消化している状態である。

 

「うわぁ〜……ほんとによく食べるんだねぇ。ちっちゃいのに、意外だね〜」

 

ミコが美味しそうにもりもりとパンを食べていく様子を、豊実が感嘆しながら見つめている。

 

「んぐ……んっ…んん。いえ、違うんです……ここのパン美味しくてついつい食が進んじゃうだけで、私が大食いなんて事は」

 

しかし、今まさに8個目のパンに手を付けようとしているミコが言い訳を述べたところで、説得力は全く無かった。

 

「うふふ、恥ずかしがらないの。ご飯は美味しく食べるのが一番だよぉ?」

 

「……そりゃまあ、そうですけど」

 

どうやら、食に対する考え方は妹と同じらしい。

 

だが、基本的な傾向として、

大食いが一種のステータスとなり得る男性とは違い、女性は大食いである事を少し恥ずかしがる傾向にあるのは事実。

――――特に、意中の男性に対してはそれが顕著である。

 

ミコは、偶然目が合ってしまった。

空の小さな皿と紙袋を手に持った、石上優と。

 

「い……石上!?何してるのよ!?」

 

慌てて、自分の眼前のパンの乗った皿を覆い隠すミコ。

 

「兄貴がここのパン好きでさ、買ってくるの頼まれたんだよ。で、その代わりに僕の分も奢ってくれるから、自分の分はここでさくっと食べてっちゃおうかって来ただけだけど……」

 

石上は、ミコの向かいに座る豊実に視線を向けた。

 

「あっ。キミが石上くんねぇ?いつも千花に構ってくれてありがとねぇ、姉の豊実で〜す」

 

「あ、どうも……藤原先輩のお姉さんでしたか」

 

石上は、軽く会釈すると同時に、『どうりでヤバそうな雰囲気の人だと思いました』という言葉を飲み込んだ。

いくら『藤原一族』とはいえ、この人は藤原千花じゃない。

まあメンタルが図太そうなのは同じだけど、一応言葉は選ばないと……

 

「で、そういう伊井野は何しに来たんだよ。店のパン食い尽くしに来たのか?」

 

「そんなに食べないわよ!私は水……」

 

『水着を買いに来ていた』という言葉が喉元まで出かかっていたが、慌てて飲み込んだ。

もし、そんな事を言おうものなら!

 

『(へえ……あの伊井野が気合入れて水着を選ぶなんてなぁ?

もしかして誰かにアピールする気でも有るのか?

会長はもう四宮先輩が居るってのは分かってるし……って事はまさか……?

へえ……へえええええぇ……)』

 

などと思われるかもしれない!

 

「み……水!使ってる水が良いから美味しいって評判のここのパン屋の味が気になって来てみただけよ!」

 

「……そんな評判聞いた事無いけどな。まあ美味しいのは確かだけどさ」

 

随分と苦しい言い訳だっだが、特に他に疑わしい事も無かったので石上はとりあえず信じる事にした。

 

「ていうか、伊井野。何隠してんだよ」

 

不自然に机の上の皿に覆い被さるミコの様子を訝しむ石上。

 

「ち……違うのよ。ここのパンが美味しすぎるのがいけないの。だから別に私が食べ過ぎなんて事は無い訳で……」

 

「あーはいはい、『ちょっと』沢山食べるだけなんだよな、『ちょっと』な、うんうん」

 

「う、うるさいわね!アンタが少食なだけだって言ってるでしょ!?」

 

「……まあ、否定はしないけどさ」

 

自分が少食である事は事実だろう……尤も、ミコが『ちょっとだけ』大食いである事も事実と言って良いと思うが。

 

「良く知ってるんだねぇ〜、お互いの事」

 

2人のやり取りを見ていた豊実が、ニコニコの笑顔で割って入ってきた。

 

「「そんなんじゃないです!」」

 

2人の異を唱える声が見事にハーモニーした。

 

「ほらぁ、息ぴったりじゃないの……石上くんも、どう?ご一緒するぅ?」

 

「……いえ、兄貴が待ってるんで、僕はもう帰らないと」

 

兄の分が入った紙袋をちよっと上げながら、石上が断りの言葉を入れる。

 

「あらぁ〜……ザンネンね。じゃ、これからも千花と仲良くしてあげてね〜」

 

「はい。んじゃ、伊井野。また今度な」

 

「う……うん」

 

笑顔で小さく手を振る豊実に、一応と小さく手を振り返しつつ石上は去って行った。

 

「……はぁー…………」

 

まさかこんな所で石上に遭遇するとは思っていなかった為、緊張で溜まった疲れが今急にどっと押し寄せてきた。

 

「まぁ、オトコの子の前だと、隠したくなるコトって有るわよねぇ〜」

 

「はい……」

 

疲れと安堵の色を隠せない表情で、ミコが答える。

 

「『水着選んでました』とか、『パンをたーくさん食べてました』とか……ちょっと恥ずかしいのも分かるわぁ……」

 

「はい……!」

 

流石、藤原先輩のお姉さん。

自分の気持ちを、こんなにも分かってくれてる……

ミコは、豊実の察しの良さと理解の良さに感服していた。

 

……だが、忘れてはいけない。

藤原千花とは別人とはいえ、彼女は藤原千花の姉なのである。

彼女も、藤原一族の人間なのである。

つまり……一筋縄では行かない、曲者である事には変わりはないのだ。

 

「……だーいすきな彼の前ではね」

 

「はい……はい!?!?」

 

寄り添って理解の意を示した所で油断させておいてからの、不意を突いた一撃。

気を緩めていたミコは、決定的な返事をしてしまった。

 

「はい……いえ!いいえっ!しょんな事ないでしゅっ!」

 

口元にニヤリと笑みを浮かべた豊実に対し、慌てて反論の言葉を取り繕うミコ。

しかし、瞬く間に真っ赤に茹で上がった顔で、噛み噛みのセリフを述べながらいくら否定したところで、説得力はまるで無かった。

 

「隠したってダ〜メ。バレバレだったんだからぁ」

 

「う……ううっ……」

 

真っ赤な顔で口ごもってしまったミコを、豊実が笑いながら撫でた。

 

「分かりやすーい……千花の言う以上にかーわいいんだー♪」

 

「か……からかわないで下さい……」

 

会ったばかりの人にバレるだなんて。

恥ずかし過ぎて、この場から逃げ出したい……

 

「まぁ、さっきの彼なら『経験』、無さそうだしぃ〜……ミコちゃんがさっきの水着を着れば、イチコロじゃないかなぁ?」

 

「イチコロっ!?」

 

その響きで、ミコの頭の中に一つの光景が浮かんでくる。

 

人気の無い夕焼けの海で、石上が自分を後ろから抱き締めている。

 

『伊井野……お前が悪いんだぞ?そんな水着を着て僕を誘うんだから……』

 

実際より5割ほど誇張された美形な石上が、ミコの耳元で囁く。

 

『お前も……そういうつもりだったんだろ?ほら、僕と一緒に、真夏の魔法にかけられて……オトナになろう』

 

『だ……ダメっ。いしが……』

 

抵抗するミコの言葉は、口を塞がれて続けられなかった。

その口を塞いだのは、同じ『口』であった……

 

「(なななななななな何考えてるのよそんな事まだ早いっていうか早い遅いの問題じゃなくてその!)」

 

「あー、ミコちゃん今、えっちな事考えてたでしょ〜?」

 

 

豊実が、全てを見透かしたようににやけながらミコの頬をつんつんとつついた。

 

「かっ!?考えてましぇん!」

 

「風紀委員もやってるって聞いてたけどぉ……むっつりスケベな風紀委員なんて、いけないんだぁ〜」

 

「ちがっ……私そんな変な子じゃ……」

 

「ほらほら〜、素直になりなさーい。石上くんのコトがだーいすきでやらしー事まで考えちゃうって認めなさ~い♪」

 

「う、ううう……」

 

 

結局、その日は終始豊実にからかわれっ放しのミコであった。

石上への好意は、もはや否定の余地は無いと観念して認める事となった。

『千花には決して言わない』という条件付きで……である。

 

 

 

 

そして、当日!

 

 

 

 

「海~!きーもちーですねー!」

 

晴れ渡る広い空と、案外人気の少ない青い海。

藤原が、かぐやと水掛け合いをしながらはしゃいでいる。

そんな様子を、白銀と石上が浜辺に並んで寝転がり眺めていた。

 

「会長……なんかああいうのって」

 

「何も言うな。言葉は要らない、『良い』、それだけだ」

 

タイプは全く違えど、どちらも相当ハイレベルな美少女2人。

そんな2人が水着ではしゃぎ合っている姿を見て、悪い気分になる男子高校生は少ないだろう。

 

「けど……」

 

石上は、女子更衣室の設置されてある方角をくるりと向いた。

 

「?どうした石上?さっきから忙しなく何度もそっちの方を向いているが」

 

「……いや、なんでも。ちょっと虫がこの辺飛んでて」

 

嘘 で あ る

 

この男 さっきからミコのみが来ない事をずっと気にかけている!

だが、そんな事を言えるはずもない。もし、そんな事を悟られようものなら!

 

『(ほう……石上はそんなに伊井野が待ち遠しいのか?

そんなに伊井野の水着姿を心待ちにしているという事なんだな?おエロい奴め)』

 

などと言われかねない!

 

実際の所、既に藤原の『戦車級』な水着姿を既に目の当たりにしている為、

男として、そこまでミコの水着姿に妙な期待を寄せているワケではなかった。

ただ、ミコ1人だけ来るのが遅いという事で、

『もしかしたらナンパ野郎に引っかかっていたりしないか』と心配している……という面が大きかった。

だが、その懸念は遠くから小走りしているミコの姿が見えた事で解消された。

 

あの髪型。あの背の低さ。伊井野しか居ない。

……けど……

 

徐々に近づいて鮮明に見えてきた、ミコの姿に。

石上は、妙な違和感を覚えざるを得なかった。

 

無理もない。普段のミコは、制服をおカタ過ぎる程にしっかりと着こなし、夏服でもスカートは膝下、冬服ではタイツを着用。

素肌を晒すという事などとは、無縁の存在であると言えた。

 

だが、今白銀と石上の元に、恥ずかしさで頬を赤らめながらやってきたミコの姿は。

布面積が少なめのビキニに、パンツにはフリルの付いた、セクシーさと可愛らしさを両立した水着姿であった。

 

「お……お待たせしました……」

 

震える小さな声を絞り出すように出すミコを見て、石上は察した。

この水着姿を躊躇って、ここまで遅れたのだろう、と……

 

「あーミコちゃん!来ましたねー!」

 

藤原とかぐやが、ミコの姿を見て駆け寄ってくる。

 

露出度の非常に高いチューブトップ、いわゆる『眼帯ビキニ』を着た藤原は、駆ける度に『戦車級のモノ』が揺れる。

上品な赤いタンキニの下に『お可愛い胸部』が隠れているかぐやが、親の仇を見るような目で藤原の揺れ動く物体を見ているような気がするのは気のせいではないだろう。

これでも、白銀と結ばれ不安が消えた今は『控えめ』な方なのであるが……

 

「わあ~!ミコちゃんの水着姿カワイイ!なんだか新鮮ですね~」

 

「……ええ、そうですね」

 

目を輝かせて褒めちぎる藤原と、どこか低い声で一言褒めた後プイッと顔を逸らしたかぐや。

 

石上は、かぐやの気持ちを察した。

藤原先輩に『負ける』のもそうだが、歳下の伊井野に『負ける』のも別の悔しさが有るのだろうと……

何が負けるかとは敢えては言わない。が、言うまでも無い。

 

石上は、藤原に褒めちぎられて満更でもない顔になっているミコの姿をチラリと見た。

 

伊井野の水着姿なんて、体育が男女別に別れる前の小等部時代を最後に見てはいない。

見るのは何年ぶりかだろう。

……こうして、改めて見てみると。

背は、小等部の頃からちょっとしか伸びてないちんちくりんのくせに。

なんというか、その。『別の所』は……

 

普段は藤原千花という、より『たわわな』女子が傍に居る事も多く、

且つ、ミコ本人もクリップボードや資料等で体の前を隠している事が多く、目立ちにくいというのも有った。

それが、想像以上に露出度の高い水着を着た事で、とうとう露見する事となった。

伊井野ミコは、藤原ほどではないにしろ……胸が大きいという事実が。

 

「じゃあじゃあ!コレ持ってきたので、みんなで遊びましょう~!」

 

藤原がどこからともなく、大きなビニールのボールを取り出した。

 

「あら……ビーチバレーですか?」

 

「そうです!海と言えばコレですよ!ネットも持ってきたんですよ?」

 

かぐやの問いかけに満面の笑みで答える藤原。

 

「ふむ……しかし、人数が5人だから上手く分けられないな。どうする?」

 

「まあ、男女チームで分かれるのが一番無難じゃないすか?」

 

「そうね、それがバランスが良さそうかもしれません……」

 

そして話し合いの元、白銀・石上の男子チーム、かぐや・藤原・ミコの女子チームとして分かれる事に。

男子は人数差・女子は体格差のハンデを互いに背負うという形である。

5点先取で1ゲーム、2ゲーム先取で勝ち。あくまでお遊びなので長引く要素となるデュースは無し……というルールとなった。

 

 

「かぐやさん!トス行きますよ!」

 

「ムッ、来るぞ石上!拾う準備だ!俺はブロ……ぶっ!」

 

『トス行きますよ!』と声高に宣言した藤原は、意表を突いて白銀の顔面にそのままスパイクをぶち込んだ。

 

「……うっわ、藤原先輩……」

 

「はいそこ引かない!これも立派な作戦です!」

 

「素晴らしい頭脳プレーです!」

 

呆れる石上に対して開き直る藤原、全力で褒めるミコ。

 

「……ここからは本気で行かせてもらうぞ、藤原書記」

 

「(会長の目つきが変わった!?……たかがビーチバレーなのに)」

 

ぽよんぽよんの柔らかいボールとはいえ不意に顔面にボールを食らった白銀は、スイッチを入れ本気モードとなった。

 

 

いつぞやのバレーの特訓の成果が活きている白銀と、元から運動神経の良いかぐやと藤原。

運動は決して得意ではないが、的確なサポートをする石上とミコ。

全員が良い働きをした結果、試合は拮抗し、とうとう互いに1ゲーム先取、互いに4点ずつという局面まで来た。

 

「ハッ!」

 

白銀が強烈なサーブを打ち込むが、かぐやが安定したレシーブを見せる。

 

「ナイスですかぐやさん!ほいっ!」

 

かぐやのレシーブを受け、上にふわりと軽く打ち上げる藤原。

 

「ミコちゃん、決めちゃって下さい!」

 

「えっ私ですか!?……はい、行きます!」

 

藤原のお膳立てを受け、ミコがネット際でボール目掛け高く跳んだ。

ネットを挟んだ向かいでは、その動きを石上が見つめていた。

 

伊井野、身長あんななのに……意外と高く跳べるんだな。

さすが、根性だけで体育もA取ってるだけあるわ。

……けど、この身長差で負けるのは流石に恥ずかしい。

伊井野には悪いけど……ここはブロックさせてもらおう。

 

石上は、ミコの動きに合わせてブロックすべく跳……ぼうとした。

悲しいかな、普段の運動不足というものは、こういう時に祟ってくるものである。

跳ぼうとした石上は、足を滑らせ、前のめりに転倒した。

 

うっわ。やらかした。

はあ、やっぱもっと運動すべきなんだよな……

いやとりあえず今は、顔ぶつけないようにネットでも掴まねーと。

 

石上は完全な転倒を防ぐべく、ネットをむんずと掴んだ。

……しかし。

掴んだのは、ネットだけではなかった。

 

ネットのみを掴んだのであれば有り得ないはずの、『むにゅっ』とした妙に柔らかい感触。

ネット越しに掴んでしまった『何か』を引きずり下ろす形で、石上はそのまま前のめりに倒れた。

 

自分の頭のすぐ上の方で聞こえる、「えっ」という息を呑む声。

石上は、察しの良い人間である。

頭の中で、今しがた自分が何をしでかしてしまったのかのおおよその想像が付いていた。

恐る恐る目を見開いてみると、その想像が誤りでは無かった事の証左が、眼前に飛び込んできた。

 

石上の目の前に広がった光景は、ネット越しに石上に掴まれ、水着がはだけて左胸が露わになってしまったミコの姿であった。

倒れた2人の距離は近かった為、石上が覆い被さる形となり、他の者にそのあられもない姿は見える事はなかった。

しかしその分、石上の目には至近距離で、ばっちりと、しっかりと映り込んでしまった。

今しがた起こった現実を頭の中で受け入れられず、刹那思考が止まったミコ。

『見てはいけない』と頭では分かっているはずなのに、目の前の光景に意識を奪われ、視線を外せない石上。

しばし、両者の間に流れる時は止まっていたが……

ようやく理解の追いついたミコが、手早くはだけた水着を直し。

石上に向かって、ゆっくりと、静かに右手を挙げた。

 

「い……伊井野?」

 

言葉として表されていなくても分かる。

今、目の前にいるこの少女は、煮えたぎるマグマの如く怒りで沸々と沸き立っている――――。

わなわなと震えるミコは、先程まで自分のはだけた胸が有った位置から視線を微動だにしない石上に向けて、声高に叫んだ。

 

「ヘンッッッッッッッタイ!!!!!!!」

 

晴れ渡る青空の下にバチーンと乾いた音が響き、ミコは石上から背を向け、その場から猛スピードで走り去っていった。

しばし流れる沈黙。そして……

 

「い、石上……」

 

「えっ、会長!?」

 

白銀がやや引き気味に自分を見ている事に気付き戸惑う石上。

 

「石上くん……貴方がそこまで気色悪い事をしでかすとは想像してませんでした……」

 

「し、四宮先輩も!?」

 

極めつけに藤原が、片手にスマホを持ちつつ固さ全開の作り笑顔で言い放った。

 

「石上くん……今おまわりさん呼んだので、神妙にしててくださいね……ヤケ起こして私やかぐやさんに同じ事しちゃダメですよ……」

 

「痴漢案件!?っていや、皆して冗談言ってる場合じゃないでしょ!僕伊井野を追いかけてきます!」

 

藤原の冗談が『付き合いきれない』と判断するある意味良いトリガーとなり、石上はミコが走り去って行った方向へ全速力で駆け出した。

 

「い、石上!お前が行っても……ってああ、行ってしまったか」

 

石上を引き留めようとした白銀であったが、元陸上部のエースである石上は思った以上に速く駆けて行ってしまった。

 

「いえ、ここは石上くんが行くべきでしょう。意図的ではないとは言え、いずれはした事を謝らねばならないんですから。だったら、出来るだけ引きずらず早く済ませる方が良いですよ」

 

「一理有りますけど……」

 

かぐやの言葉に賛同するも、心配そうにミコと石上の走っていった方向を見つめる藤原。

 

「ミコちゃん、ちゃんと許してくれるでしょうか……」

 

「ああ……嫌っている異性に触られたり見られたりするという事は、女子からしたら相当ショックな事に違いない……」

 

腕を組み、行く末を案ずる白銀。

 

「……大丈夫ですよ。伊井野さんは、きっと許してくれます」

 

かぐやが自信有りげに言った。

 

伊井野さんは、見た目はああだけど、そうお子様じゃない。

……それに。

伊井野さんは、石上くんの事を嫌いなんかじゃ……

 

 

 

 

 

人気の無い岩場の陰で、伊井野ミコは独り、全速力で走った為に普段より早く脈打つ鼓動を抑えていた。

落ち着くために、左胸の辺りに手を置くミコ。

しかしその位置が位置だけに、先程のハプニングが嫌でも頭の中に浮かんできてしまった。

 

ネットと水着越しではあったけど……触られた。

そして……見られた。

本来ならば、深い仲の異性にしか見せてはいけないはずの、何も着けていない自分の胸を……

 

ミコとて、薄々分かってはいた。

石上が、下心を抑えられずにそんな不埒な事をしてくる訳は無い、と。

しかし。

あの時は、恥ずかしさのあまりに気が動転して……あんな態度を、取ってしまった。

ミコは呻きながら俯き、目を閉じた。

あんな風に触られ、見られた事への憤りと、恥ずかしさが爆発した為に石上を罵りひっぱたいた事への後悔。

2つが混じり合った鬱屈とした感情が、ミコの頭の中を渦巻いていた。

 

どうしよう?

次に石上と顔を合わせる時、自分はどう対応すれば良いんだろう?

ミコは思案をし始めたが……ちっとも考えが纏まらない内に、その声は聞こえてきた。

 

「伊井野!!」

 

頬が上気し、息が上がり、肩で息をしている。

パッと見でも、自分を追って全速力で駆けてきた事が分かる石上が、目の前に現れた。

 

「い……石上」

 

まだ、何も考えが纏まってないのに。

ミコは、石上にくるりと背を向けた。

だが石上は、ミコから一定の距離を保ったまま、ミコを振り向かせようとはせずその場に立ち尽くしていた。

 

「……念の為に言っとくけど、勿論、わざとじゃねえからな」

 

そんな事、分かってる。

けど……

 

「……でもまあ、あんな事されたら嫌だわな。怒るよな……悪い。僕が、悪かった」

 

石上は、ミコからは見えないのは承知で深々と頭を下げた。

 

「僕を許せないのは分かる。けど、お前が不機嫌なままじゃ……会長と四宮先輩にとって、今日の思い出が微妙なモノになる。

僕は許さなくても良いから……会長と四宮先輩の為に、機嫌直してくれよ」

 

石上は、もう一度深く頭を下げた。

 

「…………」

 

無言のまま、ミコは石上の方を向き直した。

あのハプニング自体は、その一言で許せる。

けれど……許せない事は、まだ一つある。

 

「アンタ……ずっと見てたでしょ……その、む…………胸」

 

石上の視線が、はだけた胸に釘付けになっていた事。

そうしようと思えば、目を閉じるなり逸らすなり出来たはずなのに。

しっかりとはっきりと、まるで目に焼き付けようとせんばかりに凝視された事は事実なのだ。

 

「ズラした事は仕方ないにしたって、あんなジロジロ見るだなんて……どういうつもりよ。変態」

 

違う。そんな事言いたいんじゃないのに。

ていうか、自分は何を聞いているんだろう?

 

石上は、返答に窮した。

視線が釘付けになった理由。そんなモノたったひとつ。

『いきなり想像以上にエロいモノが眼前に飛び込んできて来たから』に他ならない。

しかし……そんな事をバカ正直に白状しようものなら。

 

『(うわっ……一生見る機会が無さそうだからって偶然の産物にかじりついたのね……

モテない童貞ってかくも哀れになるのね……

ほんと……生理的に無理)』

 

こうなるのは必然!

 

ほんと、女って生き物はこう、答えに困る質問を聞いてくるものなんだな……

 

けど、今回は僕が悪い。

どう思われようと、あからさまな嘘はついてはいけないだろう。

ここは……直球勝負しかない。

 

「……そ、それは……っ」

 

と、石上が言いかけたその時。

岩場の間に、一迅の強い風が吹き込んだ。

そして、その風が……一度ズラされ緩くなり、着け直し方も緩かったミコの水着の上を、掠め取って行った。

 

「えっ!?!?」

 

「うわっ!?!?」

 

反射的に風で飛んでいくミコの水着を目で追った為、今度はミコの露わになった胸を石上が見る事はなかった。

不幸中の幸いか、水着はそう遠くない岩場にぽとりと落ちた為、すぐ拾いに行けそうだ。

 

「待ってろ伊井野、僕が……」

 

石上はそう言いながら拾いに行こうとしたが、ふと足が止まった。

 

いや、僕なんかに水着触られるの嫌じゃないか?

あれくらいの距離なら、伊井野が自分で『隠しながら』拾いに行けるのでは……

今、上半身が『産まれたままの姿』になっているはずのミコの方は振り向かず、石上はその場で尋ねることにした。

 

「なあ伊井野、僕が拾うのが嫌なら、お前が――――」

 

そこまで言いかけた所で、石上の言葉は途切れた。

いや、彼の中に流れる時までもが途切れた。少なくとも、石上自身はそう感じた。

石上の身体の背面に、突如色々と柔らかい感触が襲ってきたのだ。

その感触で、正体を察してしまえた。

 

どこか震えている細い指。

足に当たる、普段は黒タイツに包まれ絶対に露出しない柔らかいふともも。

背中に当たる、あれだけ沢山食べているのに全然出ていないお腹。

そして、背中に当たっているのはそれだけではない。

水着を飛ばされ、何も着けていない2つの瑞々しい果実が……

その柔らかさを示すように、むにゅっと潰れながら、石上の背に密着していた。

 

あまりの衝撃に、石上の思考は数秒間完全に停止していた。

意識が戻った時も、一体何故、伊井野ミコが突然自分にその身体を密着などさせてきたのかが皆目見当が付かず、軽くパニックに陥った。

 

「いいい伊井野!お前な、何やって!?」

 

驚愕の叫びをあげる石上とは真逆に、ミコは震える小さい声を必死に、囁くように絞り出しながら答えた。

 

「(さっき……人の声が……誰か来たら、見られっ……かくして……っ)」

 

そう言われると、確かに……成人男性と思われる、2人程の話し声が聞こえてきた。

 

「あん?今なんか声聞こえなかったか?」

 

「叫んでた気もするなあ……誰か溺れたりしてんのか?ちょっと探ってみるか?」

 

密着しているからこそ分かる。

震えているのは声だけでなく、その小さな身体もだ。

軽く混乱しているとはいえ、石上はミコの心情を察した。

察したからには……その頼みには、答えてやりたい。

……だが!

 

いやいやいやいやいやいや、それは良いんだけど!

伊井野の方は良いのか!?今のこの状況!

自分が何やってるのか分かってるのか!?

 

声のボリュームを抑えつつ、石上はミコに確認を取ることにした。

 

「(い、伊井野……隠すって言ったって、コレは……)」

 

そう言って、石上は密着状態から脱しようと少し離れようとする。

だが、ミコは離れようとする石上の身体を、グッと抱き留めた。

 

「(いやっ。はなれないで……っ)」

 

怯えて震えながらも、どこか甘えを感じさせるようなその声に、石上の思考は一瞬、ほんの一瞬ではあるが、妙にぐらりと揺らいでしまった。

 

いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!!変な事考えるな!

伊井野は怯えてるんだぞ!?怯えすぎな気もするけど!

なのに、変な事考えてどうする!!

いや、考えるな!無になれ、僕!!

 

しかし……忘れてはいけない。

ミコには紳士的な面を見せる事が多々あるとはいえ、石上優もまた、思春期真っ盛りの男子高校生である。

同学年の……『なくはない』程度には思っている女子が、自分に肌を密着させてきているなどという状況で心を無にするなどというのは、到底出来ない業であった。

皮肉にも、気を逸らせば逸らそうとする程、むしろ全神経が身体の背面……特に、2つの果実が密着する背中に集中していくかのようだった。

……厳密に言えば、もう一箇所敏感に神経が反応している部分が有るが、それは石上の名誉の為に敢えて触れないでおく。

ぼかして言うならば、『身体は正直だった』と述べるに留めておく。

 

「(あああああああああああああああああダメだダメだダメだダメだ余計な事考えるな考えるなそうだ苦手な世界史の事でも考えればちょっとは!『アンボイナ事件』!『オスマン帝国!』『アナーニ戦争』!ちくしょう変な響きのしか浮かばねえ!!)」

 

一体、いつまでこの状態を維持していれば良いのか。

先の見えない理性との戦いに苦難していたが……

 

「……うーん、誰も居ねえな。気のせいか?」

 

「俺もお前もビール飲みすぎたか?まあいいや、誰も居ねえみたいだしそろそろ戻ろうぜ」

 

「ああ、そうすっか」

 

近くに来ていたと思われる男性達は、どうやら引き上げて行ってくれたようだ。

 

危機は去った。

自分の背後で震えているミコに、石上は声をかけた。

 

「伊井野、もう行ったみたいだぞ。あと僕、お前の水着拾ってくるから。何秒か待ってろよ」

 

「えっ?あ……うん」と背後で聞こえるや否や、石上は猛ダッシュで岩場に落ちているミコの水着の上を拾いに走った。

一刻も早く、密着状態から逃れるべきだと思ったからだ。

 

岩場に裏向きに落ちていた、水着の上を、スッと拾い上げる石上。

その水着は、どこかほのかに温かかった。

この温かさは、太陽の陽に照らされた岩から伝わった温かさか。

あるいは……

 

またも余計な事が頭に浮かんだ為、石上は目を閉じて自分の頬を軽く叩いた。

 

変な事考えてないで、さっさと伊井野にコレを届けないと。

 

そして駆け足でミコの元に飛ばされた水着を届けた石上は、ミコが水着を着け終わるのを待っていた。

 

「……はい。もう良いわよ」

 

声が聞こえた方を振り向くと、今度こそちゃんと水着を着け直したミコが、後ろで手を組みながら立っていた。

 

「……その。あ、ありがと」

 

気恥ずかしそうにもじもじしながらお礼を言うミコ。

 

「……いや、お礼……を言われる事はねぇよ。お前がここに来る事になったのも僕のせいだし」

 

石上は、『お礼を言うのはむしろこっちというか』と言いかけそうな所をやっとの思いで呑み込んだ。

 

「そ……そうよ。アンタがジロジロ見たもんだから!で、何でジロジロ見たのよ!?さっき何か言いかけてたけど!」

 

あんな事の後で、まだ蒸し返してくるか……と思いはしたが。

今しがた局所を乗り切った石上に、もはやあれこれ考えを巡らす余力は無かった。

ある程度、思ったままの事を率直に言ってしまおう。

それでどう思われても……悪いのは僕の方なんだから、仕方がない。

 

「……綺麗すぎて、目が離せなかったんだよ」

 

やべえ。実際口に出してみると、想像以上にキモい。

 

自分の発言が恥ずかしくなって、石上はプイッと顔を逸らした。

 

だが、ミコの方はというと……

 

「き……きれい?」

 

……何だか、満更でもないような反応な気がするのは気のせいだろうか。

ミコもまた、思わぬ答えに顔を赤らめてしまったのがバレるのが嫌でプイッと明後日の方向にそっぽを向いた。

 

しばらく、2人の間には沈黙が流れたが……

 

「……まあ、良いわ。さっきは、一応私を隠してもくれた事だし……チャラにしてあげる。アンタが……見てきたのは」

 

つい先程の事の方がよほど大事では……と石上は思ったが、許してくれそうであるという事で敢えて言及しない事にした。

 

「……んじゃ、戻るか」

 

「……うん」

 

2人は、白銀達の待つ海辺へと戻っていった。

 

 

 

「あ!2人で戻ってきましたよ!」

 

藤原が、こちらに歩いてくる石上とミコの姿を見つけ喜びの声をあげた。

 

「2人で戻ってきたということは、仲直り出来たんですね?」

 

「ええ、まあ……伊井野は、いつまでも引きずるような奴じゃないですよ」

 

「そうですね。流石は次期会長候補です」

 

ミコにニッコリと微笑みかけるかぐや。

 

「……私達のせいで、白銀会長や四宮副会長の思い出を台無しにしたらマズいですから」

 

自分の言葉を引用したミコに、石上が少し驚いた表情で振り向いた。

 

「ああ、その気遣いが嬉しいぞ、伊井野監査」

 

ミコの言葉に、白銀が満足げに頷いた。

 

「ではでは!ミコちゃんも戻ってきた事ですし、みんなでかき氷でも食べませんか?」

 

「……伊井野と関係無いような」

 

そう石上が言いかけたが。

 

その言葉を遮るように、空腹感を示す、グゥゥゥゥ……という音が、辺りに響き渡った。

 

「……いや、やっぱ関係有りましたね」

 

「ちょっと!今のは私じゃ……いや、私だけど、これは朝ごはんを食べ忘れたからで!」

 

「分かった分かった、そういう事にしとくから」

 

「信じてないでしょ!このバカ!変態!」

 

「……今は変態は関係ないだろ」

 

再び怒りが湧き上がり、石上をポカポカと叩き始めるミコと、それを軽くいなす石上。

全てを察しているかぐやが微笑みを送るこの2人の夏休みは、これで終わりではない。

 

8月の後半。

もう一つ、2人にとって忘れられない出来事となるイベントが待ち構えていた。




次回10話も夏休みのお話です。
今回よりは短くなる(文章量も投稿間隔も)予定です。

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