クロユリの市街地を襲った戦いから数時間の時が経過した。
少女ーー結芽が眠る部屋は、百合と同じ部屋であり、研究員は忙しなくバイタルチェックを強いられている。
そんな中、結月はいつもと変わらない真面目な表情で、ガラス越しに二人の少女を見つめていた。
「……まだ、目覚めないか」
「当たり前でしょう。フェニクティアを投与してからまだ数時間ですよ。そうそうすぐ目覚めるなんてことーー」
「傷自体は既に回復している。体の中に入れていたノロも、完璧に無くなっていた。目覚めない方が可笑しいんだ」
真希の怒気のこもった言葉に、結月は冷たい声で返した。
彼女の言った通り、結芽の体はフェニクティアノ投与のお陰で全快しているし、ノロも消滅している。
目覚めない方が可笑しいのだ。
それを真希も理解したのか、唇を噛むように口を噤んだ。
戦場で何があったのか真希はーーいや、真希たちは知らない。
分かっているのは、結芽がクロユリに負けたと言う事だけだ。
「……目覚めないか訳があると、お考えなんですか?」
「あぁ。体自体は、至って正常に機能している。残る可能性は……」
「心的要因…ですか?」
「間違いなくそうだろうな。……不甲斐ないばかりだ、お前たちに命令や指示を出すだけだ、私たちが大人は何も出来ない。精々サポートが関の山だ。結局、私は何も出来てない。あの時と、まるで変わってないよ」
そう言って、結月は自嘲気味に笑う。
あの時とはどの時なのか、彼女を知る者しか分からない。
だがしかし、それを知る者はこの場に居ない。
過去の後悔である、大災厄のあの日の選択を、任せる事しか出来なかった少女の命を。
誰も、知りはしない。
初めて見る結月の顔に、真希は言葉を失い、目を伏せた。
見ていけないものだった訳じゃない。
ただ、見ていられないほどに苦しく、悲しいものだったのだ。
何故なら、大切な仲間の為に何も出来ていない自分と重なって見えるから。
数秒の間に、周りを静寂が包む。
誰も、何も喋ろうとしなかった。
誰も、何も喋れなかった。
続く筈の静寂を破ったのは、不機嫌そうな顔をして、頭の上に相棒であるねねを乗せた薫だった。
「何時までも辛気臭い話してる暇はねぇだろ、俺たちには時間がないんだ。一週間後にあるテロの対策を、立てなきゃいけないんだからな」
「日本全土に、人為的の強化した大荒魂を散布するテロ……だったか」
「あぁ。百合と結芽が居ない分、戦力はガタ落ち。それでも、戦える奴はまだ残ってるし、俺たちの仕事は人を守り荒魂を祓うことだ。…面倒だがな」
不機嫌そうな顔を崩さないまま、彼女はガラス越しに百合と結芽を見やった。
背中に背負う、身の丈に合わない大きな御刀を、今にも憂さ晴らしに使いたい気持ちを抑え込み、薫は真希と結月を連れ出す。
クロユリの宣戦布告により、日本は今、未曾有の危機に晒されている。
世間への対応も急がれているが、テロの対策を疎かにするなんて出来ない。
「うちの学長も忙しくて手が回せない。折神紫や朱音様も同じくだ。アンタの力が必要なんだよ、相楽学長」
「……最善を尽くそう」
「獅童真希。お前にも働いてもらわなきゃ困る。隊の動かし方に慣れてる奴は居るには居るが、お前みたいに全体を引っ張れる奴は居ないんだ」
「…分かったよ」
薫は誰よりも仕事が嫌いだ。
面倒臭いし、疲れるから。
けれど、彼女は益子の刀使。
荒魂が暴れ回るのを放っておけないし、人を見殺しにも出来ない。
彼女は誰よりも仕事が嫌いだが、彼女は誰よりも仕事をしなくちゃいけないと思っている。
「はぁ、めんどくせぇー」
口ではそう言いつつも、薫は体をキビキビと動かす。
百合に残された時間は少ない。
助けられる可能性が0%になっても、薫は助けるつもりだった。
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だだっ広い真っ白な空間で、結芽は目が覚めた。
周りにはなにもない。
この空間から出るようなドアも、退屈を凌ぐゲームも、座れるようなイスも、なにもない。
「……どこ、ここ?」
「地獄にしては綺麗過ぎて、天国にしては殺風景過ぎる。ようこそ、夢の世界へ」
そんな、用意されていた台本を読んだような言葉を口にしたのは、百合と瓜二つの容姿を持つ聖だった。
違う点は、髪の色と瞳の色、あとは泣きボクロ。
全く違うと言われればそれまでだが、体付きや顔立ちはそっくりだ。
初対面ではあったが、何度か声を耳にした事があった結芽は大して驚くことなく、聖に向き合う。
「……私、死んでないの?」
「えぇ、フェニクティアのお陰でピンピンしてるわよ」
「じゃあ、なんでここに?」
「…それは、あなたが一番よく分かっている筈でしょ?」
「……………………」
目を細めながら放たれた聖の言葉に、結芽は無言を貫いた。
何も言わず、直立不動のまま聖を見すえる。
まるで、お前に何が分かる、とでも言いたげな表情で。
先程まで真っ白だった空間に、暗雲が立ち込めた。
「怖い目。とても、逃げた人の目には見えないわね」
「それがなに。あなたには分からないでしょ!? 否定された気持ちが! 嫌いって言われた気持ちが! 分かったような口でーー」
「分かるわよ? 私だって大好きな人にーー大切な人によく嫌いだって言われてたもの。お前の在り方は嫌いだって、耳にタコができるくらい言われてたわ」
涼しい顔で、聖は結芽の言葉を流して、反撃の言葉で押し返した。
結芽は結芽で、反撃の言葉を聞いて何も言えずにいる。
それを良い事に、聖が話を続けた。
「大好きな人に否定されて、大好きな人に嫌われて、それであなたの気持ちは変わるの? 違うでしょ? あなたの気持ちは、永遠に変わらない。好きだって気持ちは変わらない筈でしょ?」
「……そ、それはーー」
「まぁ、この程度の事で変わってしまうなら、あなたの気持ちは底がしてれるわね。はぁ、残念。百合を救えるのは、あなただけだと思ったのに…」
「………………違う」
「何か言った?」
わざと煽るような口調で聖は言った。
そして、その煽りに釣られるように、結芽は叫ぶ。
想いの丈を吐き出すように。
「違うっ!! 私はゆりが大好きだ! それは今でも変わってないっ! 例え否定されようと、例え嫌いと言われようと大好きだ! 私はーーあの子に否定されるより、あの子に嫌われるより、あの子が笑って生きてくれない方が嫌だ!! あの子が死ぬのが嫌だ、あの子が笑わないのも嫌だ! だから、私はーー」
「私は?」
「あの子をーーゆりを助ける!」
「…………よく言ったわね。合格よ」
微笑んだ聖の顔は、百合そっくりで、結芽も少しだけ笑った。
久しぶりの本当の笑顔だった。
紛い物じゃない、無理して作った物じゃない。
自然に零れた、天然物の笑顔だった。
「…私は夢神聖。百合の…本当の母親って言えばいいのかしら?」
「……聖さん?」
「そう。でも、これからはあなたに修行をつける訳だから、聖さんじゃつまらないわねぇ……。師匠って、呼んでちょうだい?」
「……分かった、師匠」
「さぁて、御刀を取りなさい。今から、夢神流の全てをあなたに叩き込むわ。覚えられなかったらその時点で百合が死ぬと考えなさい」
「はいっ!」
百合の消滅まで、残り一週間を切ったその日。
歴代でも最高峰の刀使である夢神聖と、稀代の天才刀使の燕結芽の師弟関係が完成した。
それぞれの想いが交差する中、辿り着く先は一体どこなのか。
一人の少女の運命を、日本の運命を賭けた戦いは刻々と終わりに近付いていた。
みにゆりつば「チョコレート」
バレンタインデー。
恋に心躍らせる少女たちが意中の人に想いを伝える日。
これは、まだ百合が結芽の事を『燕さん』と呼んでいた時の話だ。
「ねぇねぇゆり〜! バレンタインデー、誰かに上げるの?」
「上げない…と思う。私、好きな男の人は居ないから」
「へぇ〜……。じゃあさ、じゃあさ! 私と交換こしようよ!」
「燕さんがやりたいなら……分かった」
バレンタインデー前日だった事もあり、百合はその日急いで市販の板チョコと型取り器を買いに行った。
家に帰ると、正子に台所を貸して貰えるようにお願いし、急いでチョコの制作に取り掛かった。
ブラウニーやチョコケーキ等の物を作りたかったが、今から作って完璧な品が出来るとは思えない。
百合は型取り器に溶かしたチョコを入れて、冷やして固めるシンプルな物を作るように考えた。
型取り器のデザインは、ハート型と星型の二つしか残っていなかった為、その二つを買ってきた。
問題としては、どちらの型取り器も大きいと言う事。
「……大き過ぎる、どっちか一つにしないと。ハート? 星? ……………………」
そうやって、百合が悩んだように唸っていると、正子が声を掛けてきた。
とても、優しい声だった。
「百合お嬢様。想いが籠るのは、ハートと相場が決まっています。大切な人に送るなら、絶対にハートですよ」
「……別に、燕さんそう言う人じゃーー」
「でも、好きなんでしょう?」
「…はい」
「じゃあ、ありったけの想いを込めるべきです!」
押しの強い正子の言葉に背中を押され、百合はハートに型取り器に決めてチョコ作りを始めた。
始めたら最後、百合は手際良くチョコを細かく刻み、刻んだチョコを入れたボウルを湯煎し、湯煎し終わった溶けたチョコを型取り器に流し込んだ。
手間の掛かる作業ではあったが、心が踊るような楽しさが百合にはあった。
チョコの入った型取り器にラップをして、冷蔵庫に入れてやる事は終了。
あとはラッピングするだけだ。
箱は事前にハートと星型の両方を買ってある。
値は張ってしまったが、あまり苦ではない。
何故なら、百合は殆ど買い物などしないからだ。
偶に結芽に付き合って買い物に行くが、百合は殆ど物を買わない。
だからこそ、こう言う時にパーッと使っても問題はない。
「……明日、楽しみだな」
誰にも聞こえない声が、そっと台所に響いた。
翌日、登校中に渡す為に、百合は可愛らしい紙袋にチョコを入れて家を出た。
浮き足立っていた百合は、登校路で見つけた結芽の背中を見て走り出す。
「燕さん!」
「……ん? あっ、ゆり〜。おはーー」
彼女が朝の挨拶をしようとしたその時、走って追い掛けて来ていた百合は壮大にコケた。
……持っていた紙袋を下敷きにするように。
パリッと、嫌な音が耳に届いた。
咄嗟に起きあがり、中身を確認する。
……やはりと言うべきか。
大きいハート型のチョコは綺麗に真っ二つになっていた。
(どうしよう、折角作ったのに……。燕さんも、きっと楽しみにしてくれたのに……ダメにしちゃった……)
込み上げてくる悲しみから、涙が生まれようとしたが、百合の前に笑顔の結芽が立った。
真っ二つに割れてしまったチョコを見ながら、結芽は笑っている。
……百合は何故笑っているのか、全く持って意味が分からなかった。
「なんで……笑ってるの?」
「だって、こんなに大きいチョコ作ってきてくれるなんて、思わなかったから……嬉しくってさ」
「…割れちゃったのに?」
「二つになったら、二人で食べられるじゃん! ラッキーだよ」
ニッカリと笑う彼女は、百合から割れた半分のチョコをかっさらうと、一口齧りついた。
すると、驚いたように目を開いてチョコの感想を口にする。
「すっごく甘くて美味しいよっ! ありがとね、ゆり〜!」
「…それ、市販の板チョコを溶かして固めただけだよ?」
「ゆりがーー大事な友達が作ってくれるから美味しいんだよ! も〜、分かってないなぁー!」
からかうように、結芽はそう言った。
この時、百合に初めての感情が芽生える。
胸が痛いくらい苦しくなって、でもとても嬉しい。
……それを恋だと気付くのは、まだ少し先の話だ。
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次回もお楽しみに!
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新連載始めました(二作品)
百合https://syosetu.org/novel/210919/
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結芽の誕生日は……
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