同人誌即売会が終わった2日後、まだゴールデンウィークと呼ばれている連休の中。
リビングのソファーに転がりながら、ワイドショーをBGMに文庫本を読んでいるとスマホから変な音がすることに気づいた。
やだなーやだなー怖いな怖いなー。メールやメッセージが届いたときと違ってずっと鳴ってるし、着信音じゃないし……なんだっけな、この音。聞いたことあるような気もするんだが。
恐る恐る液晶画面を見ると……ぎゃあー! 高坂桐乃の文字が! ってなんだ、これは無料通信アプリの着信音だったか。いつもチャットの機能しか使ってないから、本来のビデオ通話のやり方がわかんねえ。何これ、どうやって出ればいいの……。受話器のアイコンをいじっていると、赤い方の受話器が動いて着信音が消えた。
よし! やっちまったな!
間髪を入れず、再度着信音が鳴り響く。やっぱそうなるか。
緑の受話器をそーっと押し込む。ううむ、なんて難しいんだ。この操作は。レッスンが必要だろ、何やってんだよ俺のプロデューサーさんは。
どうやら応答に成功したらしく、高坂の顔が画面に表示される。うわー、これがビデオ通話か。マジで未来って感じだぜ。何か言う暇も無く、スピーカーから怒号が聞こえた。
「あんた、あたしを着拒するとかいい度胸してんじゃん」
「すまん。ビデオ通話が生まれて初めてだから勝手がわからなかった」
「はあ!? いつの時代の人間なのよ」
「いや、時代の問題じゃなくて、かけてくる友達がいないんだよ」
「……ごめん」
「こっちこそなんかごめんね?」
謝られても調子が狂う。高坂は怒鳴り散らしてるくらいが丁度いいな。
「それで、用件はなんだ」
さすがに何の用事もないのに俺に連絡してくることはないだろう。どうでもいい用事ならそれこそチャットで良いはずだ。
「ああ、んとね、今回はサークル手伝ってくれてあんがとね」
ちょっと恥ずかしそうに、頬を掻きながら言う高坂。素直に感謝してくる……だと……こいつがこんなに可愛いわけがない……。
「なによ」
「いや、なんだ、どういたしまして」
なんとなく俺も頬を掻いてしまう。気恥ずかしいな。
「で、お礼をしたいと思ってんの」
「お礼? 今してくれただろ」
「あんだけしてもらって一言で終わりってわけにはいかないかんね」
ほーん。意外と律儀なやつなんだな。
「ちょー可愛い女の子2人でデートしてあげる。嬉しいっしょ?」
「なんだ、また黒猫と一緒に遊びに行くって話か」
デートなんて言ってるが、結局こいつは黒猫と遊ぶのが好きなのだろう。2人だと素直になれないから俺を巻き込もうっていう魂胆に違いない。
「へー。あんたあの黒いののコト、超可愛いって思ってたんだ」
「おっ、お前それはズルいだろ……」
ジト目で俺を見るな。腐った目で見つめ返すぞ。腐ったって自分で言っちゃったよ。
「ま、いいケドね。今から千葉集合だから」
「わかった」
急だなとか、どうせ暇なんでしょ、などという余計なやり取りはしない。以前小町が選んでくれたコーディネートを再現させて、早々に千葉へ向かう。千葉ってのはもちろん千葉駅のことだ。
向かう途中にメッセージが入り、小洒落た喫茶店にいるとの連絡を受けて、すぐに到着した。
連絡を受けてから40分経っていないぜ。なんで俺は勝手にタイムアタックに挑んでしまったのだろうね。
喫茶店に入ると、すぐに手を上げている高坂を見つけた。相変わらず派手な格好してるなあ。渋谷や原宿ならともかく、千葉の喫茶店では非常に目立つ。
「早いじゃん、どんだけあたしに会いたかったのよ」
「うるせ」
そんなわけあるか、と思いつつも他に理由が思いつかないので気の利いたことが言えなかった。ほんと、なんでこんなに早く来ちゃったの? 暇すぎて友達に誘われたら、散歩に連れて行って貰えるとわかった犬のように興奮しちゃったの? やだその可能性も否定できない!
「あ、初めまして。私、桐乃の友達の新垣あやせです」
高坂の隣に座っていた長い髪の少女は少しだけ腰を上げてぺこりとお辞儀をした。頭をあげると、髪がはらりはらりと横に流れて少しずつ顔が見えていく。
思わず息を呑んだ。超可愛いってのは、大袈裟でも何でもなかったのか。
「彼が八幡。比企谷八幡よ」
高坂が俺を紹介した。本名で呼ばれることが恥ずかしくて仕方がない。いつの間に俺はHACHIMAN氏って呼ばれるより本名の方が恥ずかしくなってしまったんだ……。
「お会いしたかったです、八幡さん」
「あ、ああ。よろしくな、新垣さん」
「こちらが八幡さんと呼んでいるのですから、新垣さんはちょっと。あやせって呼んでください」
にっこりと笑う新垣あやせという少女に、どうやら俺は緊張している。何故だ。
「あ、あやせ。よろしくな」
「はい、八幡さん」
「はっ。八幡ってばすっかり骨抜きになってやんの。まー、あやせを見たら男なんてみんなこんなもんだけどね。ちょー人気モデルだもん」
「そんなことないよ、桐乃の方が全然人気あるって」
「まー、女性読者からはそうかも知んないけど、男が好きなのはあやせだって」
なんか仲良しだね、君達! 容姿を褒め合う美少女2人を見ているのは、悪くない気分だ。しかし、そうか。高坂のモデル友達か。そりゃあ素人離れしてるわけだな……。
高坂が言う男子ウケするという批評も納得だ。高坂は派手でギャルっぽい印象があるから女性ファンが多いのかもしれんが、好みではないという男も多そうだ。
新垣あやせという少女はいかにも正統派の美人というか綺麗で可愛いと言うか清楚でオーソドックスというか、化粧もキツくないし髪型もシンプルに黒のストレートだし、変なネイルアートもしてないし、わけわからないアクセサリーもしてないし、服装もお嬢様みたいなワンピース。なんだこれ非の打ち所がないぞ。子供から大人まで、オタクからヤンキーまで、日本人男性が好きな女の子っていうのはコレだと言い切れるほどの完全美少女だ。この女の子に勝てるとしたら、ウチの妹くらいしかいないんじゃないかしら……。
「八幡さん、ドリンクの注文どうしますか?」
「あ、ああ。カフェラテにしようかな」
「すみませーん、店員さん、カフェラテを一つ、お願いします」
うわー、気遣いも出来るし、店員への態度も丁寧だし、偉そうに腕組みしたり、突然不機嫌になったりしないし、マジ天使じゃん……まさか本当は男だったりしないだろうな。戸塚に続いて奇跡が2度起きてしまったのか?
店員がカフェラテを運んでくると、高坂が席を立った。
「ちょっと化粧直してくる」
ほーん。本当に化粧を直すのか、本当は便意を催したのかはわからんが、ダイレクトに言わない点についてこいつも女の子らしいとこあるんだななどと感心していると、物凄い圧を感じてあやせの顔を見た。
「……八幡さん、ちょっと伺ってもいいでしょうか?」
――ぞくり。
なんだ、なんでこんなに恐怖を感じる?
彼女の目からは光が消えて闇のように深い黒へ。声のトーンが下がり、笑みは失われていた。
「どうして桐乃に近づいたんです? いえ、桐乃が可愛いからいかがわしいことがしたいというのはわかっています。この汚らわしいハイエナめ!」
ちょっと?
どうしたの、この人?
さっきまで天使だと思ってたのに、あっという間に堕天使になってるんだけど?
「せっかくお兄さんと別れて綺麗で美しい大好きな桐乃が私だけを見てくれるようになったと思ったのに、なんでこんな目が合うだけで強姦してきそうな変態の魔の手に落ちたのかしら……」
言いすぎじゃない? ちょっと目が腐ってるだけだよ? 悪いスライムじゃないよ?
「あの」
あまりの暴走っぷりにとりあえず落ち着けと、右手を近づけようとした途端、まるでゴブリンに襲われるエルフの如く身を避けた。
「やめてください、私にまで手を出そうというんですか、エロゲーみたいに! ひえっ、それ以上近づいたら通報! 通報しますよ!」
手を触れた事実すらないのだから裁判になったら彼女の弁護人がナルホド君でも勝てると思うんだが、絶対に通報されたくはない。小町が「いつかやるんじゃないかと思ってました」などと泣きながら報道陣に答える想像をして青ざめる。どうすればいいのやらと、ただ戦慄するだけの俺に、派手な笑顔が近づいてくる。助かった。こんな怖い女と二人で居たらどうにかなってしまう。
「あ、どしたの二人ともー。すっかり仲良しってカンジ?」
ハンカチをふりふり帰ってきた高坂に、俺は目で助けを乞う。だが、この状況を仲良しに見えてしまう絶望的な状況把握能力ではとてもじゃないが伝わらなかった。
「にひひ、まーあやせはホント可愛いからね~。どうせメロメロなんでしょ」
俺の顔は赤らめているどころか真っ青だと思うのだが、本気で言っているのか高坂。普段から青ざめているようなものだからわからないのかしらん。
「そんなことないよ、八幡さん、絶対桐乃のこと好きだもん」
ね? と俺に目を向ける新垣。
いや、正直、今どちらを選ぶかって言ったら躊躇なく高坂を選ぶよ俺は……。
しかしそんなことを言ったら確実に殺される。とはいえ、新垣にメロメロだなどとは口が裂けても言えない。カフェラテの泡を無意識に溶いて、せっかくのラテをただのカフェオレにしてしまいながら、お茶を濁す選択肢を選ぶ他なかった。
「まぁ、なんだ。あやせもすっごくいい子だよな。高坂はほんといい友達に恵まれてると思う」
我ながら無難だ。これなら誰も傷つけることなく、この場を収める事ができるだろう。やったね、八幡。
ところが、高坂は不服そうに唇を尖らせた。
「あんた、それはないでしょ」
「な、なにが」
安全策を取ったつもりでこのリアクションはさすがに不安になる。微塵もいい子だなんて思ってないけど、精一杯考えた無難な選択肢なのよ? これから突然サーヴァントに襲われてのタイガー道場行きは勘弁して欲しい。
「なんであたしを高坂って呼んでんの」
「え? だってきりりん氏って呼ぶのはちょっと恥ずかしんだけど」
あやせは黒猫や沙織とはちょっと違うグループの友達だと俺は睨んだわけだが違うのか? 実際、新垣も高坂のことは桐乃と呼んでいるし、高坂もあやせと呼んでいる。ここで俺が高坂をきりりん氏などと呼ぶのは、俺だけがキモオタになった感じになるので非常に避けたいのだが。
「違うっつーの。あやせはあやせなんだから、あたしも、その、桐乃って呼んでよ」
ああ、なるほど。確かに。なんだ、そういうことか。ちょっと安心して、緊張がほぐれる。
「悪かったな桐乃」
「ひひ、今度からは桐乃って呼んでよね」
にこぱーと嬉しそうに笑っているところを頬を緩ませながら見ていると、隣の方からゴゴゴゴという擬音が聞こえてきそうなくらいに不穏な空気を出しながら、ビグザムでも発射できないくらいのパワーの目線が俺を射抜いていた。あやせさん? なんで鬼の児嶋でも出せないくらいの威圧感を出せんの!?
「ほぉら、やぁっぱり桐乃のこと、好きじゃないですか……狙ってるじゃないですか……」
「待て待て待て、そもそもお前が自分のことをあやせって呼んでくれとか言い出したのが原因だろ」
あまりの恐怖に正当防衛を試みると、高坂も有り難いことに援護射撃を開始した。
「狙ってないって、あやせ考え過ぎ。こいつはただのオタク友達だし、なんか黒猫のことも可愛いとか言ってたし」
「へぇ~、黒猫さんも狙ってるんですか……ふぅ~ん、意外と見境無しなんですね」
高坂さん、ちょっと? 援護射撃のつもりで撃った弾丸が俺に当たってるよ?
それにしてもあやせさん怖い、怖すぎる。
高坂はあやせのダークオーラを軽く吹き飛ばしつつ、
「だから狙ってないって。なんなら私と一緒で妹と結婚したいとか思ってるタイプだから」
と、あっけらかんと言ってのけた。
そんなこと思ってるのかよ。俺は小町と結婚したいなんて思ってないぞ、養って欲しいだけだ。あいつは一生結婚なんてしなくていい。
「へ~、ふ~ん、ほ~う? ますます、どこかのお兄さんとそっくりですね♪」
なぜだろうね、美少女が笑いながら可愛く言ってるのに、死の恐怖を感じるのは。子猫に狙われたネズミのような心持ちだ。俺は勇気を奮い立たせて、反論を試みる。
「待て待て、一緒にしないでもらえます?」
いくら俺がシスコンだとしても、黒猫と付き合ってたのに妹の頼みで別れたり、妹とラブホに行くようなやつと一緒にされたくはない。
「じゃあ、桐乃のことはどう思ってるんですか、八幡さん」
ぐっ。
どう思ってるって……。
なんだこれ。
どう考えても、なんて答えてもバッドエンド一直線じゃねーか。
「まぁまぁ、ほら、八幡はぼっちだったから友達だって言うのも恥ずかしいのよ。勘弁してあげてよ、あやせ」
ああ、そうか、友達だと思ってるで良かったのか。それにしても高坂ってこんなに優しいやつだったっけ?
天使に見えるんだけど? 隣に堕天使がいるからそう見えるだけかな?
「まぁ、そうでしたか。いかにも友達が居なさそうですもんね、ごめんなさい、気が利かなくて」
「いや、まぁ、うん」
「私とも、お友達になってくださいね、八幡さん」
「あ、ああ、うん」
ちらちらと助けを求める目線を高坂に向ける。
た・す・け・て・く・れ
ようやく俺の顔の変化に気づいた高坂は、少し考えるような顔をして、一瞬迷った後、ぱっちーんとウインクをした。
そ、そうじゃねえよ。
可愛かったけど、そうじゃねえよ……。
うーん、どうでしょう。なにせ不安ですので、いいぞもっとやれって言って貰えないと続きかけないよぉ・・・ふえぇ・・・